No Brand Saurus

見張りになっていた筈の遊莉が、文を連れ出したらしい。
流石に表情を引きつらせた佐古が遊莉の携帯に連絡を取ったところ、「買物の邪魔しないで」と電源を落とされてしまった。
「申し訳ありません」
「お前のせいじゃない」
保から連絡を受けた彰彦は、はーっと溜め息をつきながら頭を抱えた。
恐れていた事が起きたわけだが、とにかく呑気には構えていられない。彼はすぐに文を見つけて保護しろと、佐古に命じた。万が一にも根津に見つかってはマズイ。
「文のやつ…っ」
ギリ…と唇を噛み、彰彦は須和の運転する車に乗り込んだ。





立科透は文の実家を後にした車中で、眉間に皴を寄せていた。
文が会社に残していった私物を漸く今日になって届けに行ったのだが、応対に出た家族の対応が立科の想像していたものと違っていたからである。柿本の件で「文が傷ついている」と連絡をしてきたのは、確か文の親戚の筈だったのだが。
「文も急な話でね、私達も驚いてるんですよ。退院したら連絡寄越すらしいから…」
私物を届けた立科にそう告げたのは、文の母親だった。
彼女の元には、文が出張先で訪れた病院から連絡を入れてきたというのだ。病院に入院中というのも驚きだが、その内容がまた立科には理解できなかった。
「軽い交通事故に遭ったらしいだけど、どうもあっちに恋人がいたらしくてね」
面倒はその恋人が見てくれているから…と病院の公衆電話から電話をしてきたという。病院という割りにはがやがやとした周囲の音で、彼女の声はよく聞こえなかったらしい。しかも小銭が無いからすぐに切れたという通話。それでもお金を請求されたわけでもないので、親は一時流行った詐欺電話とも思わずに娘からの連絡と信じたようだ。
「元々何を考えているのか判らない娘だったから」
この荷物、取りに来るかしら…と立科から預かった僅かばかりの荷物に、母親はそう首を傾げていた。
恋人?
交通事故?
柿本の件はどうなっているのだ?もしや、柿本との間に怪我をするような展開があり、家族にそれを伏せる為に嘘を吐いたのだろうか?
気になってしまった立科は、急きょ文の自宅アパートに車を回してみた。一度も訪ねた事はないが、社員名簿で住所は分かっていた。
しかし、ここでも立科は眉間に皴を寄せる事になった。
文のアパートは、昨日引き払われていたのである。
「…どうなってんだ?」
立科の呟きに応える声はなかった。

辛うじて部屋から探し出した自分の荷物から、携帯電話と財布が姿を消していた。
出来ればパジャマのままだろうと、その二つを持ち出したかったのだが仕方あるまい。
久々に袖を通した服の感触に違和感を覚えながら、文は遊莉と一緒に街へと出てきた。出張で来ただけなので、土地勘は無い。それでも駅に出てしまえば、何とでもなるだろう。街は駅を中心に栄えるものだから。
「さ〜て、お買い物お買い物」
きゃきゃっと文に腕を絡めた遊莉が跳ねると、彼女のふくよかな胸の感触が伝わってきた。男でも無いのにドキッとしてしまうのは、対照的な自分の胸を思ってか。
「あ、あのさ、遊莉…」
「ちょっと待って、電話」
出来れば腕を解放して欲しかったが、遊莉は文の腕を掴み止めたまま例のデコレーションでキラキラの携帯電話を耳に当てる。負けないくらいにキラキラのスカルプチュアが目に眩しい。そういえば、そんなお洒落をする事すら、随分忘れていた気がする。
ちょっと眩しい思いで遊莉を見つめていると、彼女の声が剣呑になった。
「だから〜ちょっと買物するだけ!良いでしょ!?」
がやがやとした街中で、彼女の声に振り返る顔は無い。
それでも文は遊莉の声にヒヤヒヤと周囲を見渡した。今にも物陰から佐古や須和が飛び出してきそうだ。
「んも〜女にとって買物は大切な儀式なの!邪魔しないで!」
ピッと一方的に通話を切った遊莉に、文は恐る恐る尋ねる。
「もしかして…」
「っとに、詔司ってば文の事が心配だから家に戻れって。男って判ってないわよね〜。買物した方がエネルギー充填できて怪我だって早く良くなるってもんよ」
行こう行こうと腕を引く遊莉の声に、文の胸がドクンっと激しく動揺した。
…家を出た事は早くもバレている。
引きずられるままにファッションビルへと足を進めながら、文は震える呼吸で必死に考えた。
どこか、交番に飛び込もう、と。


しかし、文にそんなチャンスは中々訪れなかった。
というのも…
「あ、これ可愛い〜!」「ちょっと小腹減ったかも」「ね、ね、ね、これなんてどう?」と遊莉のお買い物パワーが全開になっているのだ。こんな状況でなければ、自分だって久々のショッピングを楽しみたい。そう、柿本から受けたストレスを発散すべく、思い切り色々な物を買いまくりたい衝動だってあったのだ。だが、それを実現させてくれるお財布が無かっただけで。今も昔も、そこは変わらない。
「やだ、お金なら私が払うわよ」
「そんなわけには」
「だって、どうせこれ詔司から貰ったカードだし?アキにも言えばカードくれると思うわよ♪」
これこれ、と遊莉が見せてくれたのは黒いカードだった。彼女のスカルプチュアを引き立てるには持って来いの色合いだ。
「…黒…っ」
ゲッと文が唸る。
ゴールドではなく、黒。
そこから連想したのは思う存分買物が出来る喜びよりも、彼ら裏世界の人間の資金力だ。金の動くところには、人が集う。もしかしたら彼らは、「ただのヤクザ」なのではなく相当な実力者達なのだろうか。
思わず黙り込んでしまった文の様子に、遊莉が首を傾げた。
「どうしたの?具合悪い?」
「…え、あ、…うん」
大丈夫?と顔を覗き込んでくる彼女に、文はピンと思いついて言ってみた。
「私、ちょっとお手洗い使ってくるから、遊莉はここで買物…」
「一緒に行くわよ!心配だもん」
気遣い無用!と早速お手洗いに向かって文を引っ張り出す遊莉に、文が本気で具合を悪くしそうだった。
1人になるタイミングが無い。
ついでに化粧直しをするという彼女は、個室に入る気配も無かった。せめて個室に入ってくれれば、隙をついて駆け出す事だって出来たのに。
「はぁ…」
疲れてしまった。
久々に動き回っているのだから、疲れるのも当然だろうが、色々な意味で本当にぐったりしてしまう。蓋を下ろしたままの便座に腰かけながら、文は途方に暮れた気分で頭上を仰いだ。
どうしたら良いのだろう。
巡回中の警官にすら巡り合わない自分を呪いたくなる…と思っていると、ふいに女子トイレだというのに男の声が響いた。


「ちょっと!女子トイレよ!」
「って、やっぱり遊莉さんじゃないですか。1人ですか?」
ムッとした遊莉の声に、文は個室の中でギョッとした。
何だ、知り合いか?
「佐古さんから遊莉さんを見つけろって連絡回ってきたんですよ。連れが居る筈だから、一緒に社長の家に送り届けろって厳命なんですが」
派手な女が入っていくのが見えたーという男は、どうやら遊莉の行きそうな場所を読んだらしい。
佐古からの厳命と聞いて、遊莉の声が渋くなった。
「やだーじゃあ何、皆して私達を探してんの?」
「遊莉さんを知っているレベルの人間は、殆ど駆り出されてますね」
俺らもそうですから、という男の発言で、文はそこにいる男が複数である事を、そして自分を探す手が広がっている事を知った。
いよいよもって不味い。
せっかく外に出たのに、このままでは連れ戻されてしまう。
それにしても随分大げさな話じゃないか、女1人連れ戻すのにそんなに部下を使うのか?一体彼らは何がしたくて自分を捕まえているのだろう。まさか本当に「一目惚れ」だなんて事は…
文は脳裏に浮かんだ彰彦の顔を、ブンブンと首を振って消し去った。
違う、絶対に違う。
文は息を飲み気配を殺しながら、何とかここを切り抜ける手段が無いかと考えた。個室の中には窓なんて無く、出入り口は男(達)がいるであろう場所のみだ。恐らく他の利用客が来たら退くだろうが、トイレの周りを離れる事はないだろう。
…走って、逃げられるか。
1人2人の事であれば、可能かも知れない。
何せここはビルの中で、人目だってある。
そうだ、駆け出して、とにかく交番を探して駆け込むしかないのではないか。
「女の子の買物をそこまで邪魔する〜?」
「無茶な買物でもしたんですか?カード止められたとか」
「やだー無茶な買物する為のカードじゃないの?」
「俺の稼ぎじゃ無理な内容には違いないですよ」
ええ〜と不満げな遊莉の声が続いている。
彼女との呑気な会話で男達に油断が生じてくれているのなら…文はそっと鍵に手を掛けた。ドアを開けたら一気に駆け出すのだ。遊莉の腕に捕まる事もなく、男達の手にかかる事もなく、とにかくひた走って交番に、警察に飛び込んでしまえば…!
ギィ…とスライド式の鍵を、文がそっと動かそうとした。
すると。
「どうも制服の連中にも回ってるみたいですよ、連絡」
「…マジで?」
制服?と文の動きがピタッと止まった。
何だろう、どうゆう意味だろう?と思っていると、男の声が周囲を憚るように低くなった。
「警察が協力してくれるってのは、色々便利ですねーやっぱり」と。


ガタン!と音がしたのは、文の入っていた個室からだった。
驚いた遊莉が駆けてくるヒールの音が聞こえる。
「ちょっと文、大丈夫!?」
「お連れさん、腹痛ですか?」
「馬鹿!文はアキの大切な人なんだから!」
「…え」
トイレに閉じこもっていたんだから…と少し笑っていた男の声が、止まった。
遊莉にどうゆう事かと確認している声が聞こえたが、文にとってはどうでも良かった。問題は男の言った事実だ。…警察が協力。
なるほど、警察の内部に彼らに協力している人間がいるらしい。そりゃ大変だ。大問題だ。警察の信頼を失墜させ、今後の治安に対して重大な課題を作る事実だ…なんて、考えてみたらありそうな話じゃないか。
「助けて!」と飛び込んだ先が、彼らの出先機関でした。
そんな笑えない事態に出くわしていたかも知れない。
「文!文!ちょっ…」
「…今、出る…」
本気でしんどくなりながら、文は個室からそっと顔を出した。
きっと酷い顔色をしている事だろうと思う。ショックと疲れから貧血気味になっている感じもした。脇腹が少し痛むのは、銃の傷が疲れで熱を持ってきたのかもしれない。
「歩ける?やだ、顔が真っ青だよ…!」
「運びます」
泣きそうな顔で心配する遊莉の横にいたのは、体格の良いスーツの男だった。これがてらてらのシャツにパンチパーマ、胸元にはゴールドのチェーンでも巻いていたらどうしようかというところだが、一見するとサラリーマンにしか見えなかった。彼の背後から顔を覗かせているのも、似たようなタイプだ。
ああ、案外と「彼ら」はこうして私達の生活に馴染んで溶け込んでいるのか…
「車を回せ」
男は誰かにそう命令すると、文の膝裏に手を入れて体を持ち上げてしまった。


家に戻った文を待っていたのは、表情を読ませない顔をした彰彦といつも通りに見える佐古だった。
心配そうな保達の姿も見えたが、とにかく2人が文を出迎えた。
「遊莉」
佐古の厳しい声が飛んだ。
それほど彼と接してきたわけではないが、文は初めて聞く佐古の声音だった。視界の隅で弥彦と竜がビクッと震えたのが判ったから、恐らく怖い声なのだろう。
流石に文の様子にも驚いたのか神妙にしている遊莉に佐古の足が一歩近づいたのを見て、文が口を開いた。
「私が、お願いしたんです」
「文…」
「遊莉に、私が無茶なお願いをしたんです」
だから、と文は佐古を見た。
細い目元からは、彼が何を考えているのかは判らない。だが、単純に彼らの職業への裏付けの無い知識から、遊莉が暴力に遭ってしまいそうだと思ったのだ。女を殴るなんて最低の行為だが、批難してもされた力は消える事がない。
佐古を見上げる文を遊莉が傍らから見つめてきたので、文もその視線を受け止めた。
見つめ合う女2人に、佐古が彰彦を見る。
こちらもちらりと視線を交わすと、彰彦の手が文の額に伸びた。
「…熱が出てきてるじゃねぇか」
ビクッと一瞬震えた文には構わず、彰彦は忌忌しげにそう呟いた。
確かに彼の言う通り、文の体は色々な理由から熱を放ちだるくて仕方がなかった。
「着替えて寝ろ」
短い言葉だったが有無を言わせない迫力があった。
その声を受けて文の元に近寄ってきた保が、心配そうに文を気遣う。彼のサポートを受けながら、文はその言葉に従う事にした。
今は大人しくしておいた方が良さそうだ…と。
いつも寝かされていた部屋に向かおうとした文と保に、リビングに向かおうとしていた彰彦が言った。
「俺の部屋で寝かせておけ」


それはまるで死に神の死刑宣告の様に、文の耳の中を木霊した。











初出…2008.2.6☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。