全てを投げ出して

有り得ざる道

冷たい風の吹く夜だった。
風に負けないほど、冷たい体をした新八と左之が屯所の庭に佇む。
その肩が落ちている事は、夜の闇の中でも判っていた。
落ちているだけではない、それは微かに震えてさえいた。
寒いからか?
そうじゃない。
土方は唇を噛んだ。
視界の中で、左之と新八がお互いを庇いあうようにまるで冷たい風から共に体を守るように、抱きしめあっていた。
だがその理由さえ、そのどちらでもない。
2人は泣いていた。
その鳴き声を堪える為に、泣き顔を見せない為に…ああして抱きあっているのだ。
土方は2人の姿に背を向けた。
冷たい夜、冷たい風、冷たい心を抱えて。
土方を包むものは何も無い。
11月。



油小路で仲間だった男達を、斬り殺した…夜。





唇を固く噛みしめたまま部屋に戻った土方を待っていたのは、暗く冷たい部屋の空気…のはずだった。
しかし、障子を開けてすぐに、土方は目を見張った。
一瞬息を飲み、そして滑るように自室に入ると、廊下の気配を探ってから障子を閉じた。
暗殺劇のあった夜、この鬼の部屋に近づく者は物の怪さえいない。
「…亡霊かと思ったぞ」
「人目につきたくなかったので、中に失礼させて頂きました」
ちょっとぎこちなく声をかけた土方に、部屋の奥から声が返ってくる。
「………ご苦労…だったな」
ゆっくりと腰掛けた土方の視線の先で、言われた相手が少しだけ頭を下げた。
ほんのりと灯った明かりに、その端正な顏が浮かび上がる。
「本当に…ご苦労だった、斎藤」
「…はい」
苦しそうな土方の声に、相手-斎藤は静かに答えた。



伊東一派が新選組を離脱した際、間諜として潜り込んだ斎藤。
その伊東一派が粛正された今、彼が戻る場所は…ここでしかない。



どこかで誰かが泣く様な風の音を聴きながら、土方は腕を組み事の顛末を斎藤に語った。
間諜として、伊東一派が近藤暗殺を企んでいる事を察知した彼は、直接この暗殺計画にはかかわっていなかったのだ。
感情の乱れも見せず、斎藤はただ土方の言葉に耳を傾けていた。
そしてちらりと障子の向こうを伺う様子を見せ、短く呟く。
「藤堂さんも」
土方も斎藤の伺う方向を考えて、すぐにそれが庭の方向だと気付く。そこには今、暗い闇の淵に佇む2人の男しかいない。
「平助も、斬った」
土方は口の中に苦いものを感じながら、呟き返す。
「…あなたが、斬ったわけではありますまい?」
「誰が斬ろうと、俺がやったも同然だ」
試衛館からの仲間であった藤堂平助をも葬った事で、今、新八と左之は苦しんでいる。
その苦しみの元を作ったのは誰でもない、自分自身だ…と土方は思っていた。
平助が伊東に付くきっかけを作ったのも、自分。
それは、山南が腹を斬った時点で決まっていたのだ。
もう決して、平助は土方を許さない…と。
だが、譲れなかった。
「…仕方ないといえば、あの2人に殺されるかな?」
自嘲気味に笑った土方に、斎藤が少しだけ眉根を寄せた。




土方の目から、涙は出ない。
まだ昔、試衛館に集っていた頃の平助の笑顔が瞼に浮かんでも、涙は出なかった。
今頃この寒空の下、無残な死を曝しているだろうその姿を想像してさえも…土方には涙は出ないのである。
泣いたところで、何が戻るわけでなし。
泣いたところで、何が変わるわけもなかった。
「仕方ない…で、宜しいのでは?」
ふと、斎藤が呟いていた。
乾いた目で土方が斎藤を見ると、彼は相変わらず庭の方向を眺めている。
その目に映るのは白いだけの障子のはずなのに、何故か土方の中では斎藤の黒目に新八と左之の姿が見えていた。
「事実でしょう」
「…仕方ないで、友を殺せと命じられたと、納得できるのか?」
「何が仕方なかったのか、2人も良く判っているはず」
「…………」
土方は少しだけ、笑った。
くくっとくもぐった声を上げて。
そして、顏を上げて斎藤を見て、やはり笑った。
「今更、理解して貰おうとは思ってねぇよ」と。
どれ程の思いを持ってこの暗殺を決意したか、どれ程の願いを持って新選組を守りたいのか、どれ程の…。
半ば叫ぶように、少し声を上げた土方に、その瞬間斎藤は…。



パン!
軽い音を立てて、土方の頬を平手で打っていた。






目を丸くする土方の前に、厳しい目をした斎藤の顔がある。
ゆっくりと…ゆるゆると、手を叩かれた頬に当てて、土方は呆然とその顏を見つめた。
頬に当てた手が、まるで他人の物のように自分の顔を擦る。
「…斎…」
「理解してないのは、あなたの方だ」
「…何だと…?」
ゆらゆらと、2人の動きで明かりが揺れる。
ざわめく空気に、室内に伸びる2人の影も揺らめいた。
斎藤は一言そう言い放ってから、土方を叩いた己の手を睨み頭を下げた。
そして何事を言うのかと待っていた土方の前で、慌てた様子で立ち上がる。
「申し訳ありません。多少…気が昂ぶっていたようです…」
「ま、待て斎藤!」
立ち上がり詫びて、部屋を去ろうとした斎藤の腕を土方が掴んだ。
よくよく見てみると、確かに斎藤のいつもなら静かな顏が少し歪んでいる。
その顏を見て、土方は胸の内で舌打をした。
誰もが動揺している夜。
この男だとて例外ではないのに…つい、あたってしまったかもしれない。
「座れ斎藤」
「しかし」
「座れ」
短く命じると、斎藤はそれ以上は何も言わずに、元の場所に座り直した。



庭に、まだあの2人はいるのだろうか。
ぼんやりとそんな事を考えながら、土方は斎藤に詫びた。
「すまん、俺もちょっと…平常心ではなかったようだ」
「…いえ」
「仕方ない…判ってくれると思うか」
「はい」
斎藤は迷わず頷いてくれた。
そんな斎藤に、土方は少し逡巡してから決意を混めて呟いた。
「…平助も」
「判ってくれているでしょう」
斎藤の声に、土方はああと深い息をつく。
斎藤が言うのなら、そうなのだろう。
自分には見せない顏を、きっと平助は斎藤に見せたに違いない。そして、自分には語られない思いも、その中にはあったはずだ。
まぶたに浮かぶ、平助の幼い笑顔。
その幼さの中で、彼が何を考えていたのか…。
「道は、自分で作るしかないから…と、言ってました」
「え…」
「藤堂さんは、藤堂さんの意思で新選組を離れた。そして、散る。それは藤堂さん自身が選んだ道だと、そう言ってました」



「土方さんの悪い癖はさ、他人の行動理由を自分に押し付けちゃうところだよね」



斎藤の脳裏で、そう笑う藤堂が甦った。
まだ幼さの残る育ちの良さそうな顏をくしゃりとさせ、彼は風を受けて歩く。
「頭の良い、優しい人だから、他人の事まで考えて動くんだよ。でもさ、人ってそれぞれ自分の事は自分で考えるじゃない。それが土方さんの思い描いた道筋と違うとさ…あの人焦っちゃうんだよ」
ケタケタと何が可笑しいのか、彼はよく笑った。
そして、ひとしきり笑うと、少しだけ切なそうに鼻をこすり…
「もっと頼ってくれて良いんだよ…って誰か言ってあげないといけないんだよね」
そう切なそうに呟いたのである。






斎藤は静かに語った。
「他人が決めた道を歩く事は、簡単で責任も無い。が、可能性もない。自分自身の道を自分で決めて歩く事は、危険も伴いますが未知なる可能性を秘めている。…と、彼は語ってくれました」
「平助が…」
斎藤の冷静な顔の向こうに見える、幼い平助の笑顔。
「彼は、自分で選んだ道を歩いたのです」
「………」
「彼はあなたに殺されたのではない。ましてや、永倉さんも原田さんも、あなたに命令されたから藤堂さんを斬ったのではない。…皆、己で考えての行動です」
だから。
「全てをお一人でしょい込むのは、おやめ下さい」
斎藤はそこまで言うと、静かに静かに…頭を下げた。
その下がった頭から、土方は視線が離せない。
まるで何か憑き物が落ちた感じがしたのだ。





ついさっきまで、全ては自分のせいだと思っていた。
平助が新選組を離れた事も、そのきっかけとなった山南の切腹も、平助と新八・左之が戦った事も。そして、平助が死んだ事も。
全ては自分のせいだと思っていた。
自分が決めたから、自分がそう考えたから、自分が自分が自分が。
そうじゃなかった。
皆それぞれが必死に、己の道を模索して駆けている時だ。
平助は自分で新選組を離れると決めた。そして避けては通れない戦いに身を投じた。
新八と左之は、自分でその平助を討ちに行くと決意した…拒否して、別の道に走る事も出来たのだ。
そして、道と道が交差して…




「あなたの道と、私の道、永倉さんの道、原田さんの道…今は非常に近しく並走しています。…が、いつ何時離れるかもしれない。けれども、あなたは己の道を造る事を考えて下さい。そして、その時私たちの力が必要だったら、そう言って下さい。私たちもお願いする。だから副長も…」
「…斎藤」
「一人で、悲しまないで下さい」





斎藤に、一言言われた途端。
土方の両目から、熱い涙がボロボロとこぼれ落ちた。
驚いて下を向くと、自分の手に膝に、零れた雫が染みを広げている。
泣けた。
瞼の裏に浮かぶ、平助の笑顔。
やっと、涙が溢れてきた。
「………斎藤…」
「はい」
「…感謝…する」
流れる涙を拭きもせず、土方は斎藤に礼を述べた。
その言葉を受けて、斎藤も少し頭を下げ…
「藤堂さんの、伝言をお伝えしたまでです」
そう言うと、そっと部屋を去っていった。








まだ、新八と左之はお互いを支え合っているのだろうか。
2人の涙は後悔の涙ではないのだろう。
ただ、親しい友を亡くした純粋な悲しみなのだろう。
2人と戦う事を平助は選び。
平助を討つ事を2人は選んだ。
新八が、左之が、土方が、そして斎藤が、平助を斬った。
平助を斬らねば歩けない道を、全員が選択したのだ。
そして平助が死に、彼の道はそこで途絶えた。
平助の道が伸びる事も、有り得たかも知れない。
しかし…それはもう、想像の世界でしかない。





いつか、仲間と約束をした。
大きな事をしようと。
この国の為に生きようと。
たとえ身が滅んでも、その約束はいつまでも生き続ける。
だから、その約束を守るために俺は俺のままでいよう。
誰に左右される事のない、己自身の道を行こう。
どこまでも続く、道を歩いていく。





その道の果て、友と再会できる日を夢見て。





そして、激動の春が来る。













□ブラウザバックプリーズ□

2008.12.10☆来夢

いつか行く君が見た夢の橋




実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。