誰も僕を責めることは出来ない4

新八の息が上がる。
自分でも驚くばかりだが、相当に体は疲れていたらしい。
しかし、隙を見せたら一巻の終りだ。
新八は深呼吸をして、敵と対峙した。
男の真価はここからだろう、と笑って。




席に戻ろうとした谷を、廊下で斎藤が呼び止めた。
はっと、あからさまな狼狽を見せて、谷が振り返る。
「…さ、斎藤さんか」
暗い廊下で、部屋から漏れる灯が斎藤の顔を横切っていた。
細いが鋭い目が、谷を射貫くように見つめている。
「何か、起こったんじゃないのか?」
ちらっと、斎藤の視線が外を見る。
谷の背中に冷たい汗が流れた。
「あ、ああ、ちょっといざこざが起きたらしくて…」
「なら、伊東殿に声をかけて…」
「い、いや!私が行くから大丈夫ですよ。伊東先生や皆さんは、どうぞゆっくり飲んでいて下さい」
慌ててきびすを返し、廊下を走ろうとする谷の腕を、咄嗟に斎藤が握った。
ギョッとした谷の顏が、斎藤の涼しい顏の目の前に迫る。
「お供しましょう」
斎藤はそう呟くとにっこりと微笑み、谷を抑えたまま部屋の中に声をかけた。
「すみませんが、所用が出来ました故、我らは先に失礼します」
そう、左之に僅かに視線を走らせながら。



山崎が持ち帰った報告に、土方が殺気立った。
「谷は、どうしたんだ!?」
「隊士の後は吉村が追いました。私は暫く谷先生を待ちましたが…姿は見えませんでしたので、先にこちらへ」
「増援を…」
出すと言いかけて、土方は舌打をした。
今日は腕利きを伊東にかなり持っていかれていることに、今更気が付いたのだ。
もし谷が素直に伊東に報告したとして、奴は真っ正直に新八を助けるだろうか?
助けるかも知れない。
しかし、その結果として奴は何かを得ようとする。
「伊東に借りを作るわけにはいかん」
「吉村が走っております。奴は役に立ちます」
山崎の判断は正しいだろう。確かに吉村は腕が相当に立つ。きっと一人で何人分もの働きをして、新八の窮地を救うかも知れない。しかし、間に合うか、一人で足りるか、だ。
ギリ…と唇を噛んだ土方の耳に、予想外の声がした。
「私が行きますよ、土方さん」
「総司!?」
「私が行かなきゃ、誰が行くっていうんですか」
驚いた土方の視界に、既に装束を整えた総司が立っていた。
土方は咄嗟に叫ぶ。
「駄目だ!お前はそんな体じゃ…っ」
「私は、沖田総司なんですよ、土方さん」
土方の叫びを、総司は毅然として遮った。
その目に灯る炎に、土方は燃え尽きかける命の最後の叫びを見た気がした。



夜道を走る。
冷たい風が頬を撫でる。
谷と、斎藤と、左之と。
席を立った3人を、伊東は笑顔で送りだした。
もともと居心地が悪そうにしていた左之は、斎藤の視線にすぐ腰を浮かせたが、篠原はちょっと怪訝そうな顔をしていた。
しかし伊東は、止めなかった。
谷にはそれが、気になった。
何事かと聞かないのですか、伊東先生。
止めてはくれないのですか、伊東先生。
流れる風以上に冷たい汗をかきながら、谷は走っていた。
が、突然斎藤が歩みを止める。
「っ何だ斎藤!?」
先頭を走っていた左之が、興奮気味に振り返る。
彼は、谷の口から「巡察中の永倉さんが…」と聞いた段階で、早くも走り出していたのだ。
気持ちは既に、新八の元へと飛んでいた。が、現実の体がまだ追いつかない事に、苛立っている。
「悪い。ちょっと吐きたくなった」
「あ、ああ、酒が入っていましたからな…」
谷がどぎまぎと、斎藤と左之の間に立った。
「すまないが、先に行ってくれ」
「仕方ねぇな!!」
斎藤の言葉に答えるより早く、左之は駆け出していた。
心の中はすでに、新八の事で一杯になっている。その他に割く余裕は無かった。
谷がその左之を追おうか、残ろうかと迷う。
その腕を再び掴み、斎藤は呟いた。
「少し…付きあいませんかね」と。



クラクラした。
何人かの隊士が倒れているのが見える。
何人残ってる?
相手は何人立っている?
「…くそっ」
小さく唸ると、また右側から男が斬りかかってきた。
それを鍔元ではじき返し、腹を横に叩き割ると、男が仰向けに倒れた。…と、同時に、新八の膝もがくっと地に着いていた。
耳に、男達の笑い声が響いた気がする。
新八は刀を支えに立ち上がろうとした。
「まだ…だ!!」
こんなところでは死ねない。
こんな状態で死ぬことは出来ない。
「死ねないんだよ…あいつの、許可なしには…なっ」
新八の口が、ニッと歪むのを見て男達が刀を振りかざしたのは、その時だった。



「最初…」
ボソリと斎藤が呟く。
吐くのかと思った彼は、左之を見送るとゆっくりと歩き出したのである。
「永倉を手土産にするのかと、思っていたが…」
谷の胸に、ドキリと重たく鋭い杭が打ち込まれる。
「は、は?」
視線が定まらない谷を眺めて、斎藤は音もなく彼と向かい合わせに立った。
そして、耳元で囁くように、身を寄せる。
「病の沖田に続き、永倉を失わせる事で…副長の両翼をもごうとしたのかな?」
耳の産毛が総毛立つ気分で、谷は身震いをした。
ガクガクと、両膝頭が震えだす。
その揺れを袴越しに見下ろしながら、斎藤は鼻で笑った。
「気に、くわんな」
「な、な、なに、何の」
「身一つで転がり込めないのは、自分自身への蔑みではないのかね?」
谷と、斎藤の目が合う。
谷の脳裏に伊東の微笑が見えた。
その目が、語っている。
そう、ずっと語っていた。
「小物が」と。
「わ、私はっっ!!!」
谷がそう叫んだ瞬間。
「気にくわんものが、許せない性質でね」
斎藤が同時に呟いていた。
そして谷の胸に衝撃が走り…言葉を吐いた口は、血をも吐く事となっていた。
ドサッと倒れる彼の体を見下ろしながら、斎藤は口を拭いた。
「ああ、汚い汚い…」
そう、呟きながら、斎藤はその場を立ち去った。




「永倉先生!!!」
新八がギリギリで頭上からの刀をかわした時、吉村の声が届いた。
無様と判りながらも、転がって体勢を立て直した新八の視界に、声だけではなく吉村の姿も飛び込んでくる。が、やはりというか、吉村以外の味方の姿が殆どなかった。
死んだか、怪我で倒れたか、それとも新八の目に入らないだけか。
新八は最後の選択肢を願ったが、今はそれを確認する余裕はなかった。
「ご無事で!?」
「俺を誰だと思ってる!?」
気力で叫び返すと、吉村の顔が笑ったように見えた。
が、すぐにその視界を敵が遮った。
「誰だか知らないが…死ねっ!!」
「くそっ!名前くらい覚えておけっ!! 俺はなぁ、永倉…」
ゼェゼェと荒い息、ぐらつく視界で男を睨む新八の声を、遮る声があった。
「新八〜〜〜〜〜っ!!!!」
先に名乗られてしまったが、その声に新八が心底嬉しそうに笑った。
「って、言うんだぜ」
その新八の笑顔に、男が「あ」と思う間もなく…
男の脳天は、背後からの凄まじい力で割られていた。
血を噴き倒れる男の体の向こうから左之の姿が現れるのを見て、新八は心底安堵する心を感じた。
それでもまだ、多勢に無勢は変わらない。
吉村もまだ息のある隊士をかばいつつの応戦で、うまいことにはいかない。
「立てるか?」
「…当たり前だろ」
短く声をかけあう左之と新八にも、刃は情け容赦なく降り注ぐ。
「たかが一人や二人が増えた位でっ!!!」
誰かがそう叫んだ。
確かに今見るところは、その通りだろう。
しかし、新八はそれでも笑ったのである。
彼の視線の先にいたもの。
それは…



「沖田総司、参上!!!!」
透き通る様な声で叫ぶ総司と、傍らに鬼のごとき土方の姿。
その二人に向かって、新八は呟いた。
「遅い」と。







□ブラウザバックプリーズ□

2008.11.20☆来夢

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喧騒の中で時代は眠り続ける




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