No Brand Saurus

彰彦や佐古が、一体どんな話を遊莉にしたのかは分からない。
…分かりたくないというのが、文の正直なところだった。
最初は随分と敵意の隠った眼差しで見つめてきた彼女が、あの日突然部屋に飛び込んできて、そして抱きついてきた瞬間には、キラキラと親友を見つめる視線に表情を変えていた。
「文ってば苦労したんだね!良かったね、アキと出会えて良かったね〜〜っ!」
何?
ベッドによじ登り文の上にのし掛からんばかりの勢いの遊莉の発言に、文が説明を求めて彰彦を、慌てて部屋にやってきた佐古を睨んだ。そう、先程の遊莉の視線の如くに。
だが、誰もそこで説明が出来る人間はいなかったのだ。

街の中心部はターミナル駅がどんと山のように居座る広場を中心に、ビジネス街と繁華街がそれぞれ放射線状に広がっていた。街を象徴するタワーに上れば、そのビル群が果てしなく一望出来る事だろう。
彰彦はその街中にある自社ビルである建物の中で、たった1,2日席を空けただけで溜まりに溜まった書類に辟易していた。窓の外ではオフィス街が灰色に輝いている。文は単純に「やくざ」と言ってくれるが、表向きには企業である。刑事が来たならどうどうと名刺を渡してやるつもりだ。
「佐古…茶」
「どうぞ」
先程、彰彦が乱暴にネクタイを緩めたのを見て、佐古はお茶の準備をしていた。まるで長年連れ添った夫婦の如き呼吸である。
「メールは全部チェックして返信しておいたから、後は任せる」
「判りました」
「…あいつは今日も来てんのか?」
「………申し訳ありません」
日頃淡々と表情を変えない佐古が、ちょっとだけ眉をしかめて頭を下げた。彰彦は良いよと手を振るのだが、内心で「またか…」と溜息を禁じえなかった。彰彦でこれなのだから、須和等はもっとだろう。
先日の初対面以来、遊莉が文の元に通い詰めているのである。
「まぁある意味見張りになって良いさ」
ポリポリと頭を掻く彰彦は、文の回復に警戒を抱いていた。
流石に「一目惚れ」「命の恩人」ネタで留めておくのは納得がいかないだろう。そんな彼女が体の自由を取り戻して、勝手に外に出て行く事を懸念したのだ。
「だから、どこかのマンションにでも閉じこめておけば良いじゃないですか」
きっと忠信ならそう言うだろうな、と思ったら、それは幻聴ではなくて本物だった。
「どうした」
「ネズミの件です」
長身をスーツで包んだ須和は、今日もまた彰彦の知らない眼鏡をかけていた。一体幾つ持っているのだろう。一度見た眼鏡も次に会うサイクルが遠過ぎて、彰彦の中ではいつも新顔になってしまうのだ。
「また何か送ってきたか?」
「死体を」


遊莉が文に飛びついて勝手に感動して大騒ぎをしている頃、彰彦の元に届け物があった。商売柄、爆発物だのが届けられる可能性も高いので、そうしたチェックは細かにしている。そもそもが、家に直接物が来る事はなく、それらは全て彼の所有する会社を経由していた。
物騒な物ではなかった…が。
「…ネズミから?」
「お見舞いだそうです」
「お見舞いぃ?」
怪訝な声を隠そうともしない彰彦に、文が遊莉を持て余しながら視線を向ける。彼の手に渡った荷物は、バカラのペアグラスだった。
「何でペア…」
一瞬眉根を寄せた彰彦は、佐古と目を合わせた。
「知ってるぞっていう警告ですかね」
「警告される覚えがねぇな。むしろこっちが警告してやる側だろうが」
忌忌しく呟く彰彦を、文が不審そうな顔で見ていた。


そんな事を思い出しながら、彰彦は須和の報告を聞いた。
どうやら彰彦を狙撃しようとした(結果的に文を撃った)男が、港湾で死体となって浮かんだらしい。狙撃事件は揉み消したが、事情を知る懇意の職員が連絡を寄越したのだ。人の正義は人によりけりである。
「ネズミんとこの者だって証拠は…出ねぇだろうな」
そういった痕跡を消した上で、存在も抹消されたのだろう。彰彦を無事に撃っていればもう少し違う未来が開けていたのかもしれないが、同情する気は彰彦には無いし、そんな義理も無かった。
「文の上司は消えたまま。さーて、どうするかな」
「助けるんですか?」
「何で俺が。文も喜びゃしねぇだろうが」
ふーっと吐息でデスクの上の書類が飛ばないかな、と溜息を漏らした彰彦に、須和が渋い顔をした。文が出現してからというもの、彼の眉間の皴がドンドン定着していく気がする。彫りの深い顔立ちをしているから、怖くなるばかりだ。
「被疑者死亡…で片づけるワケにいかねぇし、ネズミは適当に処理しねぇとな。…あ〜何よりも文なんだよなぁ」
はーっと革張りの椅子にのけ反って、彰彦は呻いた。
あの文の不審そうな表情が瞼の裏から離れない…というのも、遊莉の元気さに辟易しつつ彰彦を見る文の視線が、一層不審気になってしまったのだ。
「…きっと俺が遊莉を押し付けたと思ってるぜ、あれは」
「本当に申し訳ないです。遊莉を閉じこめましょうか」
「出した時に地獄を見るからいい。それに、言っただろ見張りになってるって」
ぎゃいぎゃいと遊莉が喚き立てる姿が目に浮かび、それはそれでうんざりだった。口には出さないが、どうしてこの寡黙な佐古と遊莉がくっついたのか、未だに彰彦にとっては謎だ。


「でね、私は詔司とくっついたわけ。だからアキとは何の関係も無いから安心してね」
文もまた、彰彦と同じ謎の前に立ち尽していた。
衝撃の出会いから連日の様に文の元へ通ってくる遊莉に、辟易しているのはきっと文だけではないだろう。
明らかに出迎える竜や弥彦の様子がおかしいのだから。女嫌いだという須和に至っては、青ざめた顔で家を後にする姿を見てしまい、ちょっとだけ同情してしまった程だ。
「えーつまり要約すると、女優を目指して小遣い稼ぎにホステスしてたら、たまたま彰彦さんと出会って、彼に一目惚れして…」
「アキって格好いいじゃない?」
遊莉の語った装飾の多い話を頭の中で必至にまとめていると、語り切ってスッキリした遊莉が邪魔をする。
格好いいと言われても、こちらは最初の印象が無茶苦茶なのだ。
とりあえずその意見は無視する事にした。
「でも彰彦さんは振り返ってくれずに、相談に乗ってくれた佐古さんと…」
「詔司のあの細い目にズキュンときちゃったのよねーっ!」
きゃっとはしゃぐ遊莉に保がお茶を出す。
2人はリビングでお茶をしながら話をしていたのだが、保も竜も弥彦も遊莉の勢いに恐れをなしてか遠巻きにするばかりだ。
「私もさー店にいた時はセクハラオヤジにむかつき放しだったけど、文も苦労したのよねーっ。私達って判り合えると思わない?」
思わない、と言いたくても言えない。
「だってお互いに詔司とアキっていう、守ってくれるダーリンに出会えたんだもんね〜〜〜っ!!」
返事をするより先に、遊莉の言葉が先行するからだ。
文にしてみたら「守ってもらっている」というより、「誘拐・拉致」されたとしか思えないのだが。
体の傷は軽いものだったから、もう殆ど治ってきている。要は銃の傷で出た熱が問題だったのだ。それも落ち着いた今、文はどうにかして外に出れないものかと考える余裕が出来ていた。
一応彰彦にもそれを言ってみたのだが、「危ないから外には出るな」という素敵な返事があった。文にしてみたら、ここだって危ない場所には違いない。
「…ね、遊莉さん」
「遊莉って呼んでって何度も言ってるじゃない」
「…じゃ、じゃあ、遊莉」
「何?」
そっとソファに並んで腰掛けた遊莉に、文は小声で話しかけた。
近寄ると遊莉の小柄な割りに肉感的なプロポーションが目に入り、同じ女でもドキッとしてしまう。そのくせ顔は童顔だから、どこか小悪魔的な印象だ。
「私、買物に行きたいんだけどね」
「あーずっとパジャマだもんね!しかもそれってアキのでしょ?」
「え、これそうなの!?って、そうそう、いい加減パジャマから服になりたいんだけど、手持ちの服は少なくて…」
文は自分が着ていたパジャマの持ち主に驚きながら、頑張って話を軌道修正した。嘘ではなく、出張目的の鞄の中には、そう多くの衣類は入れてこなかったのだ。
「判るわぁ〜。女にとって洋服は人生の生命線よね」
例えがよく分からないが、頷いておいた。
「一緒に行ってくれないかな?」
「良いわよぉ」
「今からでもOK?」
「良いわよぉ?」
大きな目で了解する遊莉に、文は飛び跳ねて抱きつきたい心境だった。
彰彦も佐古も須和もいない今、皆が恐れをなしている遊莉と一緒なら外に出れる!そう文は考えたのである。

遊莉と文が部屋に引き上げていった後で、竜と弥彦が疲れた顔でキッチンに登場した。
遊莉のあのテンションに巻き込まれると、ヒットポイントを削り取られる気分がするのだ。美人だしプロポーションも良いのだが、あのエネルギーは何なのだろう。
「佐古さんて凄ぇ」
「俺、ちょっとだけ須和さんの気持ちが分かっちゃうかも」
保が出してくれたお茶を啜りながら、弥彦と竜が溜め息をつき合う。
いつも穏やかな保も、流石に遊莉のパワーの前では2人と同様になってしまうのだが。彼はふと「文さんは大丈夫かな」と呟いていた。何しろ、ここ数日その遊莉パワーをもろに食らっているのが文なのだ。今も引っ張られるように部屋に入っていったが…
「保さん、駄目だよ!」
「そうっすよ保さん、この平和を守りましょう!」
心配そうに部屋の様子を窺おうとする保に、弥彦と竜が小さく声を上げた。
万が一遊莉に聞こえたらマシンガンの様な反論が飛び出すに決まっているから、2人とも戦々恐々だ。
ズズズズーっとわざとらしく音を立ててお茶を啜る2人に、保は肩を竦めて苦笑するしかなかった。
すると、3人が平和を認識した瞬間に。
「帰るね〜〜〜〜〜っ!」
「うわっ!」
じゃあね、という声が玄関からリビングを突き抜けてキッチンまで到達する。
驚いてお茶をこぼした弥彦に、慌てて竜と保が布巾を手渡す最中にも、遊莉の声が家の中を揺らし続けた。
「何かあったら携帯に連絡してね〜〜〜〜っ」
「何も無いっすよ!」
濡れたテーブルと服を拭きながら弥彦が唸る。同感だと頷く竜の頭上で、保が一応遊莉に応えた。
「お気を付けて」
「はーい」
まるですぐそこにいるかのような声量で、遊莉が去っていく。
バタン!と閉じられた玄関ドアの音に、3人は同時に盛大な溜め息をついてしまった。
「本日の嵐、終了」
「ご苦労様っした」
「文さん、疲れてるんじゃないかな」
それぞれに感想を漏らして、苦笑しあった。
比較対象が元気過ぎるからかも知れないが、文の印象は大人しく穏やかな女性という感じになっていた。遊莉と同じテンションの女性なら、きっと今頃は嵐が2倍の勢力になっているに違いない。毎度、遊莉が登場する度に文の浮かべる苦笑が、彼らに奇妙な好感をもたらしていたりするのだ。
「お茶、持って行ってあげましょうかね」
「あ、俺が持ってきますよ」
はーいと手を上げた竜に、保がお茶を一式託す。
弥彦が濡れた服を着替えに、保が布巾を洗って…と穏やかに空気が流れ直した頃、文の元へ向かった竜の声が遊莉の嵐の去った家の中に響いた。
「あ、文さんがいませんけど〜〜〜〜っ!?」










初出…2008.1.28☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

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