近藤勇を 知っていますか

土方歳三を 知っていますか

新選組という存在を 知っていますか?



「賭けをしようか、永倉」
そう斎藤が呟いた。



交 錯

慶応三年一月
まだ正月気分も冷めやらぬ寒い日。
永倉は珍しく斎藤と連れ立って、酒を飲みに街へ来ていた。
そしていきなり呟かれた言葉に多少赤らんだ顔を向けると、斎藤は酒など飲んでいないかのような無表情で彼を見返した。
永倉のひざ元では、どうゆうわけかこれまた珍しく付いてきた沖田が、すーすーと穏やかな寝息を立てている。
その弟分の頭をちょっと撫でながら、永倉は頷いた。
「良いけどよ、何の賭けだ?」
「どちらが」
斎藤は盃に注がれた酒を、くいっと一飲みする。
「どちらが、生き延びられるか」
永倉は斎藤の顔をまじまじと見つめた。
ほとんど話という話をした事がなかった仲の、斎藤という男。
どうやら多少思い違いをしていたようだと永倉は苦笑する。
「お前…面白い奴だな」
まずそう言ってから、永倉は再度頷いた。
「ああ、良いぜ」
山南の死から一年以上。
世の中の状況は目まぐるしく動き、先の予測など誰にも明確に出来なくなった昨今において、その賭けがどんな意味を持つのか。
その賭けを口にした斎藤の気持ちとは、一体どんなものなのだろうか。
そんな事はどうでも良いさ…
更に酒を追加した彼らが店を出たのは、それから随分と経ってからだった。




夜道に月が奇妙に輝いていた。
屯所への帰り道、沖田は永倉の背中で相変わらず眠り続けている。
言葉少なな二人の足取りは、いつも変わらない。
巡察の時も、酒を飲みに行く時も、妓を抱きに行く時も…誰かを殺しに行く時も。
「こいつ…軽くなっちまったなぁ」
ぼそりと永倉が呟く言葉。
背中にかかる沖田の重さがまるで幼子の様で、彼の胸を一瞬締めつける。
「かかる重圧は重くなるばかりだろうに…」
斎藤もまた、ちらりと沖田の寝顔を見た。
その瞬間。
二人を殺気が取り囲んだ。



「………!」
永倉も斎藤もさして表情を変えずに、突然現れた気配に足を止めた。
暗闇に目を凝らせば、ざっと数えて十人程が刀をこちらに向けている。
強烈な殺意も二人にはひしひしと感じられた。
「新選組の永倉と斎藤だな」
「……だったら何だ?」
投げかけられた言葉に、永倉が応える。
背中では沖田が眠り続けている。
「…命、もらい受ける」
永倉の問いに対する返答が放たれた瞬間、二人に十数人がいきなり躍りかかってきた。



瞬時に斎藤と永倉は背中合わせの体勢を取る。
もちろん沖田を守る為だ。
「…っち。面倒臭ぇなぁ!せっかくの酔いが醒めちまう」
「子供の目覚めないうちに終わらせよう」
斎藤の声に、永倉はへっと笑った。
「子守しながら斬り合いをする羽目になるとは…ね」
そして二人は同時に、襲いかかる相手をそれぞれ一人ずつ斬り倒した。



襲われる事は珍しくない。
人に恨まれる事にも慣れてしまった。
だが、まだ心のどこかで、こだわっている。
何の為に戦い。
何の為に恨まれるのか。
純粋に生きていた過去を振り返り、傷つく事を恐れていたのかもしれない。



「とぉりゃぁっっ!!!!」
ざざっと斎藤の一振りで男が倒れる。
その強烈な斎藤の気迫に、残る敵の足がすくむのが判った。その隙を見逃さず、斎藤の一撃必殺の突きが敵を貫き、勢いあまって体を吹き飛ばした。
それを視界の端で見ていた永倉も、ふっと笑うと素早い剣先で敵を斬り倒す。
「…っぐ!」
目の前で仲間を斬られ、敵が声をもらした。
「へっ、何だよ、腰が引けてるぜ?…っと!」
永倉の動きに耐えられず、沖田の体がずりっと彼の背中から崩れ落ちた。
どてっと尻餅の衝撃を受けて、沖田がさすがに目を覚ます。
「………つぅ…?」
「あ、悪い総司」
まだ敵に囲まれている状況で、緊張感の無い永倉の声が路地に響く。
その声を聴いた途端、誰かが叫んだ。
「お、沖田総司だと!? いかん…引くぞ!!」
へ?と呆気にとられる永倉をよそに、沖田の名前に男達が過剰反応する。
「くぅっおのれ、無念!」
何事か理解していない総司と肩をすくめる斎藤と永倉を残し、敵はあっという間に散っていった。
二人にそれを追う気は無い。
つまらなそうに視線を合わせた斎藤と永倉を見上げ、沖田が寝ぼけた声を上げた。
「何ですか?」と。







敵が残していった亡骸を片づける二人を、沖田は近くに座り込みながら見ていた。
「ひぃふぅみぃ…」
沖田はぼんやりと倒れている人数を数えて、そして笑った。
「お二人がいれば、僕の出る幕は無いなぁ」
その眠そうな声に、永倉と斎藤が視線を向ける。
沖田はうっとりと抱えた膝に顏を乗せ、二人を見て笑っていた。
「お二人のどちらでも良いんです…。近藤先生と土方さんを…守って下さい…」
わずかに、永倉が眉をしかめる。
「僕は…もう…」
沖田の声はそこで止まった。
また、眠りに落ちてしまったのだろう。
斎藤は彼に歩み寄ると、その薄くなってしまった肩に、自分の上掛けを掛けてやった。
その時に見えた沖田の横顔。
それは、青年らしい美しい横顔だった。
あんまりに美しすぎて…斎藤はゆっくりとその体を抱きしめていた。
その背中が、永倉に問う。
「…誰が、彼の思いを判ると思う?」




誰にも判りはしないだろう。
沖田はどこまでも純粋に近藤を、土方を想っている。
その想いを、仲間以外の誰が判ってやれるだろう。
「新選組 一番隊 隊長 沖田総司」
今やその名前は、新選組の象徴的なものになっている。
京都の町を跋扈する死神の代名詞のように。
純粋であればあるほど、その剣は脆くなっていく。
その剣が折れた時…
誰がそのかけらを拾って磨いて見直してくれるだろう。
「俺達が判ってりゃ良い」
斎藤はすぐには反応しなかった。
だが、しばらくして彼は立ち上がると、永倉を振り返った。
その頬に、一筋の雫が落ちた跡がある。
「あんたなら、そう言ってくれると思っていた」
斎藤の言葉に、永倉は苦笑した。











近藤も土方もまた、美しすぎるのだ。
そしてそれに付き従う人々もまた…純粋にすぎるのかもしれない。
「そういう意味でいくと、確かに俺とお前はちと違うなぁ」
「俺達には」
「新選組以外の道がある…」
だが、沖田達には…



永倉は沖田を再び抱え上げた。
そして屯所への道を行く。




立ち止まる事は許されない。
やっと見つけた自分の居場所なら、それは尚更だろう。
それが砂浜に打ち付ける波のように、足下からすくうように引いていくとすれば。
…後の人は愚かだと笑うかも知れない。
それでも、その水を追いかけ取り戻したいのだ。
どんなに無様なあがらいであっても。
キラキラと輝く光の中に、手を伸ばしたいのだ。
まるで失われる事が判っている砂の城の様に、今の時間が愛しく切ない。
永倉の背中にのし掛かる重さ一つも、愛しい全てだったのだ。










春、斎藤は伊東一派と共に、新選組を離脱した。
その行動に衝撃の走る屯所内で、永倉はのんびりと空を見上げていた。



誰が、斎藤の想いを判ってやれるだろう。





風が頭上に舞い上がる。
その風に想いを乗せる事が出来るなら…
永倉の見上げた風を、斎藤もまた見上げていた。











そして、二人は生き残った。
全ての戦いを。
全ての悲しみを。
全ての上に、二人は立っていた。



沖田が死に、近藤が死に、土方が死んだ事で、新選組は消滅した。
綺麗な夢は見られなかったが、淡々とした現実は手元に残った。
彼らの意思はどこにいったのだろう。
自分たちの想いはどこにあるのだろう。
もう戻れない場所を思い、今流れる涙は何の為の涙なのだろう。
失った仲間達への鎮魂か、過ぎ去った青春への挽歌か、それとも他の何かなのか。







変わりゆく景色の中で、永倉は斎藤に会い、斎藤は永倉に会った。
「賭けは不成立…だな」
そう笑う永倉に、斎藤はゆっくりと首を横に振った。
「いいや…」
京都で、滅多に笑わなかった男の口が、ほんの少しだけ歪んだ。
「賭けは、これからさ」






そして、永倉は北へ、斎藤は西へ、二人の方向はそこで判れた。
それぞれの場所でそれぞれの記憶を残すために。
波に攫われた美しい砂を取り戻すために。






仲間達の想いを、風に乗せて届ける為に。





その風は、今もこの国を包み続けている。













□ブラウザバックプリーズ□

2008.7.24☆来夢

メビウスの輪を抜けて




実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。