地中の柵

何かの心理テストだっただろうか。
学生時代の友人の問い掛けに「地中50cmに埋もれてる」と答えた俺の隣で、当然と言う顔をして「タワー並だな、ガラスで出来た綺麗なやつ」と笑ったのが、月隠(つきごもり)冬司だった。
そのテストの答えが「プライドの高さ」を表わすと言われた瞬間、2人で思わず顔を見合わせた事を覚えている。

「あ〜それ、俺もやった事ある」
「何て答えたの?」
「こたつ位の高さ」
その日があんまり寒くて寒くてこたつが恋しかったんだよ、と照れ臭そうに口を尖らせる橘に須永が笑顔になると、彼はいーっと口を横に広げた。
「地中ケーブルか大江戸線かってお前よりマシ!」
「謙虚って言って」
「いやらしいんだよ!」
逆に、と唸る橘は取調室の中を覗き込んで、溜め息をついた。
「で、あっちがタワー並って事か」
「そうそう、ガラス製の」
「割れちまえ」
橘がそう毒付くのも無理は無い。
須永もやれやれと思いながら、マジックミラーになっている鏡を通してベテラン刑事と書記役の刑事、そして月隠がいる部屋を見つめた。
とある捜査線上に彼が浮かび上がった時まで、須永は彼の存在を忘れ切っていた。

切れ長の目。
筋の通った鼻筋。
薄く横に広い唇。
色は白く、指は細く節が目立つ。
さらりとストレートで肩まで伸びた髪を掻き上げる際に、その指にはめられたグリーンの指輪が光った。
「友達いなそう」
「あ〜少なかったかも」
橘の指摘に、須永は多少表現を柔らかくした。
「飲み会とか来てもあんな感じ?」
顎を上げて嘲笑うように刑事を見つめるその態度は、取調室に来た一般市民の態度ではない。
普通はもっと緊張するものだ。
「飲み会…?…あ〜何か一度」
「あったのか?」
「何かの話で『自分は尊敬されてるから、皆遠慮して声を掛けてこない』って言ってた」
須永の記憶の中の彼は、神経質な指先で眉毛をなぞっていた。
取調室の中でも、同じ仕草が見えた。
橘が「うぇー」と舌を出す。
「何だよその自信は!どんな根拠だ!」
「さぁ」
「じゃあれか、あいつ、尊敬するのは自分自身とか言い出すわけ!?」
指差された「あいつ」は、小首を傾げて薄い唇をニヤリと歪ませていた。
真向かいに座った刑事がうんざりした顔で鏡の方を見る。
何とかしろと言いたいのだろう。
「えっとね、『何かを成し遂げた人しか尊敬しない』って言ってた記憶が…」
「じゃあお前は何かしたのかよ!!」
須永の言葉を聞きながら、橘ががうっとマジックミラーに吠えた。
そして気付いた。
「…何か、したのかな、やっぱり」
「さぁねぇ」
一応これ、事件の捜査の過程である。

須永と言う刑事がいるはずだ、彼に聞けば自分の身の潔白が判る。
そんな事を言った月隠には悪いのだが、今の今まで彼と言う存在を須永は忘れていた。
時々いるのだ。
芸能人でもあるまいが、知らない親戚・友人が増えている。
「もしかして俺って、夢遊病だったり?」
「…寝ている間に知り合い増やしてるっての?」
うんうんと頷く須永に、橘が面倒くさそうに欠伸をした。
マジックミラーの向こうでは、月隠が派手な柄のネクタイを指ではじいたところだ。仕草が一々気障ったらしい。大体にしてその光沢のある銀色のスーツは何なのだ。
「夜道で会ったら宇宙人かと思うぜ!」
「宇宙人に会ってたのかなぁ」
「お前、そんなに夜出歩いてるの?」
「ナンパしてたり」
にへっと笑う須永の長い足を、橘のギュッと筋肉が詰まった足が蹴った。
橘は柔道3段である。
ちなみに須永も柔道3段である。
一度、そうと知らずに橘が須永に柔道勝負を挑み、引き分けた事があった。
「お前みたいな奴はテニスとかやれよ…っ!」
「警察がテニスを採用してくれればねぇ」
荒い息で畳みに転がりながら、しかしその時から橘が須永を認める様になったのは確かだった。
遠慮の無い物言いだが、橘の言葉には嫌味がこもらない。
さて、月が隠らないという彼はどうだっただろうか。


肩を竦めながら、疲れた顔をした刑事が部屋を出た。
入れ替わりに部屋に入った須永を見て、月隠は切れ長の目を細めて口をすぼめた。
「久しいな」
「お久しぶり。こちらは同僚の橘刑事」
部屋の壁に寄り掛かるポジションを選んだ橘をチラリと視界の隅で認め、月隠は楽しそうに須永を見上げた。須永がまだ着席していないからだ。
「君が刑事になったと聞いてね、驚いたよ」
「意外だったかな」
「ああ、君にはもっと違う道があると思っていたからね」
「そりゃ人生なんて道は山ほどの選択肢があるからねー」
「高校・大学と間違えなかった君が、ここでその選択肢かと…」
ふん、と鼻で笑う音がした。
橘がその空気にムッとしたが、須永は黙って着席した。
丁度月隠の背後に窓が位置して、午後の日が差し込んでくる。銀色のスーツは目に眩しい。
「楽しくやってるよ?」
「くだらないな」
「そうかな」
「そうさ、楽しさなんてものは、所詮は時間の無駄遣い。実のなる木の幻に過ぎない」
「君は今、楽しい?」
取調室で刑事に質問を受けながら、その時間を楽しいと思える犯罪者はどれくらいいるだろう。
もしかしたらいるのかもしれない。
だが、身の潔白を主張している者なら、そうとは言えないと思うのだが。
橘が尖った月隠の横顔を注視すると、彼は酷薄そうな頬を歪ませた。
「そうだな、これ以上の無駄は無いと思うと愉快でならない。その無駄の流れの真ん中に、君と言う勿体ない岩があることもまた、ある種貴重な発見なのかもしれんね。もっと発見が早ければ、私が君と言う岩を違う流れに置き直してやる事も出来たのだろう。後悔とまでは言わないが、それに近い感情はあるよ。いや、申し訳ない」
蕩々と語る月隠の声は滑らかだった。
須永の学歴を思うと、あの大学の出はこんなのばっかりなのだろうかと橘の肩が落ちる。
だがしかし、須永という例外もいる事だし、そう悲観する事もないか?
というより、何で自分がそんな心配をしなくてはいけないのだ?と橘が内心で悶々としていると。
須永がふーと一つ息を吐いてから、言った。
「確かに君の潔白がよく判りました。帰って良いですよ〜」と。

驚いたのは橘だけではなかった。
思わず立ち上がったのは月隠だ。
「どうぞ」と須永が出口を示すと、月隠がブルブルと震え出す。
「どういうつもりだ!」
「だから、確かに君は潔白だなって確信したんですよ」
「何でだ!?」
尋ねたのは橘である。
ギョッとしている彼に向かって、須永は小首を傾げてつまらなそうに教えてくれた。
「この人、俺のストーカーだよ」
ある意味ね。

ストーカー?
ポカンと月隠と須永を交互に見る橘は、頭をこんこんと指で叩いた。
今回の事件は女性が被害者でした。
「須永は男だろ?」
「この人、俺がこの捜査に関わってるって何かで知って、自分から首突っ込んできたんだよ〜」
でしょ?と須永が月隠を見ると、色白だった顔が土色に変わっていくのが分かる。
それが彼なりの赤面らしい。
「何で判るんだよ」
「だってね」
ブルブルと震えながら拳を握るだけの月隠をよそに、須永は軽く言ってのけた。

「同級生だったの、小学生の頃なんだよ」

はい?
橘の目が点になった。
須永の話していた内容を思い出し、そして照らし合わせ、それから思う。
「あれが小学生の語る内容か!?」
「でね〜中学からは別々の進路になった筈なのに、俺の進路・就職先までご存知なんて、こりゃ俺のストーカーみたいなもんでしょ」
須永の方はすっかり忘れていたのに、月隠はそうではなかったらしい。
須永の進路を知り、須永の就職先を知り、彼の部署を知り、彼の関わる案件を知った。
「ズバリ、今回の事件には無関係!」
どうだ!と指を指した須永に、月隠が怒鳴った。
「ずっと恨んでたんだ!」
決して好いてのストーカーではない!という断固たる否定。

「俺だってそれなりの学校に進んだというのに、昔なじみの顔に会う度に語られるのはお前の事ばかり!何だって皆してお前を慕うんだ!俺の方が尊敬されて然るべきなのに!」
はぁはぁと荒い呼吸で怒鳴る月隠には悪いのだが、橘のテンションが下がり切って上がってこない。
何だそれは、注目されたい子供の駄々ではないか。
「そんな事を俺に言われても〜」
「まったくだな」
困る〜と唸る須永に、橘も同意してくれる。
だが、月隠は収まらなかった。
彼を拘らせた理由があるという。
それは。

「6年2組のしのぶちゃんがお前を好きだったことが許せない!」

告白したら、須永が好きだと振られたらしい。
「…え、ええ〜」
ますますもって困惑する2人を前に、小学生時代の恨みつらみをぶちまける月隠。
ニヒルな仮面が剥がれた後は、髪を振り乱しての雄叫び状態である。
その大騒ぎに他の刑事が顔を覗かせるくらいに。

座り込んだ橘と困り果てた須永を待たせる事、10分。
肩を揺らしながら、月隠は一つ深い吐息を吐くと、突然身だしなみを整えた。
スーツの皴を伸ばし、髪を整え、息を沈ませると。
「…失礼する」
何事も無かった様に出口に向かう後ろ姿に、2人が僅かにこけた。


カツカツと革靴を廊下の床に叩きつけながら、月隠は颯爽と出口をくぐった。
そして、チラリと見送りに出た須永を振り返った。
「一つ聞くが」
「何?」
「君の尊敬する人は誰だね」
月隠は今でも、自分が尊敬されている、と思っているのだろうか。
それを勘違いと言うのは容易いが、思う本人がそうでないと言うのならそうなのだろう。
信じる事は自由。
信じない事も自由。
「俺は、あらゆる人を尊敬してるよ」
真っすぐに立ちながら、須永は笑った。
光の方に立つ月隠を見ながら、その向こうに生活する街を見る。
更にはその向こうの海で闘う人を思う。
大好きな人の笑顔を思い出す。
「誰かの為に常に最善を心がけられる人を尊敬する」
いざという時に誰かの為に生きられる人を尊敬する。
それは胸の内のある人のこと。
「そして、同時にあらゆる人を尊敬しないんだ」
月隠が少し眉を動かした。
逆光になっていて、須永から彼の表情は読み取り辛かったが、構わない。
「そんな事を思う日が来ない事を祈っているから」

月隠が去った後で、橘がコーヒーカップを手にぼやいた。
「あいつ、探偵やってるらしいぜ」
「へぇ〜そうなんだ」
そっち方面でお前の事を耳にしたのかもな〜と言いながら、橘はコーヒーを啜った。
夏でもホットコーヒーを選んでしまう自分が不思議だと言いながら。
「あいつさ、ガラスの柵に映ってるのが自分の姿だって、気付いてるのかね」
目の前を立ちふさがる自分から逃げて、須永を代用品にしたのか。
パタパタと団扇で風を送りながら、コーヒーが冷めるのを待つ須永は「さてね〜」と笑う。
「俺は俺で、道に埋もれてばかりなんだけどさ」
そう言うと、橘が何だか嬉しそうにおかしそうに笑った。
「いざとなったら、俺が引っぱり上げてやるよ」
有料でな、と。










初出…2008.7.14☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。