心の声は、何故届かない



恋  愛






逃げよう
ここから逃げよう
何度そう、言いそうになったか
何度その言葉を、飲み込んできたことか





土方が近藤と共に京に来てから、どれくらいが経っただろう。
彼らが母体となった組織・新撰組は巨大化し、いつの間にか見知らぬ人間ばかりになっていた。
古い仲間達は次第に、土方と距離を取る様になり。
近藤は次第に、あの懐かしい「勇」から初めて見る「近藤」へと変わっていた。
土方も変わったと、誰かが言う。
土方はそうは思わない。
変わらない人間はいないが、俺の本質は昔のままだ。
単にそれを、周りの連中が知らなかっただけじゃないのか。
俺は侍になるんだ。
そして、勇さんと共に駆けて行くんだ。
そう誓った思いは、今も変わる事無く俺の胸にある…。





「怖いな」
はっと、土方が歩みを止めた。
夕暮れが空を包み始める時間、彼は島原近くを歩いていたのだが、我知らず考え事をしていたようだ。
「誰だ?」
突然かけられた声に、土方は振り向いた。
その途端、彼の前に壁が立ち塞がる。
「……っ!」
「やっぱり怖いな」
壁は男だった。
土方は自分よりもいくらか身の丈の高い男に、数歩後ずさった。
男はのっぺりとした顏を、着物中から出した手で撫でながら土方を見ている。
近頃、人からこれだけ不躾に見られる事は無い。
土方はムッとして男を睨んだ。
すると、男がニヤ〜ッと笑ったのである。
「お主、名は?」
不気味な笑顔にあてられたのか、その時は思わなかった事に土方は後から気付いた。
男の言葉に、相当な訛りがあった事を。




屯所に戻った土方を出迎えたのは、最近具合のすぐれない総司だった。
「無理しなくて良い。寝てろ」
むっつりと答える土方に、総司は気にする風も無く笑みを投げかける。
「何かあったか?」
「いいえ、何も。いつも通りですよ」
「近藤さんは…」
「いつも通りです」
その瞬間、総司の笑みが陰った。
近藤は最近、暇さえあれば休息所に行っている。それを本人は「帰る」というのだが、土方にしてみたら近藤の帰る場所はここであり、休息所はあくまで仮の寝所としか思っていなかった。
たったそれだけの意見の相違。
それが、近藤を酷く遠くに感じる要因の一つになっていた。
「総司…」
「はい?」
コンコンと、軽い咳をしながら総司が後を付いてくる。
元々ひょろっとした体躯の男だったが、最近更に薄くなった気がした。
「今夜、俺の部屋で寝るか?」
「…なんですか、またいきなり〜」
驚いた不思議だ、という口ぶりのわりに、嬉しげな笑みが総司の顏に広がる。
思わず自分の口元にも笑みが広がるのを感じながら、土方はその少し高い所にある総司の頭をくしゃっと撫でて言った。
「前もって誘う方が気味悪いだろ」
「そりゃそうですけど」
笑う総司と一緒に歩きながら、土方は今夜も灯の灯らない局長室をチラリと眺めた。



ぬるい茶が喉を滑っていく。
「何で酒じゃない?」
眉をしかめる男の突然の出現に、土方は危うく茶を吹きだす所だった。
「お、お、そんなに嬉しがってくれるか?」
ゲホゴホと咳き込む土方に、男はニヤニヤと笑みを向けてくる。
島原の近い茶屋で、土方は先ほどまで部下の山崎から報告を受けていた。その山崎が立ち去り、土方も茶を飲んだら出ようと思った所に、突然の闖入者である。
手の甲で口を拭い、土方は男を睨んだ。
「な、何だあんた!!」
「ま〜た怖い顔をしちょるな」
土方は白けた溜息をついた。
男は、先日やはりこの辺りで声をかけてきた、壁男だった。…訛り男でも良い。
「あん時は名前も教えてくれんと、さっさと行きよるに〜」
よっこらしょ、と座る男を見て、土方は慌てて部屋を出ようとした。
が、男の横を通りすぎる際に、男の巨大な手が土方の足首を掴んだのである。
「………っ!!」
「ま、ま、座り」
厳しい視線で見下ろす土方を、男は楽しそうに見上げる。
だが、土方は強引にその場から立ち去ろうとした。
…のだが。
「お座り!」
強引に足を引っ張られ、前つんのめりにコケてしまった。
「………っっっ」
恨めしげに、殺意さえ込めて振り返る土方に、男はニヤニヤと笑うばかりだった。



仕方なく、土方は元の位置に戻った。
勝手に注文を取る男に、土方は冷たい視線を送り続けていた。
「…何なんだ、あんたは」
「わし? 」
男は大げさに自分を指で指す。
土方が渋々頷くと、いきなり胸に手を当てて男は目を瞑った。
「ああ、や〜っと、わしの事を聞いてくれた」
さも感動、という風に言う男に、土方はカチンと来て叫んでいた。
「俺は何度も聞いた気がするがな!!」
「まぁまぁ、そう怒りなさんなて」
訛りの強い男の言葉に、土方は続きを叫ぶ事を諦める。何だか、怒る気が萎えるのである。この男には。
「で、あんた誰だ?」
「坂本龍馬」
その名が耳に飛び込んできた瞬間、土方は刀に手をかけて、立ち上がろうとする。
坂本龍馬…反幕勢力の重要人物ではないか!
だが、一瞬早く、坂本の長い手が向かい側から土方の手を抑えていた。
驚く間も無く、目の前に迫った坂本が言った。
「お主、新撰組の土方じゃな?」と。



ニヤリと笑うと、坂本は手を離した。
呆然とする土方に、あくまで笑みを浮かべながら坂本は言った。
「噂通り、怖い男じゃな〜あんた」
土方はとりあえず、刀に手をかけたまま座り直した。
迂闊…というには程がある。
自分で自分が忌々しい、何故気付かなかった。
唇を噛む土方に、坂本は余裕の笑みを浮かべて言う。
「そう眉間に皴を寄せるな〜て。せっかくの良い男が台無しじゃ」
かっかっか、と笑う坂本。
対する土方は、苦虫を噛みしめたような顔をしている。
「…俺を、知っていたのか?」
「さっき知った」
「何故」
「何とな〜く。勘で」
あくまでニヤニヤと。
「何の用だ?」
「いや〜あんまり良い男だから、目が行ってしもうた…っと、と」
カチンと、思わず刀を出しそうになる土方に、坂本は慌てて両手を広げた。
「何で怒るんじゃ?」
「怒らないでいられるか!!」
「だから、何で?」
「何でって…あんた、なぁ!!」
目をくりくりとさせて尋ねてくる坂本に、土方は段々と脱力していくのを感じた。
何なんだ、こいつは。
土方は深い溜息を吐いて、ぐったりとうなだれた。
「お、どうしたん?」
「……俺に何の用なんだ?」
土方の問いに、坂本は天井を見上げて顎を捻る。
すぐに戻ってこない返事に、土方が坂本を見ると…彼は真剣に悩んでいる風だった。
「…おいおい」
土方は真剣に、呆れ返った。



余りの馬鹿馬鹿しさに、土方の手が刀から離れ
それを見て、坂本がやっと口を開いた。
「何じゃ、新撰組の土方言うたら、鬼のような男だと聞いとったで」
「…悪かったな、鬼で」
「いやいや、お前さんは鬼とは違うな〜」
「あん?」
子供のように無邪気な視線を向ける坂本に、土方は力の入らない言葉を向けた。
どうも訛りの強い言葉を聞かされていると、こちらまで言葉が訛ってきそうだと、土方は思った。
元々が多摩訛りの言葉だったのが、京に来て京訛りが多少移った様な気もする。そこにきて、こいつの言葉まで移った日には、故郷に帰る言葉が無い。
「怖いが、魅力的じゃ」
「…そりゃどうも」
「褒めとるのに、気が入らんな〜」
どうして気が込められよう。
男に褒められたって、嬉しくもなんともないわい。
「あ、でもわしと一緒にいて、気が休まっとるって事…わ〜〜〜〜っ!!」
土方が無言で刀を抜くと、坂本が慌てて叫んで手を振った。
「た、短気じゃなぁ!!」
「あんたが呑気すぎるんじゃないのか!!」
冷や汗を拭きながらぼやく坂本に、土方が目を見開いて言ってやった。
すると、一転して坂本が笑顔になる。
「よう言われる〜」
その不気味な花の咲いた様な笑顔に、土方の手から刀が滑り落ちた。



結局。
土方は坂本のペースに飲み込まれてしまった。
部屋から出ようにも、出して貰えず。
怒れば泣く。笑う。誤魔化す。
無視すれば、怒る。茶化す。懐いてくる。
勝手に注文した酒を、一緒に飲めと叫びだすし。
「何なんだあんたは〜〜〜〜〜〜っ!!」
「だから、りょーまって呼んでっつ〜に〜〜っ」
土方の虚しい叫びは、坂本には届かなかった。
しかし、土方も抵抗する。
「いい加減にしろ!いきなり現れて、いきなり絡んできて、いきなり仲良しこよしになれるか!! しかもりょーまって呼んで? 呼べるか〜〜〜〜っ!! 訛りが強すぎて時々何言ってるか判らないし、こっちまで訛りが移りそうだっていうんだ!! 俺が魅力的? ああ、そりゃどうもってんだ!だけどな、俺だって男に褒められるよりも、女に褒めてもらった方が良い!そうだ、あんた島原へ行け!俺みたいな男に構ってる暇があるなら、女を抱きに行け!大体にして、俺は土方だぞ!? あんたを捕まえようとしている側の男だぞ!!? なのに、何でそんな余裕なんだ〜〜っ!!」
一気にそこまでまくし立て、土方はゼェゼェと肩で息を吐いた。
すると…
「ん〜良い声じゃな」
坂本が拍手してくれた。
途端に、土方が畳の上に崩れ落ちる。
「およ? どないした? おいおいお〜い?」
「…疲れた」
本気で疲れを感じて、土方はゴロンと体を転がして仰向けになった。
その土方を、上から坂本が見下ろす。
やはりニヤニヤと笑っている坂本。
もう、土方もどうでも良くなってきて、一緒に笑い出してしまった。



「ぷっは、はっはっは!」
「くっくっく…くっ」
突然腹から込み上げてきた笑いを止めようともせず、二人は笑った。
いや、坂本は笑い通しだったから、土方が加わっただけだが。
散々笑ってから、坂本が言った。
「ん〜やっと、眉間の皴が消えたのう」
「あ?」
台に肘を置き、先程よりもどこか大人びた笑みを浮かべる坂本に、土方は上体を起こした。
「お主…こうなっとったじゃろ」
坂本は両手を目の横に置いて、土方を見た。
伸ばされた指先が土方の方を向き、坂本の眼差しが強さを帯びる。
「…何?」
「こう、視野が狭くなっとってなぁ。眉間に深い皴を寄せてまぁ…。苦しそうじゃった」
坂本はそこまで言うと、手を外した。
そしてやはり、笑う。
「悩みはあるじゃろうが…もっと大きな目を持たんといかんぜよ。小さな枠の中で物事を見ちゃいかん。どんな事でもじゃ。そして…」
坂本の手がピストルの形を作り、土方をバキュンと撃った。
「胸の内のものは溜めずに、吐きだした方がええ。楽になると、物事も明るく見えてくるもんじゃ」
「俺は…そんな」
「言葉にせにゃ、伝わらん事も多いからな」
そこで坂本は、ぶきっちょな片目つぶりをした。
格好を付けたつもりかもしれなかったが、それは滑稽な表情としか移らなかった。
「…ぷっ」
思わず吹きだした土方に、今度は珍しく坂本が怒る番だった。





店を出ると、随分と時間が経ってしまっていた。
どうも坂本を捕まえるという気分になれなかった土方は、店の出口で坂本に言った。
「今日は見逃してやるよ」
「お、ありがとさん」
言われた坂本は、それを真実ありがたがっているのかどうかは判らない。
「こっちこそ…何だ、その、感謝…している様な…」
「何じゃそりゃ、煮えきらんの〜」
「感謝してるよ!坂本!」
一瞬眉をひそめた坂本だったが、土方の照れた礼に、すぐに表情を和らげた。
そして、二人は右と左へ足を分ける。
次に会ったら、捕まえねばならない。
最悪、斬りあわねばならない。
どんなに魅力的な相手でも、もう、歩んできた道が重なり合う事を拒んでいる。
5歩、10歩と遠ざかる度、土方はその思いを強くした。
次に会ったら…
そう土方が思った瞬間、突然背後から声がかかった。
「土方〜次会う時には、りょーまって呼んで〜な〜〜!!」
振り返ると、随分遠くになった坂本が手を振っているのが見えた。
土方は呆気に取られた。
次に会ったらって…。
土方は笑った。
笑って、そして、手を大きく振ってそれに答えた。







屯所に戻ると、やはり総司が迎えに出ていた。
が、彼は土方の顔を見るや否や、首を傾げた。
「何か…良い事でもありました?」
「あん? 別に」
不思議そうな顏をする弟分に、土方は笑みを隠そうともせずに答えた。
それでは答えになってない気がすると、食いついてくる総司を連れて、土方は部屋に戻る。
その途中で、彼は灯の入っている局長室に気付いた。
一瞬立ち止まり、そして、彼は総司の肩を抱きながらその障子を開けたのである。
驚く近藤に、笑顔を向けて。
「近藤さん、今夜は三人で寝ないか?」
喜ぶ二人の顏に満足しながら、土方は思った。
次に会ったら、呼んでやっても良いかな。
りょーま、と。






伊東甲子太郎を暗殺した月、坂本龍馬も暗殺された。
伊東が死んだところで、坂本を殺したところで、もう止められない時代の流れを感じながら。
土方は一人、京の夜空を見上げた。
地上の命が一つ消える毎に、空の輝きが増えているように、土方には思えてならなかった。






手が届かなくなった途端、恋しくなるのは、何故なのだろう。












□ブラウザバックプリーズ□

2009.1.4☆来夢

君を求めて幾千夜




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