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-驚いてるか? 手紙は、そんな書き出して始まっていた。 そのカサカサと手触りの悪い紙を持つ手が、自分でも気味悪い程に震えている。 驚かないはずがない。 心臓を鷲掴みにされたように、新八はその場に立ち尽くした。 明治になって幾年。 街は変わり、人も変わり、新八もまた変わっていた。 そう思っていた。 明治維新と呼ばれる激動の変換期から随分と経ち、やっと旧幕の人間も昼歩けるようになった。 人は髷を切り落とし、袴を脱ぎ、変化を身に取り入れて過している。 そうして、全てを忘れようと努力している。 以前を。 新八もまた髷を落とした頭を、物足りなげに思いながら新しい生活を営んでいた。 新選組が消滅し、幕府が消え、親友も戦友も失い、家族も失い、彼に何が残っただろう。 恨み恨まれた血の残り香ばかりが、彼の身を包んでいた。 新八自身はもう、新政府軍への恨みなど無い。 自分たちは負けたのだ。 恨んだところで取り返せる物は無く、また潔くない。 ただ、自分を恨む者たちはそうではないらしい。 勝利を掴み世の中を手に入れて尚、彼らは勝利の証明品を求めていた。 それは、旧幕軍人の首…いや、新選組の首と言ったほうが良いのだろう。 新選組二番隊組長として、京都で多くの命を奪ってきた新八を狙う者は多い。 新八は…疲れ始めていた。 過去に後悔はない。 これ以上失うものも無い。 命を寄越せと言うのなら、くれてやっても良いだろう。 だが新八は生きている。 生き残る事が出来る自分を滑稽に思うほどに、彼の疲れは増していくばかりだった。 そんな最中に、夏の終りの風と共に舞い込んできた、一通の手紙。 宛名は無く、封もされていない。 だが、中の紙を開いた瞬間、新八には判った。 「…左之…!?」 驚いてるか? そう書かれた文字は、間違いようもなく、原田左之助の文字だったのである。 あの、京の街を共に駆け抜け、そして戦中突然別れた親友。 誰よりも共に泣き笑いをした、あの左之の…。 驚いてるか? 俺、生きてるよ。 こっちにはいられなかったから、大陸に渡ってみたりした。 これが案外上手くいってな。 でもやっぱり懐かしくなったんだ。 故郷が、そして、お前が。 その手紙は、家の戸を開いた新八の足下に落ちていた。 戸に、挟まれていたのだろう。 そこまで読んでから、新八は慌てて家を出て通りへ駆け出した。 直接届けに来たのだろうか? 昨夜までは無かったはずだ。 ならばまだ近くに… 飛びだした新八の目の前を、馬車が走り去っていく。 「………さ…」 声を上げようとして、出来なかった。 目の前に広がる風景は、あまりに左之がいた風景と違いすぎて。 そこに左之が居る事は、想像出来なかった。 俺はずっと、腹の傷を自慢にしていただろ。 一度死んだ男だ、なんて。 でも今は、本当に死んだ気分だ。 原田左之助だなんて、今は名乗っていないし名乗れないからな。 だからこの国に戻ってきて、俺がいない事に気が付いた。 無性に、寂しくなった。 俺は、いなくなっちゃったのかなって。 家に戻り、新八は部屋に駆け込んだ。 そして押入れの奥深くに仕舞っておいた風呂敷をとりだす。 それをゆっくりと解けば、懐かしい香りが辺りを漂う。 手に触れれば、暖かみまで感じそうな…それは、新選組時代の着物だった。 新八は一枚二枚とそれらをめくる。 そこかしこに付いた染みは、誰かの血。もしかしたら自分の血。そして、仲間の血だったかもしれない。 最後に仕舞われた着物を取りだすと、新八はぎゅっと抱きしめてみた。 それは、何故か新八の元にあった、左之の着物。 上野で死んだと聞いた左之の、形見の気持ちでずっと持っていた着物だった。 お前が生きていて、良かった。 一度死んだ人間だし、お尋ね者だし、おおっぴらに探せなくてさ。 でも新八が生きてるって知って、本当に嬉しかったんだ。 お前が生きてるなら… 「…左之っ…」 お前が生きてるなら、俺もお前の中で生きてるんだよな。 ずっと隣りにいたから、永遠に離れる事なんて考えてなかった。 馬鹿みたいだと今なら思えるが、京都にいた頃は本当に、絶対があると信じていたんだ。 死と隣り合わせにいながら何故、そんな風に思えたのかは謎だ。 希望が現実を上回っていたのかもしれない。 希望を語れる程に、現実はまだ新八にとって厳しくなかったのかもしれない。 どこかで離れ離れになっても、必ず合流できると思っていた。 風がそう導いてくれると思っていたのだ。 だけど、実際にもたらされた現実は、新八にとっては虚無に満ちていた。 厳しいなんてものじゃない。 何も、何も感じられない世界だったのだ。 気付かないうちに、判っていたのかも知れないけど。 俺達、あの街に凄い大切なものを置いてきちまったんじゃないか。 ちゃんと持ってなきゃいけないものを、忘れてきちまったんじゃないか。 最近、そんな風に考えたんだ。 新八は駅のホームに立っていた。 手に左之からの手紙を握りしめ、着の身着のまま飛びだして来た。 この手紙を放せば、また左之が遠ざかっていくようだった。 あの街と言えば、あそこしかない。 それは上野でも日野でもなく、あの毎日を過した街。 江戸で得たものを、俺達が置き忘れてしまった街。 電車が到着すると、新八は一回深呼吸をしてから乗り込んだ。 左之は、あの街にいる。 あの、京の街にいる。 俺が知っている左之も、そして本当の俺自身もあの街にいる。 左之が連れて、帰ってきている。 総司が死んで、土方さんも死んで、誰も彼もがいなくなって。 でも俺達は確かに生きていたし。 今もこうして生きている。 なのに何で、こんなに空っぽなんだろう。 こんな空っぽのままでお前に会うことは出来ない。 だから、柄にもなく手紙を書いたよ。 車窓の外を、白い雲が流れていく。 季節は確実に移り変わっていくのが、入り込む風で判る。 日々どこかで確かに色が変わり、命が変わっていく。 雲が緩やかに段々と形を変えていく様を眺めながら、新八は仲間達を思った。 伸びやかに健やかに、ただ成長していくはずだった総司。 大きく暖かく、それを見守っていくはずだった近藤。 強く眩しく全てを照らしていくはずだった土方。 軽やかに跳ねるように、駆けていくはずだった平助。 その人生は、どこまでも自由だったはずなのだ。 俺は今、風の様に自由だ。 名前を失った変わりに、何も俺自身を縛るものはない。 俺の本質は、今本当に自由なんだ。 約束は出来ないが、会えたら良いと思ってる。 俺を、見つけてくれ。 俺は、自由だろうか。 あの戦を切り抜けて、こうして今の生活を得て、本当に自由になったんだろうか。 過去を閉じ込めるようにして着物を仕舞い込み。 周りに流されるようにして、暮らしている。 それは本当に、俺自身か? 何かが胸のどこかにつかえて、そして中途半端になっていないだろうか。 俺を見つけてくれ。 左之を見つけて。 そして自分を見つけたい。 京都の懐かしい街並みは、そう大きくは変わっていなかった。 だがもう、あの頃の人々はいない。 皆あの境を得て、別人になり変わっていた。 新八は歩く。 左之を見つけなければ。 見つけ出さなければ…! 声が、した。 新八の頬を、風が撫でていく。 もう熱さを失いつつある日差しが傾き、空の彼方に沈み込もうとする頃。 視界が青と橙に染まる中で、人気の無い橋のたもとに背中があった。 洋装に身を包んだその背中を知っている。 その首筋を知っている。 背丈を、腕を知っている。 約束なんてしていなかったから、そこにいる確証は無かった。 でも、一目見れば判る。 見た瞬間に、自分の中を突き抜ける何かがあった。 体の中に何かが埋まっていく感覚。 暖かい空気が入り込むように。 背中が動く。 ピクンと、何かに反応するように。 新八は見つめ続けた。 その背中が動くのをじっと。 見ているうちに、洋服が着物に変わっていく。 短くなっていた髪が、結われていく。 振り返る前に、名前を呼ぼう。 名前を呼ばれたら、取り戻せる気がする。 そして、出発できる気がする。 一つの時代に、ちゃんと別れを告げて、次に進める気がする。 曖昧な過去に別れを告げよう。 風が全てを前に運んでくれるから。 置き忘れてきた自分を、取り戻そう。 「左之」 「新八」 お互いの自分がお互いに戻った。 やっと、笑う事が出来る。 |
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