空に伸びる一筋の白、それは希望

夜空の原石

「歳三さ〜ん!ちょっと来て下さいよぉ」
江戸・市ケ谷の試衛館に、少年の様な声が高らかに響いた。





お世辞にも繁盛しているとは思えない趣の門をくぐったところで、歳三は眉をしかめた。
どうして何も言わずに門をくぐっただけなのに、外出先から帰ったと判るのだろう。
辺りをキョロキョロと見回す歳三の前に、ぬっと突き出る年若い青年の顔。
「私をお探しでしょう?」
「お前の目玉を探してたんだよ、総司!」
くりっとした目で見上げてくる顔に付いた鼻をつまみ、歳三はふんと答えた。




何事かと思えば、道場破りが来ているという。
「お前が対応すりゃ良いだろうが!」
「え〜でも、私じゃご不満だって言うんで」
どたどたと足音も露に道場へ向かいながら、歳三は総司の言葉に「何」と一瞬足を止めた。
「立ちあった上でそう言いやがったのか?」
「いいえ、立ちあう前にそう言われたんです」
総司の返答に、内心で歳三はホッと胸を撫で下ろした。正直、総司の手に負えない相手など、自分の手に負えるはずがないと思っている。何せこの総司という男。幼い容姿に似合わず、鬼のように強い。
「師範代って言ったのか?」
「言ったけど、信じて貰えなかったんです」
飄々という総司に、歳三はやれやれと頭を掻いた。
辿り着いた道場には確かに無粋な客人がいた。
ご丁寧に3名様でのお越しであるが、何も強盗の類いとは違う。
「この道場を代表する腕を倒してこそ、破る意義がある」
偉そうにえらの張った顎を揺すって笑う大男が、どうやら3人の中心人物らしい。
「こいつは沖田総司つって、立派なここの代表格なんだがな」
「あんたは?」
「俺ぁただの居候門人だ」
ちなみに正式入門したのもつい最近だ、と歳三が述べると、彼らは顔を見合わせてから総司を見た。
この子供が本当に師範代なのか?とまだ疑っているらしい。
当の総司といえば、ニコニコ顔を振りまいている。
「こいつを倒したら看板でも何でも持っていくが良いさ。俺が立ち会う」
歳三の言葉に男が頷いた。
その総司に対する嘲りを拭くんだ口元をちらりと見て、歳三は一応総司に囁いた。
「…殺すなよ」
念を押しておかないと、時々総司は、危ない。





歳三は心の底から、総司に念を押しておいて良かったと思った。
目の前で倒れたまま起き上がらなくなった男を、残った仲間2人が抱えて逃げるように立ち去った後では尚更そう思う。手を抜いて、あれである。恐ろしくて全力投球しろだなんて、言えない。
「今よぉ、怪我人を抱えた男2人が走っていったぜ?」
「怪我人じゃなくて、道場破りだよ」
道場に顔を覗かせた声に、歳三が総司を指さしながら振り向いた。
そこにいたのは、浴衣姿の新八と左之の2人である。どこかで遊んできた帰りなのだろうか、はだけた胸元から逞しい胸板が見えている。まさに男という感じだ。
「何だ、もう少し早く帰って来りゃ面白いもんが見られたんだな」
「左之が飲みすぎたせいだろ」
残念そうに笑う左之に、新八が色白の肌を掻きながら眉をしかめた。2人とも試衛館に入り浸る食客のうちだが、年が近いせいもあってか気が合うようで良く一緒につるんでいる。
「で、今回はすんなり信じて貰えたのか?師範代」
左之が自分より頭一つ小さい総司のおでこを突くと、総司は「あははは〜」と笑った。
「信じて貰えませんでした。歳三さんが帰ってきてくれて良かったですよ」
「か〜また駄目だったのか!お前もいい加減もちっと顔を売っておけよ、総司」
緊張感の無い総司の笑顔に、新八も呆れつつ、つい顔が緩んでしまう。試衛館に集った彼らは、年若い彼を弟の様に可愛がっていた。
「私は良いんですよ〜。試衛館の名前と近藤先生の名前が広まればそれで」
「…ったく」
毎度毎度、道場破りに師範代と信じて貰えない事を受け入れている総司に、歳三は小さく舌打ちした。
そんな中、再び道場の門を叩く声が響いた。




「今日は何だ、試衛館大安売りか?」
歳三が呆れるのも無理はない。
先ほど仲間を抱えて帰った2人が、今度は違う仲間を連れて再び道場破りにやってきたのである。
一日に2回のご訪問とは、流石の歳三も初めてだった。
「じゃ、また私が?」
ニコニコと親しい客人でも迎える笑顔を向ける総司に、男達がひきつり笑いを浮かべる。
「先ほどは油断したが、今度はそうはいかないぞ!さっきのあいつより強い助っ人を頼んだしな」
「自分はかかってこねぇのかよ」
他力本願で敵討ちに来たらしい男の言葉に、左之と新八が眉をしかめた。
「おい総司、なんなら俺がやろうか?」
「え〜新八さんったら浴衣姿で何言ってるんですか。ここは私の出番です」
楽しそうに胸を張る総司に、助っ人で連れてこられた男は「本当に強いのか?」と仲間に目で尋ねている。
そんな男達に聞こえないように、歳三は再び総司に呟いた。
「…殺すなよ」




本当に毎度の事だが助言しておいて良かったと歳三は思う。
再び気絶した仲間を連れて逃げ去った2人を見送っていると、それを面白そうに見ながら平助と山南が帰ってきた。山南は歳三より年上だが、平助は総司と同い年だ。
「へ〜2度目の挑戦だったんだ、あの連中」
切れ長の涼やかな目元を細める平助に、仲良しの総司は砕けた笑顔を送る。
「おい平助、今度道場破りが来たらお前が総司の振りして対応してみろよ」
「え〜何で〜」
左之が平助の肩に腕を回すと、何やら企んでいるらしい口ぶりである。
その左之の言葉を、新八が総司の肩に腕を回しながら囁いた。
「平助の次は左之、左之の次は俺ってやってくんだよ。するとだな、『試衛館の沖田総司』に関する様々な噂が流れて『一体どんな奴なんだ〜〜っ!?』って話題になるっていう寸法よ」
聞いていてくだらない計画に、歳三がぷっと吹き出すと、山南も可笑しそうに笑っている。しかし総司は一人浮かない顔で口を尖らせた。
「え、嫌ですよ私!私はお二人みたいに毛深くないですもん!」
そう言って新八の浴衣をめくりあげる総司に、新八がぎゃっと悲鳴を上げる。
「何でめくるんだよ!?」
「うわ〜永倉さんって肌白い〜足白い〜見ちゃった見ちゃった〜」
「当たり前だろう平助。新八っつぁんは松前藩脱藩。松前といえば北国。北国の人間は色白と決まって…」
ふざけて逃げる総司を新八が顔を赤くしながら追う。そんな2人を眺めながら平助は手を叩いて囃し立て、左之は適当な説明を始める。とかくこの4人は顔を合わせれば毎度大騒ぎである。
そんな中、彼らの騒ぎを中断させるような大声が道場に響いた。




「あれだな、二度あることは三度あるって奴だな」
納得したように頷く歳三の前には、またまた助っ人を連れて道場破りにやってきた例の2人がいた。
今度の助っ人は数で勝負らしい。
「一人がとびきり強くても、全体の強さが均一でなければ道場の強さとは言えまい!!」
「…へ理屈じゃねぇ?」
「屁でもこいてやれ、左之」
左之と新八が呆れを通り越して、情けない気持ちになりながら呟く。
彼らの前には2人が助っ人に連れてきた男達が10人ばかりはいた。先ほど道場に訪ねてきて、こちらが10人に遥かに満たない状態なのを知っていての人数である。情けない事この上なかった。
「え〜っと…全員私がお相手してよろしいんですか? え、駄目なんですか?」
総司といえば相手の人数などお構いなしで、変わらぬ笑顔を浮かべている。その笑顔が逆に不気味だ。
「俺と左之と総司で十分だ」
木刀寄越せ、と手を伸ばす新八に、平助が木刀を投げて渡す。
彼の提案に左之は勿論、総司も「じゃあ」と頷いた。
「こっちは10人超えてるんだぞ!? お前ら死にたいのか!?」
問題は総司だけと思っているのか、吠える男に新八も左之も手を振って答えた。
そこで歳三は三度同じ言葉を、今度は3人に対して呟く事になるのである。
「殺すなよ」






あっという間に勝負はついた。
その結果を前に、山南がパチパチパチと拍手をする。相手は歳三に対してだ。
「忠告が功を奏したね」
「だろぉ?」
歳三もその褒め言葉にまんざらではなく頷く。
何故なら、10人を超えた男達を総司・新八・左之は3人であっという間にのしてしまったのである。死屍累々という状態で横たわる男達の中で、年若い総司の笑顔と浴衣姿の2人がとても浮いて見える。
「何かさ、3人揃うと反則って感じするよね」
「あれだな、生物の理に反してるな、お前ら」
平助の言葉を受け歳三が笑うと、3人から一斉に抗議の声が上がった。




男達がやっと負けを認めて去った後、気付けば空が茜に染まっている。
もう奇妙な客人もなかろうと、道場で酒盛りを始めた男達を見ながら歳三は総司の隣に座った。
総司も歳三も、酒はそんなに好きでも強くもない。
「もうじき近藤先生も帰られるから、今日は宴会ですね〜」
「今日も、だろ」
やれやれと背後の新八と左之のばか騒ぎを見ていると、井上が戻ってきてそこに加わるのに笑う。
これで近藤が戻ってきたら、試衛館の主立った面々が大集合だ。
「なぁ総司。お前せっかく強いんだから、もう少し名前を売ろうとは思わねぇのか」
「何ですか歳三さんまで。私の名前なんてどうでも良いんです」
「近藤さんと試衛館の名前が広まればー、か?」
歳三の言葉に総司が嬉しそうに頷いた。
本当にこの弟分には欲目というものが欠けている気がする。歳三が半ば呆れていると、総司は一人で嬉しそうな笑顔を浮かべたまま呟くように語った。
「凄いですよね、近藤先生って。どこの道場に行っても会えないような人たちが、こうやって集い仲間になっていくんですもん。まるでお日さまみたいだ」
「…まぁ、勝っちゃんは人を惹き付けるからなぁ」
「だから私は、夜空の星の一つで良いんです」
言いながら総司が見上げた空には、夕闇に染まりつつある群青の中に小さな星が幾つか輝き始めている。
「お日さまの如く歩く近藤先生を陰ながら支えていけたら、そんなに嬉しい事はない」
本当に嬉しそうに語る総司に、歳三の目元も優しくなる。
「そ〜だなぁ、おてんとさんは一個しか無いが、星なら無数にある。確かに勝っちゃんはそいつらを従えるのに相応しい器だ。…俺もなるさ、星の一個に」
宣言する様に同じ空を見上げる歳三。
2人はそこで、お互いの顔を見合ってニッと笑った。





「お〜い帰ったぞ〜」
丁度そこに響く、道場主・近藤の帰還の声。
その声にぱっと顔を輝かせながら振り返りつつ、総司は歳三に囁いた。
「あ、言っておくけど負けませんよ? 一番星は私ですから」
「あぁ? 何言ってやがる、じゃあ俺はあれだ、お月さんだ」
「ぷっ!かぐや姫みたいに月に帰るんですか? 餅つきをしに」
「何でかぐや姫が餅つくんだよ!?」
ぷふ〜〜っと笑って近藤の方へと駆け出す総司を、噛みつくように吠えながら追いかける歳三。
彼らの乱入に酒が入っていてもいなくても陽気な人々が笑い出す。
そんな試衛館を見下しながら、満天の夜空が彼らの頭上に輝いていた。











□ブラウザバックプリーズ□

2008.8.10☆来夢

流れる前に一際輝く星一つ




実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。