慶応2年初め… 身を切るような冷たい空気の中を、新八は隊士を率いて走っていた。 夕闇に染まる空を背景に、長い長い本願寺の壁沿いを走り、屯所へと至る。 ようやく慣れてきた門扉には、左之が羽織を手にその帰りを待ち侘びていた。 「おかえり」 にっと笑い、安堵の息を漏らしてから、左之が新八の冷えた体を羽織で包む。 暖かな感触と気配に包まれて、新八はやっとの思いで呟いた。 「ただいま」 二人の口元から出る白い息が、気温の低さを物語っている。 そんな光景を遠くから見ながら、土方は通る風に身震いをした。 |
布団に横たわり2番組の帰屯を音で聞いた総司が、咳と共に呟く。 「また、永倉さんに苦労かけちゃいましたね」 コンコンと、出る咳も力無い彼に、土方は開けていた障子を閉じた。 いつからだろう、総司が労咳と判明し、起きている姿をあまり見られなくなったのは。 日に日に痩せ衰え、1番組の隊務は2番組の新八が代わる事が多くなった。 「そう思うなら、早く元気になれ」 言いながら、土方は布団を直してやる。 その布団の膨らみが、確実に薄くなっていくのが判る。 「…土方さん?」 ふと手を止めた土方を、総司が不思議そうに見上げた。 その顏に苦笑を返して、土方は立ち上がった。 「何か温まるものを持ってこさせよう」 「食べて寝ての繰り返しだから、太りそうですよ」 痩せていく体を叩いて、総司が笑う。 その笑顔を直視できず、土方はポンポンとその頭を叩くとぎこちなく笑った。 「ああ、食って食って豚になれ」 土方の言葉に総司が膨れっ面をしたが、土方は何も言わずに廊下へ出た。 後ろ手に障子を閉めたところで、彼は俯いた。 唇を噛みしめる。 そうしなければ、涙が溢れてきそうだったからだ。 「うおっ!こんなに冷えちまって!」 「お前、暖かいな〜」 羽織ごと左之に抱きしめられ、新八が笑った。 そんな二人の背後を、1番組の隊士達が「お疲れ様でした」と去っていく。 本来なら総司が指揮すべき彼らに、新八は慌てて声をかけた。 「おーお疲れ!ちゃんと風呂入って暖まってから休めよ〜」 その言葉に、隊士達は様々に返事を返して消えていく。 2番組は非番の今日、新八は総司の代わりに1番組を率いて仕事に出ていたのだ。 左之は、軽く溜息をついた。 「お前さんが、一番休め」 「んあ」 総司が倒れても、隊士の仕事は以前と変わらない。 変わらないようにする為に、単純に新八の仕事量は倍になっていた。 代われるものなら代わってやりたいと左之は思うが、そう簡単にいく話でもない。 新選組はこの京において、常に最強でなければならないのだ。 総司がいなくても、戦力低下を伺わせてはならないのである。 その為には、総司に匹敵する人間-たとえば新八であったり斎藤あたりが、代わりに出る事はやむを得ない事であった。 左之は、最近少し痩せた感じのする親友を、切なそうに見つめた。 「目に隈が出来てるぞ?」 「ん〜」 左之の言葉に、ふにゃふにゃと答えていた新八は、ふ〜と目を閉じた。 「…新八?」 心配そうに声をかけた左之の前で、新八は…ふらぁと倒れた。 新八が倒れたと、土方に報告してきたのは谷だった。 土方は、この男があまり好きではない。 「何故、君が?」 そんな事は2番組の者か、他の者の報告で十分だろうに。 土方の問いにも薄く微笑むだけの彼を睨み、土方は立ち上がった。 向かった先の部屋には、今は寝息を立てる新八とそれを見守る左之がいた。 土方が薄く開いた障子の中で、そっと左之の手が新八の顔にかけられている。 屯所の門で彼の帰りを待ち侘びていた左之の指が、愛おしげに新八の頬を走るのを見ながら、土方は自分でも気付かず溜息をついた。 後からハッとして、土方はわざと音を立てて障子を開ける。 しかし今度は部屋に入った瞬間、土方の目には左之と新八が総司と自分の姿に映った。 彼は一瞬目をつむり、幻を追い払ってから再び現実を見る。 そう、そこにいるのは新八と左之。 「どんな具合だ?」 尋ねる土方を、左之が見上げた。 その瞬間、新八から 「ぐ〜」と声…いびきが上がった。 「こんな具合です」 肩をすくめて、左之は新八の布団を直す。 その姿が、また自分とだぶる土方。 疲れていたのだろう、新八はよく眠っていた。その健やかな寝顔が、唯一の違いか…総司との。 しかしその寝顔を、左之は心配そうに見つめる。 「そうか…」 呟きながら、土方は自分の胸に小さな痛みが走るのに気付いた。 まるで小さな棘が胸を突くような、痛み。 それは左之と新八を見る程に、大きくなっていくようだった。 重なる顏。 新八が総司に、左之が自分に。 違う、そうじゃない、この二人は違う… 土方は小さく頭を振り、そして口走ったように左之に言葉を吐いていた。 「新八に想いを寄せるな、左之」と。 夜風が屯所を撫でていく。 緩やかに穏やかに過ぎる外界とは違い、左之と土方は強く睨みあっていた。 「俺が、新八を好いていて、何がいけませんかね?」 「互いの影響力を考えろ。今、新八を失うわけにはいかん」 「何で俺の気持ちが、新八を失う事につながるんすか?」 強い眼差し。 純粋に新八を想う目。 誰かを想う事は、弱みを内に抱え込むこと。 想いが繋がれば、それは倍になる。 -私だって動けますよ、土方さん -無理はするな -本当に、心配性だな〜土方さんは 俺はお前を、殺したくないんだ- 土方はぎゅっと目を瞑った。 「土方さん!」 「お前は自分の部屋に戻れ」 「嫌です」 「なら…」 土方は廊下を覗いた。 ちょうどそこに、斎藤と谷が姿を見せる。 「永倉が倒れたと聞きましたが…副長?」 沖田・永倉に続く組頭の斎藤が、土方に様子を窺う。それ自体より、土方にはその脇に控えた谷の存在が気になった。 この男、斎藤にまで「報告」したというのか。 「斎藤」 土方は谷を無視して、斎藤に呼びかけた。 「新八を俺の部屋に運んでくれ」 「…は…」 土方の命令に、斎藤がちょっと目を丸くする。 「土方さん!!」 部屋の中からは左之の怒声。 それも無視して、土方はさっさと自室へと向かうべく背中を向けた。 何もかもが…頭の中でこんがらがっている。 「副長…」 部屋の中の左之と土方の背中を見比べて、斎藤が呼ぶ。 「命令だ」 土方はそれだけ繰り返すと、その場を後にするのだった。 通りすぎる土方を、山崎が気配を断ったまま見つめる。 傍らには吉村。 二人は土方の後、残った人々を見つめ続けた。 斎藤が新八を抱きかかえ、眠る新八を左之が心配そうに見送る。 立ち去る斎藤と左之。 そして、やはりそれを見ていた谷。 二人は、黙って目を合わせると…頷きあった。 布団の中で、総司は呟く。 「土方さん…泣かないで」 |
|
|
|
|