case by case

県立春日山高等学校は、男女比がおかしい。
そう呟いた佐保のクラスには、女子が6名いた。
総勢34名のクラス内で、6名の女子。約1/6程度の人数が何を意味しているのか。
何も深い意味は無い。
総勢6名。
どう数えても減りもしないし、増えもしない。
学年で全10クラスある中で、女子がいないクラスもある。通称男クラ。この男クラが2クラスあり、佐保のクラスは辛うじて6名。じゃあ、他のクラスも少ないのかと言えば…
「何で理系なんて選んでしまったんだろう…」
文系クラスには、女子がちゃんと半数程度を占めていた。


「あーずーまーティッシュくれー鼻血噴いた〜〜っ」
「出血多量で倒れてしまえ、ほら」
「佐保〜こないだの学祭の資料どこにしまったっけか?」
「そこの棚の上から2段目左から3,4冊目…てか下の名前で呼ぶな」
「東、清水が風邪って本当か?」
「昨日から怠そうでしたけど、何で私に訊くんですか、先生」


教室にいれば次から次と、掛かる声は色気無し。
次の化学の宿題に取り組んでいた佐保は、うんざりと机から顔を上げた。
教室が男臭い。
男臭がする。
そう形容するのは文系クラスの女友達だったが、1度足を踏み入れた彼女たちは、2度入ってこようとしない。何だか男率が高い教室は近寄る事を拒絶したくなるらしい。
壁には有名な和製ロックスターのタオルがかかり、黒板の横には黄色と黒の縞模様のポスターが貼られている。それが悪いんだろうか…と考えた佐保自体、春にこの教室に放り込まれた時には一瞬言葉を失った。
…黒い、教室が、と。
それも慣れてしまえば気にもならないのだが、やはり目の前に女子が登場すると気配が華やぐのが判る。
「ねー佐保、そろそろ移動しよ?」
親友の小春が首を傾げると、茶色い髪の毛がサラリと揺れた。
「うん、そうだね」と立ち上がると、またもやかかる声。
「なー東、俺この間の数学の課題提出したっけ?」
「してたけど、再提出だったじゃん」
「あ、そうだそうだ」
ポンと手を打って去って行く男子の背中を見送って、小春がやはり慣れたように呟いた。
「佐保って相変わらず、お母さんみたい」

3組の母、と呼ばれて数ヶ月が経つ。
その呼び名が付いたのは1学期の半ばだったから、丁度半年位か。
ひんやりと外気をたっぷり取り入れて冷える廊下を歩きながら、化学実験室を目指す。
「佐保ってしっかりしてるから、つい頼っちゃうんだよね〜」
「…って、何で私が奴らの体調管理から持ち物チェックまでせにゃならんのよ」
「あっは、だって佐保って管理能力高いんだも〜ん」
教室内のお助け箱。絆創膏だティッシュだ消しゴムだと小道具係かと思えば、あの資料はどここの道具はどこと総務を務め、最近熱っぽいだの咽が痛いだのにああしろこうしろとアドバイスまですれば、気分はすっかりお母さん。
「佐保が窓口になってくれたから、私ら女子もあの野獣の巣で呼吸がしやすくなったというか」
「私を女子カテゴリーから除外しないで…」
思わず小春にお願いしようとすると、化学実験室の前でクラスメイトの女子(貴重な残り3名。1名は本日欠席、ああ少ない…)がオドオドと立ち止まっていた。
「どうしたの〜?」
入らないの?と小春と共に、佐保が声を掛けようとすると。

「うぉ〜〜っ女子はどうした女子は!女がいねぇぞ〜〜〜っ!!」
「先生、潤い不足で乾燥して死にます!」
「女子ぃいい〜〜〜〜っっ!!!」
野獣の雄叫びが室内で上がっていた。


流石にこれじゃ入れないっつうの。


男ばかりだから男臭いのは仕方ない。
それさえ我慢すれば、案外と悪い環境でも無いとは佐保もクラスメイトの(貴重で大切な)女子も思っていた。
最初は下品だろう野蛮だろうスケベだろうと思っていた男子達だが、これが案外…そのままで。
でも、それが気にならないというか、気にしないでいてあげようと思うくらいには、紳士だったから。

2学期の終わり、季節は吐く息を白く変える。
「あっという間に暗くなっちゃうんだな〜」
放課後、3組の母として先生の手伝いをしていたら(要は体よく取っ捕まっただけ)、外は完全に夜。
下駄箱で腕時計を見たが、生憎とバックライト機能なんて無いからよく見えない。多分、6時位。
小春も先に帰ってしまったし…と、1人切なくローファーに足を突っ込むと。
「あれ、東まだいたのかよ」
「清水君」
今日は教室で見かけた覚えの無い顔があった。
「風邪でお休みじゃなかったっけ?」
「違ぇよ、怠いから保健室でずっと寝てたら1日が終わってた」
「学校に寝に来たのかいな。でもまぁ、寝るのが一番だよ」
「ああ、おかげでちょっと楽になったぜ」
グスっと鼻を鳴らす清水君の着たファーがついた水色のダウンが、薄暗い世界で妙に目に付く。
ちょっと可愛い。
「ほら、早く来いよ」
「ん?」
「こんだけ暗いと危ねーから送ってく」
一足お先に外に出た清水君のこざっぱりした顔が、月明かりで頼もしく映った。

実を言うと、ダウンが欲しいのだが。
「それどこで買った?」
「あ?駅ビルの…」
清水君が口にしたのは、駅ビルに入ってる某ブランド。あら、結構お高いんでない、あそこ。
「東ってPコート系多くね?」
「うん、でも最近本当に寒いしー私もダウン欲しいなぁって」
「俺なんて、自分で選びながら微妙〜とか思っちゃったけど」
あはは、と自分を見下ろして清水君が傍らで笑った。
頭1つ分上にあるから、自然と見上げる形になる。男の子は良いなぁと思う瞬間だ。首も太くて肩幅も広くて手も大きい。ああ、暖かそう。私なんて勝てるのは皮下脂肪の厚さくらいかも…
「何で?」
「俺の名前知ってるよな?」
「清水水鶏君」
「そうそう、水鶏…くいなって、何かダウンが他人に思えなくね?共食い?入れ食い?あれ?」
確かにダウンコートって、水鳥の綿毛と羽毛だけども。
そういえばダウンの色も水色で、水鳥を連想するねと笑えば清水君は更に困った顔になった。
「何でか選んじゃうんだよなーっ!名字でも青を連想するし、そこから離れよう離れようとするのに…」
くしゅん!と男の子にしては可愛いクシャミが出た。
ファーをしっかり寄せた方が良いのでは?と言うと、清水君は「うーん」と考えてから、おもむろに私を見た。
「東さ、ちょっと時間ある?」

連れて来られたのは、噂の駅ビル。
男子と一緒にいる事には違和感が無いと言うか、今更緊張しない。何せ1/6の世界で生きてますから。
とはいえ、普段と違う風景の中に一緒にいるのは、面白い。
賑やかなディスプレイと暖房でほんわかした店内で、何をするのかと思ったら。
「マフラー選んでくれよ」
「私がぁ?」
「そう、俺だとさ、どうしても…」
清水君が色とりどり、種類も豊富なマフラーコーナーで視線を彷徨わせる。
彼が唇に指を当てて「うーん」と考える様は、ちょっと可愛い。
大きな図体して子供っぽいんだから、と嫌味ではなく笑えてくるのだが。
「これ!」と彼が手にしたのは、ブルーが基調のストライプマフラーだった。
「……青だね」
「…だろぉ。わざとじゃなくてさ、これがしっくり来ちゃうっつーか、俺って青の呪いにかかってね?」
青の呪いって何だろう、青の洞窟に悪さでもしたのだろうか。
「というわけで、東チョイスで♪」
「私センスで良いの?」
「3組の母だぜ?母は強し!子は母を疑わず」
母性本能を刺激はされなかったけど、目の前でにっかりと笑われると弱い。本当にうちのクラスの男子共はバカでアホでマヌケなんだけど、憎めないのだ。だって悪い連中じゃないんだもの。
というわけで、あれじゃないこれじゃないと、色々と探して彷徨って見て回って。
途中で「そのダウン脱いで!」とお願いをしたのは、青のダウンを着られているとそれに似合う感じを最優先にしてしまうからだ。
そして、最終的に辿り着いたのは。
「これ!」
「おおおお!」
2人で思わず感動して持ち上げたのは、ピンクベースのインディアン柄のマフラーだった。

ピンクはピンクでも、グリーンやアイボリーも充分に入っているから、甘ったるくは無い。
綺麗な配色のストライプは清潔感もあって、きっとスーツ姿の大人の男の人がしていたら素敵なんじゃないかと思う。スーツじゃないが、ブレザーの制服でも充分格好良かった。
姿見の前で試着している清水君の横顔が、一瞬だけ想像した成人男性に見えてドキッとした。
男の子って、学生の内は絶対に男の子だと思うのだけど。
働き始めた途端に男に変わって見えるのは、どうしてなんだろう。
「東チョイス、良いよ!ありがとな!」
「どーいたしまして…っても、そのダウンには似合わないよ?」
マフラーの入った可愛い紙袋を鞄と一緒に持って笑う清水君は、前言通りに家まで送ってくれていた。
すっかり真夜中の気配だが、時計を見ればまだ夕飯時だが、1人で歩くには充分に怖い。
政経の新任教師の胸がデカイ、なんて私にされても困るネタを振りまきながら、満足そうな清水君。
彼の水色ダウンと、マフラーの相性を考えて私は首を傾げた。
すると、「ああそうだ」と清水君は唐突に…

「何で脱ぐの?」
目の前でダウンを脱いだ清水君に、私は思わず空を見上げて息を吐いた。
間違いなく夜で冬で寒い。
「ほれ」
ずいっとダウンを手渡されると、その軽さにちょっと驚く。
良いなぁ、ダウン。軽いし暖かそうだし。
ほーとしみじみダウンを検分する私の前で、清水君はマフラーを紙袋から取り出して首に巻いている。
ああ、夜道で見る制服は更にスーツっぽさを増して、やっぱり似合う。
いや、ダウン以外でも充分いけるけど。
「それやるよ」
「……は?」
「ダウン、欲しかったんだろ?」
「て、え、ええ?何で?だってこれ、清水君の…」
「俺にはこれがあるし」
清水君は白く染まる吐息と共に、そんな事を言った。
大きな手をマフラーに当てて、手触りを楽しんでいる。
「これって、寒いよ!」
「うん、凄ぇ寒いから、俺もう帰るな」
私の家はもう目の前だ。
広い肩を窄めて寒さをアピールする清水君に、私は手にしたダウンを差し出した。
「だから、これ…」
「それは、東にやる」
「やるって、だってこれ、高い…」
「だからさ」
鼻の頭まで赤くなってきた清水君は、照れ臭そうに一瞬視線を逸らして。
でも、すぐに真っすぐに私にターゲットを戻すと、ハッキリ言った。
「今度はこのマフラーに合う上着を選んでくれよ、東チョイスで」

ポカンとした。
本当に私にこのダウンをくれるらしい。
「…わ、私センスで良いんだったら、幾らでもそりゃ付き合うけど…」
「東が良いんだよ」
母だから?
「好きな女の子だから」


気付くと、大きな背中が走って遠ざかって行くのが見えていた。
白い煙が上がっているのは、一気に上昇した体温を吐き出しているからだろう。
呆然とその背中が黒い夜に同化してしまうまで見送ってから、私は家に入った。

貰ってしまった、ダウンをじっと見る。
返事をしてない。
バカみたいに冷静な様でいて、アホみたいに動揺している。
部屋の鏡の前で、そっとダウンに袖を通してみた。
水色のダウンは男物だからちょっと私には大きい。
それでも細身なタイプだから、然程の違和感は無かった。
「やっぱり可愛い…」
貰って嬉しい、と思った瞬間。
ふっと鼻孔をくすぐったのは、嗅ぎ慣れない匂い。
それが、清水君の匂いだと思い至ると、途端にカッと自分の頬が熱くなってしゃがみ込んでしまった。
そうだよね、これ着てたんだもんね。
彼が着てたの、皆知ってるよね。
これを、明日私が着て行ったら…
それって、返事になる…よね?

昨日から怠そうでした、なんて。
3組の母だから知ってたんじゃない。
何となく、彼を目で追っていたから気付いただけ。
鼻血を噴いた奴なんて、噴射していても気付かなかったんだから。


真っ赤な顔を鏡の中に映しながら、私はぎゅっとダウンを握りしめた。
明日、清水君はどんな上着を着てくるんだろう。
そこに今日のマフラーを巻いてくれてたら。
私が、これを着て行ったら。


それって…だよね。


ああ、明日を考えたら、今からもう何も手が付かない!
どうしよう、小春ちゃんにメールしようかな!?


なんて考えている私は、やっぱり普段通りじゃなかったんだろう。
翌朝、清水君が高熱出してお休みだなんて。

ちょっと考えれば想像付いた事なんだけど。


水色のダウンで教室中の注目を浴びた私は。
ダウンに顔を埋めて、清水君の匂いを嗅ぎながら、教室の男臭さから必死で逃れたのだった。










県立春日山高等学校はハレルヤの舞台
初出…2008.12.20☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。