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もうじき月も姿を消すだろう。 そんな夜の闇の中、誰かがこっそりと障子を開いて部屋に入ってくる気配がした。 近藤は布団の中で笑みを漏らす。 この気配なら空気で判る。 「何だ、眠れないのか?」 そういきなり呟いてやって、寝ていた上体を起こせば相手がビクッと体を震わせる。 「歳」 「〜〜っ」 微かに残る月明かりに姿が浮かぶ。 そこにいたのは酒のせいか顏の赤い、照れに照れた土方だった。 今日は大晦日である。 今日を最後に今年が終り、明日を最初に来年が始まる。 明日になれば来年が今年。 そんな面白い時間のはざまだ。 新選組でも隊士達が土方のお許しを得て、年忘れのどんちゃん騒ぎをしていた。もちろん幹部も平隊士も皆混ざって、である。中には妻の元へ帰った者もいるだろうが、それは極一部のことだった。 近藤も飲んだ。土方も飲んだ。 だが近藤は割合と早々に自室に引っ込んだのである。 こうゆう席で、上司に当たるような人間がいつまでも部下の前に居ては、くつろぐものもくつろげないだろう…という近藤の気遣いだった。 確か土方も早めに引き上げたかと思っていたが…。 「…入るか?」 近藤は固まっている土方に、はらりと布団をめくって訪ねてみた。 すると土方はするすると横に滑り込んでくる。 そして照れた声で言ったのだ。 「一緒に年越ししたいな、と思ったんだ」 「…そうか」 近藤は笑った。 親友の体温を傍らに感じながら、二人はふと昔話を始めていた。 小さく聞える隊士達の宴会騒ぎに笑いながら…。 昔から二人はいつも一緒だった。 「何年前だったかな〜」 「うん?」 ゴロンと天井を見上げながら、土方の役者の様な顏が笑った。 近藤はそれをまるで父親の様な眼差しで見つめる。 「ほら、大晦日に総司が除夜の鐘を突きたいとか言い出して…どっかの寺から盗んできたじゃねぇか」 「ああ、あったあった」 「あの時、平助も新八も左之も協力して、えっらい騒ぎだったよな」 かっはっはと笑う土方に、近藤も思いだす。 近所の寺から鐘をゴロンゴロンと引きずってきた為に、すぐに犯人とばれて寺から苦情がきたのである。 よく苦情で済んだものだ。 「あの時も、結局大騒ぎのうちに年が変わってたんだよなぁ」 クスクスと昔の事と笑う土方に、近藤はちょっと考えてから呟いた。 「ああ、大変だったな。ツネが怒って怒って、危うく包丁で刺されるところだったよ」 あっはっはっはっは!と笑う近藤に、土方がピクッと止まった。 「…え?」 「ん?」 そんなのは初耳だ、と目を丸くする土方の顔に、近藤はニヤリと心の中で笑みを漏らした。 まだ隊士達は宴会騒ぎを続けているらしい。 「い、いや、ほら、確かほら!左之と新八がどんど焼き用の餅を投げて遊んだ事もあったよな!!」 「おお、あったあった!」 土方の記憶は正しい。 それは近所で予定されていたどんど焼き用のお餅を、あの二人が雪合戦の如く投げて遊んでいたという騒ぎである。子供たちも面白がって加わっていたが、親の怒りはそれは凄まじいものだった。 「あの時、急きょ餅をつかされたんだよな〜っ」 「やったなぁ、確か」 あの二人のやった事だが、それは一蓮托生。試衛館の一同で謝罪代わりに、餅を用意したのだ。 「結局餅つきも面白おかしくやったんだっけか」 目を細めて昔の事を懐かしむ土方。 「まったく、あの時のツネは俺の手を杵で潰そうとしてなぁ。怖かったのなんのって!」 がっはっはっは!とまたも笑う近藤。 その内容に、土方が再び固まった。 「…手を? つ、ツネさんが?」 「おお。実は軽くくらってな、時々手がしびれるような…」 そんな呟きを聴いてしまえば、土方は平静ではいられない。 思わず彼が叫んだ言葉は…。 「し、島田〜!!」 勢い良く土方が布団から立ち上がると同時に、ざっと島田が障子を開いて現れた。 「副長何か!?」 「きょ、局長の体をお揉みしろ!! 特に、手!!」 「はっ」 いきなり呼ばれた島田は、いきなり現れたかと思うと、いきなり命令されるがままに近藤の手をマッサージし始めた。 「…………ほう」 またもや近藤の心に意地悪な笑みが浮かんだのは、この時だった。 何故か土方が布団から出て、近藤の前に正座している。 「あれもいつかの正月だったか…総司と左之が福笑いをするって言って、どこかの掛け軸を持ってきてしまった事があったなぁ」 近藤の記憶も正しい。 土方が慌てて頷く。 「あ、ああ!あれは確か不動の人のものだったよな。思いっきり切り刻んじまって…」 「そうそう」 今度は近藤が目を細めて笑うのに、土方がどこか「ほっ」と安心したかの様に微笑返す。 が。 「あの時もな〜俺がツネに切り刻まれる寸前だったよ」 「…え!?」 「ツネが怒って怒って怒りまくってなぁ、気が付いたら…」 何とか思い起こす…という風に近藤が首をかしげる。 それを土方はドキドキと見守った。 「そうだ。部屋で包丁を研いでるんだよ、わざわざ部屋で!あの時ばかりは俺も…いや、はっはっは」 わざとらしく気を遣ったように笑って誤魔化す近藤。 その様子に泣きそうな顏になった土方がとった行動は… 「総司〜〜〜!!」 呼べばすぐに反応がある。 「はいはいは〜い?」 「ハイは一回で良い!」 「はいはい、それで?」 がらっと障子を開けて入ってきた総司は、近藤の手を揉んでいる島田を見て首を傾げた。 何故、局長と副長の二人きりの間で、島田が近藤の手を揉んでいるのだろう? 考える総司に土方は言った。 「近藤さんにもお酒を持ってこい!上等なやつ!!」 「……はぁ」 総司は焦ったかのような土方の命令に、首を傾げつつも立ち上がった。 やはりその時、近藤の心は笑顔満開だった。 そこからも土方は近藤が昔話をするたびに、心臓が縮み上がるような言葉を聞き続けた。 例えば新八と平助が飲み屋で暴れてきた為、修理費が試衛館にまわってきた時…と言えば。 「あの時は、ツネが黙って縄を俺の首にまわすものだから…」 「左之〜!! 局長におつまみをご用意しろ!!!」 ビューンッと左之が台所から走ってくる。 また例えば、総司と平助が羽根つきで近所の塀を破壊した時…はというと。 「いやいやあの時は、ツネが頭にロウソクを巻きつけて、五寸釘をもって夜な夜な出かけるんだよ〜」 「新八〜〜!! 局長の背中をお揉みしろ!!」 ビューンッやってきた新八が近藤の背中を揉む。 気が付けば、近藤の部屋には幹部が集まって彼をあつくもてなしている。 が、土方一人は何故かドキドキと近藤の様子を窺っていた。 その奇妙な騒ぎに、斎藤が不思議そうに呟く。 「一体何をしてるんだい?」 「あ、斎藤さん」 近藤にお酌をしながら総司がその姿に気付くと、土方が彼にも叫んだ。 「斎藤!!」 「はい?」 「な、何か芸を披露しろ!!」 「……………」 土方の命令に、斎藤は黙って眉をしかめた。 そして更に招集を受けた平助が障子を開くと… 「……皆して何をしてるの?」 彼は不思議そうに間口に立ち尽くした。 というのも無理は無い。 部屋の中央では近藤が横たわり、その前には土方が正座している。 近藤の手や腰を島田と永倉がマッサージしていて、総司はお酌、左之はおつまみ配給係らしい。 更に謎なのは、近藤の前方で舞いをまっている斎藤の姿だった。 「お、大晦日に皆して何をしてるのさ?」 ちょっと引いてしまう平助に、土方が泣きそうな顏で言った。 「うう…お、俺らの為に、近藤さんがそんな怖い目にあっていたなんて…!」 「…………はぁ?」 その土方の言葉に、今度こそ本当に平助は首を傾げた。 が、その様子に笑いをかみ殺す人が、一人。 それは誰でもない、近藤その人であった。 「ごめんよ勇さん!俺…俺、全然そんな事気付かなくって!俺が気付いていれば…!!」 酒が入っているせいもあるのだろうか? 滅多に見られない土方の様子に、近藤の手から肩を揉みつつ島田が唖然とする。 だが土方は止まらない。 「いっつもいっつも俺達が騒ぐばかりで、近藤さんが怒らないのを良いことに…」 土方の両目には涙が溢れ、今にもぼろぼろと雫がこぼれ落ちそうだ。 ついには近藤の両手をガシっと掴み… 「俺、今度江戸に戻ったら、ツネさんに頭下げて頼むよ!! 近藤さんを許してやってくれって!」 とまで言い出したものである。 ただひたすらに唖然とする仲間達の中、近藤一人が顏を真っ赤にしながら、もうこらえ切れない…という顏をして… 「………っっっぶっは!!」 噴きだした。 いきなり噴きだした近藤に、これは仲間だけでなく土方も唖然とする。 と、近藤は苦しそうに笑いながら、マッサージの手をやんわりと断って起き上がった。 「嘘だよ、歳」 「………え?」 「全部、うっそ!嘘なんだよ」 「………えええ?」 顏を真っ赤にしながら涙も流さんばかりに笑う近藤に、土方の表情が凍る。 周囲の人々に至ってはもはや意味不明である。 「ツネがそんな事をするはずないだろう? 全部嘘なんだよ!」 「えええ!?」 気の毒な程に目を丸くする土方。 そんな彼に、近藤が笑いながら説明した。 「いや〜、久々に歳が昔の話なんてするから…可愛くって苛めたくなっちゃったよ」 あはははは、と笑う近藤に、事態を理解した周囲は「何だ〜」と一緒に笑いだす。 が、一人笑えないのは土方。 未だに事態を理解しかねているらしい。 「え…え!? 嘘…嘘なのか!?」 「当たり前だろう? ツネはそんな女じゃないよ」 改めて言う近藤の言葉に、土方は漸く理解したらしい。 途端に体の力が抜けたのか、へなへなとその場に崩れ落ちてしまった。 「何だよ〜頼むよ〜ツネさんを夢に見そうだったじゃねぇか〜〜」 「はっはっは!悪い悪い、歳。でも…ツネといえば、時々不機嫌になる時があったなぁ」 目の前に崩れた土方の肩をポンポンと叩きながら、近藤が思いだしたように呟く。 が、もう土方は聴く耳持たずであった。 「知るかよ、夫婦の事なんざ」 「冷たいなぁ、歳は」 ちょっと視線を交す二人。 そしてしばらくすると… 周囲が呆れる程に楽しそうに笑いだしたのだった。 「も〜何だったんだよ?」 平助がぶ〜と唇を尖らせる。 笑いだした二人を残して部屋を後にした一同は、一体何事だったのかと首を傾げる。 「結局、近藤さんの悪戯に付きあわされたって事か?」 新八が呟くと、左之が肩をすくめた。 「まぁしょうがないな〜。江戸じゃ俺達の悪ふざけに、しょっちゅう巻き込まれてたし」 「確かにそうですけどね〜」 総司がにやにやと笑う。 斎藤と島田は試衛館にはいなかったので、黙ってぞろぞろと歩いていたのだが。 総司は笑いながら、歩く一同をくるりと振り向くと言った。 「ツネさんが不機嫌になるのは土方さんのせいだから、良いんじゃないですか?」 その総司の言葉に、え?と一同の目が丸くなる。 近藤の奥方の機嫌が悪いのは、土方のせい…? 「おい、それ…」 訪ねる声に、総司は局長室の方を振り向きながら呟いたのである。 「愛する旦那様が、いっつも親友のことばかり見てるんじゃぁ…」 あ、と一同もピンと来た。 「不機嫌にもなりますよ、ね」 そして一同は、幸せな親友二人の部屋を後に、宴会の続く部屋へと戻っていった。 夜が明ければ来年。 来年も、親しい仲間に笑顔を向けられる朝を迎えよう。 今年も去年も来年も、いつまでも仲間と仲間であり続けられますように。 いつまでもこの笑顔が守られますように。 |
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