甘美なるは死の音色

向日葵

京の夏は暑い。
頭では理解しているのだが、やはり体は正直に根を上げる。
もともとが京育ちではない上に、仲間内には北国出身者もいる。
近藤は仕方なしに立ち上がった。
苦笑まじりの彼が仲間を誘ったのは、とある川に浮かぶ船上での酒の席だった。





男達の顏が生を取り戻す。
「か〜こう暑くっちゃ体がもたねぇよ!」
気持ち良く酒を一杯飲み干してから、左之が叫ぶように転がった。
その隣りで新八も「まったくだ〜」とやはり転がる。
「でも夜風が気持ち良いですよ」
そんな二人を見下ろしながら、総司が窓の外を覗く。
近藤が誘ってくれたのは、屋形船一艘貸し切りで酒を飲ませてくれる店だった。
通常店舗の席にあたるのが、屋形船一艘なのである。
川面にはいくつかの船が浮かび、それぞれの中では仄かな明かりと共に涼を求める人々の声が響きあっていた。
「ほら、水面に船の明かりが映って綺麗」
「本当だぁ」
うっとりとそれを眺める総司に並んで、平助も窓枠に手を添えて外を覗き見た。
耳を澄ませば人々の声に紛れて、ザァザァと水の流れる音がささやかに響く。
寝転がる者、川を眺めるもの、その傍らには酒を飲む近藤や土方、斎藤の姿もあった。
血なまぐさい日常を過ごす新選組の、ほんの一時の休息…。
そんな時間を、近藤は仲間達に提供するだけのつもりだった。
しかし。



新選組など恐るるに足らず!」
そんな声がどこからか聞こえてきた。



にいた総司以外の全員が、ぴくっと反応する。
声はどうやら隣りの屋形船から聞こえてくるらしい。
静まる船内で総司に限っては、まだ嬉しそうに水面を眺めていたのだが。
「沖田総司など、名ばかりが先行しているだけではないか!ひょろ長いばかりのネギ男が!」
その発言を聞いた瞬間に、総司の雰囲気が変化した。
顏は動かさないが、立ち上る気配が揺らめいている。
「あら〜」と新八がそちらを見上げる。
「馬鹿どもの事だ、気にするな…」
片眉を上げて新八は囁いたのだが、その声にまた他の声が被る。
「永倉? ふん、酒を飲んで妓を追うばかりの男じゃないか」
「…新八っつぁん…」
ピキッと固まった新八の肩を左之が叩こうとしたのだが。
「それとつるんでる原田の自慢など、偽物の切腹傷だしなぁ!」
左之の手が、拳に変わった。
ゆら〜っと立ち上がった総司に続いて、新八・左之も立ち上がる。
それを困った顏で近藤が見上げるのに、土方が先手を打って声をかけた。
「おい、馬鹿の言う事を真に受けるな」
酒が不味くなる…と彼は続けた。
その間にもだみ声の男達の暴言は続いた。
「藤堂? ああ、あの何とか公の落とし胤って奴か? ふん、せいぜい落とし子拾い子のお子ちゃまだろう」
藤堂は立ち上がり、左之の肩を叩いた。
「一緒に行く」
「おう」
二人のその会話に、土方は頭を抱えた。
しかしその頭は、すぐに上げる事になった。
「土方なんぞ、陰間になった方が出世できるんじゃないのか?」
「…歳っ」
その発言に冷や汗をかいた近藤は、慌てて土方の袖を掴んだが…
「野郎共、酒で足下はふらついてねぇな?」
彼はやる気になっていた。
「さ、斎藤、君からも止めてくれっ」
立ち上がり、船から船へ移る算段を考えている面々を止めようと、近藤は一人冷静に酒を飲む斎藤を見た。
のだが。
「斎藤も斎藤で、あれは冷静なのではなく頭が空で言葉が出ないのではないかぁ?」
とどめの一撃で、斎藤もまた立ち上がってしまった。
近藤は深い深い溜息をつく。
そして、男達の声が「局長近藤とやらも…」と差しかかった時。
新選組の猛者達は、船から船へと飛び移っていた。



ガクン!と突然揺れた船内で、今まで新選組の噂をしていた男達が驚く。
「な、何だっ!?」
「船頭、どうなってる!?」
酒が入っているからか、相当に赤い顔をした男達は口々に叫んだ。
はべっていた女達も驚いたのか、それとも倒れた酒が着物にかかる事を嫌ったのか立ち上がった。
すると、その背後に有る船の入り口戸が、乱暴に開く。
殺気立った男達が、腰の刀に手をかけながら振り向くとそこには…。
「邪魔するぜ?」
土方を先頭に、新選組の面々が顏を覗かせたのである。
ここまでの会話を思いだせば、何が起こるかは一目瞭然…のはずだったが。
「な、何だお前らっ!?」
「何者だっ!? 我らが見廻り組と知っての狼藉かっ!?」
男達が突如現れた土方達を見て、そう叫んだ。
その言葉を聞いて、一瞬土方が目を見張り、そしてすぐに笑った。
土方だけではない。
新八も左之も総司も…皆笑ったのである。
いきなり現れていきなり笑う男達に、見廻り組と叫んだ連中がびくっと震える。
それを知ってか知らずか、新八は土方に呟いた。
「…兄貴、やっちまいましょう」と。
兄貴、と呼ばれて土方も口の端を上げる。
わざと名前で呼ばなかった理由は、彼もちゃんと判っていたから。
「そうだな、しの字。やっちまう事にしよう」
ふっふっふっふ…と笑う男達に、見廻り組連中は船の奥に寄り、怒鳴った。
「いかなる理由でこのような行動に及ぶのか!!?」
それをちらっと睨んで、総司は小さく呟く。
「武士の情け…無用」
斎藤も黙って頷く。
土方は叫んだ。
「男の喧嘩に理由はいらねぇ!野郎ども、やっちまえっ!!!」
叫び声とともに、見廻り組に躍りかかった土方達。
その騒ぎを一人隣りの船で聞きながら、近藤は溜息をついた。



狭い船内、天井低いから刀は使えない。
必然的に、混戦模様を呈する。
いきなり襲いかかってきた男達に対して、見廻り組と称する連中も応戦する。
女達が悲鳴を上げて飛びだしていくと、ややスペースが広がった。
それを見て、新八が左之を見た。
「おい!」
「…おお!」
視線を受けて、すぐに何かを悟ったのか左之は大きく頷いた。
そして二人は、同時に船内中央に据えられていた酒や摘みの乗った台を持ち上げ…
「邪魔だ〜〜〜っっ!!!」
窓から川へ、放り投げたのである。
ザッパーンと上がる水しぶきで、何事かと周囲から注目が集まる。
船頭は船内の騒ぎにただうろたえるばかり。
おろおろとする最中にも、船内からは乱闘の怒声や物音が絶えず聞こえてくる。
「おらっ!こっち向きやがれ!!!」
土方は男の髷を掴むと、そのまま床に引きずり倒す。
それを総司と平助の若者コンビが、ゲシゲシと足蹴にした。
「ひ、卑怯者っっ!!!」
そう呻かれて、総司がニヤリと笑った。
「そうなんですよ〜卑怯者なんですよ〜〜〜っっ!!!」
「わ、怒ってる」
そんな総司を平助は笑ったが、二人は合った呼吸でその男の着物を脱がすと、それぞれ足と腕を持ち上げた。
「邪魔なんで、出てって下さ〜い!!」
二人は「せぇ〜の」で男を船外に放り投げてしまった。
斎藤は無言のままそれを眺めていたのだが、背後から襲いかかってきた男に対して、一瞬で身をかわして足をかけた。そしてぐらついた男を、思いっきり抱えて投げ飛ばす。
床に頭をしたたかに打ちつけたその男の足を持ち、斎藤は二人の元へズリズリと引きずる。
「すまんが、こいつも頼む」
無表情な斎藤の依頼に、総司と平助はにんまりと笑って頷いた。



次々と船から落とされていく男達。
左之は船頭からオールを奪い取り、船に這い上がろうとする男達をもぐら叩きのように沈めて遊ぶ。
その背後では新八に襲いかかる男が、物騒な物を抜いた。
きらりと光る刀身に、新八が口笛を吹いた。
「怖いねぇ」
あくまで飄々と余裕たっぷりのその態度に、怒り心頭に達したらしい男はぷちっと切れた。
「おのれ〜〜〜〜っっ!!!」
気合いと共に走り新八に襲いかかる。
新八はそれを逃げるでなく、ギリギリまで待ち構え…刀を抜いた。
それを見た船頭が、てっきり斬り合いになると思ったらしく、「ひぃいっ」と目を瞑った。
そして数秒後、やはり刃物の当る音が響く。
ドスン…と人が倒れる音を聞いてから、 船頭は恐る恐る目を開いた。
すると、そこには倒れる男と新八の姿が。
新八はニヤニヤと、抜き身の刀を肩で叩きながら笑っている。
人を斬って笑うなんて…
「お、鬼や〜〜〜〜〜〜っっ!!!!」
真っ青になって叫び、船頭は自ら川に飛び込んでいった。



あっと気付けば、船内には仲間の姿のみ。
新八は血の影一つ無い刀を鞘に仕舞うと、倒れた男を足で蹴った。
「峰打ちだってのに、この世の終りみたいな顔してやがる」
かかかっと笑う新八の元に、もぐら叩きに飽きた左之が戻る。
船内にあった酒や、倒れる男達の私物を川に投げ入れて遊んでいた総司と平助も中を向く。
そして斎藤が土方を見ると、彼は隣りの船に向かって声をかけていた。
「お〜い、近藤さん、終わったぜい」
彼は、満面の笑みでそう言ったのである。
対する近藤はといえば、苦笑としか言い様のない顏で手を振っていた。



屯所で留守番をしていた島田は、事の次第を聞いて呆れた声を上げた。
「見廻り組じゃ、後々問題になるんじゃないですか?」と。
しかし近藤を始め、だれ一人としてそんな心配をする顔はない。
不思議がる島田に、左之が笑った。
「だって彼奴等、俺達の顔を見て「何者だ!?」って叫んだんだぜ?」
それを聞くと、島田は更に呆れ顏になる。
「新選組の顔も知らずに、声高だかに噂してたんですか」
「そ。だから、彼奴等は「何者か判らない」輩と喧嘩して負けたわけ」
「斬る価値も無いわな」
やっと納得する島田も含めて、彼らは笑いあう。
その中で総司がぼそっと呟いた。
「だから言ったでしょ、武士の情け無用って」
きっと見廻り組と言っても新入りか、さして重要な立場に無い連中なのだろう。
今頃喧嘩に負けてどんな恥をかいている事やら。
いっそ斬られてしまえば格好もつくのに、刀を抜いた揚げ句に斬られずに負けたんじゃ…
「街は歩けないでしょうね〜」
うふふふ、と総司はさも嬉しそうに笑った。



近藤は、溜息をつく。
「ところで、手加減はしてあげたんだろうな?」
一応腐っても見廻り組、局長としては心配な点である。
恥はどれほどかかせても良いが、殺したり大けがをさせてしまっては問題が出るかも知れない。
その言葉を聞いて、部屋が静まり返った。
新八・左之は言うに及ばず、誰も彼もが目を逸らす。
「……………歳…」
「…………………すまん」
近藤は、その返事にがくぅっとうなだれた。
「いや、絶対死んじゃいないはずだぜ!?」
「そうそう、ちょっと溺れてるかも知れないけど…」
「少し骨は折れたかもしれないけど」
近藤の様子に慌てたらしい声が飛び交う。
それを聞きながら、近藤はちらっと一同の顏を盗み見た。
子供のような、悪ガキのような、そんな顏、顏、顏…。
本当にこいつらときたら。
「ま、良いだろ」
軽く呟いて、近藤が顏をあげると、その並んだ顏がもれずにニカ〜ッと笑顔に変わった。
その笑顔を見て、近藤は思った。



向日葵みたいな笑顔をしやがって…。



不器用に太陽を向くことしか知らない向日葵。
日の光を受けて、大きく大きく育っていく素直な花。
まるで子供が成長するが如く。
いつまでもいつまでも、うなだれる事なく真っすぐに咲き誇って。



「飲み直そうか、ここで」
近藤の言葉で、再び向日葵が大きくなる。
そんなお前らに、水を上げよう。



「まずは、乾杯」













□ブラウザバックプリーズ□

2008.11.20☆来夢

生は享楽の歌声




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