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北の最果ての地-蝦夷。 五稜郭にたてられた函館旧幕軍政府は、このまだまだ未開の地に腰を据え官軍との決戦を目前にしていた。 そこに輝ける星が一つある。 土方歳三だ。 ここまで追いつめられたと言っても過言ではない旧幕軍の中にあって、彼は負け知らずの常勝将軍の名を欲しいままにしていた。 新選組隊士の誇りでもある。 そんな才覚溢れ、男も惚れるような美丈夫たる土方に今、魔の手が忍び寄っていた…。 プスッと音がした。 土方は「…ん?」と眠っていた目を凝らして周囲を見た。 何か腕がちくちくと痛むような気がする。 「……何だ?」 土方はまだ薄暗い外の気配を訝しみつつ、上体を起すとそこには… 「…またお前か…」 「…は…ははっ。おはようございま〜す…」 鉄がいた。 土方は「はぁああ」と深い溜息をつくと、自分の左腕を見た。 するとそこには土方の白い腕に突き刺さる一本の針と、そこから伸びるチューブ、そしてその元を辿ると鉄の手元にあるポンプ…土方が目をこらすと、そこには温かそうな赤い液体が溜まっていた。 「………ん!?」 「あ、あは、あはは、あははははははは」 眉間に皴を寄せて、寝ぼけた頭でそれが何なのか考える土方を見ながら、鉄が針を抜き土方の腕を拭った。 何か揮発性の物で拭われたらしく、腕がすーすーとする。そして鉄はそそくさと道具一式を素早くまとめると、「失礼しました〜」と何も無かったかのように立ち去ろうとした。 「………んん!?」 障子の向こうに消えていく鉄の姿に、土方がもう一度唸る。 その瞬間。 そそくさと廊下を歩く鉄の背後で、バーンっと障子が開く音がした。 と、同時に「やばい」と鉄が走り出す。 「待ちやがれ鉄〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!!」 鉄が走り出すと背後からドドドド…という激しい足音と共に、土方の怒声が廊下を突き抜けた。 ちらっと鉄が振り向くと、寝巻きの裾も露に広げながら、土方が孟スピードで駆けてくる。 「てめぇは何で俺の血を抜いてやがるんだ〜〜〜〜〜っ!!?」 「ぎゃ〜〜〜っっ!!!」 その土方の鬼の形相に、鉄も走るスピードを上げた。 「理由を言ってみろ〜〜〜〜〜っっ!!!!」 「ま、まだ言えませ〜〜〜〜〜んっ!!!」 「何だとぉ〜〜〜〜〜っっ!!!?」 大声で言い合いながら走る二人に、周辺の部屋の人々が何事かと顏を出す。 が、誰もが土方のあられもない姿に顏を赤らめてから、その鬼の形相に慌てて部屋に戻った。 「うわぁ〜〜んっ!誰か助けてぇ〜〜〜っっ!!!」 鉄の叫びが五稜郭を突き抜ける。 すると、彼の前に一人の勇気ある人物が現れた。 土方は鉄の背中を捕まえようと走っていたのだが、突然その鉄がひょいっと脇にのいた。 「わっ!?」 あっと驚いた土方の目の前に鉄よりも大きな人影が出現する。 『ぶつかっちまうっ!!!』 土方がそう思った瞬間、彼の体はふわりと浮いた。 「伊庭さん!ありがとうございます♪」 「伊庭っ!?」 鉄の嬉しげな声に驚いた土方が叫ぶ。 すると土方を右肩に抱き上げた状態で伊庭がにっと笑った。 「おうよ!ちぃっと付き合えや、歳三さんよ」 「な、何がだっ!今はこのクソガキを捕まえるのが先だ!下ろせっ!!!」 「まぁまぁ、子供のイタズラに目くじら立てなさんなって。面白いトコに連れてってやるから」 肩の上でバタバタ暴れる土方に、鉄がバイバ〜イと手をふる。 「こいつのはもう子供のイタズラなんてもんじゃねぇんだよ!!!」 「はいはい、あんまり暴れると可愛い尻が見えんぞ〜」 「…っっ!!!」 ニヤニヤと笑う伊庭の声に、土方は顏を赤らめて暴れるのを止めた。 伊庭にさらわれる土方に手を振りながら、鉄はほっと息を付いた。 そして手元に残った赤い血液を見てニンマリと笑う。 それはまごう事無き土方の血液であった。 「あれ?今土方君の声がしたような…?」 「あ、大鳥様」 ん?と鉄が顏を上げると、廊下の向こうからキラキラ輝く男性が歩いてくる。 陸軍奉行の大鳥圭介だ。 今日はキラキラと光を放つガラス細工が付き、孔雀の羽であしらわれた絹のネグリジェを着ていた。頭に付いた二本の角のような飾りに鉄が首を傾げる。 「それは何ですか?」 「これ? 宇宙人との交信用具。ところで土方君は?」 大鳥は真面目な顏で応えた。鉄はちょっとだけ、その内容に疑問を感じたがそれ以上の追及はしなかった。 「伊庭さんと遊びに出かけました」 「ええ〜? 何で僕を誘ってくれないかなぁっ!!!」 『誘わないだろ』 プンプンと怒りながら走ってゆく大鳥の後ろ姿を、鉄は面白くもなく眺めた。 その頃土方は、伊庭に連れ去られて雪の降り積もる小高い丘に来ていた。 「こ、こんな所に俺を連れてきてどうする気だっっ」 夜明け直前の薄暗い中、土方は寝巻き一枚の姿でガタガタ震えていた。 「何だよ歳三さん、寒けりゃ俺が暖めてやるぜ?」 「結構だ!とにかく用件を言えっ!!!」 「もう、照れ屋だからな〜〜」 土方はガチガチ言う歯をきっと噛みながら、とぼけて笑う伊庭を睨んだ。 すると彼はどこから持ち出した物か、一枚の板きれを土方に示した。 ちょっと嫌な予感が土方の胸をよぎる。 眼下は一面の銀世界。やや急な下り坂が目の前に広がっている。そして行く手を遮るような岩や木々は見当たらない。彼らの星、五稜郭まで一直線。 「ま、まさか…」と恐る恐る伊庭を見ると、伊庭はにかっと気持ち良い位の笑顔を土方に向けて言った。 「雪滑り♪」 「やっぱりか〜〜〜〜〜っ!!」 うわぁああっと土方が嘆いた所で、坂の下から誰かの声がする。 「おぉ〜い、土方君はそこか〜〜〜い!?」 「あん!?」 土方がそちらを見ると、そこには遠目にもハッキリ分かる程、輝いた男がいた。 「お、大鳥…」 もはや「殿」なんて付けてられない。 「あ!ひっじかったくぅ〜〜〜ん!!!」 大鳥も土方に気付いたらしく、下から大声を張り上げて手を振った。 思わずそれに笑顔で手を振り返す伊庭に、土方は「馬鹿らしい」と坂を下りようとした。 「おおい、ちょっと待てよ歳三さん」 「五月蝿いっ放せっ!!!」 「何で僕も混ぜてくれないのさ、土方く〜〜〜ん!!!」 「うっさい馬鹿!変態っ!何だその格好は!!!」 ちょっとキレ気味な土方と、それを引き止めようとする伊庭と、下から駆け登ってこようとする大鳥。 三人三様に大騒ぎをする中、彼らの足の下からドドドドドド…という物音が響きだしていた。 「雪滑りしたらあっという間に降りられるって!しかも楽しいし!!」 「馬鹿野郎、こんな寒さの中にいたら凍え死ぬわ!!」 「なら僕の胸でお眠りよ、土方君♪」 「誰がそんな毛深い胸に!胸毛で窒息するぞ!!!」 ぎゃーぎゃーと言い合う男達の足下で、ドドドド…という音は段々と大きくなっていく。 「…ん? 何か音がしないか?」 「それは僕の、君への恋のトキメキだよ、土方君!!!」 「大鳥殿は不整脈か?」伊庭が真顔で言う。 ドドドドドド… 「だから歳さん、俺が後ろから抱いててやっから」 「人の帯を解くなっ馬鹿野郎!!」 「ああ、朝日に雪がキラキラと、眩しいねぇ。まるで君のようだよ」 「眩しいのはあんたのそのガラスだ」 ドドドドドドドドドド… 「なぁ、やっぱり音がするぞ?」土方が耳を澄ませる。 「え?」その土方の腰にしがみつきながら伊庭が。 「嘘?」こちらは足にしがみついた大鳥が。 それぞれが「ん?」と辺りを見渡した瞬間…。 ドドドドドドドドーーーーーーーっっ!!という物凄い轟音と共に、彼らの足下が激しく揺れ動いた。 「な、雪崩だ〜〜〜〜〜っ!!?」 うわぁあああ〜〜〜〜〜〜〜っ!? 突然の出来事に三人の身体が雪に呑まれていく。 そして雪はあっという間に大地を滑り、地形を変え、五稜郭近くまで打ち寄せる波の如く到達していた。 「何事だっ!?」「おおっ!? 雪崩が起きたのか!」「あっ!誰か埋まってるぞ〜〜〜!?」 その凄まじい轟音に五稜郭から人々がわらわらと出てくる。 島田も何事かと外に出て、雪の合間からにょきっと生えている足を見つけて叫んだ。 「ふ、副長!?」 「何で副長って分かるんですか?」 「五月蝿い安富! 引っ張るから手伝え!!」 島田は一緒に顔を出した安富を怒鳴りつけると、その細い白い足を思いっきり引っ張った。 すると、すぽっと土方が姿を出す。 その顏はもう血の気を失い、唇は紫に、とてもじゃないが無事には見えなかった。 「す、すぐ暖めないと!!!!」 慌てる島田の側に、鉄が顏を出す。 するとその気配を察知してか、土方がうっすらと目を開いた。 「あ、起きた」 「副長〜〜〜っ! 御無事ですかっ!!!?」 泣き叫ぶ島田を無視して、土方は一言呟いた。 「鉄…そもそもてめぇが…」 それだけ言うと、彼はがくっと意識を失った。 気絶してしまった土方を抱きかかえ、島田が「副長しっかり〜〜!!」と絶叫する。 その袖を鉄がちょいちょいと引っ張る。 「島田さん、島田さん」 「何だ!?」 「これ、輸血とかに使う?」 は?と島田が鉄を見ると、彼は手に一本の瓶を指し出した。 「何だそれ?」 「副長の血を原料に作ったワイン♪」 「………は?」 島田はニコニコニコと笑う鉄と、腕の中のぐったりとした土方を見比べて…溜息を吐いた。 「おいたわしや、副長…」 その時、島田の耳に賑やかな声が届く。 「おぉ〜い、これ美味いぞ〜〜っ!お前も飲めよ、島田〜〜〜!」 見ると野村と相馬が真っ赤な顏で瓶を抱えて叫んでいる。 どうやら酔っているらしいが…。 「ああっ!野村さん飲みすぎっ!! それ売り物にするんだから、そんなに飲んじゃ駄目ですよ〜〜!!」 「あ〜? でも殆ど飲んじまったぞ?」 鉄が野村の姿に慌てて走り出す。 島田は考えた。 すると奴等が飲んでいるのは…全部鉄が作ったワイン…? 野村と相馬の抱える瓶は相当な数である。 原料は…副長の…血? 「…………………っ!?」 その瞬間、島田の顔から血の気が引いた。 もしかして、もしかして、腕の中の副長は………貧血っ!? 「て、鉄ぅう〜〜〜っっ!!」 島田の怒りの絶叫が五稜郭に響く頃、土方の意識は函館の空を漂っていた…。 |
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