思考の海は停滞し腐敗する

新しい歌

『いや〜それにしても凄い騒ぎでしたね』
TVから流れるのは有名なアナウンサーの声。午後10時台に最も視聴率を稼いでいるニュースチャンネルの中で、洒落たスーツを着た中年男性の右上に「タイトルマッチに花火?」という見出しが光っていた。『幸い閃光弾には紙吹雪しか仕掛けられておらず、怪我人は出なかったという事なんですが』
『両陣営ともそれぞれの妨害工作じゃないかとコメントしてるのが気になりますね』
『そうですね、ただ何にしても試合は延期を余儀なくされたわけですから、これはちょっと選手側も主催者もまた観客も大迷惑という…』

プチ。と画面が遮断された。
「結局アポロンは見つからず仕舞いか」
「視界が戻った時には、観客席は混乱でぐっちゃぐちゃ。我先に出口に殺到する観客が将棋倒しを起こさなかったのが軌跡よ」
どすんっと音を立ててソファに腰掛けた望月から、不機嫌というオーラを感じた。十六夜はそれも仕方ないと溜め息をつく。同じ空間にアポロンがいたのだ、彼の掴み損ねた手の平は空気を握りしめるしかない。
「続けましょう」
「はい」
十六夜の声に、有明が頷いた。
3つ目のヒントを機に、彼の身柄は病院から署へと移されていた。万が一の事があった際、病院では被害が拡大する恐れがあったからだ。幸いにして、署には爆発処理専用の部屋がある。それを使う時は、彼にとって幸いになりもしないが。
似顔絵担当官を前にして、有明は視界に映る映像を必死に言葉にした。
「しかし…何だよこりゃ」
「………女神像でしょうか?」
担当官が困ったように答えるのも無理は無かった。

最初に目に飛び込んできた女性(らしき)の姿が右上で微笑み、中央に腰掛けるあごひげを生やした男性に視線を注いでいる。民族衣装を纏った様なその男性は、豪華な椅子に腰掛けその周囲をギリシャ語と思しき文章や文様に囲まれていた。
まるで、宗教画の様な…そう、絵、である。
「教会?」
「教会がこの街だけでいくつあると思う?」
曖昧に過ぎるヒントに十六夜もお手上げだった。
しらみつぶしは警察の十八番の様なものだが、いかんせん数が多い。教会という解答が当たりなのか外れなのかも判然としない。
とにかく場所を絞り込む何かが無いかと、有明も必死で見える限りを説明していた。
「他の人達は?」
「消息不明のギリシャ人やら子供やらを探ってる。勿論、爆弾犯アポロンの捜査もな」
「私、ちょっとお色直しして来ようかしら」
十六夜の言葉に、「は?」と望月と有明が一緒に顔を上げた。
「教会って、身だしなみをきちんとしないとね」
「…俺もか」
「無精髭くらいは剃ったらどうかしら。…私の為に」
一緒にいてむさい、と呟いた十六夜に望月がちょっとだけ眉をしかめた。

「パパ、髭が痛い」
確か、そんな事を言われた事があったな、と鏡に映る自分の顔に望月は思った。
素直に髭を剃りながら、望月の頬を撫でた小さな手を思い出す。
小さくてか弱くて、この世の罪を何一つ知らない手だった。
「アポロン…」
お前は何がしたいんだ。
本当にお前が犯人だとしたら、お前の望みは一体何なんだ。
「何故、俺の前にまた現れたんだ…」
アポロンが犯人だという確証は、無い。
ただ彼がギリシャ人というだけで、今回は彼が手製の爆弾に付ける太陽のマークも発見されていないのだ。あるのは、赤毛の女の子だけ。
それでも望月はアポロンが犯人に違いないと感じていた。
赤毛の女の子が、そう思わせるのだ。
まるでそれは、彼のプレゼントによって両手を失った我が子の様に思えて。
「…子供…か」
相沢園から始まり、イミグレーション、タイトルマッチと続いて、さぁあれは何だ?
果たしてここまでの道のりの中に、キーワードのヒントになる物が本当にあったのだろうか。
最初の相沢園こそ爆破したが、イミグレーションはただの人形、タイトルマッチは紙吹雪入りの閃光弾だった。
赤毛の女の子だけが、舞台に登場しては去っていく。
女の子…女の子供。
太陽の代わりに、子供?

足音もあらわにお手洗いから出てきた望月に、本当に着替えてきた十六夜が驚く。
肌の露出が少ないパンツスーツになった彼女に、望月はこざっぱりとした顔を向けて尋ねた。
「相沢園に残ってたギリシャ人の子供って…女の子か?」
「えっと…聴いてみるわ」
彼女はすぐに携帯で担当の捜査官を呼び出してくれた。
耳に響くのは、顔なじみのだみ声だ。
『ああ、今会ってきたばかりだ。何で判った?』
繋がった。
何となく望月の脳裏にそんな感触がした。
「あんたじゃ泣かれただろう?」
『そう思うだろ? ところが案外度胸のある女の子でな、髭が濃いって笑われたよ』
一瞬、自分の娘の顔が胸を過った。
強面の訪問にも泣かない女の子…良い心臓だ。
「親は?」
まともに存在していれば、孤児院に預けられたりはしていないだろう。
『母親は死亡している。例の死亡1名ってのがそうだったらしい』
「父親は?」
『不明の中にいるかもなって話だ。会いに来たって話も無いし、不明の3人を追ってみる』
「なるほどな」
1人で頷く望月に、十六夜が眉根を寄せた。
「一体何を…」
通話を終えた携帯を十六夜に返すと、望月は必死に自分の眉間を指で叩いた。
何かを思い出そうとしている、そう昨日のあの狂乱の会場からの報告。
「義手って、報告あったよな?」
「え、…ええ、そうね、人形を投げ込んだ手が義手に見えたって件でしょう?あれだけの人数の中でだから、見間違いって事もあるかもしれないけど」
望月の知るアポロンは、義手では無かったはずだ。

「もしかしたら…あくまで仮説だが、アポロンが相沢園に残っていた女の子の父親だとしたら?」
相沢園で女性と知りあい、子供をもうけるも何らかの理由で女性は死亡。子供を育てられる環境に無いー爆弾犯なんてやってりゃそうかもしれないーアポロンは、相沢園に子供を預けたのではないか。
「会いに来ない父親がアポロンだとしたら…会いに来れない理由があるのかもしれない」
そうだ、考えろ。
望月は両手でパシャリと自分の頬を叩いた。
「理由って…そうね、母国ではない国で子供を預ける理由は分かるけども」
「アポロンは古いタイプの職人だ。こつこつ手作りで一つずつ丁寧に作ってたんだろう。だからこそマークなんぞ入れやがる。プライドも高いはずだ。結構天才肌かもしれん。仕掛け事態はシンプルだが、逆に解体が困難だ。請け負った仕事はほぼ確実にこなしていて、こなせないと踏んだ山は受けない奴だったと思う」
3年前まで必死に追い掛けた相手のことだ。
忘れたくても肌の滲みの様にこびりついて落ちはしない。
「それを聞くと、今回の犯人には思えないわね」
「だが、アポロンだ」
自分を呼び戻したのは、アポロンに違いない。
そう、これは自分への呼びかけだ。
娘に続いて、今度は後輩を奪い取ろうというのか。
「アポロンは何らかの事情で、義手になったんじゃないか」
そして以前の様な繊細な技術が使えなくなったのではないだろうか。

「アポロンじゃない可能性も視野に入れるべきよ」
急激に熱を帯びて行く望月の瞳に、十六夜は自分を映し込み温度を下げようとした。
「未だに犯行声明も何も出ていないんだろう?」
「ええ。連続テロ事件ともとれるけど、イタズラと見る人もいるわ。だからまだ私達の手の中にあるんだけど」
テロと認定されれば、捜査は自分達の様な警察官からは離れて行く。
それこそ重装甲が売りの特機が表立って出て行くだろう。
「だが、有明の頭にくっついてるのは本物だ」
「おそらく」
2人はそっと、有明がいる部屋の方を黙って見つめた。
とにかく、彼が目にしているヒントを辿らなければならない。

「相沢園…イミグレーション…外人…」
外人の孤児を受け入れていた相沢園に、外国人の入ってくる場所であるイミグレーション。
「タイトルマッチは日本人同士だったわ」
そう、確か昨日の試合は日本人選手だった。
極限まで鍛えた生身の拳一つで戦う試合に、義手から放り込まれた乙女。
考えるんだ、考えろ。
自分で自分に呼びかけながら、望月は眉間に皴を寄せた。
相沢園、イミグレーション、ギリシャ人、タイトルマッチ、第3のヒントは絵。
何だ、何がある。
相沢園、イミグレーション、タイトルマッチ、絵…ヒントはそれだ。
ギリシャ人、アポロン、子供、義手…何がある。
何がしたいんだ、アポロン。
何を言いたいんだ、アポロン。
本当にお前はアポロンなのか?


暗く光の入らない聖堂に、男は1人佇んでいた。
頭をすっぽり覆うフード付きパーカを着込み、顎を服に埋めた男。
彼の目の前には、絵があった。
それは古い時代から彼を、彼の先祖を、全てを見守り続けてきたもの。
柵で区切られた向こうの空間にずらりと並んだ古びた絵に向かい、膝を折り、手を合わせる男。
手が、震えた。小刻みに震えた。止めようとしたが、止まらなかった。
悔しそうに唇を噛むと、男は何かを振りきる様に目を見開いた。
口を開く。声を出す。空間に響く低音が空気を揺らし、世界を揺らす。
厳かに何万年も漂い続ける神聖なる空気を、男は肺に詰め込んでは吐きだした。
歌っても、歌っても。誰も来ない。誰もいない。
男は歌い続ける。
絵に向かい、歌い祈り続ける。
歌は祈り。祈りは歌。
それは聖なる繰り返し。
歌は続いた。
誰に止められる事も無く。


相沢園、イミグレーション、ギリシャ人、タイトルマッチ、義手、第3のヒントは絵。
相沢園、イミグレーション、タイトルマッチ、絵。
与えられたヒントの中を、望月は泳いだ。
相手がフェアならば、答えはある。
信じるしかない。
もし間違えたキーワードを入れたとして何が起こるか判らない。花吹雪で終わるか、火薬で終わるか。「…神のみぞ知る、だな」
「まったく、何がアポロンよ…っ」
大層な名前を付けられた挙げ句に人殺しか、と十六夜が呻いた。
その声に、望月がハッと息を飲む。
「そうだ」
「え?」
「そうだ、神だ!」
突然ガシッと肩を掴んできた望月の勢いに、十六夜が自分でも肩を縮こめた。
「そう、アポロンは神だ。ギリシャの神だ。そうなんだ、ギリシャなんだ。教会はキリスト教ばかりじゃない。ギリシャには…ギリシャ正教があるじゃないか!」
あっと十六夜の目も丸くなった。
「ギリシャ正教…って、イコン!」
「ああ、宗教画だ、聖画だ!」
キリスト教の教会に比べたら、ギリシャ正教の教会は殆ど無いに等しい。
あるとするなら、そここそが「当たり」の筈だ。

相沢園・イミグレーション・タイトルマッチ…そして、聖画イコン。
ヒントは揃った。
さぁ、キーワードを探れ!

「望月さん!十六夜さん!」
2人の声に呼応した様に、有明が部屋から飛び出してきた。
顔に奇妙な面を付けた彼を、通りかかる職員が不審げに見送るが、そんな事は構っていられなかった。
いや、構って貰わなくては不味い事になった。
「おい、判ったぞ!最後のヒントは…」
「数字が出ました!」
飛び掛かってきた有明の震える声に、望月の全身を包んだ興奮が鎮まっていく。
傍らの十六夜もまた、有明の顔に付いた装置に目を細めた。
数字。
突然現れて、12:00:00から11:59:59…と減り続けていく数字。

それは、タイムリミットという数字だった。










初出…2008.10.23☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。