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「失礼します」 まだ変声期の途中の少年の声がする。 土方はその声の後に人の気配が背後に感じられても、じっと室内に背を向けて窓の外を見ていた。 遥か眼下に広がるのは未だ見知らぬ部分の多い蝦夷地。 土方は舞う花びらが、実は儚い雪である事に気付いた。 見るめる窓ガラスにじっと自分の背中を見つめる少年が映る。 ちょっと勝気な目をした少年。 黙って立っている姿を見れば、幼い頃の沖田総司の姿が被った。 「……」 土方はかぶりをふった。 その仕草に少年が「?」と首を傾げる。 彼は呼ばれてここに来たものの、さてこの洋装姿も勇ましい上司が何用で自分を呼びつけたのか… 「……どれがバレたんだろう?」 心当たりが多すぎた。 土方がこちらを向いて深い溜息をついたとき、少年-鉄は思わず笑っていた。 そう、まったく邪気の無い笑顔で。 土方は脱力しかかる体を机に両手を置くことで支えて、鉄に言った。 「…お前に命令がある」 「はい!」 ギロッと土方がもたげた頭から恨み深そうな視線を鉄に向ける。 鉄本人はのほほんと土方の次の語を待っていた。 土方の脳裏にこの鉄の様々な偉業がよぎる。 そう…土方を土方とも思わぬ、いや、人とも思わぬこの小悪魔の所業を!! ある時は土方を人間大砲として夜空に飛ばし。 ある時は土方の寝所を大人たちを煽って襲撃し。 ある時は土方は危うく遊女街に遊女として売られるところだった。 長く辛い戦いだった… 思わず土方の胸にじ〜んと熱いモノがこみあげる。 それを見ていた鉄の目にも何だか知らないが、じ〜んと涙が潤んできた。 2人は思わずガシっと手を握りあった。 「…鉄!」 「副長!!」 2人は暫く見つめあうと、ふっと正気を取り戻した。 そして土方は少し嬉しげな笑みさえ浮かべながら、机の脇に立て掛けていた刀と懐から1枚の紙切れと思える物を鉄に差し出した。 鉄が「うん?」と首を傾げる。 土方は戸惑う鉄の手に、無理矢理二つの物を握らせるとこう言った。 「…江戸へ帰れ、鉄」 そう呟く土方の声は重く、しかしこの若者の明るい未来を願ってか、または自分のこれからの安眠を祝ってか嬉しげだった。 鉄が手にした刀と紙切れを交互に見る。 「これは…」 「俺の兼定に写真とかいうヤツだ」 「何故これを私に…?」 真剣な眼差しで土方を見る鉄に、土方は少し照れ臭そうに視線を外した。 「まぁ…な。俺も少しこの世に未練が出来たのかもしれん。生き残りたいという事ではなく、自分の生きた証が一つくらい後に残っても…良いじゃねぇか」 ふふ、と土方は笑う。 彼の心にはあっという間に駆け抜けた新選組と、あっという間に彼の元を去っていった仲間達の姿が去来していた。いつの間に一人になったものか…。 行方知れずの仲間も多いが、一体誰か自分や近藤や沖田達の事を伝えてくれるものがあるだろうか。 自分たちがもう時代に逆らっているのだという事は判っている。 それ自体に文句はない。 漢は己の信ずる道を生きるものだ。 だが… だが、そうして生きた自分たちが死とともに、空気に分解していくのが何とも寂しかった。 だから、写真というものを取ってみた。 この不思議な西洋のカラクリは、鏡に映った自分の姿を紙に焼き付ける。 この不器用な男の肖像を、その手に握った刀と一緒に誰かに託したかった。 確かに自分たちはここにいたのだと。 確かにこの時代に存在していたのだと、誰かに叫びたかったのだ。 土方は再び窓の外に視線を転じる。 そこに広がる大地。 今は不毛の地かもしれないが、いつかここにも街が出来、人が増え、異人が闊歩する時代が来るのかもしれない。 そんな連中に、ここで死んでいったものがいた事を伝えてどうするわけでもないが…。 土方の胸中に様々な思いが巡る中、鉄はじぃっと写真を見つめていた。 土方は物思いから戻り、鉄に言った。 「外国船に手続きをとってある。すぐに出ろ」 にべもなく言った。 鉄が「嫌だ」と言うかと思った。 鉄はじっと土方の目を見つめている。 この若い瞳に、自分はどんなに映っているのだろう。 しばしの沈黙の後、鉄は黙ったまま一礼をすると、手にしたものを大事に抱えたまま部屋を後にした。 土方はちょっと拍子抜けしたが、すぐに「いいさ」と誰にともなく笑った。 その時は、笑っていられた。 夜。 土方はいつになく静かに寝所にいた。 静かなのは土方が、ではなくて周囲が、である。 彼はやっぱり鉄がいないのが大きいな…と布団に横になる。 若い命を救えて、自分は一時の安眠を得られて…ああ、満足。 土方が近年稀にみる程充実した気持ちを味わっていた時、それを壊したのは彼の腹心の部下だった。 「ふふふふふふ、副長〜〜!!」 ドスーンっと強引な動きで島田の巨体が土方の枕元に滑りこんできた。 ちくしょ〜〜っと思いつつも、土方はすかさず「何だ!?」と怒鳴っていた。 思わず布団を抱きしめて上体を起した土方に、島田が真っ赤な顏で何かを差し出す。 「こ、こ、これは、これは一体…」 「ああ!? 何が一体だってんだ? こっちが聴きてぇ」 「これは一体どういうつもりですか!!」 何やら自分が抗議を受けているらしい。 土方はむっとしながらも、島田の差し出した1枚の紙を受け取った。 誰かからの斬奸状か…?と見れば、それは中々の二枚目が腰掛けている姿が映った写真だった。 ちょっと画面が荒い。 「ふ〜。良い男じゃないか」 土方が島田に確認する。 そんな土方に島田は疑問の視線を投げ掛けた。 「そりゃ判ってますよ、本物が目の前にいますからね」 「ああ? 俺を誉めても何も出ねぇぞ?」 かっかっかっかっと笑う土方を島田がじ〜と見つめる。 そして次の瞬間土方は切れた。 「こりゃ俺の写真じゃねぇか〜〜!!」 島田はそんな土方の叫びを「ふぅ」とどこか疲れて聴いた。 土方は寝巻きのまま後ろに島田を従えて、ずんずんと廊下を歩く。 どうも今夜は静かすぎる。 いつもなら集団で集まって騒いでいる連中やら何やらがいるというのに、今日は何故か非番の者は大人しく部屋に、当番で起きている者も酷く言葉少なに職務に就いている。 土方はその中から無作為に数人を選び出し抜き打ちの所持品検査を行った。 すると… 「……何で俺の写真がこんなに……!!」 「これ、ご自分で持っていたんじゃないんですか?」 島田が1枚を胸に仕舞いながら尋ねる。 「持っていたとも!! んで、今日江戸へ帰る鉄に渡して…」 「鉄ならいますよ?」 「…は?」 「鉄なら夕方えらく上機嫌に外出先から戻ってきましたが…?」 島田の報告に土方の眉間の血管が浮く。 土方が思わず回収した数枚の写真をぎゅぅうっと握り潰した。 「ああ、勿体ない」と島田が思わず叫ぶのも無視して、土方は叫んだ。 「鉄ぅうう〜〜〜!!」 「は〜い」 返事は早かった。 あまりの早さと明るさに、一瞬土方の動きが止まる。 「何ですか?」 「何ですか?って、お前江戸に帰れって…!!」 「旅賃が足りなかったんですよ〜」 「十分渡しただろうが!!」 「いや〜それが〜」 顔面を近づけて怒鳴る土方に、鉄がひょうひょうと笑う。 するとそこに更に間の抜けた声が響いた。 「やあ土方君!!」 その声に土方の肌に鳥肌が立つ。 「お、大鳥…」 「はっは〜どうしたんだい、怖い顔して」 えらく上機嫌な大鳥は、相変わらず奇妙きてれつな格好をしている。 今日は襟の部分にフリルが3重に巡るゴージャスなガウンに、サテンの輝くズボンを着用していた。 何故かウエスト部分にはスパンコール使用の輝く帯が。 島田はふと「苦しくないのかな?」と真剣に思った。 「また一緒に寝てくれって話ならお断りだ!!」 土方が先手を打って宣言する。 が、大鳥はわざとらしく肩を上げると「大丈夫さ」と笑った。 そして大事そうに懐から1枚の写真を取りだすと、それに頬擦りをして呟いた。 「これからはこの写真を枕元に置いて眠るから大丈夫さ〜♪」 「あ、あんたまさかそれは!!」 うげぇっと唸る土方に、大鳥は「ふふ」と笑う。 「鉄君に売って貰ったんだよ」 ははははは〜っと大鳥は歌うように笑いながらその場を去っていった。 「売ってもらった…?」 土方は立ち去る大鳥から写真を回収する事も忘れ、その言葉を頭の中で繰り返した。 そして。 「鉄〜〜!! てめぇどういう事だ〜〜!!」 「だって外国船のヤツが「焼き増し」とかいうのをしてやるから、写真を1枚くれって言うんですよ」 が〜〜っと怒りながら追いかける土方に、すばしっこく動きながら鉄が説明する。 「面白いから有り金はたいて「焼き増し」とやらを出きるかぎりしてもらったら、駄賃がなくなっちゃって」 「誰がてめぇにそんな事しろって言った!?」 「だから写真を売って駄賃が出来たら帰りますよ〜」 きゃはははっと笑う子供を追う鬼。 島田はとりあえず2人を追いかけながら、ちらっと窓の外を見た。 「てめぇは毎晩毎晩こうして俺を怒らせなきゃ気が済まないのか!!」 「副長が気にしすぎなんですよ〜」 「何だと!! この、俺の安眠を返しやがれ!!」 土方の悲痛な叫びを聞きながら島田は思った。 『おいたわしや副長…もう、夜が 明けます』 窓の外から見える景色は、すでに朝日をうっすら浴びつつあった。 時代の激流の中を生きる人々の様々な思いを包んで夜は明ける。 それがどんな目覚めになるかは…天の預かり知るところではなかった。 ぜぇぜぇと息の荒い土方へ鉄の一言。 「副長、寝不足はお肌に悪いですよ」 土方がその場で倒れたのは言うまでもない。 |
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