No Brand Saurus

丸々とした目に、ちょっと上向きの鼻、そして厚めの唇。
小柄だが肉感的なスタイルは、少し童顔とも思える顔に奇妙な色気を与えていた。
ピンクのグロスで輝く唇が、不満そうに玄関に並んだ弥彦と竜を睨みつける。
「詔司いるんでしょ?何で来ちゃ駄目なのよ」
綺麗な丸いカーブを描いた眉が、ピクリと片方だけ跳ね上がる。スカルプチュアの付いた指が、デコレーションされた携帯電話をしっかりと握っていた。どうやら玄関先からかけてきたらしい。
須和はとっくに戦線を放棄して、彰彦と佐古に後を委ねた。どうせ弥彦と竜では、あの女を食い止められはしないのだから。
「保…お茶くれ」
「ミルクティーでも入れましょうか?」
胃に優しくミルクを大目に…と言う保に、須和は黙ってうんうんと頷いた。
ただでさえ嫌いな女が、これで同じ空間に2人。本気で精神的なダメージが響いてきた気がする。
「遊莉、どうした」
「お茶しに来たの。今日って別に会合の日じゃないでしょ?別に撃たれなかったんでしょ?」
困り果てている2人を下がらせて、佐古がスレンダーな体で玄関に立った。
体の幅は狭いのに、存在感では弥彦と竜が揃っても足下にも及ばない。そんな佐古の視線を真っ正面から受け止めて、遊莉は尋ねた。
「詔司もどうせこっちにいるんだろうと思ったし…何かまずいの?」
詔司、と下の名前で呼ばれても、佐古は表情を崩さなかった。遊莉もまた、尋ねるというよりは挑むという雰囲気で彼を見上げている。
「いや、まずいというか…」
「じゃ、上がらせてよ」
「いや、ちょっと待て…」
「何でよー!愛しの彼女がやってきたのに、嬉しくないっての!?」
噛みつきそうな勢いで怒鳴る遊莉に、佐古がうーんと困り果ててしまった。彼女の言う言葉に間違いは得にない。そう、遊莉は佐古の恋人なのだ。…が。
「…佐古、やかましいから通せ」
げんなりと顔を出した彰彦に、遊莉の笑顔が弾けた。
「やっぱりアキは話が判るね〜♪だから好きだったのよ!」
お邪魔しまーすと、佐古の脇をすり抜けて飛び跳ねていく遊莉に、男達の誰もがお互いの顔を見合わせてしまう。それは佐古と彰彦とて同様で。
「茶ぁ飲んだら帰れよ」
「え〜騒ぎの顛末を聞かせてよ〜」
やれやれとリビングに引き返そうとした彰彦の背中で、遊莉の足が突然止まった。リビングに通じる廊下で、気になる光景を目にしたからだ。その挙動と視線に、弥彦と竜がハッと動いたのもまたいけなかった。
「この部屋、何か使ってたっけ?」
それは、普段は使っていないはずの部屋のドア。そこが僅かに開いて隙間を見せていたのである。元陸上部の竜が、素晴らしい瞬発力で遊莉より先に、ドアに手を掛けようとしたのだが。
やはり元々の距離の近さには敵わなかった。
「何を騒いで…」
むぅっと飛び込んできた竜を睨んだ遊莉の目が、開け放ったドアの内側に吸い込まれた。
すると。

ベッドで横になっていた文は、中々下がらない熱と不安感から来る具合の悪さに苦しんでいた。いっそ眠れてしまえば楽なのに、何やら家の中が騒々しくなってきて気になってしまう。ただでさえ知らない家の中、安心材料なんてどこにも無いのだが。
「…何?」
突然ドアが開いた。
入り口に立っているのは、見知らぬ女。その背後には彰彦や竜、佐古の姿が見えるのだが…
「あんた誰?」
まるで喧嘩を売る様な挑発的な声で尋ねられた時、文も流石にムッとしてしまった。しかし、文が何かを言うより先に、佐古の手がドアに伸びてパシャンと視界を閉ざす。
閉じたドアと恋人を見比べて、遊莉が剣呑な目つきで彰彦を振り返った。
「私はこの家に泊めてもらった事、無いよね」
「無いな」
「じゃあ、今の女は、何!?」
ポリポリと彰彦が頭を掻いた。何だか物凄く面倒くさくなってきたな、というのが正直な感想だ。やる事はただでさえ山積み、文の出現で更にそれは増える一方なのに。
溜め息をつきながら回答をしない彰彦に、遊莉が飛びついて怒鳴った。
「私というものがありながら、あんな女も囲ってたの!?」
「お前が俺の何だってんだ!?」
「遊莉!」
堪らずに遊莉を彰彦から引きはがす佐古の声を聞きながら、須和は静かにダイニングで呟いた。
「ほら、だから女なんて嫌なんだよ」
苦々しい表情の彼に対して、保は苦笑するしかなかったが。


大きな体に不釣り合いな可愛いトレイを持って、保が文の部屋に消えるのを遊莉がメラメラと炎を燃やす瞳で見送った。彼女の視線に脅える事無く、保は横になっている文に微笑む。
「具合はどうですか」
良いも悪いも見た通りだと、文は体を起こした。
実際のところ、熱は気まぐれに上下を繰り返し、脇腹の傷は奇跡でも起きない限りは瞬時に治ったりはしない。これが病院なら開き直ってゆっくり休めるのだろうが、まず場所が見知らぬ家というのも精神上は良くないかと思われる。
「だから、病院にでも放り込んでもらえると良いんだけど」
「病院は安全ではありませんよ」
ベッドサイドに腰かけ、しゃりしゃりと林檎を剥き出した保に文は眉をしかめた。
「病院の方が安全でしょう?」
「違いますよ、ここが一番安全です」
「だ、だってここ、ここって…」
語尾を小さくして、文は思い切って口にした。「ヤクザの家でしょ?」と。
「まぁ、そうですね。昔ながらの仁侠とはまた違うんでしょうが」
しゃりしゃりと林檎の皮を綺麗に一枚つなぎで剥き終わり、保がそれを切り分けていく。
大きな体をしているのに、指先の動きはとても繊細で丁寧だ。
「アキさんが守ってくれてるこの家が、あなたにとって一番安全です」
その彰彦は今、遊莉からの猛口撃に遭って閉口している。文の事を説明するのに一苦労どころか二苦労三苦労はしそうな情勢だった。そもそも何故遊莉にこんな説明をする必要があるのか?と彰彦も段々と憮然としてきていたが、それは保の知るところではない。
「私を命の恩人だから家に迎えるなんて、信じられない話なんだけど」
「そうですね、でも、事実だ」
はい、と林檎を差し出す保に、文は何だか気が抜けてきてしまう。
「何だかなーこうゆう事ってあるんだなーって思っちゃう。最悪に最悪が重なって…」
「プラスになったんじゃないですか?」
「…これは、プラスな状況?」
クスッと笑った文に、保もタトゥーの入った首を竦めてニッコリ笑う。案外と優しい目をしているスキンヘッドの大男は、紅茶の準備もしてくれていたらしい。小さく見えるカップを差し出されて受け取ると、それは充分に平均的なサイズのものだった。
「ロシアンティーですが、お気に召すかな?」
ほんのり甘くて美味しい紅茶に、文は頷く。そういえば、こんな風にゆっくりとお茶を飲むなんて、いつぶりだろうか。フリーター生活の頃は節約生活で、就職してからは忙しくてペットボトルから直接飲める物しか口にしていなかった気がする。
「アキさんがわりと紅茶党だから、色々揃えてあるんですよ」
「…ヤクザ屋さんて、お酒かコーヒーじゃないの?」
「さて、どうですか。アキさんはヘビースモーカーでも無いし、お酒も嗜む程度ですよ。会合やら何やらで飲まなきゃいけない席も多いですが。基本的には強いんでしょうね、あまり酔った姿を見た事がない」
「ふぅん…」
そういえば見た目も、ヤクザというよりはサラリーマン風かもしれない。ちょっとゴツイかもしれないが。
「酔っ払いなんて最悪だからね。ホント、酔ってるのを理由にして、好き放題だし…」
最悪の例えで脳裏を過るのは、やはり柿本だ。会社の飲み会の時は必ずと言って良いほど、文にセクハラの嵐を降らせた男。お粗末な物を見せられた事もあれば、ラブホテルに引っ張り込まれそうになった事もある。それも全て、「いやぁ昨日は悪酔いしたな」で誤魔化すのだ。
「随分…嫌な思いをしたんですね」
「極め付けが今回の出張なんだけどっ」
くそ〜っと思い返すと悔しくなって、思わず林檎に齧り付いてしまう。柿本が襲ってこなければ、あんなに勢いに任せてコスプレ姿で道を歩く事も無く、結果ここにこうしている事も無かった筈だ。
色々な元凶が全て柿本にある気がして、文は煮えたぎる腹のうちに唇を噛んだが、心配そうに覗き込む保の視線にハッと表情を元通りに繕う。
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫大丈夫。もう終わった事だし、全然大丈夫」
へっちゃらーと笑う文に保が何か言いかけたところで、部屋に彰彦が顔を出した。

遊莉には、文がここに住む事を何とか納得させたという。
別に遊莉の許可を取る必要は全く無いのだが、ただひたすらにやかましいからというのが理由だ。佐古の忍耐強さが伺えるキャラクターだ。いや、もしかしたら意外性を示すキャラクターかもしれない。
「俺にもお茶くれ」
「同じ物で良いですか?」
部屋を後にする保と入れ替わる様に、彰彦が頷きながらベッドサイドに座る。
彼は剥かれた林檎に手をつけながら、文の顔を覗き込んで眉をしかめた。
「何を泣きそうな顔してんだ、お前」
「は…?」
突然何を…と目を丸くした文の顔に手を伸ばすと、彰彦は彼女の目元を指でわしゃわしゃと撫でる。一見乱暴そうだが、力は加減された扱いだった。
「顔が緊張してんだろうが。やめろよ、首も凝るぞ、それ」
「…え」
止せ止せと顔を振る彰彦に、文は何を言われているのか判らなくてキョトンとした。だが、呆けた顔が意識の制御を上回った瞬間、それは不意にやって来た。
突然文の目に涙が浮かんだのだ。
その感触に本人が驚いてしまうくらいに、突然に。
「…わっ」
「止めるな、出しちまえ」
慌てて目元に手をやった文だが、それを彰彦が止めた。驚いた目からは次から次と、涙が溢れて零れ出してしく。
「今朝も思ったんだけどよ、お前ちょっと気持ちを溜め込み過ぎじゃねぇのか?パンパンにしてから言うんじゃなくて、思った時に思った事を言えよ」
「…そんな、別に溜め込んでるわけじゃ無いけど…」
「嫌な事があったんなら、嫌だって言え。耐えられないんなら、耐えられないって言え。不安があるなら、何が不安か言え。全部聞いてやるから」
でんと構えて言い切る彰彦に、文はグッと唇を噛んだ。
「………言っても、判らないわ」
嫌な事も耐え難い事も不安も、全て語るには彰彦は文を知らな過ぎると思った。それを全て説明するには、どれだけの時間が必要なのだろう。
きっとこの男は、途中で聞くのが嫌になる。
そう思った文が再び顔を固めていくのを見て、彰彦が彼女の顎を掴んで自分の方を向かせてしまった。
「判る様に全部言えば良いだろうが。とにかくその我慢した面はするな!眉間にシワがよる!」
「し、シワって、私は別に我慢なんて…っ」
「してる!我慢してるって面をしてるぞ!良いか、これから一緒に暮らすんだ、俺はお前のそんな面を見せられるのはご免だからな!」
「そんな面もこんな面もそれが私の面よ!」
「いーや違うね、寝顔はもっと可愛い面してたぞ?」
「ねが…っ!何見てるのよ〜〜〜〜っ!!」
彰彦の手を払って叫ぶ文は、顔を真っ赤に染めていた。寝顔を見られていたなんて、全く考えていなかったからだ。顔を背けようとする彼女に対して、彰彦は文の顔を自分の方へ向けさせようとする。
「どうせ途中で飽きるよ!」
「ああ、そうかもな。だから要領良く話せっ」
「要領良く話せても長いし、私の個人的な事だし!」
「だから、お前の抱えてるもんを俺も抱えるっつってんだ!個人的な事で良いんだよ!!」
ぎゃあぎゃあと喚き合いながら押し合いへし合い小さな攻防を続ける2人だったが、文は脇腹の傷で体に上手く力が入らずにすぐに息が上がってきてしまった。そんな彼女の顔を両手で包み込み、彰彦が一転して落ち着いた声音で言った。
「知らなきゃ始らないだろうが、知ってかなきゃならないだろうが、だから話せ」
覗き込む彰彦の瞳は案外茶色くて、文はそこに映る自分の姿を見た気がした。
「…私が話したら、そっちも話してくれる?」
「あん?」
「私をどうしてここに置くのか、その理由」
一目惚れだなんて理由を素直に信じられる程、文は子供ではない。そして、裏家業と判ってる以上、安心していられる程に、文は肝も据わっていない。
逆に覗き込んでくる文の瞳を受け止めながら、彰彦は一瞬逡巡し、そして口を開いた。
「彰彦だ」
「はい?」
「そっち、じゃなくて、俺は彰彦。高刀彰彦。だから、そっちじゃなくて、彰彦と呼べ」
「…はい?」
突然の話題転換に、文の目がキョトンと丸くなった。
確かに、この家の人々は彼の事を「アキさん」と呼んでいる。そして、彼らは勝手に文の事を「文さん」だの「文」と呼んでいる。
しかし、だからって今、そんな話をしなくても。
誤魔化した、と文がそれを突っ込もうとした瞬間、突然にドアがバン!と開いた。
見つめ合っていた状況でギョッとした2人が、同時にドアを振り向くと。
「文〜〜〜〜〜っ!!」
何を思ったのか遊莉が飛び込んできて、彰彦を押しのけて文に抱きついたのである。
彼女の名を叫びながら。










初出…2008.1.21☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

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