闇の京を疾走する影達。
無力な人々は、それを風の音と自分を誤魔化して、決して外を覗こうとはしない。
口元を覆っていた頭巾をずらし、走っていた男は唾を飛ばしながら同じ影達に叫んだ。
「隊長格が出る前に、ケリをつけるんだ!」
全身黒ずくめの姿は、闇夜の中では動く影でしかない。
そんな彼の布越しの耳に、切羽詰まった仲間の声が届く。
「…来ました!!」
「誰だ!?」
「あれは…
ゾクッと、声の示すほうを向いた男の背に、一筋の電流に似た感触が走った。
永倉です!二番隊、永倉!!!」
闇より黒い殺気が、辺りを包んだ。
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京の町が血なまぐさくなっていた。 それは人々の心をも蝕んでいく、赤い血の侵食。 幕府打倒を叫ぶ人々の一部は、武力による事の進行・解決を求めた。 その標的は主に新撰組に向けられる。 そもそも新撰組の存在自体、京の治安維持を目的としているはずである。 だが、その新撰組がいるからこその流血の惨事に、眉をひそめる人は少なくなかった。 今、京の夜は歩けない。 闇に紛れ、そこかしこで新撰組隊士を狙う刃が乱れ飛んでいる。 それはもう、武士の作法に乗っ取った勝負などではなく、山賊同士の争いにも似た低俗さを呈していた。 珍しく、荒々しさを隠そうともしない伊東の声が、総司の耳を叩いた。 局長室に灯った明かりを見ながら、総司は廊下で寝ころんでいる。 伊東参謀は、入隊当初から「穏やかさ」を売りにしていた。 その彼が、今珍しく怒鳴っている声がする。 「何故殺したのです!!」 「最近京の人々が我々を何と呼んでいるか、知っていますか!?」 「死鬼ですよ、死の鬼だ!しかも隊長達に至っては、死を操るけだものだと!」 「こんな状態で、何故また襲撃者を捕獲せず殺したりしたのです!!」 「原因を突き止めねば、いつまでも隊士達が狙われますぞ!?」 土方は、一体どんな顔をして聞いているのだろう。 総司は「我々、じゃないくせに」と微笑を浮かべた。 殺す事を批難する事で、まるで隊士の命を大切にしているかのようにも装う。 総司は伊東が好きじゃない。 だが、嫌いでもない。 興味が無い。 「早く終わってくれないかな」ボソっと呟いた総司の耳に、やっと土方の声が聞こえた。 「…これだけ殺しているのに…こりませんな」 淡々と、独り言のように吐き出された土方の言葉に、総司は目を細めた。 男は、下げていた口元の布を引き上げた。 そして見かけよりも、使いやすさを優先した脇差程度の長さの刀を握りしめる。 彼の周りには、彼同様に黒装束に身を包んだ影が5.6人いる。 視界の前方では、今まさに死闘を演じている同様の仲間達と、敵達。 細い路地の中での闘いは、どうしても戦場が細長くなる。 その道を、全くひるむ様子もなく、まっすぐに駆けてくる男がいた。 体の周りの闇が、揺らめいている。 「あれが、永倉」 「沖田はやはり出ませんな」 「だが、最悪なことには変わりない!一人で当るな、囲め!!」 既に目前に迫っている永倉の姿に、男達が構えた。 その瞬間。 「…え?」 「囲め」と叫んだ男の両手が、刀を握ったまま地に落ちていた。 驚きというより、理解不能と見開かれた目に、永倉の顔が大きく映っている。 いつの間に、間合いに入り込まれたのか。 「おぉお!!!」 永倉の気合いが一閃する。 次の一瞬で、更にもう一人の影が、体を斜めに斬られ倒れていた。 伊東が局長室を出た。 あれだけ声を荒げていたのに、出てきた表情は涼やかなものである。 心が冷えた怒声だったのだと、それだけで判る。 それを見送って、そっと局長室に顏を覗かせた総司に、土方が気付いた。 「ああ、済まんな総司。話しを聞く約束だったのに」 「良いですよ〜。…で?」 「もう少し待ってくれ。後でお前の部屋に行こう」 土方は腕組みをしたまま、総司を見て言った。 その土方の向こうでは、近藤が厳しい顏をして俯いていた。 だが、総司の視線に気付くと、彼はぎこちない笑みを浮かべた。 「じゃ〜…」 総司は二人にお辞儀しつつ、そこを離れる。 近藤先生は大丈夫かしら? 土方と伊東の化かし合いの中にいるには、近藤は純粋すぎるのかもしれない。 とととと…と自室に戻った総司は、後ろでに障子を閉めようとした。 しかし。 障子を閉め切る前に、彼は胸に急にせり上がってくるようなむかつきを覚え、彼はしゃがみこんでしまった。 ゲホッゴホッ 肩を揺らして咳き込む彼が、口を押さえた手に、暖かな感触が流れる。 「…がっ…!」 最後に一際大きく呻いて、総司は手を離した。 そこに何が付いているのか、彼はもう知っている。 見なくても、嗅ぎ慣れた匂いが教えてくれる。 どこか諦めにも似た気分で自分の手を見つめる総司を、障子の隙間から覗き見る目があった事を、彼は知らない。 永倉の刀の先に、柔らかい物を断つ感触が走る。 背後での仲間達の声にも気を配りつつ、彼は踏み込んだ足を力強く蹴る。 刀が右から左へ動くが、その動きを捉える事は難しい。 「ぐっ…」 永倉の動きに足がついていけない男は、思わずのけ反った。 それで攻撃をしのいだ、と思った瞬間に体が揺らぐ。 その隙を永倉は見逃さなかった。 「あ」 男の目が見開かれる。 口元は布で隠れていて、見えない。 だが、永倉の目の前で、その口元の布から何かが滴り落ちた。 ゴボ…と後から後から溢れ出るそれが、霧の様に宙に広がった時、永倉は転がる男の首を見下ろしていた。 「おい、大丈夫か?」 永倉が振り向くと、そこには原田の姿があった。 すでに道に敵の姿はなく、あるのは敵だった者の屍のみである。 その中には仲間の姿もチラホラと混ざっている。 「…一…二…」 永倉は死体の中に沈む、仲間の数を数えて頭をかいた。 その死体も、原田の隊の者が早々に運び去ってゆく。 「…こりゃ、さすがにもたねぇなぁ…」 呆れ返ったように呟く永倉に、原田が肩をすくめた。 「こっちももたねぇが、敵さんももたねぇんじゃないのか?」 それに永倉も頷く。 新撰組隊士にも被害は出るが、それ以上に隊長格が稼ぐ相手の死体の数は多いはずだ。 「そろそろ、切羽詰まるかな?」 永倉が顎を捻る頃、また町のどこかで斬り合いの声が響いた。 屯所が静かだった。 つい近藤と話が長くなってしまい、総司との約束に随分間があいてしまった土方は、慌てて局長室を出た。 廊下に足をついた瞬間、あまりの静けさに彼は眉をひそめる。 近藤も何か異変を感じたのか、室内で立ち上がっていた。 それを手で制して、土方は廊下の向こうから近寄ってくる気配を待った。 それはすぎに彼の目の前に現れる。 「副長」 「島田か。…何があった?」 巨体を屈めて土方を見る島田。 「今しがた、ほとんどの隊が出払いました」 土方はそれだけ聞いて、近い記憶を辿る。 そういえば、確かに今日は不逞浪士の騒ぎが多かった。次から次へと隊が出発の報告をしてきたのが、今更おかしく思える。 「残っているのは?」 「一番隊です」 「総司がいるなら安心だな」 近藤が中から安堵の表情を見せる。 が、土方はそう簡単には頷けなかった。 「…一番隊だけ…か」 手薄といえば、手薄。 しかし、必要最低限にして、最強の部隊には間違いない。 まぁ、大丈夫か。 土方もそう納得しようとした瞬間、彼の脳裏を伊東が過った。 「………いや」 何かがおかしい。 その瞬間だった。 屯所が、浪士達に襲撃を受けたのである。 はっと、土方も近藤も顏を見合わせた。 異様な物音と気配と声が、いきなり屯所になだれ込んできたのである。 「隊士、出動ー!!」 土方は声を張り上げると、島田を引き連れて気配の方へ走った。 ためらわず兼定を抜く。 すると廊下の向こうから、泡を食った様子の隊士が駆け寄ってきた。 「ふ、副長!いきなり襲撃が…」 「判ってる」 「沖田先生の部屋に…!!」 「…何?」 真っ青になった隊士の顏を、土方は冷たく凝視した。 総司は「参ったなぁ」と笑う。 いきなり騒がしい気配がしたと思ったら…。 「こんな夜更けに来客とは」 彼を部屋の奥に追いやり、殺気に満ちた浪士が10数名。 どれもこれもが、血走った目をしている。 「今日なら、沖田が殺れる!!」 「へぇ、そうなんだ」 男達の呟きに、総司本人が感心した。 その次の瞬間に、男達が彼に襲いかかってきたが、その態度は変わらなかった。 「今日なら?」 ザシュ!!と一人が血しぶきを上げて倒れる。 「誰が?」 倒れた仲間をよけた男の首を、総司の刀が貫く。 また上がる、血の霧。 「殺れるんですって?」 ひょうひょうと、明るい声で尋ねながら浪士達を斬り倒していく総司。 彼の刀に迷いはなく、そして乱れもなかった。 次から次と、倒れる男達の中を返り血を浴びながら踊る総司。 その軽快とも言える動きに、浪士達の漲っていた殺気がどんどん減っていくのが判る。 「総司!!」 土方が島田を伴って駆けてきた時。 もうそこに生きているのは、総司だけだった。 あまりの血の匂いに、ムッと胸が悪くなる土方。 「そ、総司…無事か?」 「見ての通りですけど」 返り血を浴びて、真っ赤に染まった総司が肩をすくめた。 島田もその様子に、味方ながら言葉を失う。 「そりゃ良かった…が、一体何だってお前の部屋に…」 「今日なら私が殺せるって言ってましたよ?」 その発言に、土方の目が細まった。 そしてそこに、ゆっくりと近寄ってきた人物。 その人物を見て、土方は言った。 「…伊東参謀…」 「おやおや。これは…酷い。沖田君は?」 廊下の向こうで眉をひそめる伊東に、部屋の中から総司が「は〜い」と顏をのぞかせた。 すると、伊東の顔が一瞬ひきつる。 「お蔭様で、無事です」 「そ、そうかい。それは…良かった」 引きつる伊東の顔に、土方は気付く。 …ああ、そうか、と。 土方はそっと伊東に近づくと、彼の耳元に囁いた。 「この先に、道は無いですぞ」 そっと体を離した土方を、伊東が見つめる。 その眼差しは、とても微妙な光を帯びて土方を、そして総司を見つめていた。 そして、黙って踵を返した伊東の背中に、総司が言った。 「命は大切にして下さいね、伊東先生」 総司のその声に、伊東が少しだけ振り返ると… 「お互いにね」と呟いて去っていった。 恐らく、浪士達に「屯所が手薄」と情報を流したのは伊東だろう。 そもそも最近の浪士達自体に、何かしらの情報を流していたのかも知れない。 が、何故奴は今回屯所を、ましてや総司の部屋を狙わせようとしたのか。 「総司…」 土方は静かに弟分を見た。 その姿は、まるで町の噂の通り悪鬼にしか見えない。 「…ああ、今日だけで、一体幾つの命が散ったんでしょうねぇ…」 総司は、土方の問いを拒絶するかのように呟いた。 そして「この人達の背後…追跡しますか?」と逆に土方に尋ねる。 土方は首を横に振った。 「いや、これ以上殺しても意味がない。もう、乗らんよ」 -背後は、判ったから。 総司はそんな土方に頷いてみせ、そしてもう一度呟いた。 「命は、大切にしないと…いけませんね」 だが、それももう遅いかもしれない。 思った言葉を呟くには、あまりに血を流しすぎてしまった。 しかしそれを止めるには、もう個人の力は役にはたたない。 時の暴走は、始まったばかりなのだ。 歴史という名の人食いは、まだまだ満ち足りていない…。 |
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