No Brand Saurus

保の手を振り払って、文は彰彦を追いかけてリビングに走った。
佐古の側で気まずい顔をしていた遊莉がギョッとしていたが、彼女と文の登場にリビングにいたらしい須和もギョギョッとしてダイニングへと逃げようとした。同じ屋根の下に女が2人も揃うなんて、彼にとっては悪夢に違いない。
「何であなたの部屋なの!?」
「着替えて寝ろって言っただろう!」
怒鳴り合う文と彰彦に遊莉が口出しをしそうになったが、佐古が手で遮って止めた。
弥彦も竜も雰囲気に恐れをなしてか、須和同様にダイニングへと逃げ込んでいく。だが、そんな室内の雰囲気も文の知った事では無かった。
「あなたの部屋だなんて、冗談じゃない!」
「冗談じゃねぇのはこっちだ!勝手に外に出やがって!」
胸ぐらを掴んできそうな彰彦の剣幕が目の前に迫っても、文は引き下がらない。
頭のどこかで逃げ出したい緊急ランプが灯っていたが、理性の力が手を拳に変えてそれに耐える。
いつだって頑張ってきた。今だって頑張れるんだ。震えるな、私!
文は爪が皮膚に食い込むほどに指を握り込んだ。
「そんなの私の自由じゃない!大体にしてそっちが勝手に私を閉じこめてんでしょ!?」
「お前の自由だと?それは俺が決める事だ!」
「私は東京に帰りたいの!仕事があるのよ!!」
「あのセクハラ野郎のところに帰りたいってのか!?」
彰彦の声が文の背筋をビクンっと震わせた。
脳裏を過るのはあのいやらしい柿本の笑い顔と、彼に解雇通告された声だ。「俺の言う事が聞けないなら、クビだ!」と最後に聞いた柿本の声が頭の中で木霊する。文は唇を噛み締めて、その不快さに耐えた。
「仕事だもの…っ」
解雇されたとはいえ、それを彰彦に言う必要は無いと文は思った。仕事を探さなければ。東京に戻って離職手続きをして、求人票を手に走り回らなければ。
ここでのんびりしているワケには行かないのだ。
「お前は帰さねぇ」
文はハッと彰彦を見上げた。
彼の手が伸びて、文の握りしめた拳を開かせる。手の平に食い込んだ爪が柔らかな皮膚を食いちぎっていた。
「職場にはこっちから連絡した。家にも話はつけてある。お前は何も心配しなくて良いんだ」
切れた手の平を労る彰彦だったが、文はそれに感謝はしていられなかった。
「…職場に…連絡?」
何だそれは、と思うと同時に、見つからなかった携帯電話と財布を思い出す。
「私の携帯、勝手に見たのね…!?返して、返してよ、携帯も財布もっ」
彰彦の手を逆に掴み返して食いつく文に、佐古がチラリと彰彦を伺った。文の携帯も財布も、彼女の素性やら「柿本」を調べる為に預かってある。そう、あくまで預かってあるのだ。
「文」
睨んでくる文の体を抱き寄せて、彰彦は言った。
「納得しろ。…お前は、俺のものなんだよ」
そう言われた瞬間。彰彦の胸板を頬に感じた瞬間。
文の中の何かが、プチッと音を立てて切れた。

ダダダダ!という音が家を駆け抜ける。
竜が玄関にすぐ走ったが、音はそこまで突き抜けずに部屋に閉じこもって止まった。
「お前、どうゆうつもりだ!?」
「文!?」
彰彦の胸から逃れ突然に走り出した文は、元々彼女が使っていた部屋に閉じこもってしまったのだ。
ダンダン!と彰彦が扉を叩くが、文はすぐに鍵を締め、ドアの前にベッドやらサイドボードやらを移動させてバリケードを作った。外から鍵を開けられても、これなら入れまい。
「私の携帯とお財布返して!」
「出て来い!」
中と外から同時に声が上がる。
遊莉もあちゃ〜と口を開ける前で、彰彦が煮えたぎりそうな顔で文の閉じこもった扉を睨む。
「返してくれないと、出ないから!」
「ふざけるな!ずっと閉じこもってられるわけねぇだろう!」
「閉じこもってやるわよ!!」
あわわ…と弥彦が須和を見ると、須和は文の声に本気で顔を青くして頭を抱えていた。ブツブツと「これだから女ってのは…」と呻いている。保は佐古にそっと囁いた。
「文さんの具合が心配です」
「……ああ、だが、無理強いをすれば余計こじれる」
文の体調を気遣うのは勿論なのだが、じゃあ扉を破壊すれば良いかという問題でも無い。
そう考える佐古の目の前で彰彦が今にも扉を破壊しそうなのに気付いて、彼は素早く彰彦の元に走った。
「様子を見ましょう」
「ああ!?」
どこから持ってきたのか、手にバットを持った彰彦に佐古が冷静に言う。
「一度とことん納得させないと、これからも続きますよ」
「…って言ってもな!」
「今は文さんも頭に血が上ってますから、少し落ち着かせましょう。それに、こっちもやっておく事があるし」
「くそっ!」
落ち着いた佐古の声に、彰彦の呼吸が落ち着いていく。
手にしていたバットを竜に預けて、彼はやれやれと頭を掻いた。
「竜、見張っとけ」
「はい」
クルリと立ち去る彰彦の背中と、文の閉じこもった扉を見比べて、竜は深い溜め息をついた。
どうなることかと思った…と。


「何なんだ、あの女は!」
彰彦の書斎で佐古が肩を竦めた。
遊莉には後で説教だと思いながら、そんな彼女をリビングに残して、佐古は彰彦に尋ねた。
「須和の言葉じゃないですが、どこかのマンションに閉じこめる手もありますよ?」
そうしないんですか?という問い掛けに、苛々しながらソファにドスンと腰掛けた彰彦が眉間を捻る。
気難しげな皴の寄った部分を伸ばしながら、彰彦が煙草に手を伸ばした。すぐに佐古が差し出す灰皿を見下ろしながら、彼は煙と一緒に言葉を吐き出す。
「それもなぁ」
「気が進みませんか」
細い目を更に細める様な佐古の表情に、今度は彰彦が肩を竦めた。
「そんな事したら、余計に不信感を募らせるだけだ」
ただでさえ「一目惚れ」は信頼されず、未だに「ヤクザが何を企んでいるのか」という顔をされるのだ。文のそんな視線を思い出すと、彰彦はギリギリと唇を噛み締めたくなる。
お前が俺の運命の女なんだよ!と。
御婆にそう言われたんだよ!と。
自分にとっての文が運命の女なら、文にとっての自分も運命の男とかじゃないのだろうか。
「違うのか?」
「知りませんよ」
首を横に振りながら、落ち着いた彰彦に佐古は改めて切り出した。
「いっその事、話してみたらどうですか」
「……何を」
「傷も治ってきたし、そろそろ落ち着いて話だって出来るでしょう。我々の事や御婆の事を…」
そうしないと、今後また今日のような事が繰り返されると佐古は危惧しているのだ。
ただでさえ文はアキレスの踵になりかねない、いやなるであろう存在だ。そんな彼女に迂闊に外をほっつき歩かれては堪らない。敵はネズミだけでは無いのだから。
「ネズミか…」
バカラのグラスが脳裏を過る。
不吉に過ぎる品は物置へと送られたが、文を物置に送るわけにはいかないのだ。彼女とは長く時間を共にしなくてはならない。そう、御婆の言う運命の女なのだとしたら、彼女を手放すわけにはいかないのだから。
「放り出せねぇからな」
ふーっと煙草の煙と一緒に吐き出された吐息に、彰彦の苦手が映し出されているかのようだった。


トントン、とノックする音に、文がびくっと反応した。
僅かにだけ扉の開くスペースを残して設置した、バリケードの内側で返事をすると。
「携帯を持ってきましたよ」
彰彦かと思ったら、どうやらそこにいるのは佐古らしい。佐古といえば遊莉の事を思ってしまう。
「…本当に?」
そっと扉を開けると、薄い隙間と同じくらい細い目の佐古がいた。一見すると「経理部です」とでも言い出しそうなサラリーマン風なのだが、やくざと判っているからその穏やかさが逆に恐ろしい。
「はい、どうぞ」
隙間から差し出された携帯電話は、確かに文の物だった。受け取る瞬間に腕を引っ張られやしないかと警戒していると、佐古はそんな事はしないと笑った。
「遊莉は…大丈夫?」
「ケロリとしてますよ」
表情は特に変わらない佐古に、文はそっとお願いをした。
「遊莉を、怒らないでね」
あくまで今回の事は自分が彼女を利用したのだから…と言う文に、佐古は判りましたという風に頷いてくれた。その見えそうで見えない瞳をジッと覗き込み、文は「本当に?」と念押しをした。
「本当に」
今度は確実に頷いた佐古に、文はホッとした。
「良かった」
ふーっと吐息を零して笑顔になった彼女に、佐古が何かを言い澱んだ。
「…何?」
「あ、いえ、後で保を寄越すので、体の事とか相談して下さい」
「…ありがとう」
はい、と神妙に頷いた文に、佐古は「じゃあ」とその場から離れようとした。
「え?」
「はい?」
「…え、っていうか、その、…出て来いとかって…」
言わないの?と思わず尋ねると、佐古が苦笑を零した。
「出てきたくなったら、出てきて下さい。アキさんも心配してますから」
そう言うと、佐古は今度こそ部屋の前から立ち去っていく。
その後ろ姿を薄い隙間から呆然と見送って、文はちょっと意外な展開に驚きながらも扉を閉めるのだった。

さて、携帯が戻ってきた。
まずする事は、SOSコールだろうが。
「職場と家に話をつけたって…」
彰彦の声が蘇り、文は眉間に皴を寄せて考え込んでしまう。実家になんて言ったのだろうか。元々家族仲は悪くも無いが特別良くも無かったが、フリーターを快く思わない両親とはここ暫く疎遠になっていた。
ちょっと電話し辛い。
じゃあ友達に…と思うが、何せ彰彦達はやくざである。巻き込んでしまうのは…という危惧があった。
いっそ警察に…と思うものの、どうやら内部に協力者がいるようだし、どこまで相手にしてもらえるのかという不安が強い。
「…ええ〜」
せっかく携帯を取り戻したのに、かける相手がいない!?
文は頭を抱えて誰かいないかと必死に考えた。そして、1人の男性が頭に浮かんだ。
「立科さん…」
職場の同僚で、唯一柿本のセクハラ被害を真剣に心配してくれた人だ。そうだ、彼に電話してみよう。彰彦達の事を言わないまでも、柿本がその後どうしているのかを…
「よし」
文は真っ黒に電源の落とされていた画面に、勇気を持って明かりを灯した。











初出…2008.2.13☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

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