歳も歩けば池にはまる

暖かい雪

新年を迎えた新選組の屯所では、今、奇妙な熱気が渦巻いていた。
大広間に集まった新選組の隊士達。幹部も平隊士も全てがそこに揃っている。
その中心にいるのは、土方歳三。
不本意と顏に書いてあるが、そんな事は誰も気にしない。
そして今、隊士の山崎が淡々と口を開く。



「さ」
たった一言、一文字で、男達から殺気に似た熱気が迸る。
そんな空気に驚きもせず、山崎は言葉を続けた。


「逆らえば、逆らうほどに可愛い副長!!」


山崎がそう言った瞬間、男達が動いた。
勿論土方も、である。
彼らは一斉に広間の中心に向かい…………
そこにばらまかれた文字札に飛び付いていた。



ドドドドドドドド!!!
まるで土砂崩れの様な音を立てた男達の中心で、「よっしゃ〜〜!!」と土方が腕を振り上げた。
その手には、今山崎が読んだのと同じ文句が書かれた札がある。
彼の周囲では隠しもせずに、「ちっ」と悔しがる隊士達。
対して不本意土方の顔は少し上気して、そして少し安堵していた。
「…歳も大変だなぁ」
近藤がそれを見ていて呟く。
「なら止めさせたらいかがですか?」
近藤の横で斎藤が尋ねると、近藤は少し上を向いて考えてから…首を横に振った。
「見てる分には面白いし」
そう笑う近藤から土方に視線を戻し、斎藤は思った。
「…副長の悲劇はここにある」
と。





彼らが何をしているのか。
「何でカルタがこんなに殺気を帯びてるんですか?」
島田が不安げな顏で尋ねる相手は、淡々と文章を読む山崎。
「あ? 景品が副長だからに決まってるじゃないか」
「はぁ!?」
「お前さっき説明聴いてなかったのか?」
「………だって、私は副長の部屋のお掃除を…」
「お前って副長の小姓か?」
思わず見つめあう二人。
ここで「違う」と言えない島田は問題だが、とりあえず山崎は溜息をつくと言った。
「正月だし、皆でカルタ大会しようって事になって、じゃあ景品があった方が燃えるだろうって事になったんだよ」
「何で副長が景品なんですかっ」
抗議する島田を、山崎はちらりと横目で見た。
「…副長が、「じゃあ景品はお前らの望むものを」って自ら提案されたんだ」
「………あ〜あ…」
土方はまだ自分の魅力ってものが判っていない…と島田は脱力した。
自分を狙うハイエナ達に「何が欲しい?」と訊いてどうするんだ。
「そんなところがまた可愛い…」
ボソっと呟く島田を他所に、山崎は次の言葉にかかっていた。



「や、止めて止めても好きのうち!副長の止めては無視しよう!!」
その山崎の放った言葉に、島田がぶ〜〜っと吹き飛ぶ。
「な、何ですかそのカルタはっっ!?」
「永倉さんと原田さんが作ったんだよ」
驚く島田に教えてくれたのは、近藤の隣から離れた斎藤だった。
彼はどうやらこの戦いに加わってはいないらしい。
そしてそんな斎藤を見る島田の耳に、土方の絶叫が響き渡る。
「どけどけどけどけ〜〜!!」
何と彼は愛刀を振り回しながら札に向かって走っている。
はっきり言って、大人げないなんてもんじゃない。
が、彼は彼で必死なのだろう。
「おっしゃぁあ!!」
「ああっまた副長にっ」
土方の手が無理矢理札を掴み挙げると、隊士達から落胆の声が響く。
「土方さん刀はずるっすよ〜」
「五月蝿ぇ永倉!何だこのカルタの文章は!?」
「え? 本当のことしか書いてないっすよ?」
「原田〜〜!てめぇら後で見てろよ!」
文句が言えない平隊士の中から、永倉・原田の幹部コンビが顔をのぞかせる。
彼らの手にも幾枚かの札が握られていた。
叫ぶ土方に、二人は笑った。
「副長も、負けたら後で覚悟…ですよ?」
ひひひひひひ…と意地悪く笑う二人と、その周囲で邪な視線を送るハイエナ達を見て、土方はゾゾゾゾゾ…と鳥肌を立てながら怒鳴った。
「山崎!次だ!!」
「はい…では」
あくまで淡々とした山崎。
その横にいた島田は決意した。
「副長!私がお味方をします!」と、飛び入り参加したのである。



「う、潤んだ瞳で見つめないで副長!!」
「か、我慢の限界、副長の部屋に今夜侵入!!」
「ひ、秘密の部屋は副長の床の下!!!」

「俺の部屋の下を調べろ〜〜っ!!」
土方の絶叫が響き渡る中、着実に勝負は進行していく。
とにかく負けたくない土方が刀を振り回すので、怪我人も続出だったが、近藤が何も言わないので勝負は続く。
「も、腿も美しい副長の足!!!」
「見たのか!? 誰か俺の太股を見たのか〜〜!?」
ぶちっと切れたらしい土方が、怒り狂って刀を振り回している。
これでは札を取る前に殺されてしまう。
「お前ら好き放題書きやがって〜!!」
「ふ、副長落ち着いて下さいっ!!」
思わず島田がその背中に飛び付いて、土方を羽交い締めにした。
「放せ島田っ!!!」
「危険ですっ!落ち着いて下さい副長!!」
わーわーぎゃーぎゃーと騒ぐ土方を島田が押さえている隙に、他の隊士が目的の札を取ってしまった。
それを見た土方の動きがピタリと止まる。
そして…
「そうか…お前も俺の敵だったんだな、島田……」
低い声がそう呟いた。
「ち、違いますよ!! 私は純粋に死人が出ないようにって!」
「そして札は取られて俺は生け贄決定か? あん!?」
「副長信じて下さい、私は断じて〜〜!!」
青い顔になった島田が土方にすがりつく中、山崎は淡々と次の語に進んでいた。
「あ、愛してます好きにしてと、副長が言った!!!」
その山崎の声の瞬間、再び土方の動きが止まった。



「ふ、副長がそんな事言ったのか!?」「マジで!?」「だ、誰に誰に!?」
いきなりの事に室内が騒然となる。
「そ、そんな事を副長が言うはずが…」
はっはっは…と土方に代わって誤魔化そうとした島田だったが、何故か土方が同調して来ない。
恐る恐る島田が土方を振り返ると、そこには顏を赤くした土方がいた。
「もしかして…」
島田が固まる。
「もしかして…言ったんですか?」
その島田の質問に、土方は真っ赤な顏で見つめ返すだけ。
それは頷いたも同然の行為だった。
土方のその意外すぎる反応に、室内全体がシーンと静まり返った。
皆黙って土方の赤い顔を見つめている。
そしてその視線に堪え兼ねたのか、土方は…突然走り出した。
「ああ!?」
驚きながらも手を伸ばした島田だったが、土方はするりとその手をすり抜けて走り出す。
その本気の走りに島田はもちろん、その場にいた全員が確信してしまった。
「言ったのか…」と。



逃げた土方はとりあえずおいておいて、島田は永倉に詰め寄った。
「永倉さん!! 副長は一体誰にあんな言葉を言ったんですか!?」
「知らん」
「知らんって、あなたがあのカルタを…!!」
「いや、あの札は俺じゃない。左之か〜?」
嘘をついている様子もなく、永倉は不思議そうに原田を振り返った。が、その原田も首を横に振る。
じゃあ、誰が…?と一同の胸に疑惑が渦巻く中、山崎が呟いた。
「で、勝負はどうなるんだ?」
「…………そりゃ、副長がいないんじゃぁ燃える材料が…」
景品が無ければ戦えない…と隊士達が戦意を失ってしまったので、カルタ大会はその場でお開きになってしまった。





だが。
土方はその日、屯所から姿を消して帰って来なかった。
一晩程度ならば大の大人の事だから誰も心配しない。
けれども土方はその翌日も、その次の日も、帰ってこなかったのである。
新年早々の土方の失踪劇に、屯所は騒然となった。
「副長がそんなに傷ついてしまったなんて」
「誰を想っているのかは知らないが、副長は本気だったんだ」
「副長に謝って戻ってきてもらおう」
「そうだ!俺達には副長が必要なんだ!!」
自然と盛り上がった隊内のムードは一気に高まりをみせ、土方捜索隊の結成・行動に移っていった。
あの札を書いたのが誰なのか、誰も知らないままに…。



近藤がそっと庭に足を降ろし、井戸端の方へ向かうと、背後から人の気配が近づいてきた。
「局長!」
「……お前らか」
近藤がゆっくり振り向くと、そこにいたのは島田や永倉・原田、斎藤達であった。
屯所がやけに静かなのは、平隊士達が巡回のほかに副長捜索に出ているからにほかならない。
「局長は副長がどこにいるのか、ご存知じゃないんですか?」
島田の言葉に、近藤は首を横に振った。
「いや、俺は知らん」
「でも局長…」
島田を始め、仲間達の真摯な顏に近藤は優しく笑う。
「ただ、あの文を書いたのは誰かは、知っているよ」
そう言いながら、ゆっくりと井戸の蓋に手をかける。
そこはしばらく使われていない。屯所には他にも井戸はあるし、何より今、隊士達は体を洗うことよりも土方を探すことに必死になっている。
毎日の行動-顏を洗う、歯を磨く、体を洗う-事ですら忘れさせる程に、隊士達は土方を欲していたのだ。
失って始めて気付く事もある。
「あの文はね、歳が書いたのさ」
にっと笑う近藤の言葉が、島田達には一瞬理解出来ないようだった。



「いつもいつも歳がただ災難にあって怒ってるだけと思ったか? あいつは副長として、隊士に何が必要かよく判っているのさ」
近藤の言葉に、島田達は顏を見合わせる。
「じゃあ、まさか副長は今回も、自分が景品にされるって見越してて…?」
「…だろうな」
そう近藤が答えると、永倉も原田もちょっと気恥ずかしげに頭を抱えた。
「局長は、本当に副長がどこにいるか、知らないんですよね?」
「ああ、知らんよ」
「じゃあ…」
永倉は照れた様に口を開いた。
原田達も同じような顏をしている。
「俺達も、土方さんを探してきますよ」
そう言って近藤に一礼をすると、彼らは踵を返して走り去っていった。



その背中を見送りながら、近藤はクスッと笑う。
手を突いていた井戸の蓋を軽く叩いて、近藤はそれを開けた。
中は暗くてよく見えないが、確かにそこに何かがいる気配がした。
「なぁ、歳」
近藤は井戸の中に語りかける。
「もう照れてないで出てきたらどうだ?」
返事の無い井戸の底に、近藤は続けて語る。
「お前がいないと、ここは火が消えたようだ。隊士達も寂しがってる。あの文の真意は、ちゃんと皆に伝わっているよ」
クスクスと笑いながら語る近藤。
端から見れば、井戸を相手にした独り言である。
だが…
「…判ってるよ」
小さな小さな声が、井戸の中から響いたのである。
それを聴いて、近藤は黙って頷いた。
井戸の中で一体どんな顔をしているのかと想像しながら、近藤は最後にこう言った。
「待ってるから、早く出てこいよ」
そうして、彼は井戸の側を離れたのである。
隊士達にばれないように、判らないように、平然を装いながら…




そして井戸の中。
土方は考える。
カルタ大会で思わず本音を書いた札を混ぜたは良いものの、それを聴いた仲間の反応に…思わず飛び出してしまった。
照れ臭くって何だか寂しくって。
そして「穴があったら入りたい」とは良く言ったもので、慌てて井戸に飛び込んでしまったのだ。
すぐに戻るつもりで。
まさか一晩も二晩も明ける気はなくて。
「近藤さん…俺…」
土方は今はもういない近藤に語りかける。
「俺……」
近藤が開いていった井戸の蓋から、白いかけらがハラハラと舞い降りてくる。
それは白い結晶。
土方はその降りかかる小さな粒に顏をしかめて…言った。



「俺……詰っちゃって出られないんだ…」


だが、その声を聴くものはいない。





そして土方が救出されたのは、雪解けも眩しい、ある晴れた朝の事だったという。



「歳ってば意地っ張りだなぁ」
「違うよっ!!」







□ブラウザバックプリーズ□

2008.6.9☆来夢

井戸で貞子と遭遇!?




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