No Brand Saurus

須和は頭を抱えて世界全てを拒絶したい気分だった。
目の前で世界の終わりが口を開けて、彼をこっちへ来いと招き寄せている気がする。実際はパクパクと良く開く口から、まさに口撃と言わんばかりの言葉の砲弾が続いているのだが。
「だーからさ、文だってそりゃ憂さ晴らしの1つだってしたかったのよ!」
「でも、やっぱりアキさんに断りも無くってのはマズかったでしょ」
「そりゃねー私もあっそこまでアキが溺愛状態とは思わなかったんだもん」
リビングでお茶とケーキをせしめているのは、反省心は三日後に追いやったらしい遊莉だ。
文のとりなし(?)のおかげか、それどころではなかったのか、佐古からのお咎めらしいお咎めもなかった。ただ流石に二度と勝手はするなと、彰彦から釘を刺されてしまったが。
一緒にお茶を飲む弥彦が肩を竦める隣で、須和は苦虫を噛みつぶした顔を隠そうともせずに沈黙を守っていた。佐古から遊莉を見張っておいてくれと言われてしまい、嫌々こうして一緒にいるのである。
命令がなければ、例え上役の恋人だろうが愛人だろうが嫁だろうが何だろうが、女と一緒にいるなんて御免なのだ。
「んもーこんな早く戻る事になるなら、文に何か買ってあげれば良かった」
「何も買わなかったんですか」
そりゃ文にしてみたら「逃げる」事が目的だったのだから…と弥彦は思ったものの、とぼけてみせる。
「奢ってあげるーって言ったんだけどねー、遠慮深いっていうの?」
「…あんたが遠慮無さ過ぎだ」
「何、須和っち?」
ボソッと呟いた須和に、遊莉がわざとくっついて彼の腕に胸を押し付けた。
その柔らかな感触に須和は顔を青くし、弥彦は羨ましそうな顔をする。対照的な2人の反応を遊莉が満足気に見ていると、「何してんだ」という呆れた声が頭上に響いた。

須和が助かったとばかりに席を立つ。
「あ、けちんぼアキだ」
「誰がケチだ」
「文にカードの1つもあげないでー女心が判ってないんだから!」
「世の女が全部お前と一緒なら地獄だな」
彰彦の声に須和が「とっくに地獄です」と呟くのを、聞き逃さない遊莉が唇を付き出して睨む。今度は胸を押し付けられる事もなく、須和は見たくない物を視界から外してしまえとばかりに眼鏡を外した。
「まぁでも、あの子はカードあげても使わなそうだけどね〜」
けっと須和に舌を出しながら、遊莉は保のお手製シフォンケーキを口に放り込んだ。
「物欲ねぇのか、あいつ」
「んーなんだろう、人のお金って遠慮してるみたいよ?くれた物なら自分の物なのにね?」
須和がキッチンで「それはあんたの理屈」と毒づくが、幸いにしてそれは保の耳にしか入らなかった。
「遠慮ねぇ…警戒してんじゃねぇのか」
「警戒されるようなこと、したの?」
「………」
出会いからして、警戒のオンパレードだろう。
何せ文には「誘拐・拉致・監禁」と評されているのだから、信用がないのは判り切っていた。
「物で攻めるのは無駄か」
「あー文には心よ、心!」
ハート!と遊莉が豊かな胸を前へと突き出す。
「アキのその溺愛してる心を全面に出さないと!」
「誰が溺愛だ」
「溺愛でしょ?」
「………」
突っ込まれると困ってしまう。
何せ御婆に「運命の女」と言われたから、という出だしなのだ。自分が文を好きなのかと問われれば、嫌いではないが好きだ愛してるという感覚は判らない。とにかく「運命の女」だから手放せないのだ。
「…女は見抜くわよ」
「あん?」
ふっと大きな目で覗き込んできた遊莉に、彰彦がギョッとしたところで、佐古がリビングに戻ってきた。

立科の声は、文をホッとさせるのと同時に、懐かしい現実へとも引き戻してくれた。
この異常事態と思える現実の向こうで、確実に自分の現実も時を刻んでいる。それがスクリーンの映像を見るようでもあり、逆に自分が画面の内側の様でもある。
「良かったぁ、立科さんが出てくれて…!」
『偶然、今戻ってきたところなんだ』
立科の携帯番号なんて知らなかった文は、駄目元で会社へとコールしてみたのだ。
柿本が出たらどうしようかと思ってドキドキした心臓が、立科の声で一気に緩む。
「すみません、色々とご迷惑をおかけしちゃって…あの、大丈夫ですかね?」
『…あ、うん、こっちは問題無いよ?』
お互いの口から「柿本」という単語を省いた会話をしている。名前を口にするのも嫌なのだ。それはきっと立科も同じなのだろうと文は思った。嫌われっこ世に憚る…それでも柿本は上司だ。それも、文のクビを宣告した上司だ。立科の「問題無い」という言葉に、自分がいなくても仕事は回る…という一抹の寂しさも感じてみたりしたが、その感情を立科の声が遮った。
『それより春日さん、今どこにいるんだい?』
「あ…」
何と説明したものか、と文が頭を抱えると、立科は立科で戸惑いを含んだ声を聞かせてくれた。会社にかかってきた電話、実家にかけられた「文による病院からの」電話、そして引き払われたアパート。
文の頭の中で、彰彦の声が蘇る。
あの男、本気で私をここに留め置くつもりなんだ…
「あのですね…」
本当に交通事故に遭って入院中なのかと心配する立科に、文は自分でも半信半疑の物語を語って聞かせた。誰が信じてくれるだろう、こんなあり得ない、けれど現在進行形の拉致監禁。
柿本の馬鹿があんな行為に及ばなければと、本当に心の底から恨めしい。
もう何日も見上げ続けている天井を見つめながら、文は語り終えると深い吐息をついた。立科の声を聴いていると、今にもあちらの現実に戻れそうな気がするのだが、実際は扉の向こうに彰彦がいるのだ。
「信じられないと思いますが…」
『ヤクザ…って』
立科の考え込む気配がする。
彼はこの時、行方の知れない柿本が文のトラブルに何らかの形で関わっているのではないかと思っていた。巻き込まれた、と思えないのは、彼に対する心証の悪さからにほかならない。
『春日さん、今は大丈夫なのか?乱暴な事はされてない?俺、すぐに警察に連絡するから…』
「あ、いえ、警察もどうも…お仲間さんがいるみたいで」
ヒソヒソと声を潜めた文に、立科の心配が加速したらしい。
『とりあえず判る事を全部言って!全部が全部仲間って事は無い筈だから、とにかく俺が警察に行ってくるよ!人を怪我させた挙げ句に自由を奪おうなんて横暴な輩、許せないだろう!どんな企みを抱いているか判ったもんじゃない。あいつらは簡単に手の平を返せる連中なんだから、すぐにでも逃げ出せる手だてを考えよう!』
「確かに…そっちの警察なら…」
うーん、と戸惑う文に、立科が勢いづいて続けた。
『一刻も早く逃げ出さないと、いつ本性を剥き出すか判らないぞ。暴力に薬、あいつらが考える事は大抵そんなのばっかりだ!可哀想に、怪我までしてるってのに…っ』
「…あ、いえ、体は大丈夫なんですけど」
立科の勢いに文の方が戸惑ってしまう。
確かに逃げ出したくて、今日もそのチャレンジをして失敗したのだけど。
『やつらは人を恐怖で支配しようとする。でも絶対に逃げられるから、助かるから、負けちゃ駄目だ』
「恐怖…」
『下手に逆らうと危ないな…俺がどうにか動くから、それまでは刺激しない様にしてた方が良い』
「危ない…」
『怖いだろうけど、もうちょっと頑張れるか?』
「怖い……」
『春日さん?』
文はハッとした。
どんどん突き進んでいく立科に対して、言われれば言われる程に何だか違和感を感じていたのだ。間違いなく自分はここから逃げ出したくて、だから立科の申し出は嬉しい筈なのに。何かが納得出来ていない。
例えばこれが「柿本から逃げる」というテーマなら、ぞわっと背筋を駆け上がる怖気もあって今すぐに窓ガラスを蹴破って飛び出してしまいそうなのだが。
じゃあ、「彰彦から逃げる」というテーマで、そんなに逼迫したものを感じるかと言われると…
何だか首を傾げてしまったところで、突然背後にしていた扉がコンコンとノックされた。


ビクッと体を震わせると、ドアの向こうから保の声がした。
「熱を計ってみませんか?それと」
ケーキを作ってみたんですが…と穏やかな声で呼びかける彼に、文の心臓が数回ドクドクと跳ねた。
突然黙り込んだ文に、携帯の向こうで立科が『春日さん!?』と呼びかけている。きっと何事が起きたのかと思っているのだろう。
「具合悪いですか?」
心配そうに続く保の声に、文は慌てて立科に言った。
「また掛け直しますっ」
『春…っ』
プッと通話を切るのと同時に、文はバリケードの隙間からそっとドアを開けた。
細い隙間から保の大柄な体と、彼の体に刻まれたタトゥーが見える。が、それより目を引いたのは、華奢な皿に乗せられた甘い匂いのケーキと紅茶のセットだ。
これが、恐怖の支配だろうか。
「ああ、良かった。大丈夫みたい…」
ですね、とホッとした保に、文がぎこちない笑みを浮かべようとした。
どうして立科の電話を切ってまで…と、自分でも疑問だったのだ。
だが、それを考えるより先に、息を飲む振動が手の中で起こった。
携帯が鳴ったのだ。
立科がリダイヤルしてきたのかと、そう思って液晶画面をチラリと見下ろした文は、思わず悲鳴を上げて携帯を落としてしまった。
「文さん!?」
隙間から驚いて心配する保の声がするが、文はその画面から目を離す事が出来なかった。
何故ならそこに表示されていた名前は。
『柿本』

セクハラ三昧の飲み会で、勝手に携帯番号を盗まれていた事がある。
気持ちの悪さに着信拒否設定をしようと思ったが、仕事の電話をする事もある…と半ば脅迫的に言われて出来ずにいたのだ。実際、仕事の電話もかかってきた。だが、9割はセクハラ以外の何でもない内容ばかりだった。
立科に連絡を取ったのが、バレたのだろうか?
立科が柿本に言ったのだろうか。
心配する保の声に、何事かと彰彦がやって来る気配がしたが、文の視線は不気味な振動を続ける携帯電話から離せなかった。ひつこく鳴り響くその姿に、柿本の臭い吐息を感じた。
「文」
隙間から、彰彦の声がした。
そこで漸く文が視線を持ち上げると、保がいた隙間に彰彦の姿があった。暴力と薬、ヤクザといえばそんなイメージだ。恐怖で人を支配し自由を奪う…確かに、そんなイメージだ。でも、彰彦は…?
「どうした、大丈夫か?」
何があった、と目で尋ねてくる彰彦を見つめながら、文はそっと揺れ続ける携帯電話を取り上げた。
自分でも馬鹿みたいに動揺している指先でボタンを押すと、ゆっくりとそれを耳に押し当てた。ほら、今にも柿本のあの粘っこい声が…
『助けてやる。今から言う番号にコールしろ』
「え?」
文の耳元で、初めて聞く声が同じ番号を3度繰り返した。










初出…2008.2.20☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

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