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歳三は真っ赤な愛車に乗り込むと、流れるような手順でエンジンを回した。 心地よい振動が体を包む。 武骨なまでの音が耳を叩き、大きな獣が動き出す予感。 やや車高が低いため、視界も低くなる。 だが逆にそれが、良く晴れ渡った夏の空を彼の目に届けていた。 胸ポケットからタバコを一本取りだして、それをくわえてから歳三はカーナビのスイッチを入れた。 『目的地を入力して下さい』 女性の声を真似した電子音声。 歳三は慣れた手付きでリモコンを操作する。 全く判らない場所ではないのだが、道に迷うような時間のロスは問題外だ。 何よりこの俺様が、ウロウロと辺りを見回しながらハンドルを切る姿など… 「問題外だ」 歳三は一人呟くと、カーナビが目的地への進路を提示するのを待たず、運転を開始したのである。 そう、大まかに道筋は判っているのだから…と、その時は余裕で。 都内の国道ほどに大きくなく、また混んでもいない道路を赤い車は行く。 いくつかの信号を過ぎた辺りで、歳三は少しスピードを緩めた。 そろそろ曲がる頃じゃないか? その時、カーナビからお知らせのメロディーが流れる。 歳三は「やっぱりな」と、ふっとタバコの煙を吐きながら微笑んだ。 いつ誰が見ているとも知れないのだ、気取っておいて損はない。 のだが。 『さっきの交差点、右』 「ええっ!!?」 ぶっきらぼうなカーナビの物言いに、歳三は思わずタバコを吹きだしてしまう。 「さっきの!?」 慌ててミラーで背後を確認する歳三に、カーナビは続ける。 『大まかに言うと、東京-大阪間の1500分の一位の距離』 「はぁ!!?…っっあち!!』 カーナビの適当な案内に驚いていた歳三は、自分の吹き出してしまったタバコが膝を焦す熱さに気付いた。 わちゃわちゃと、運転しながら膝をはたく。 「…ちょ、ちょっと待てよ…」 オロオロとUターン出来る所は…と走りながら辺りを見回していると、歳三は対向車の視線に気付いてしまった。 それは、若い女性が二人乗ったKワゴンだったのだが…女性は歳三を見てクスクス笑っていたのである。 すれ違う車を見つめ、歳三はカァ…と顏が熱くなるのを感じた。 どうなってるんだ…とUターンをしてから、歳三はカーナビをちらちらと睨んだ。 だが、カーナビは暫くの間、沈黙を守っている。 そして、歳三は『さっきの交差点』と思われる場所までやって来たのである。 さぁ、逆向きになったから、左だな…と歳三がハンドルを切ろうとした時。 『ドキッとしたでしょ?』 「わぁっ!!?」 いきなり予告もなく、カーナビが喋ったのである。 驚いたせいで、歳三は交差点を曲がりそこねてしまった。 「あああ…」 通りすぎていく交差点を未練がましく眺めながら、歳三は叫んだ。 「何だこのカーナビはっ!!!」 すると、カーナビから小さな声が聞こえてくる。 『こらこら、沖…君、おふざけがすぎるよ』 『でも楽しいじゃないですか〜』 『ふふ、いけない子だな。僕が替わろう』 『え〜…東参謀が?』 何だかよく聞こえない。 雑音交じりだから、テレビかラジオの声が混ざったのだろうか? …どんなポンコツカーナビだ。 歳三は一息吐くと、カーナビに頼らず自分で何とかしようと思った。そう、ようは左に折れて、更に左に曲がれば希望の道に出るはずである。 しかし、またもやいきなりカーナビが喋った。 『案内する。次の交差点を左』 「お」 今度はまともそうである。 歳三は指示に従って左折した。 赤いスポーツカーに、道行く女子高生が視線を寄越す。 それは歳三の自尊心をくすぐり、ついついエンジンを唸らせた。 『そうそう、その元気が必要だ。次の交差点を右』 「…?」 何か余計な言葉と、左折じゃないのか…?という二点が気になったが、気分の良い歳三はそれに従った。 そこからもカーナビは順調に案内をすすめ、歳三もそれに従って運転した。 そしていくつかの交差点やカーブを過ぎた時… 『目的地に到着しました。左手だよ…ふふふ』 カーナビの声に、歳三はホッとしながら左折した。 さぁ、ここで目的の手続きを… そう思った彼を出迎えたのは、きらびやかな看板と駐車場。 「…………あれ?」 駐車場のバーをくぐる瞬間、歳三は見た。 その看板に書かれた文字…『エデンの真東』を。 それは疑う者も居ないほど立派な、ラブホテルだった。 「………………っっ」 歳三はぐるっと駐車場を一周して、入った途端に出口バーをくぐった。 そんな彼に、カーナビが叫ぶ。 『何で降りないんだい!!!?』 「阿呆か!!! 誰がラブホに案内しろって言ったっ!? つか、真っ昼間から男一人で入る場所か!!!」 『僕がいるじゃないかっ!!!』 「………カーナビの分際で、何をしようっていうんだよ!!!」 ラブホから猛スピードで脱出した歳三は、そう怒鳴るとカーナビのスイッチを切ろうとした。 だが、それを止める声が…。 『次の交差点を右折後、300M直進して、国道に入って下さい』 まともなナビゲーションだった。 「………ん?」 歳三はスイッチを切ろうとした手をひっこめた。 目の前に見えた交差点を右折すると、確かに進行方向に国道の表示がある。 今度は信用できそうか…? それから歳三は、カーナビの声を疑いながらも従って進んだ。 車は、どんどんと都会を横切っていく。 それは特に怪しい場所でもなく、変な声もしない。 だが、酷く遠い気がする…。 段々と視界が、都会を過ぎて自然の溢れる地域に入った所で、歳三は車を止めようとした。 「そろそろ着いても…?」 『次の道を行き止まりまで直進して下さい』 「え…でも」 『直進です』 「…そんな事言ったって…なぁ」 『信じるものは、救われる!!!』 『ちょっと斎藤さんったら…』 またボソボソと小さな声が入った。 だが、歳三は賭けてみる事にした。 ここまでは真っ当だったのである。 信じてみよう。 歳三はスピードを上げた。 何も遮るものもない道を、ひたすら真っすぐ。 猛スピードで行き止まりまで… 『さぁ、もう一吹かし!!!』 「…っ!!」 ギュオンっと唸るエンジン。 踏み込む足。 そして歳三は………… キィ〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!と急ブレーキを踏んだ。 『まだ行き止まってませんが!?』 「……………しかし…」 歳三はハンドルにしがみつきながら、カーナビに言った。 彼の目の前には広がる青空。 そして、広がる青い海…。 そう、彼の車は、崖の際で止まっていたのである。 ブレーキをかけなければ、彼の車は海へダイビングしていたであろう。 「………はぁ…」 深く溜息を吐く歳三に対して、カーナビから漏れた声は。 『…ちっ!』 悔しそうな、呟きであった。 歳三は気を取り直して都会へ戻った。 もう信じない。 誰が信じるものか。 というより、このカーナビは一体何なんだっ!!? 「廃棄処分だっ!!!」 忌々しげに唸る歳三に、カーナビは沈黙を守って答えない。 そして段々と歳三の目に入る光景が、スタート地点に近づく頃、またもやカーナビが唐突に話し始めたのである。 『案内しましょうか?』と。 「断る」 歳三は一刀両断。目も向けなかった。 『ふふ、沖田君は嫌われたねぇ。さぁ土方君、次のコーナーを右に曲がるのだよ』 「嫌だね」 再び歯牙にもかけない歳三の物言いに、声の主が悔しそうに唸る。その背後(?)ではクスクス笑う気配もした。 『…天国までドライブしますか?』 「この後でお前らを天国に召させてやる」 歳三はやはり目もくれずに言った。 絶対廃棄処分してやる、そういう決意を滲ませた彼の声に、カーナビは… 『仕方ないなぁ』 『これはやりたくなかったけど』 『いたしかたありますまい』 そうボソボソと呟いたのである。 そして次の瞬間、恐ろしい事が起こった。 何と。 「っっええっ!?」 歳三は突然感触の変わったハンドルに、首を傾げた。 ハンドルがいきなり、彼の言う事を聞かなくなったのである。 「お、おいおいおいっ!!?」 必死に力を込めてハンドルを切ろうとする歳三なのだが、ハンドルはまるで意思でも持ったように、好き勝手に動いている。そして歳三が慌てて足下を見ると、アクセル、ブレーキ、クラッチも彼の意思を離れて勝手に動いている。 「ど、どうなって…っ!!?」 青ざめた歳三が顏をあげる。 すると目の前に、巨大な倉庫のような建物が近づいてきていた。 車はその建物を目指して、更にスピードを上げていく。 「お、おい!こらまてっ!と、止まらないと…ぶつ…ぶつかるぞ〜〜〜〜〜〜〜っ!!?」 ガンガンと引っ張っても全く動かないハンドルに、歳三は叫んだ。 彼が声を張り上げた時、建物はもう目の前にまで迫っていた。 そして。 ぐわっしゃ〜〜〜〜〜〜〜んんっっ!!!! 赤いスポーツカーは、建物に何のためらいもなく突っ込んでいた。 「ぎゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!」 バリバリバリっっと激しい衝突音が耳を突き破りそうな中、歳三は叫んだ。 目を固く瞑り、声の出る限り叫んで叫んで、彼は…そっと目を開けた。 そう、待てども待てども、ぶつかる衝撃が来なかったのである。 しかし、彼はすぐに目を閉じていれば良かったと後悔した。 何故ならば。 「うぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!?」 彼は、座席シートごと、空を飛んでいたのだから。 「う、うわぁあああ〜〜〜〜っ!!?」 叫ぶ彼が恐る恐る、下を見る。 そこには大破した真っ赤な愛車と、それに群がる大量の…豚。 豚豚豚豚豚。豚。ぶた。 そう、豚である。 ぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひっと、突然入ってきた闖入者に豚達は興味深そうに群がっている。 そして歳三の座っている座席シートは、ある地点まで上昇すると、下降を始めたのだ。 「…え?」 あまりの豚の数に呆気にとられていた歳三は、はっと気付いた。 気付いた時には、下降は始まっていた。 ひゅ〜〜〜〜〜〜〜っっっと落下していく感覚。 辛うじてシートベルトが彼と、座席シートをくっつけてくれている。 ああ、優良ドライバーで良かった。 だなんて言っていられない。 だが、叫んだところで落下は止まらない。 歳三は叫びながら…豚の中に落下して、彼は気を失った。 歳三が意識を取り戻した時。 彼を見下ろす顏がいくつかあった。 「…こ、ここは?」 うっすらと戻ってきた意識の中で、尋ねる歳三。 彼に向かって誰かが言った。 「あなたはどこに行こうとしていたんです?」と。 「俺…? 俺は警察に…」 「何故?」 「何故…? そう、身辺警護を頼もうと…」 「何から、身を守ろうと思ったんですか?」 「……それは…、何故か俺にまとわりついてくる、沖田とか伊東とか、とにかくそんな連中から…」 「ふふふふふ、馬鹿だなぁ。僕達が、あなたを守ってあげているのに」 その声で、歳三はガバッと跳ね起きた。 そして恐怖の眼差しで自分を囲む人々を見る。 そこにいたのは… 沖田、伊東、斎藤、鉄、大鳥、榎本、近藤、永倉、原田、藤堂、島田、内海、野村、相馬…といった、とにかく「いつもの」面々なのだった。 「ぎゃ〜〜〜〜っっ!!! 助けてくれぇ〜〜〜〜っ!!!」 思わず叫んで飛びだした歳三。 そんな彼が、どうしてかいきなり置いてあった姿見鏡を見た時、叫びは更に高くなった。 鏡に映った彼の顏は、豚になっていたのである。 歳三は、ブクブクと口から泡を吹いて倒れてしまった。 「…やり過ぎましたか?」 「お面なのに、だまされるもんですねぇ」 「何はともあれ、僕達から逃げようだなんて」 歳三を囲んで彼らは笑う。 「無駄無駄無駄」 |
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