果てを知らず拳を揮い

新しい歌

「人形のメーカーが判った」
一旦捜査本部のある署へ戻った望月と十六夜を待っていたのは、書類を手にした同僚だった。
21世紀末で総崩れした日本において、警察署の持つ役割は軍隊に近くもある。装甲隊や特務部がいかつい顔を見せる建物の中で、彼らのような平服の捜査員の方が異色であった。
資料を受け取った十六夜の目が、小さく見開かれる。
「何だ」
訝しげに尋ねる望月をチラリと伺い、彼女は同様に戸惑う同僚の制止を無視して彼に言った。
「ギリシャのメーカーよ」
一瞬、望月の周囲の空気が数度温度を下げた気がした。
小さな強張りが目に映る様な、そんな凍った感触に同僚が唾を飲む。
「ギリシャ…」
脳裏を過るのは、壮大な神殿の遺跡群。
息を飲み黙り込んでしまった望月を敢えてそのままに、十六夜は冷静に資料を読み進めた。
「相沢園の卒園者にギリシャ人は…5名。内消息不明が3名に死亡が1名。もう1名は…最後に残っていた幼児の1人ね」
メーカーそのものは国内向けに土産物を製造している会社で、今回の犯罪に関係は無いだろうとの見解が載っていた。と同時に、重要な参考人と思われる人物のデータも載っている。
そんな事は、望月には言うまでも無かった。
「犯人が知れたじゃねぇか」
不意に呟かれた望月の声は、地獄の釜で茹でられている亡者のそれだった。

コードネーム:アポロン
ギリシャ人男性とだけ判明している爆弾犯で、現在指名手配中。
主な容疑は小規模ながら殺傷能力を持つ爆弾の製造・設置・爆破行為。これまで基本的には単独犯ではなく、何かしらの組織の依頼で動いていたという事までは判っている。名前の由来は、爆弾に太陽のマークを入れるのが特徴だった事から、ギリシャで太陽を司る神の名があてられたらしい。
3年前、望月の娘の両手を奪った張本人でもある。

いつかお前を捕まえる。
そんな絵に描いたような熱血漢を襲ったのは、愛娘を危険に晒すという氷河だった。
急激に凍てついた心はあらゆる情熱を失い、そこにあったのは後悔を叫ぶより目を覆う現実。
ドアを開ける度に「パパ」と抱きついてきた娘の、あの幼く広がった小花の様な両手が消えたのである。
「タイトルマッチは今夜ですって。時間的にも…有明の為にも中止は出来ない」
トスっと軽い音を立てて隣に座った十六夜の声に、望月がハッと意識を取り戻した。
覚醒はしていたが、意識が出口の無い悪夢にはまりこんでいたらしい。
そんな彼の様子を見越してか、十六夜はコーヒーを差し出した。
署の廊下に設置されたベンチは冷たく固く、逆上せた頭を覚ますのにもってこいの場所だと言われている。
「有明の様子は?」
「落ち着いてるらしいわ…繰り返しながら」
「繰り返し?」
「落ち着いて、不安になって、落ち着いて…」
それはそうだろう。
自分の頭を吹き飛ばす塊が後頭部にくっついているのだ、平静でいられる神経を持つ人間はそういない。
本当なら側に行って励ましてやりたいが、それが無意味な事はよく判っている。
そう、誰よりもよく判っている。
「それでも、あなたを頼りにしてる」
十六夜は繰り返した。
「暴力に暴力で挑まないあなたを、頼りにしてる」
「その結果があの様だ。綺麗事だったのさ」
「良いじゃない、綺麗事で。あなたは何も間違っていなかった」
憎むべきはアポロン。
暴力で街を襲い暴力で復興を妨げ暴力で主張を声高に叫んだ男。
崩壊から立ち直った街で、平和を誰よりも渇望していたのは警察官達だったかもしれない。


有明は不安そうな面持ちで病室に置かれたTVを見ていた。
視界は二重世界を構成し、不安と恐怖がこめかみを殴打して吐き気を催わせる揺らぎを作る。
イミグレーションに続いて浮かび上がった画像は、ボクシングのタイトルマッチ。
有明は画面から溢れ出してくる熱量豊富な歓声に、深い溜息をついた。
「よりによって生中継されちゃうんだ…」
それは、日本タイトルのベルトを賭けた一戦。国内の注目度も高い。
復興を成し遂げ奇妙なエネルギーに満ちた街は、単純な肉体のぶつかり合いに異常なまでの興奮を示した。
期待を声に乗せるアナウンサー。ざわめきで熱を高める観客。
その中に紛れる様にして、有明を救おうとする捜査員達がひしめき合っているはずだ。
視界の左上に「キーワード入力」という文字が点滅している。
入力するツールは提示されていない。
まだキーワードが揃い切っていないのだ。
相沢園・イミグレーション・タイトルマッチ…そこに何があるのかを思い、有明は唇を噛んだ。
「望月先輩…」
家族の悪夢を得てなお踏み止まった男に、有明は願いを込めた。

5万人は収容可能というドーム型のスタジアムの中に、特設のリングが作られていた。四角いリングに向かって、ぐるりと取り囲むように観客席が設けられている。華やかな音楽、乱れ飛ぶ光、人のざわめき、吐息、熱気。
「…人が多すぎる」捜査員は思わず呟いていた。
恐らくは次も同じに例の人形を使ってくるだろうという推理で、捜査員達は会場中に散らばり目を凝らして回っていた。万が一この人数の中で爆発でもしたら、規模が小さくても被害は甚大だ。
「興行主から中止すれば億の損害が出ると言われたんだと」
「人の命より金かよ…」
じっとりと人の熱気が作る汗が頬を伝う。
復興に湧く社会は、資本主義の洪水をも取り戻そうとしているのかもしれない。
「5万人がパニックを起こしてみろ、爆発以上の大騒ぎだ」
年配の捜査員は言いながら、自分の想像にぞっとした。
爆発が起きなくても、人は死ぬ。
「この中に…いるのかもしれないんだよな、犯人も」
今までの経緯を考えると、有視界によるリモートコントロールをしていると思われる。
爆弾人形と犯人と、興奮の狂気を孕んだ観衆と。
「アポロンがな」
望月の娘を襲った野蛮人が。
わああっと、人々が席から立ち上った。
主役の王者と挑戦者が、姿を現したのである。

わぁああっっという歓声がドームを揺らすかのような錯覚を覚える。
興奮に立ち上った人々の足の下を、視線で丹念にチェックする捜査員。会場周辺の控室やトイレ等もくまなく調べられている。今のところ人形は発見されていない。
左右それぞれの特設ステージに、派手な衣装を纏った戦士が現れる。飛び交う声援。奏でられるテーマソング。彼らの緊張と捜査員の緊張が、同じリズムで盛り上がって行く。
「どっちかが犯人だったりして」
「冗談言ってるな」
リングの上には2人の戦士。リングの下にも捜査員と言う戦士達。
相手をノックアウトすれば勝ちなんて、何て簡単な事だろうとバトーは思う。相手をノックアウトすれば良いなら、すぐにでも犯人を探してぶん殴ってやりたい。だが、それをすれば爆弾はどこでどうなる?有明の身はどうなる?大切な仲間と、罪のない人々の命を盾に取られた気分になりながら、彼らは既に戦っていた。
リングの上では戦士の紹介が終わり、いよいよ神聖なる戦いへ向けて両者が一歩を踏みだしている。
「始るな」
「始ってるわ」
会場に遅ればせながら到着した望月は、ドーム内の圧力を震わせる歓声に押されて、一瞬中に入る足を止めた程だった。十六夜もまたビリビリと肌を刺す緊張を感じた。

どこだ、どこにある?
戦士に祈りを捧げる乙女はどこにいる?

「ちくしょう…どこだ…っ」
わあああっと上がる歓声に掻き消される呟き声を、ある捜査員が放った瞬間だった。
ふっと見つめた客席の向こう。
1人歓声を上げない観客。
フードを目深に被り、手を懐に納めた男。
その腹部の膨らみが気になる。
捜査員が「あ」と声をあげた。
男が、懐から手を出して、何かをリングへ向かって放り投げたのである。
今から始まる戦いに狂喜乱舞する空気の海を、弧を描き泳ぐのは…赤毛の乙女。
捜査員は乙女と同時に、ある現実を見ていた。
スローモーションの様にしなった死神の腕は、人工肌に包まれた冷たい旧時代の代物だった。
「義手…!?」

「人形を発見!!!」
捜査員達の耳に装着したインカムを通じて怒声が響いた。
間近で目撃した捜査員が男の元へ走ろうとした。
「捕まえろ!」
「…アポロンなのか…っ!?」
望月は観衆が作り上げた内側のドームの外側で、空中に浮かび上がった人形を見た気がした。
だが、観衆は誰もその珍客に気付かない。
歓声。
この歓声を悲鳴に変えてはならない。
怒声。
仲間を呼ぶーここに犯人がいる。
爆弾が空を飛んでいる。

男は逃げるだろう、と捜査員は思った。
爆弾を爆発させるのは、自分を安全圏に逃がしてからだろうと。人形は起爆スイッチを押されない限り、多少の振動があってもセーフだ、と。思った捜査員が男に迫ろうとした、のだが。
男の口がニヤリと歪み、リングの上の2人の戦士の頭上に人形が差しかかるのを見上げた。
空飛ぶ乙女よりも人形じみた男の手が、小さなリモコンのような物を握っている。
「いかん!!」
男に飛び掛かろうとする捜査員に、やっと気付いた他の観客が眉をしかめた。
不審な視線を向ける客の向こうに、一番の不審人物が笑っている。
指がリモコンにかかる。
「押すなぁっっっ!!!」
戦士が、人形に気付いて頭上を見上げた。
落ちる。
そのコンマ数秒の間に。

男の指が、カチッとリモコンのスイッチを押していた。


そして、次の一瞬で捜査員を、望月と十六夜を、会場中を、恐ろしい衝撃が襲った。
「何だ!?何が…っ!?」
騒然となったテレビ画面を前に有明は立ち上がった。
テレビ局はすぐに画面を「お待ち下さい」という静止画像に変えてしまった。状況がまるで掴めない。
何が、一体何が起きたというのか。
居ても立ってもいられずに、病室を出ようとした有明の足がビクッと震えて止まった。
視界の映像が、切り替わったのである。

ボクシングのタイトルマッチ中継はこれにて終了とでもいわんばかりに、突然切り替わった映像。
相変わらず動かない状態のTV画面を無視して、次なる情報を提示する自分の視界の世界。
その新しい映像に、有明は息を飲んだ。


第3の、最後のヒント。


電波の向こうの混乱も、有明の病室の静けさも、何もかもを無視して。
大いなる混乱だけを内包しながら、有明の視界に現れたもの。

それは、美しい女性の悠然とした微笑みだった。










初出…2008.10.17☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。