見えているか、その十字が

新しい歌

目が慣れてくると、その独特の聖堂の形状が判ってきた。
この聖堂は、中央にドームを持ち、それを中心として縦横の長さが同じ十字形となっている。
聖なる十字の中央で、十六夜は男に銃口を向けたまま尋ねた。
「最初から有明が狙いだったの?」
右側から僅かなオレンジの光を受けて、彼女の姿が半分だけ浮かび上がる。
男ーアポロンは相変わらず首から上だけの存在だったが、ちらりとそんな彼女を見やり、笑った。
「名は知らん。誰でも良かった。たまたま、彼だっただけだ」
「誰でも良くて、その誰かをドカンってやろうってのか!!なら何故俺にしなかった!」
空間に響く望月の怒声にも、男は動じる気配を見せない。
彼はただ視線を動かすのみで、闇の中に浮かび上がる存在でしかなかった。
沈黙が支配する気配を打ち破る様に、十六夜の携帯電話が鳴った。
男の動じない様子を見ながら、彼女はそれを受け取ると、ただ黙って耳を傾けた。
そして、静かに通話を終えると、男に向かって言った。
「あなたはもう、爆弾を作れない」
「…!」
十六夜が断言すると、男の視線が彼女を向いた。額の中央に銃口を向けられていると判っていても、そこに恐怖も余裕も何も存在しない。
十六夜は望月に聞かせる為に、アポロンの様子を観る為に、今受け取った報告を語った。
アポロンの妻子を襲った事故の事を。
その間、彼は眉毛一つピクリとも動かさなかった。
「引退のセレモニーのつもり?」
「ふざけるなよ、おい…っ!」
左右から響く疑問と怒声に、男はふっと視線を俯かせた。
濃いまつ毛が男の頬に影を落とす。
室内に届く光が刻一刻と弱まっていく。
どんどんと暗闇に沈む聖堂の中にあって、そもそも闇の住人だった男は瞼の下に黒い影を落とした。
「キーワードを入れれば良いのだ」


有明は爆発物処理室に1人で入っていた。
白い防壁に囲まれた殺風景な部屋の真ん中で、頭を抱えるようにしてしゃがみ込んでいる。
その頬が一日という時間も経っていないのに、酷くこけている。
心なし青ざめた顔を見ながら、捜査員が強化ガラス越しに彼に新しい情報を告げた。
「お前の頭に細工をしたのは、お前の入院した病院の担当医だ」
「…え?」
「日本人に見えたが、奴も相沢園出身のギリシャ人だったのさ。アポロンに同情して協力したんだ」
有明は思わず苦笑を漏らした。
同情で人の頭に爆弾を付ける医者か。
「時間はあと幾らだ?」
「あと2時間ちょっとです」
あくまで明るく答える有明に、思わず誰もが壁に掛けられた時計を見る。
あと2時間。
あと2時間のうちに正解を導き出さなければならないのか。

望月と十六夜の顔にも濃い影が落ちる。
腕を上げたまま、狙いを定めたまま微動だにしない2人の耐久力にアポロンは笑った。
「大したものだな。撃ちたければさっさと撃てばいいものを」
「…そうしたいのは山々だがな、俺にも…信念がある」
「…くくっ…そうだな…誰しも何かしらの信念はある」
暗闇の中から、灰色の何かが姿を現した。
ゆっくりと何かをすくい上げる様な動きを見せたそれは、アポロンの義手。
「どうして義手に?」
「…君らには関係ない」
十六夜の問いにアポロンはすぐに手を引っ込めると、どこか遠いところを眺める視線になった。
「…失われたものは、決して戻ってくる事はない。そう、決して…」
「失ったものを求めたお前のセンチメンタルに、有明を巻き添えにしようってのか!!それを、俺の娘の両手を奪ったお前が、お前が言うのか!!」
激高する望月の声にも、アポロンは同じ表情を崩さなかった。少し、遠くを見つめた微笑み。
「誰かに…聞いて欲しかった…」
そう言って、彼は望月を見た。


白いばかりの殺風景な部屋の中で、頭上から流れてくる気配にトグサが顔を上げると。
そこから、怒ったような困ったような、そんな空気を滲ませた声が落ちてくる。
「キーワード入れたら、飲み行くぞ」
「は?」
いつの間にやら処理室内に入ってきた先輩捜査員達。彼らの出現に有明のみならず、部屋の操作を担当する技官たちも呆気にとられていた。
「おいおい」
次々と顔を見合わせて中に入って行く捜査員達を、技官たちが止めようとするが誰も耳を貸さない。
気付けば観察する側の部屋より、観察される側の部屋の方が密度が高くなっている。
増えた人の気配に、有明はゆるゆると顔を振った。
「何ですか、皆して」
「どうせ皆で移動するんだ、ここで待っててやる」
「望月さんと十六夜も合流させるぞ」
傍らに腰を付いたり、壁に寄りかかったり、物珍しそうに天井を眺めたり。そんな仲間達に囲まれて、有明はちょっとだけ困ったように顔を伏せた。
「キーワード入れたら、今度は酒かぁ…参ったな」
「覚悟しておけよ」
ポンと有明の頭上に置かれた手は、優しい男の手だった。

相沢園・イミグレーション・タイトルマッチ・イコン。
ヒントはそれだけ。
何故それらがヒントに選ばれたかは判ったが、そこから導き出されるキーワードとは何だろう。
考えろ、考える事が俺の生きる道だろう。
有明は隈の出来た目で宙を睨みながら、必死に思考を巡らせた。
目の前には相変わらず無感動なイコンと、減り続けるタイムリミット表示。


妻を失い、子を手放し、手にしていた技術も生きる術も失った男が提示したキーワードとは。
相沢園で育った妻を失い、イミグレーションから祖国を思い、タイトルマッチで失った生身を惜しみ、イコンで祈りを捧げた。


有明は考えた。
自分ならどうだろう、と。妻を失い、自分の生きる道も失い、そして子供たちを手放さざるを得なくなり、更にはこの体すら失ったとしたら。
それを血が求める故国から離れた地で味わったなら。何を思う。何を鍵にする。
考えるんだ、考えるんだ。
何を思う、何を憂える、何を願う?


十六夜は考えた。
失ったものに対するセンチメンタルだけなら、自己陶酔で終われば良い。誰かを使ってでも叶えたい願いか、伝えたい思いか、何かその一言でこの男の今を主張できる言葉。
キーワードはきっと、そんな意味を持つものだ。
そして、この男の完結する道がどこかを考えるのだ…と。
有明の頭を吹き飛ばして、この男は何を完成させるというのだ?
こちらが正解を導いたとして、この男は果たして何を得るというのだ?
男はイコノスタシスに佇み、これから聖職者になるという。
聖なる彼岸で、男はどうやって聖職者になる?


時間が過ぎる。
望月のこめかみを汗が伝うが、もうそんなのを拭う余裕もない。
考える、ただそれだけの事に集中していた。
ひたすらに考えて考えて、たった一つの答えを求めた。
もう3年間も、求め続けた答えを。

時計が刻一刻と流れを刻んでいく。
1時間を切り、誰の表情にも苛立ちが濃くなっていく。
「有明の頭のやつ…外せないんだな?」
「…出来ればとっくにやってるでしょうよ」
アポロンと対峙する2人にも、嫌な汗が流れ始めていた。
それは生理的な熱から生じるものではなく、何か別の現象が流れさせている汗。
このまま黙っていても、有明は死ぬ。
やみくもなキーワードを入れても、有明は死ぬ。
「……何がしたいっていうの…っ」
十六夜の小さな呻き声に、望月は深呼吸をした。
落ち着け、落ち着くんだ。
何がしたい…考えろ…この男が望むものとは何だ? 破壊衝動か? 自身の存在を知らしめる事か? 何を伝えたいんだ…アポロン!!!
「私は有明のバカが死ぬなんて信じないわよ。私…私はまた必ず生きているあいつの顔を拝むんだから!」
十六夜のその言葉を聞いて、アポロンの口が、優しく歪んだ。
「…………っ!」
ハッと、望月が息を飲んだ。

時間がない。
ほんのあと30分ちょっとで、自分の頭が吹き飛ばされるというのか。
有明は頭と膝を抱えて体を小さくしながら、まるで襲い来る波に耐えるような姿勢を取った。
考えられない。何で死ななくちゃならない。
このままもし本当に爆破されたとしたら、親は、家族は、同僚は、友人達は、どんな思いをするだろう。
瞼の裏に思い浮かぶのは、皆の笑顔ばかりだ。
その笑顔が、どんな苦痛に歪むのかなんて、想像だってしたくはない。
娘の両手を失った時、望月は静かに立ち尽していたという。
心で泣いていたのだろう。
手が届かない場所で、大切な人を傷つけられる痛み。
許されない。
絶対に許される事じゃない。
俺は生きたい。
生きたいんだ。
家族の顔を再び目にする為にも。友人達と再び会う為にも。仲間と仕事を続ける為にも。
俺は…っ!!!
ハッと、有明が息を飲んだ。
「…もしかして!」
彼の突然の叫び声に、捜査員達が一斉に息を飲んだ。

「…まさか!?」
望月も突然声をあげていた。
目の前で悠然と佇むアポロンは変わらない。
その余裕が余計に望月の中に確信を産んだ。


相沢園・イミグレーション・タイトルマッチ・イコン


「判った…!! 判ったぞ!!!」
有明の顔に歓喜の色が浮かんだのを見て、捜査員が十六夜の携帯を鳴らした。
『有明の奴がキーワードを…』
「本当に!?」
わっと望月を見る十六夜の目の前で、彼は厳しい表情で叫んだ。
「待て!まだキーワードを入れるな!!!」
「何言ってるのよ、キーワードさえ判れば…っ」
「黙ってろ!駄目だ、まだ…まだだ!!」
時間が残り少ない中で、待ったをかける望月に十六夜が眉間に皴を寄せた。
その瞬間、その伝言をどう伝えようか、十六夜が数秒迷った瞬間。


有明は視界に浮かぶキーワード入力欄に、確信を持って4文字の言葉を入力し始めていた。
それは。



「あ」
望月がアポロンを睨む。
「い」
アポロンの笑みは揺るがない。
「た」




望月は「ちぃっ」と叫んで、先ほどは入る事を避けた柵に手を掛けた。
驚く十六夜の目の前で、望月の体が闇の中へと突進する。
だが、アポロンは揺るがない。
その存在そのものが揺るがない。
「望月さん!?」
「待て、アポロン、待つんだ!!!」
望月は手を伸ばした。
目の前にいるアポロンに。
しかし、その存在は闇に誤魔化されて、近いようで遠い。
手を伸ばしても、まだ届かない。
あの時の娘の様に、遠い。
あの時の娘の様に、儚い。
その、数瞬の最中に。


有明が最後のキーワードを入力した。


「い」


そう、それは、たった4文字の叫び。
「あいたい」




妻に、娘に、故国に、この思いを判ってくれる誰かに。
ただ、会いたかった。
アポロンの叫び。
自らの愚かな仕事に、取り返しのつかない犠牲をもって漸く気付いた男の、叫び。
その手で奪った命に対しての、叫び。



それを有明が入力し終えた、直後。




「待てっ!!!」
「望月さ…っ!」
望月と十六夜の声が交差する中。
ドームの中央。
イコンのとどまりし、聖なる彼岸の地にて。





アポロンの首が、爆発し、吹き飛んでいた。











初出…2008.11.9☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

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