人間には、越えてはいけない世界がある。

死線

京都は秋の気配が濃い。
木々が紅みを帯び、身を過る空気が冷たい。
空はどこまでも高く。透き通るように青かった。
「ほぅ…」
土方は眼下に広がる景色に思わず吐息を漏らした。
そこは京都でも名所の一つに数え上げられる、清水寺。
一般の詣で客に混じって、土方は「清水の舞台」と呼ばれる場所にいた。



土方にとって久々の休日。
それがこんな秋晴れの素晴らしい日にあたるとは…土方は、日頃薄い天への感謝をこの時ばかりは強くした。
「本当に良かったですね〜!絶好の俳句日和じゃないですか」
「そうだな」
「あ、副長、お腹空いたらいつでもお弁当広げますからね」
「ああ、まだ良い…」
「副長、敷物広げるから座られますか?」
「…ああ…っ」
土方は次々と掛けられる言葉にガバッと振り返った。
すると、そこには山崎が敷物を広げ、その上に島田が弁当を広げ、そして沖田がお茶を飲む姿があった。
ひくっと土方が息を飲む。
他の客が物珍しそうに四人を眺めていく。
「何でてめぇらがここにいるんだ〜〜〜!!??」
土方は思わず清水の舞台の手すりにしがみついて叫んだ。
せっかくの一人悠々とした休日なのに!!




がく然と叫ぶ土方を見て、沖田は笑った。
「何でって、当たり前じゃないですか〜。あなたは新選組副長なんですよ?」
「そうそう」と島田も山崎も頷く。土方も確かに要職の身である自分が、共の一人も連れずに…と思った。
が。
「土方さんの行く所騒ぎあり!そんな面白いものを見逃す事なんて、僕には出来ない!!!!」
今度は沖田が上げた叫びに、土方のみならず島田もこける。
「仕事しろよ!!」
「土方さんの方が気になって、仕事も手に付きません!」
「何にも起きねぇよ!!!」
「大丈夫!その時は僕がっ!!」
その瞬間、土方が沖田の胸ぐらを掴んだ。顔面を寄せて睨みをきかせる。
「僕が、何だ? あ?総司」
「土方さんったら、こんな昼間ッから…」
ぽっと頬を染めた沖田に、びくっと土方は即座に手を放した。
鳥肌を立てる土方を見ながら、沖田は「ふっふっふ」と不敵な笑みをもらしている。
「そ、それはともかく、良い句は浮かびましたか? 副長」
島田がなんとか土方をなだめようとする。
そんな島田の意を汲んで、土方は沖田を無視して悠然たる景色に目を戻した。



「秋空に 栄える紅 果てもなく」
土方が呟く。
いつの間にか隣に立った島田が頷いた。
「確かに、眼下一面紅い海のようですな」
「だろう?」ちらりと、土方は島田をみやった。
その時、反対側からその声はした。
「そうかな〜」
はっと土方が身構えたが、それは一歩遅かった。
「っ!!?」
驚く土方の視界は、その時点で反転していたからだ。



「ぎ、ぎゃ〜〜〜〜〜〜〜っ!!??」
清水の舞台を上から下へ、土方の絶叫が轟いた。
一瞬の出来事に島田も呆然としている。山崎はさして動じる風も無いが、沖田はさも嬉しそうだった。
何故なら、土方は今、沖田に突き飛ばされて清水の舞台から落ちかけていたのである。
「お、お、お前なぁっっ!!!!」
手すりの外側から、必至にその手すりにすがる土方が叫んだ。
「何ですか?」
応えながら沖田は、一生懸命に土方の手を手すりから外そうとしている。島田はその平然とした悪魔の所業におろおろするばかりだ。
「馬鹿、やめろっ落ちる!!!」
「落ちて下さいよ〜。そして「清水の舞台から飛び降りる」気持ちを後で教えて下さいね♪」
「ね♪、じゃねぇ〜〜〜〜〜〜っっっ!!! 島田!何とかしろっっ!!!」
とうとう刀を振りかざしはじめた沖田から、土方は寸での所で手をずらして逃れる。
が、その足の下はすでに何も無く、かなり下の方に木々が鬱蒼と茂っているのが見えるばかりだ。ここから落ちたら命はないだろう。事実、昔はここから死体を捨てていたという話だってある。
「お、沖田さん止めて下さいよ!! 山崎さんも何か言って下さいっ!!!」
「島田、この卵焼きが甘いのは気に入らん」
「はぁ!?何言ってんですか、こんな時に!!!」
「お前が何か言えって言うから」
慌てる島田の背後で、山崎は一人落ち着いて弁当を食べている。彼はどうも厚焼き卵の味が気に入らないらしく、さかんに首を傾げていた。
そう言う間にも、沖田の刀がグサ!グサ!と手すりを斬り付けていく。
「ちょっと土方さん!これ以上やると、僕がお寺から怒られます!!」
「なら止めろよ!!!」
「土方さんが素直に落ちてくれれば止めますよ」
ニヤリと笑う沖田を見て、土方の背筋に冷たい汗が流れた。
『こいつ本気だ!!!』
しかしその時、沖田の体を島田が背後からはがいじめにした。やっと隙が生じたのである。
「ちょっ!? 島田さん邪魔しないで下さいよ」
「いけません!これ以上やったら本当に副長が死んでしまう!!!」
「それはそれで、土方さんの運命でしょう?」
のほほんと平然と語る沖田に、思わず土方も島田も凍りつく。が、山崎はまだ卵焼きを睨んでいる。
「じょ、冗談じゃねぇ!死んでたまるか!!!」
うが〜〜っっ気を取り直して叫んだ土方は、沖田の邪魔が入らないうちに手すりをよじ登ろうとした。
のだが。



いきなり土方の首に、縄の輪がひっかかった。
「……?」
その輪の出現に、土方も沖田も島田も目がきょとんとなる。
その輪は、土方の首にきゅるきゅるきゅる…と締まった。
「な、何だ!?」
思わず土方は手すりから手を放して、首元の縄を掴んだ。
「ああっ!! 副長、手っっ!!!」
「やった!!!」
「あああっ!!?」
三人が三様に叫ぶ中、しかし土方の体は落下はしない。
…宙に浮いているのである。
その奇々怪々な状況の中、余りに能天気な声が頭上高くから響き渡った。
「助けにきたよ、土方副長〜」
三人が声のした方を見る。
清水寺の屋根の上、そこにいたのは縄を手に土方を支える一人の人物。
「い、伊東参謀…」
「はぁい」と投げキッスをするのは、まさしく伊東参謀その人だった。




土方の眉間にしわが寄る。
正直言って伊東参謀は好きじゃない。むしろ、大嫌いだ。
何故ならこの伊東参謀は、俺よりも(もしかしたら)二枚目で、俺よりも(もしかしたら)頭が切れ、俺よりも(もしかしたら)女の扱いが上手く、俺よりも(もしかしたら)剣の腕が立つ。
そしてなによりも、この男はもしかしなくても、俺の事を愛しているのだ。
「土方副長、私が来て嬉しいかい?」
土方の眉間の皴が深まった。
この状況では助けの神…かもしれない。が、奴に救われるというのは…。
土方が悩んでいる間に、沖田が島田を投げ飛ばした。
「うわっ!?」
「はいはいはいはい、こんな縄は僕が斬って上げますからね〜」
「うわぁああ〜〜〜〜っ!」
そうこう悩んでいる間に沖田が刀を持ち上げたのを見て、土方は凄まじく後悔した。
こうなったら鬼でも蛇でも伊東でも!!
「助けてくれ〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
土方は絶叫した。
そして沖田の刀が振り下ろされ、今にも縄に食いかかろうとした瞬間。
「そうはいかないよ、沖田君!!! とうっ!!!」
伊東が突然縄を持ったまま飛び降りてきた。
一瞬で縄が緩み沖田の刃を逃れると同時に、土方の体が手すりから消えた。
「うわ〜〜っ副長〜〜〜〜〜っ!!」
島田が驚いて手すりから下を覗き込むと、そこには恐ろしい光景があった。


土方が首つり死体の如く、ブラーンブラーンと揺れていた。


「……………っっ!!!!」
島田が尻餅をつく。
その脇には屋根から降りてきた伊東が縄を手に、沖田と対峙していた。
「伊東参謀、その縄を捨てて下さい」
「断る。これは土方君の命綱だよ」
キラーンと二人の目が光る。
だが島田は思った。
どちらにしても、副長がっっ!!!!
縄を断つ⇒土方は地上に落下。さようなら。
縄を持ったまま⇒早く引き上げないと首つり死体が一丁あがり。やっぱりさようなら。
島田は考えた。
「伊東参謀、協力します!!!!」
「え〜何で島田さんまで!」
一刻も早く縄を引き上げなければ!!という思い一筋に、島田は沖田に対峙した。
その脇で、相変わらず山崎は弁当を食べていたのだが、そこにきて突然立ち上がった。
「なら私は沖田先生の方へ」
「なっ!? 何でですか!!!」
「卵焼きの味が気に入らん」
島田の肩ががくぅっと落ちた。
山崎は土方などどうでも良いらしい。



じりじりじりと対峙する二組。
「伊東参謀、私が縄を引き上げます」
こそっと島田は伊東に囁きかけた。
早く引き上げないと土方が本当に旅立ってしまう!
だが伊東はそんな島田の言葉など聞いちゃいなかった。
「僕はですね、土方さんのお尻のほくろを知っているんですよ。あと、頭の小ハゲとか、足の爪をどんな周期で切るとか、女の人への流し目の仕方とか、焼き魚をどこから食べるかとか、お風呂で身体をどこから洗うかとか、全部知ってるんですよ〜」
沖田がそんなくだらない事を並べ立てた。
「くっっおのれ〜〜〜〜っ!!」
「ええっ!?」
脱力する島田の横で、しかし伊東の目には嫉妬の炎が燃えあがっていた。
「い、伊東参謀!?」
「許すまじ、沖田ぁ〜〜〜〜〜っっ!!!!」
伊東は突然島田が驚くような声を上げたかと思うと、腕に力をこめた。
次の瞬間、島田は悪夢のような出来事を目の当たりにする。




「うぅおぉおお〜〜〜っ!!」
伊東の気合いと同時に、縄が急激に振り回される。
すると、凄まじい遠心力で、土方までが縄にくくり付けられたまま振り回され始めたのである。
「あああっっっ!!!?」
上空をぐるりぐるりと回る土方。
「おおっ!土方さんが回ってるっ!!」
何故か嬉しそうな沖田。
島田は「あわわわわわ」とその土方を追いかけて見ているうちに、目が回ってしまいその場に倒れた。
そして伊東の叫びが絶頂に達しようとしたその時。
「うぉおおおおお〜〜〜〜〜〜〜っ!!…お!」
ポンっと伊東の手から縄が離れた。




「あ」と伊東が縄の先を見る。
「あ」と沖田も同じものを見る。



二人が見る前で、凄まじい遠心力で勢いのついた土方の体は、ポーン…と清水の舞台の眼下に広がる紅葉の中へと消えていった…。




暫く二人は黙ってその様を見ていた。
が、土方の体が見えなくなったところで、伊東は突然きびすをかえした。
「さぁ、帰ろう。私は忙しいのだよ」
沖田もまた刀を収めて呟いた。
「お団子食べに行こう」
そう言ってスタスタと帰り始める。
そして残った山崎は、目を回して倒れている島田を起すとこう言った。
「おい島田。厚焼き卵が甘いのはどういうわけだ」
あくまで卵焼きにこだわる山崎に、島田はこたえた。
「私は甘いものが好きなんですよ」と。





その日、夕焼けに燃える清水寺の紅葉は、まるで人の血を吸ったかの如く映ったという…。








□ブラウザバックプリーズ□

2008.6.3☆来夢

紅葉狩り山狩り土方狩り?




実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。