欲しかったものは、この手に入る全てだった

沈黙の牙

新八が屯所に帰ると、青白い顏をした総司が待っていた。
二番隊の隊士達とそそくさと別れ、新八はその弟分の所へ走った。
弟分というには、あまりに落ち着いた青年だった総司。
剣の実力的にも、総司が一番隊を任せられている事からも判るとおり、新八との差は無いに等しかった。
いや、人によってはその差は歴然というだろう。
総司という男は、それほどに強烈な存在感を持つ剣の使い手だったのだ。
…だったのだ。





ざわめく都の空気の中にあって、総司は透明だった。
その透けるような存在感は、以前のものとは明らかに違う。
「…起きてて良いのか?」
駆け寄り、開口一番にそう言うと、総司がにっこりと笑う。
「ええ。大分具合が良いんです」
「そうか。でもあんまり外の風に当るなよ」
「はい」
あくまでニコニコと。
新選組最強、いや、数多の使い手達の中でも随一の強さを誇った総司は…今、病と闘っていた。
それも、労咳と。
その名を聞けば、即「死」が目の前を過っていく。
今までなら同情していた病名に、まさかこんな形で向きあおうとは。
「永倉さんの帰りを待っていたんですよ」
「そうなのか?」
手招きをする総司の背中を追う。
ひょろりと背の高かった青年の背中が、いつの間にか悲しい程薄くなっていた。
最近、総司の背中を見るたびに、新八は切ない唇を噛みしめるのだった。



総司の後をついて行けば、局長室に辿り着いた。
「あん?」
小首を傾げる新八を他所に、総司は中に声をかけて障子を開ける。
見れば中には近藤と、副長の土方の姿もあった。
じわりと漏れでてきた空気が重い。
「………」
ちょっと嫌だなぁと思いつつ、新八も中に入る。
一体何事だろう?と土方の顔を窺うが、彼は彼で眉間に深い皴を寄せて黙り込んでいた。
が、その表情が憤怒というより、悲しみに見えたのは何故だろう?
「巡察ご苦労だったな…新八」
「あ、はい」
近藤の声に、新八がはっとする。
近藤の顔もまた、何か悲痛な色を帯びている。
土方の斜め後ろに座った総司は、そっと、土方の袖を掴んでいた。
「あの…一体…?」
すぐには次の語を言わない近藤に、新八が恐る恐る尋ねる。
すると、近藤の口からとんでもない話が出てきたのである。
いや、もしかしたら…新八も頭の片隅で想像していたかもしれなかったが。





ドタドタドタと廊下を賑やかに歩く音がする。
新八は寝転がったままうんざりと、障子を睨んだ。
「おいおいおい!!」
すると、案の定というか、想像した通りの顏が想像したままの表情を浮かべていきなり部屋に入ってきたのである。
「…五月蝿い、左之」
「っていうかよ、おいおい!!」
新八はずかずかと部屋に入ってきた左之に、ごろりと背中を向けて寝転がった。
「…五月蝿い」
「だってよ!」
左之は新八の背中を見ながら、勝手にどさりと座った。
「新八っつぁんが、1.2番隊両方見るのかよ!?」
「…五月蝿いって」
むすっと呟く新八の肩に手をかけて、左之はその身体を自分の方へ向かせる。
それに逆らいもせずに、ゴロンと左之の方を向く新八。
二人は暫く見つめあい、そして新八が溜息を吐きながら起き上がった事で左之が叫んだ。
「本当なんだな!」
ボリボリと顎を掻きながら、新八はやっと頷いた。



病気療養という事で、隊務を離れていた総司。
いつかは復活するだろう、いやして欲しいと、誰もが思っていたから遅くなった辞令かもしれない。
しかし、新撰組内部の感情を無視して、世の中の流れは荒く激しくなっていた。
もう、待てないのだ。



屯所中で噂が広まるより早く、土方がそれを発表した。
もはやこの組織に副長は一人しかおらず、参謀も総長もいない。
そして今、その象徴の様な存在だった総司さえ…
どよめく隊士達を無視して、さっさと姿を消す土方。鬼がいなくなった瞬間に、どよめきは騒然とした空気に変わった。
それは「何故」ではなく、「やはり」「無理なのか」というものばかり。
その声を、新八はぼんやりと聞いていた。
全盛時よりも少なくなったとはいえ、それでも数十人が一つの部屋で喋れば相当な音量になる。
騒ぎたければ騒げば良いさ…新八は思った。
騒いだところで、何が変わるわけじゃない。
そうやって本音を隠す壁を厚くして、不安を和らげあえば良い。
「俺、身体もつかな〜…」
ぼそっと新八が呟いた時、聞こえていた隊士達の声が消えた。
「大騒ぎになっちゃいましたね」
総司がやってきたらしい。
「皆さん、副長からのお話の通りです。特に一番隊の方々は、永倉さんの言う事を良く聞いて下さいね」
あくまで明るい総司の声。
…やめろよ、総司。
「私の復帰はいつになるやら判りませんし…」
にこにこと、まるで他人事の様に微笑む総司が目に浮かぶ。
…やめろって。
「暫く刀を持たなかったら…手に力が入らなくなっちゃったんですよ〜」
あははははは…と屈託無く笑う総司の声が聞こえて来た瞬間。
新八は立ち上がっていた。



バン!といきなり障子を開くと、中にいた隊士達が驚いて振り向く。
その中心には総司の笑顔…
「あ、噂をすれば永倉さ…」
あくまでニコニコと新八を見る総司にずかずかと近寄って、新八はその腕をとった。
…細い。
一瞬ゾクリと、不吉な感覚が新八の身体を走る。
だが新八はそれを押し殺して、目を見張る人々の群れから総司を強引に連れ出した。



「ちょっ、永倉さん?」
新八の早足に、まるで跳ねるように軽やかに総司が続く。
その足の運びは新八に腕を取られているからかもしれない。
が、それはどうしても、総司の体重が激減しているとしか思えない。
手の中には余りにも細く、折れてしまいそうな総司の腕がある。
…くそ!
新八は首を振った。
「…永倉…さん?」
不安そうな眼差しを向ける総司を、新八は誰もいない道場に押し込んだ。



新八に放られるようになった総司は、ふらふらとした身体を何とか食い止める。
そして、落ちかける日の差し込む中で、彼は新八を見た。
新八も、総司を見つめた。
日差しを横から受けて、総司の顏に深い陰影が付く。
悲しい程にこけてしまった顏。
「何ですか?」
少し困ったような笑みを浮かべ、総司が尋ねた。
「…笑うなよ…」
「え?」
「笑うんじゃねぇって言ってるんだ!!」
ビン…と新八の怒声が道場に響いた。
そして、総司の顏にあった笑みが…消えた。





広い道場の中で、総司と新八だけが向かい合い、立ち尽くす。
新八は震える拳を握り、やはり震える声で総司に言った。
「…笑えないだろう? 悔しいだろう? 一番隊はずっとお前が守ってきたんだ。それを、ここに来て俺なんかに渡されて…笑えないだろう?」
今度は怒鳴り声では無かった。
だが、その声を総司は怒鳴られるより苦しげに、聞いた。
もう笑えない顏に、悲しい皴を寄せて。
「…しょうがないじゃないですか。闘えない私では、隊長の役は勤まらないし…」
「闘えなくないだろ」
「永倉さん…。私はね、もう…本当に手に力が入らないんですよ…」
ゆっくりと、総司が右手を上げた。
すっかり肉の落ちてしまった手は、弱々しく日差しを受け止めた。
その指を、新八の武骨な手が掴んだ。
「闘えるだろう?」
「永倉さん。判って下さい。私は本当にもう…」
懇願するかのような総司の顏。
新八は、掴んだ手をギュッと握りしめた。
「闘えるだろう?」
「永倉さん…!」
「闘えるって言えよ!」
「言えませんよ!私は…私は!」
総司の左手が、自分の手を握る新八に手に添えられた。
まるで、何かを頼み込むように。
だが新八は、その総司を睨み言った。
「闘えるんだって、すぐに戻るんだって、言えよ!」
「だから私は…!」
「言えよ、お前は沖田総司だろう!?」
「………言えないって、言ってるじゃないですか!!」
総司は叫び、そして…泣いていた。



手を握りあい、二人は睨みあう。
総司は涙を流しながら、叫んだ。
「言えるものなら言ってますよ!だけど…駄目なんだ!! 本当にもう…私は…こんな…!!」
新八の手の中で、総司の手が弱々しく震える。
その震えを止めるかのように、新八は握る力により力を込めた。
「いつまでも隊の幹部職を、中途半端にしておくわけにはいかないじゃないですか!! 近藤先生も、土方さんも闘っていて、皆も闘っていて、私だけが畳の上で…それがどれほど!どれほど心苦しかったか!!…どれほど…悔しかったか…!!」
強い眼差しを向ける新八に、総司が涙の流れる目を向けた。
それは、先ほどまでの彼には見えなかった眼差し。
一気に叫ぶと、彼は苦しそうに肩で息をした。
喋る事も、叫ぶ事も、怒る事さえも、彼の体力を奪っていく。
だが、総司は叫んだ。
「皆さんが汗を流して、血を流して帰ってくるのを迎える度に、私がどれほど苦しかったか判りますか!? 私だって闘えたのに…私だって、新選組の一員なのに!私には…もう私には…その力が無いんだ…。私にはもう、近藤先生を守る事も…土方さんを…誰を守る事も……私は、ここにいるのに…!!」
ボロボロと流れていく雫。
総司の崩れ落ちそうな体は、新八と繋ぎあった手によって支えられている。
もう、気力しか残っていない、悲しい容れ物。
限界が近い中で、総司は絶叫に近い声を上げた。
「私を、おいていかないで下さい!!」





その直後、総司の膝が力を失う。
見た目より、そして本人が言うよりも、彼の体は……病に蝕まれていたのだ。
だが、総司は倒れなかった。
目の前にいた新八が、その体をガシっと抱き留めたからだ。
涙に咽せる総司の呼吸を聞きながら、新八は呟いていた。
「お前さんの強がりが、どんなに寂しかったか…」と。
その言葉に、総司の嗚咽がヒクっと止まる。
悲しい程に細く脆くなってしまった体を抱きしめて、新八は囁くように言った。
「平気な素振りのお前さんに、土方さんがどんな顏をしていたか…判るか? 近藤さんも…皆もだ」
総司に連れられて入った局長室で、黙り込んでいた土方。
言葉がすんなりと出てこなかった近藤。
明るく振る舞う総司に、言葉も出なかった隊士達。
ゆっくりと、総司の体を支えながら自分の体を離し、新八は総司を見つめた。
いつ以来だろう。
この男の、子供のような泣き顔を見るのは。



「絶対おいていかないから、お前も…一人で苦しむな」



一瞬の後、総司の目に更に涙が溢れた。
そして、声を上げて泣き始めた弟分を、新八は再度抱きしめる。
ずっと堪えていたせいか、涙は堰を切ったかのように流れ出た。
新八はその涙が止まるまで、総司に付きあった。
今付きあわなければ、もうこんな時間は無いかもしれない。
だから…新八も、泣いた。








激しく流れる時代に、声を上げても届かないかもしれない。
大勢の中の一人の叫びなんて、聞こえもしないだろう。
一人の命が消えた所で、大勢にどんな影響があるものか。
それでも、人は生きていく。
誰かの為に闘い、傷つき、涙する。
たとえこの声が空に届かなくても…




いつか誰かに届くものと信じて。










□ブラウザバックプリーズ□

2008.7.24☆来夢

血と涙で絆を織って




実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。