旅立ちはいつも、孤独に満ち

新しい歌

イミグレーション、それは門。
出ていく者もやってくる者も、誰もがくぐり抜ける運命にある門は、決して開かれてばかりではない。むしろ拒絶する事を前提としているかのような存在の門、それこそがイミグレーション。
「出入国管理たって、何箇所あると…」
「何か映像は視えない?他には?」
戸惑う同僚に、有明が必死に答えたのは判然としない内容だった。
「出入国管理とははっきり書かれてるんですけど…これ…どこだ…白いシャツに紺のスラックスかなぁ…係官っぽいのが見えます…けど」
空港や港等、大抵の出入国管理の係官は、白系のシャツに紺系のスラックスである。恐らくはっきりとした場所が判らないようにという、犯人の意図だろう。
十六夜はきりっと爪を少し噛むと、すぐに姿勢を正した。
「手分けして空港と港をチェックしましょう。爆弾処理班も待機させて。最初の人形爆弾から何かでないか、再度調査もさせる。それと、過去同様の爆弾を使ったケースの確認と、会沢園の関係者・卒園者を徹底的に洗う!」
テキパキとした十六夜の声に、有明が顔を上げた。
そんな彼の肩をポンと叩いて、彼女は「大丈夫」と笑う。
「私と望月さんが何とかするから」
ね、と同意を求められた視線に、望月は溜息を内心で零しつつも、有明に頷いて見せた。

空港に向かう車のハンドルを切りながら、十六夜がチラリと望月を伺った。
有明の病室を出てから、不気味な沈黙を守っている。その身に纏う気配が苛立っているのは明らかだ。
「爆破、すると思う?」
「さぁな、目的がさっぱり判らん。有明が標的じゃないだろうし」
犯人の目的。
まさか有明を賭けたゲームがしたかったわけじゃないだろう。
「偶然に選ばれた獲物なのかしら」
「だとしたら、趣味が悪すぎるぜ…」
舌打ちをする望月に、十六夜が少し肩を緩めた。
「良かった」
「あん?」
「苛立ってる理由が犯人のせいみたいで」
自分が無理矢理に捜査に巻き込んだせいかと思った。
苛立たれても怒られても仕方ないが、それでも十六夜は望月に区切りをつけて欲しかった。
「それに関しては…」
ホッとする十六夜の横顔に、望月が苦虫を噛みつぶしたような視線をぶつけた、その時。
彼女の携帯が振動を始めた。

『流石に年寄りは物持ちが良い』
助手席の望月が代わりに耳に当てると、聞こえてきたのは捜査中の同僚のそんな言葉。
相沢園卒園者名簿が残っていたのだという。
『役所の電子記録は、案外当てにならないもんだが…』
捜査員の手元には半分黄ばんだ、指に薄い埃の膜が付きそうな年季の入った名簿がある。カタカナとアルファベットで、年度毎の卒園者名が記入されているものだ。
『中東系が多いな』
「孤児になる事情を多く抱えているのが、その辺だからな」
世の中の白人種優位は相変わらずだよ…と呟く望月に、電波の向こうが同意するように揺れた。
『案外人数が多いよ。20年弱の運営年数の間に、一体どれだけの孤児を育て社会へと送りだしたもんだか…』
「現在の所在地や職業、それに前科を当たって怪しいのをいぶり出してみてくれ」
『ああ、そうする。まー色々なってるぞ…コック・エンジニア・現場労働者・大学院生・ボクサー・教師・塾講師…子供の成長って早いんだなぁ』
自分の20年と名簿の中の20年を比べて溜め息をついた同僚に、望月は「ああ」と返事をするのが精一杯だった。
彼の娘も、3年前とは大違いである。
だが、彼の脳裏を過るのは、あの幼い日のままの娘。
いつの頃からか、成長する娘の背中を見つめているだけの気がする。
通話を終えてから黙り込んでしまった望月に、十六夜が声を掛けようとしたのだが。
「着いたぞ」
吐息を一つ着いて気持ちを切り替えたらしい望月。
彼の言う通り、2人の視界には大きくそびえる国際空港の姿が飛び込んできていた。
その、そのガラス張りの巨大なシルエットを、ゆっくりと覆っていくオレンジの光は夕焼けか。眩しい空を反射するガラスが、爆風で一斉に割れ人々に降り注ぐ様を想像して、十六夜は小さくかぶりを振った。


彼らの住む巨大都市に相応しい、巨大なターミナル。
十数メートルに及ぶ吹き抜け構造の天井には、外光を広く取り入れるガラスの天井が。巨大な柱を見上げていると、どこかの神殿に迷い混んだ様な気がしてくる。
平日の夕方とはいえ、決して空いている事などありえないという様相を呈している空港内。2人はさり気なく辺りを警戒しつつ、イミグレーションルームへと向かった。
犯人がどこに隠れているか判らないが、イミグレーション自体はそう人目に付く構造でも無かったので、逆に見張るポイントが限られてくるのがありがたい。空港職員の案内で、関係者以外立ち入り禁止区間から、そっと様子を窺う。
「変わった物とか不審物は一切無いって話だったな」
「こっちが外れで港が本命かも。もしくは誰にも判らない位巧妙に設置されてるか…」
先に事情を説明した係官からの言葉通り、パッと見には不審物は見当たらない。
ぞろぞろと飛行機から降り立った人々が列を成す。その殆どが当たり前かも知れないが外国人だ。日本人は専用ゲートからするすると中へ入っていくが、外国人はそうはいかない。水際で様々な物の侵入を防止するのが、この門の役目だからだ。
ビジネスマン・若者達・家族連れ・どこかの民族衣装…どれもこれもが怪しくもあり、また普通の人々にも見える。
「日本は広いんだぜ…」
「でも、相沢園の事を考えるなら、この街にある施設でしょう」
「もしくは他の入国機関か…」
有明の見たヒントだけでは何とも頼りない…とぼやこうとした望月は、僅かに息を飲んだ十六夜に視線を投げた。彼女が顎で方向を示す。
彼女が注目したのは、家族連れの中の一人の少女。金色の髪の毛とそばかすがチャーミングな、お人形の様な少女。年の頃は望月の娘と似たところかもしれない。一瞬、その姿が自分の娘にだぶり、望月は瞬きを繰り返した。
「同じ人形よ」
「…あれか」
十六夜は、その少女の手に抱えられた赤毛の人形を見つめた。
それは、有明の目の前で爆発した爆弾人形と、まったく同じものだったのである。

ぐるりと全体を把握しようとした。
人形がここにあるという事は、犯人の目もここにあるという事だろう。
「どこだ…っ」
「待って、何か話してる」
十六夜は少女と母親の様子に注目した。
「唇、読めるか?」と望月が尋ねると、十六夜は「少し」と頷いた。
「……どうしたのそれ………あそこを…が、自分のじゃ…って言って…貰った…」
十六夜の読み上げる会話に、望月は少女の指さす女性を見た。
東洋系の中年の女である。
パスポートチェックを受けて、今まさにゲートをくぐったところだ。
「おいっ!あの女を押さえてくれっ」
近くにいた職員に小声で怒鳴り、望月は一歩を踏み出した。
「望月さん!?」
咎めるような十六夜の声を背中にしながら、望月は母親を見上げる少女を目指した。
小さな女の子にとって可愛いお人形さんは魅力的だろう。それをその華奢な手に握らせておいて、バン…到底許せる話ではない。
許される話、ではない。
「うちの娘だけじゃ不満か…っ」
突然飛び出してきた男に、少女が何事かと全身を強ばらせた。


「望月さん!!」
十六夜の声と望月の勢いに、その場の空気がすくみ上がった。
緩やかに腰元を流れていた感覚が、いきなり胸の上へ押し上がってきたような窒息感。
驚きで完全に驚いて足がすくんでしまった少女の手から、望月は何も言わずに赤毛を揺らす人形をもぎ取った。相沢園と同じ規模の爆発なら、自分の手の中で衝撃を殺してみせる。
何か喚きながら自分の娘を抱き上げた母親に、それで良いと望月は外に面したガラスに向かって走った。
「警察です!」
十六夜が叫び、望月の行く手にあたるガラスに銃弾を撃ち込む。
クモの巣が出現したガラス目掛けて、望月の体が突っ込んだ。
ガラス窓を突き破り、滑走路に繋がる地面へと身を躍らせる。
激しく割れるガラスの悲鳴と人々の悲鳴の中、十六夜は周囲を見回す。望月の事も勿論心配だが、彼を見ている目があるはず。その目を必死に探ったのだが。
「………望月さん!」
辺りを警戒しながらもガラス片の中へ駆け寄り、下に落ちた望月を覗き込む。
まさか下で爆発なんて事は…と思っている十六夜に、案外呑気な声が返ってきた。
「クリアだ」
無事着地したらしい望月の手には、首をもがれた少女がいた。


駆けつけた捜査員の真ん中で、無残な斬首体となった少女の人形がぼんやりと佇む。
空港内は一時混乱したが、あの場にいた乗客たちは全員シロという判断が下っていた。勿論、人形を貰った少女も、彼女に人形を譲った女性も。
「無茶苦茶だと思ったら、あんたか」
年配の捜査員から掛けられた声に、絆創膏程度の擦り傷で済んだ望月が首を竦めた。
「偶然居合わせたのか?」
「…いや」
「爆弾事件だぞ?…戻ってきたのか」
「…いや」
困ったように頭を掻く望月を救ったのは、応援に状況説明をしていた十六夜だった。
「今のところ特に犯行声明とかは出てないみたい。ここには本人はいなかったのかもね」
彼女が登場すると、捜査員が望月の肩を叩いて背中を向けた。
それを目で追いながら、十六夜は望月にも視線で尋ねる。
「…娘の件を担当した人だ」
「ああ」
望月の娘が爆弾小包を受け取った件。
犯人は未だ捕まっていない。
「孤児園…イミグレーション…人形…。爆破する気は皆無だった…つまり、爆破が目的じゃない。本当にただのヒントだった…って事か?」
「そう思わせておいて、次はやるかもしれない」
「そうだな」
話題をすり替えるように本題に戻した望月。
十六夜は逆らわず、静かに頷いた。
3年間見えなかった彼の炎が見えればそれで良い。
「孤児園、イミグレーション、人形…意味が判らないわ」
「今はな」
十六夜の携帯が鳴った。

有明の声が上擦っている。
無理も無い。時間が経つうちに自分の置かれた異常な状況が染み出てきて、彼をじわりと締め上げているのだろう。


光が眩しい四角いスペース。大勢の人間が見守っている中で、金物の音が鳴る。ロープの張られた聖なる地の上にいるのは、2人の戦う男と見守る男。強いライティング。派手な演出。歓声が耳を打つ。

「タイトルマッチです…ボクシングのタイトルマッチですよ!」
次のステージの鐘が鳴った。










初出…2008.10.7☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。