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土方の言い出した内容に、沖田が目を丸くした。 いや、沖田だけではなく、永倉や原田、藤堂たち幹部だけでなく、平隊士までもが皆驚いたのである。 それは何かというと…。 「全員と一緒に風呂に入って、本音で語らう!」 時は冬至を迎えようとしている冬の日、土方の発言で大量の柚子が用意される事となった。 「全員と入るのか?」 「一度には無理さ」 呆れた調子の近藤が尋ねると、土方はにかっと笑って答える。 まだ日は高く、普段の入浴時間からは遠かったが、土方の手には手拭いやら着替えやらがあった。 「つまり…」 土方は風呂に入りっぱなしで、隊士達の方が循環していく…方法を取るらしい。 「大丈夫なのか?」 やはり心配そうな近藤は、雲の厚い冬空の下で笑う土方を見た。 「さっき山崎が大量の柚子を届けてきたし、柚子も一緒に循環させりゃぁ香りは…」 「香りの問題じゃなくて!」 見当違いの返事をする土方に近藤が溜息をつく。 近藤は、目の前でいやにニコニコ顏の土方の様子に「無理をして…」と小さく呟いた。 新選組には二人の副長がいた。 それが、土方と山南という両極端な個性だった。 山南は文武両道を鼻にかけもせず、優しく穏やかに人を見守り導く人。 対する土方は、その峻烈なまでの強さと切れる頭でもって、厳しく人を管理した。 まさに「鬼副長」とはよく言ったものである。 隊内はこの二人の綱引きの上でバランスをとっていると言っても過言ではなかったと、近藤は思っている。 優しいだけでは規律が緩む。 厳しいだけでは隊士が縮む。 二人は本当に飴とムチを演じ分けていたのだ。 だが。 山南がいなくなった。 脱走の咎で切腹となった山南。 それをまるで、土方によって腹を斬らされたように取る隊士もいた。 それほどに土方は全てに平等に厳しく、山南はあらゆるものに優しかったのだ。 方翼をもがれた隊士達は雪崩た。 どこに? ………新しい羽、伊東甲子太郎に。 だがそれは、山南と同じ羽ではなく、全く別の…新選組ではない体に繋がる羽だったのだ。 土方の本音は「どれ程の隊士が伊東に流れるのか」が知りたいのだろう。 それにしても…と近藤は耳を澄ませた。 「大変!土方さんの背中をお流しするのに、剣山を用意しなくちゃ!!」 「おい沖田さん、それじゃあ副長が血だらけに…」 「斎藤さんは甘い!あの人の垢はそれくらいしないと取れませんよ!!」 「垢じゃなくて命を取る気か?」 そんな会話に近藤は冷や汗を垂らす。 果たして… 「お前、生還出来るのか?」と。 「何言ってるんだ?」 心底不思議そうな顔をする土方に、近藤は心の中でお経を唱えた。 まだ日は空にあったが、土方は全員と顏を合わすために早めに湯に入った。 湯船には香り豊かな柚子がプワプワと浮かび、湯気の向こうで宝石のように輝いていた。 チャプン…と体を湯の中に沈めると、土方は「ふ〜」と思わず吐息を吐いた。 理由はどうあれ、こうしてゆったりと湯に浸かるのは久しぶりかもしれない。 特に山南がいなくなってからは、気持ちの余裕がなかったから。 両手で湯をすくうと、そこに自分の顔がうっすらと映る。 「おい歳三、お前は…大丈夫か?」 そんな呟きを小さく放った所で、ガラガラガラ!と誰かが浴室に入ってくる気配がした。 湯気の中にうっすらと浮かび上がってくる人影。 それは平隊士達らしい。 土方は「よう」と滅多に…というより、隊士には初めてかもしれない気さくな笑顔を向けた。 すると、入り口から恐る恐る土方の方を見た隊士達が…いきなり背を向けて浴室から飛び出していったのである。 「お、おい!? 何だよっ!?」 これには土方も憮然として湯船で立ち上がる。 と、そこへまた別の隊士が現れて、思いっきり土方と目を合わせた。 …というよりは、裸で立っている土方に目を合わせてしまったらしい。 彼らもまた、いきなり何も言わずに外へと走り出してしまった。 「ちょ!?」 思わず手を伸ばすが、あっという間に消えてしまった部下達に… 土方はちょっと悲しくなった。 「俺ってそんなに…嫌われてるのか…?」 改めて湯に全身を浸け、土方は深い溜息をついた。 その頃、浴室の外では流血の惨事が起きていた。 土方とお風呂に入るのだ、と浮かれながら歩いてきた沖田の目に、廊下で倒れる隊士達が飛び込んでくる。 彼と一緒にやってきた斎藤も、その惨状に目を見張った。 「ちょ!どうしたんですか!?」 「これは…血? 誰に…」 二人は近場の隊士に事情を聞く。他の隊士は真っ裸のまま倒れて気を失っていた。 その隊士は真っ赤な顏を手で押さえながら言った。 「ひ、土方副長に…」 そしてガクっと気を失う。 沖田と斎藤は黙って視線を合わせると、浴室に飛び込んでいった。 「土方さん!一体何を…!?」 「ああ?」 バーン!と駆け込んだ浴室の奥から、いつもの不機嫌な土方の声。 そして湯気の切れ間に現れた裸の土方に…沖田と斎藤は再び黙って視線を合わせた。 それは、湯に浸かり濡れた髪の毛。熱に上気して、色白の肌が桜色に染まった肌。日頃は着物で見えない均整のとれた体。そして、誰もが認める美形な顏。 斎藤が外の隊士を思いだす。 「……鼻血……か」 ぼそりと呟くと、沖田が笑った。 「土方さんってば、罪な人ですね〜〜っ!!」と。 「何がだ!?」 当の土方には何のことだか判らないらしい。 そう、まさか自分の魅力で平隊士達が鼻血噴いて倒れただなんて…彼には想像も付かなかった。 「土方さんは〜もうちょっと笑った方がいいですよ?」 土方の隣で、沖田が手拭いを湯船でじゃぶじゃぶしながら言う。 「副長室に閉じこもらずに、もう少し隊士と接してみたら?」 逆の隣で、斎藤が静かに目を閉じながら言う。 二人の間で、土方は「そうか…?」と腕を組んで唸り声を上げる。 そんな土方に、沖田が尋ねる。 「この柚子、食べちゃっても良いですか?」 「…は?」 何だ?と土方が見ると、その時すでに沖田は浮かぶ柚子の一つに噛みついていた。 一瞬で、見ていた土方の口の中にも酸っぱさが広がる。 「……………しゅ、しゅ、しゅっしゅっぱ〜〜〜〜〜っ!!」 ぎゃ〜〜〜っと湯船の中で暴れる子供は無視して、土方は「次!」と叫んでいた。 賑やかな気配と共に、いきなり土方の隣で水しぶきが立った。 「わっ!?」 土方が両手で跳ねる湯を防ぐと、頭の上から声がする。 「じゃじゃ〜〜ん!呼ばれて飛び出て原田参上!!」 「藤堂も登場♪」 「永倉も、ですぜ」 いきなり現れた三人を見上げながら、土方はしっしっと手を振った。 「………前を隠せ」と。 きゃっとふざけて体をしならせ、原田達三人が湯に浸かる。 ざ〜〜と流れていく湯を目で追いながら、土方は三人の本音を聞きだそうかとした。 が、土方の口より早く、三人は好き好きに喋りだした。 「土方さん、もうちょっと眉間の皴を緩めてくれよ!あれ見てるとこっちまで同じ皴が出来ちまう!!」 「ええ!? 原田さんに皴!?」 「お前のその張りの良い肌のどこに、皴!?」 原田撃沈。 「僕はたまには土方さんと稽古したいな〜。僕だって結構強くなってるんですよ?」 「それは自分より弱い隊士が入ってくるからだろう?」 「新八っつぁんの言う通り!お前はまだまだ!!」 藤堂撃沈。 「土方さんも、たまには一緒に飲みに行きましょうや。楽しい酒と…妓もね!」 「永倉さん、お馴染さんを土方さんに取られちゃうよ〜?」 「そうそう、何せ新八っつぁんと違って、こちらはたらしだから」 永倉撃沈。 「あ、あのな…」 機関銃のような会話に、土方が何とか意見を述べようとする。 が、三人はそんな土方に対して、何かヒソヒソ話をしたかと思うと、いきなり頭を下げた。 「土方さん!!」 「わっ!? な、何だ!?」 「本当に本当の本音!…………金貸して」 キラキラキラと輝く瞳を向ける三人。 何事かと思った土方は、その本音に対して。 「とっとと出ていけ〜〜〜〜っ!!」 泣きながら叫んだ。 そこからまた次々と隊士達が入れ替わり立ち替わり、土方と一緒に風呂に入っては出ていった。 そこで様々な日頃聞けない意見や気持ちを聞いて、土方は…ガクゥと肩を落とす。 「………やっぱり、俺は好かれてねぇなぁ」 誰もいなくなった浴室で、そんな呟きとともに苦笑を漏らす。 大体の意見は決まっていた。 「副長は厳しすぎる」 「山南さんはもっと意見を聞いてくれた」 「頭ごなしだし、強硬すぎる」 「ついていけない」 「怖い」 等々。 まぁ、よく言ってくれるものだ。 別に好かれようとは思っていなかった。むしろ、副長が好かれて隊士が仕切れるか、と思っていた。 今もその気持ちに変わりはないが…。 ただ、ちょっと…寂しかった。 山南がいなくなったからだ。 それは土方にも判っている。 これまでなら、隊士達に何と囁かれようと「鬼」と恐れられようと、それが隊の為の事であると山南が判ってくれていた。 他の誰が理解してくれなくても、山南が理解してくれていれば、土方の気持ちは満ちていた。 だが、その山南がいない。 そして伊東の登場。 土方は…不安だったのだ。 このままで良いのか? しかし規律を緩めれば結果は見えている。 だが… 「俺は…理解されないままなのかな? …山南さん」 気付けば、窓の外はもう暗い。 土方はゆらゆらと揺れて、目の前に漂ってきた柚子を指で弾いた。 …つもりだった。 「………あれ?」 視界の中で、柚子はそこにゆらゆらと佇んでいる。 指で弾いたつもりなのに…。 柚子がゆらゆらと…一つが二つ、二つが三つに…増えて増えて… 「あ……?」 土方の目が、くら〜っと回って…幕が降りた。 真っ暗な闇の中で、山南が笑っている。 『仕方ないねぇ、土方君は』 だってよ、山南さん…俺は…俺は本当にこのままで良いのか? 『そんなことは、僕に聞かずとも周りが教えてくれるよ』 クスクスと笑う山南。 周りが…? 山南は笑いながら、すっと指で後方を示した。 『あっちに、行けば判るよ』 そう言って、土方の肩を押す。 え?判るって? おい、山南さん、山南………? 誰かの、声がした。 「…まったく、想像した通りだ」 「まぁ、局長、そう言わずに」 「あと少ししても目を覚まさなかったら、僕が口移しで息を送りますよ!」 「………総司、何で口紅を持ってるんだ?」 「お〜い、土方さんってば早く目を覚ませよ〜〜っ」 「馬鹿左之!変に揺らすなっ」 「だって新八っつぁん、このまま起きなかったら…っ」 「えええ〜〜っ!?」 「演技でもねぇ事言うな!!」 「痛ぇっ!!」 「おい、歳。早く起きろ」 「そうですよ、副長。早く起きて下さい」 「土方さ〜〜んっ!早く目を開けて下さいっ」 「土方さんっ起きてっ!!」 「起きろ!あんた副長だろ!?」 「そうだそうだ!俺は…俺は、起きてくれないと…俺は泣くぞ!?」 土方は自分が笑うのが判った。 押さえられない笑みを浮かべ、土方はうっすらと目を開いた。 すると…自分を囲むように覗き込む、見慣れた顏、顏、顏… 火照った顏が教えてくれる。 …湯あたりを起こしたらしい。 「………歳?」 声をかける近藤に、土方は笑った。 「俺、お前らがいれば、良いや」と。 『ね、皆…君が大好きなんだって、判ったろう?』 そう笑う山南の声が聞えた気がした。 鼻腔に届く柚子の香り。 またこの顔触れとこの香りを楽しめますように… 土方は誰にともなく祈った。 その浴室の外を、白い雪がちらほらと舞い降り始めていた…。 |
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