それは、空の憂鬱

新しい歌

風が吹くと、まるで何かの悲鳴のような音が漏れた。
ヒューヒューと苦しい吐息の様でもあるその音に、有明はそっと耳を塞ぎたくなるのを堪える。手には愛用の銃を構えて、一つのドアを左右から挟んだ向こうには十六夜。お互いの呼吸を微かに感じながら、目と目で合図を送り。
「…警察だ!!」
有明が先頭にドアを蹴破って中に飛び込む。
廃虚のようなビルの中の、不思議なくらいに綺麗で頑丈な扉。バンッと足の先に当たった木の感触を、不思議な位はっきりと感じながら。飛び込んだ部屋の中で、2人は息を飲んだ。薄く淀んだ日の差し込む室内にあったもの。それは、壊れかけた椅子の上に礼儀正しく座った…一体の人形だった。
「…あれ?」
ちょこんと、首を傾げて座る赤毛の女の子。
まるで赤毛のアンを思わせるような、そんな女の子と有明が目を合わせた瞬間。
「有明!!」
十六夜の女性にしては低い怒鳴り声と同時に、首を捕まれて背後へと引っ張られる感触。
だが、次の瞬間には視界が真っ白な世界に覆われていた。

人形が爆発したのだと、有明がそう気付いたのは随分後の出来事だった。

白いライトが照らす清浄な空気の下、トポトポと音を立てそうな点滴のチューブがベッド脇からベッドの主へと繋がっていた。目にぐるっと巻かれた包帯の下で、有明が望月を見上げる。
正確には、望月の声のした方に顔を向けて、見上げたのだが。
「先輩もお見舞いに来てくれたんすか」
「ああ、『朝』からお前が死に掛かってるって聞いてな」
縁起でもない事を言う望月に、有明がぶーと唇を尖らせた。
実際は眼球に一時的なダメージを負った程度だ。それでも心配には違いないが、命に別状は無い。
「呼び捨ては止めてって言ってるでしょう?」
「あ、命の恩人」
「よぉ、朝」
何度注意しても下の名前の「朝」と呼ぶ望月に、十六夜が軽く溜め息をついた。

「何か出たのか?」
「何も。元孤児園だった建物内でお人形が爆発、有明の視界がプワァ…ってだけ」
ご丁寧にベッドに横たわってはいるものの、爆発の強い光を浴びた事で一時的に機能を失っている目以外は全くの健康体なのである。有明の病室を出て、通路のソファに座った。
「医者は何だって?」
「念の為に脳も調べるって」
ポケットから煙草を取り出そうとして、望月は手を振った。
吸いたいのではなく、癖の様なものだ。口にくわえておけば落ち着く。
「で、俺を呼んだ理由は」
「爆破事件だから」
十六夜は手にしていた資料を読み上げ始めた。
現場から運び込まれた爆発物ー人形の残骸について。辛うじて残っていた人形の赤毛が写真に収められている。
「これはタイマー式等ではなくて、起動スイッチ式ですって」
「…警察が踏み込むのを見て、スイッチを押した人間がいたってことか?」
「危険が伴うしアナログだけど、確実かもしれない…相手を殺すには」
「殺せなかったがな、欠片ほども」
顎をしゃくって病室を示す望月。
十六夜はその顎に生えた無精髭に注目していた。
「他に判った事は?」
「そう……爆発した人形が外人さんってことかしら」
「外人さん?」
眉を上げた望月に、十六夜は残骸の中から発見された小さなビー玉の様な丸い石の写真を示した。
「青い目のお嬢さん」
意味あり気に口元に笑みを浮かべた十六夜の向こうを、白衣を翻した医師と看護師が有明の病室に入って行った。


爆破事件だから、と言われれば返す言葉も無い。
望月にはほんの3年前まで、執拗に追い掛けた爆弾魔がいたのである。

21世紀末に日本列島を襲った複数の震災。
その影響は甚大で、平和ボケとまで称された社会は乱れに乱れた。過去の大戦からの復興と同じく、この国は底力を発揮して復活。恐らくは困難に当たってこそ真価を発揮する民族性なのだろう。
だが、一度崩壊した民衆の平和が馴染むには時間を要し、未だに政府への抗議や民族のあり方等、様々な欲求を暴力で吐き出す輩は勢いを衰えさせなかった。
その最中に登場したのが、通称:アポロン。
望月が追い掛け続けた爆弾魔。
望月の娘から両手を奪った、爆弾魔。


望月の入庁と時期を合わせて姿を現したアポロンの存在を、望月は何故か意識し続けていた。
同期の様な気持ちがあったのかもしれない。
いつか刑事になり、奴を捕まえる。
そんな野望。
そんな目標。
それが手の届くところにやって来た時、自分を追いかけ続ける羽虫を払う様に、アポロンから贈り物がやって来た。
受け取ったのは、望月のまだ幼い娘だった。


「娘さん、お元気?」
「…俺は爆弾さんからは手を引いた」
「リハビリは順調に続いてるのかしら」
十六夜の言葉を無視して、望月は立ち上がった。
ここへは純粋に有明の見舞いに来ただけで、捜査に加わるつもりはない。
歩き出した望月の後を追って、十六夜も付いてくる。
「課長の許可は下りてるのよ」
「勝手な事を」
「そんな目をした父親に見つめられたら、娘は泣くわよ」
「……っ」
一瞬、感情が爆発したように望月は十六夜を睨んだ。立ち止まり見下ろしてくる望月を見上げ、十六夜はその冷静な瞳に熱を宿した。
彼女もまた誰かの娘だ。
「俺は…」
「あ、十六夜〜!」
緊張する2人の空気を知らず、同僚たちが「こっちだったかぁ」と駆け寄ってきた。


「例の爆破予告の手紙の線は駄目だなぁ。紙はどこにでも流通している一般紙。指紋はなし。消印も辿れない。インクも大量流通品。文面に至っては…」
「今日、相沢園を爆破します」
何事も無かったかのように十六夜が言うと、傍らの望月がやれやれと天井を見上げた。
「そうそう、それだけ」と頷く同僚が不思議そうに望月を伺う。
十六夜と有明の2人が現場に向かうきっかけになった、爆破予告状の物的証拠から犯人を辿る線を追っていたのだが、どうやら無駄足だったらしい。シンプル過ぎて、とっつきどころがない。
「相沢園の方は?」
そちらの担当をしていた同僚が首を振る。こちらも冴えない調子だ。
「3年前まで主に外国籍の孤児を預かる私設施設として運営されていた。園長の相沢日出子の死後、なし崩し的に閉園に追い込まれている。しかしこれには特に問題はなさそうだ。当時預かられていた子供たちは、現在は別の施設に引き取られているが、全員まだ子供だ」
「こんな爆破を出来る子供はいない?」
「当時は2〜3歳児が殆どだったみたいだからな」
3年前に2,3歳では、現在5,6歳程度の子供たちである。
「他の関係者は?」
「保母が3名いたが、一人は2年前に病死。残る2人は現在も別施設にて保母として勤務中」
「怪しい?」
「齢60過ぎの老女達だ…不可能じゃないと思うが、違うだろうな」
うーんと腕組みをして十六夜は小さく唸る。
警察に送られてきた爆破予告。そのシンプルさが逆に危機感を強く抱かせる事となり、悪戯とは片づけられなかった。…までは良い。
現場に向かった十六夜と有明の目の前で、人形に埋め込まれた爆弾が爆発。
直後現場周辺を探索したが、犯人はー勿論逃げたのだろうー見つからなかった。
その後、犯行声明も何も無し。
ただそれだけ…という状況になりつつある爆破事件なのだが。
「で、有明のバカは?」
「まさか入院とか言わないよな?」
ただでさえ人手不足が否めない部署なのだから、と同僚たちは得に怪我も無かった有明の様子を笑って振り向こうとした。同時に、望月は出口に向かって踵を返そうとしたのだが…

「あ、あの、警察の方は!?」
通路の向こう、有明の病室の前で看護師が声を上げた。


部屋に入ってきた医師と看護師…有明は「2人の気配があった」と言う。
望月と十六夜も遠めに見たそれは、本来の彼らではなかったらしい。
正式な看護師が有明の病室に入った時、彼女が目にしたのはおかしな器具を頭に付けられた患者の姿だった。
「これは、何?」
有明の目を覆うようにぐるりと頭に回った器具。
まるで暗視スコープの様なそれを十六夜が覗き込むと、有明が「あはは」と力なく笑って手を振った。
「見えてるの?」
「変な感じだけど…」
本人も変に感じているだろうが、周囲もそれは同じ気分だ。
望月も後輩の頭に付いた器具をぐるりと見つめ、その後頭部で息を飲んだ。
チラリと、視線で十六夜を呼ぶ。
これは何かと訝しむ病院関係者もいる中で、望月と十六夜が同じものを見て、同じ結論に達した。
有明の後頭部には爆弾と思しき物が、器具と共に設置されているのだ。
真剣な眼差しで言葉を失う2人に、有明がそっと手を上げた。

「画面に、『キーワードを見つけないと、爆破する』って出てるんですけど…」

まさか、と有明の声が告げている。
それに対して「何を爆破するんだ」とは誰も言えなかった。
特に、望月と十六夜の2人には。
「キーワード?」
「何だ、他には何が見える!?」
気色ばんで尋ねる2人に、有明は次第に体の震えを強くさせていく。何となく察してしまった、何が爆破されるというのかを。
「えっと…ヒント、ヒントって!3つヒントを出していくって!!」
「3つ…!?」
何だ?と明らかに様子のおかしい2人に視線を送る同僚を無視して、望月が有明の肩を掴んだ。
スコープ越し、ヒント越しにその顔が見えている筈だ。
「言え、見えるものを全部言え!」
「ちょっ…待って、下からどんどん文字が…」
混乱しながらも唾を飲み、有明は語った。

無理矢理器具を外そうとすれば、爆破
間違えたキーワードを入れれば、爆破
これから更に3ヶ所を爆破すること
爆破自体は防いでも構わないこと


「1つ目のヒントは……」
ぎゅっと握られた有明の手を、望月が上から強く握りしめた。
震えがほんの僅かにだが、緩まる。
唐突に降って湧いた事態だが、ここには望月がいる。
有明は言った。


「イミグレーション、出入国管理…です」

事件はとっくに始っていた。










初出…2008.9.28☆来夢
3人ともお月様から

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。