No Brand Saurus

意識を取り戻した文に、彰彦が改めて顔を見せた。
「俺はお前を、うちに迎えたいと思う」
そんな第一声に、文はどんな顔をして良いのか判らなかった。




曰く、銃で狙われた場面に飛び込んできて、命を救ってもらった事に感動した…というのだが。そんな言葉が信じられないのは、彼の表情を見れば一目瞭然だと文は思う。彰彦もまた文の表情から「信じてねぇ」と理解するのは容易な事だった。お互いに信じられていない。
「だからあれだ、一目惚れっていうだろうが!」
「えええっ!?」
ベッドから飛び起きそうな勢いで驚く文を、慌てて彰彦が押さえ付ける。
何だろうか、この色っぽい話の筈なのに色っぽくならない空気は…どちらも頭を抱えたくなった。
「どこまで本気なの?」
「全部本気だ」
「私をここに迎える…?」
「ああ、傷が治ってもここにいろって事だ」
ハッキリと言い切る彰彦に、文は参ってしまった。…惚れたという意味ではなく、理解の範疇を越えたのだ。文の常識の枠を簡単に飛び越えて、この男は飛んでもない事を口にしている。
何をどう言おうが、これは誘拐だ、拉致だ、監禁だ。
「違う、断じて違う。これは愛情だ、一目惚れだ、命を救われた事への感謝だ」
2人の意見は何処まで行っても平行線だった。
彰彦も本当の部分の説明が出来ないのが辛いと、内心で頭を抱える。まさか彼女に「御婆に運命の女と言われたから」だなんて言っても判らないだろう。
不信感を隠そうとしない文の視線に、彰彦は腕組みをして唸った。
唸って、どう説得しようか考えて…
「また後で」
駄目だ判らないと思考を放り投げた彰彦に、文が愕然とした。
そんな彼女の視線に、彰彦が多少反撃したくなる。
「つうかお前、あんな格好で道歩いてたのは何なんだよ」
襲撃者と彰彦達の間に現れた時、婦警のコスプレをしていたのは何だと問われると、文がハッと視線を逸らした。その記憶は柿本の不愉快な記憶に直結し、そしてそのまま職を失った不安への扉を開く。
途端に顔色を悪くした文に、彰彦が小さく溜息をついて部屋を後にした。
「とにかく休めよ」


パタンと静かに閉じられたドアに、文はふーっと全身から力を抜いてベッドに沈んだ。
この異様な状況が段々と理解は出来てきたが、納得は出来ない。かと言って、裸足でここから飛び出してどうしようという気持ちも力も沸かないのも事実だった。
おかしな話だが、彰彦が自分をここに留め置くという異常事態が、厳しい現実から文を逃避させてくれている。そう、自分で逃げてるんじゃない、彼によって道を外されているのだ…と自分を誤魔化す事が出来るのだ。
「どうしよう…」
文は両手で顔を覆った。
誤魔化していると判っているのだ。柿本を殴りクビと言われた事実は消えはしない。会社の事、生活の事、次の仕事探しの事、それを親に友達に言う事、部屋の家賃から何から何までが胸に重くのし掛かる。
今すぐにでも東京に戻って、それらを全て綺麗に片づけてしまいたい衝動と。
このままここに止まって、全てから目を逸らしてしまいたい欲望と。
様々な感情が体の中で渦巻いて、文の心を重く重くどこまでも深い奈落の底へと落とし込んでいった。

リビングで佐古がコーヒーを飲んでいた。
文の元から戻ってきた彰彦がドカッとソファに落ちると、細い目を面白そうに曲げて彼を見る。何も言わないが、空気が雄弁に物語っている。
「笑いごっちゃねぇぜ」
「笑ってませんよ、動いてきました」
数枚の資料をテーブルに広げる彼に、彰彦がうんざりと体を起こした。色々とやる事はあるのだが、いきなり降って湧いた「運命の女」と銃撃のおかげで気持ちが散り散りだ。
「こればかりは他に任せるわけにもいきませんで」
文の事は下っ端には関わらせられないと言いながら、佐古がまず彰彦に見せたのは東京のイベント企画会社の会社概要の資料だった。文の勤めている(た)会社だ。資料に手書きで書き込まれた文章に「柿本」という文字があった。
「文さんの会社の上司ですね。聞いてみると、随分なセクハラ野郎だとか」
「ああ、成程な」
文の叫びが蘇る…成程、どうやら随分な被害に遭っていた事は間違いなさそうだ。
「どう聞いたってクズ野郎で反吐が出るんですが、そいつと出張でこっちに来てたらしい。ただね、行方不明なんですよ」
「文がだろ?ここにいるんだから」
文の眠る部屋を振り返る彰彦に、佐古はしかし首を縦には振らなかった。
「この柿本ってのも、行方不明になってるんですよ」
眉をピクリと寄せた彰彦に、佐古はもう一つ…と人差し指を立てる。
「昨日の現場を張らせてた連中から上がってきた話なんですが、あの道を胡散臭い中年男が「婦警姿の女を見なかったか」と方々に訊いて歩いてたらしい」
「訊いて回った後で、行方不明か?」
頷く佐古に、彰彦は昨日買い求めたばかりの煙草に火を点けた。吸い慣れない味が意識を逆にクリアにしていく。異物が入り込んでくる感じだ。
「ネズミが関わってると思うか」
「昨日の鉄砲玉がネズミなら、間違いなく関わってるでしょうね」
「…文の事をどう思うだろうな、あのネズ公は」
まさか、と思い出す。
御婆に声を掛けられた時、根津は確実に立ち去った後だったろうか。御婆ははっきりと「女」と口にした。そう「見つけたね、女を」と言ったのだ。繋げるのは乱暴かもしれないが、粗雑だからこそアイツによくお似合いだ。もしあの時、根津の耳がその言葉を捉えていたのだとしたら。
「文を隠しておかねぇとな」
「会社と実家、部屋の方は手を回しておきました。文さんも、セクハラ野郎と駆け落ち扱いじゃ憤懣やる方ないでしょうから」
穏やかに微笑む佐古の手回しの良さに、彰彦がニヤリと笑った。

その頃、文の勤めていた社内での見解は、大体一つにまとまっていた。
柿本は恐らく文に対して最終的なラインを迫ったのだろう。
結果的にそれがどうなったかは判らないが、文の親戚を名乗る人物から「文が酷く傷ついている。もう会社には行かせられない」旨の電話があった時、誰もが頷いてしまったのは事実だ。
流石に拙いと思ったのか柿本も姿をくらませた、というのが一番納得できる結論だった。
正直なところ、あまり2人の行方に本気で心配する者もいない。
中には面白がって、柿本が文を手にかけようとして抵抗されたので殺してしまったのでは…と2時間サスペンスさながらのストーリーを語った社員もいたほどだ。
そんな空気の中で、立科透は文の使っていたデスクを見つめて唇を歪めた。
一体何があったのか…柿本のジジイめ、本気でどこまで腐った野郎なんだと。同じ男として虫酸が走る。それが上司で無ければ殴って済ませる事も出来たかもしれないが、そこで自分の立場を思ってしまった事に立科は更に深い溜め息をつく。
くりっとした大きな目が印象的な、頑張り屋さんだった文。彼女が笑顔の下に苦悩を隠している事なんて、かなり早い段階から判っていたのに。
「部屋は親戚の方が片づけるらしいわよ」
「じゃあ、私物は…」
「処分しちゃって良いってさ。それよりもさ、ジジイはいつ出てくるつもりだろうね」
「今頃どっかで首括ってるんじゃねぇの?」
「あいつがー?それはないでしょー、ないない」
「とりあえず仕事どうするよ」
社内のやり取りを聞きながら、立科は静かに立ち上がった。
「彼女の私物は、俺がご実家に持って行くよ」
彼女の両親なり知人なりに会って、少しでも何があったのか、大丈夫なのかが判れば…と。そう提案した彼に異を唱える者はいなかった。
そもそも、自分以外に責任の薄い人間の集まりなのだ。

ぱちぱちと弥彦の手がキーボードを叩いている。
彼の使っているシステムは、高刀組が持つ全てのシステムと繋がっている大本になっていた。幾つかダミーのサーバも持っているし、海外にも拠点を作ってあるが、やはり最終的には日本人を信用する。彰彦のそうした信頼を受けたのが、弥彦である。
「弥彦、この警察の資料なんだけどな」
「あ〜また眼鏡が変わってるっすねぇ」
頭がこんがらがりそうな配線を避けながら部屋に入ってきた須和に、弥彦が振り向かないまま言った。背中に目があるのではなく、部屋の監視モニターがデスク脇に置いてあるのだ。
そこに映る須和の眼鏡が朝と違う。
「不愉快なもんを見たから気分転換だ」
「あんまり言うと怒られますよぉ」
ひひっと笑う弥彦の頭を、手にしていた資料でポンと叩いて須和が溜め息をついた。
いつ入ってもモニターと配線だらけで、須和には何が何やらの部屋である。パソコンを普通に使う事は出来ても、ここまでくると別世界の話だ。
「っとに、冗談じゃねぇよな」
「須和さんの女嫌いもとことんっすからねぇ〜。これを調べりゃ良いんですか?」
受け取った資料をめくりながら、弥彦は脳内で文の事を思い起こした。
須和の女嫌いからすれば、文がどんな外見・性格であれ関係ない。女だから気にくわないのだ。いっそ眼鏡に女性を映さない機能があれば良いのに、いつだったか須和がそう呟いた事を覚えている。
「あの女がアキさんをてっぺんに導くって?組の連中が聴いたらどんな顔をするか…」
ありえないと小さく首を振る須和だが、弥彦はう〜んと考えてしまう。
「でも、荒神親父の話を聞くと…信憑性あるんじゃないすかぁ?」
「その話を全員が知ってりゃ良いが、御婆の事は漏らしにくいからな」
荒神の伝説の影に御婆あり。
それを知っていても、やはりどこか信じられない。
突然現れた女が彰彦の道を照らすだなどと、どう信じたら良いというのか。
「ラッキーアイテムとして様子見だ」
御婆が「見つけたね」と言う以上、無闇に放り出す事は出来ない。どうやら根津が文の事に勘付いた可能性もあるとくれば、それは尚更だった。
「むしろ爆弾抱え込んだみたいだな、ひひ」
どうなる事やらと笑う弥彦に、須和が忌忌しそうに頭も振った。
「…アキさんの事だから、暫くは物珍しさで手元に置いておいて…飽きてくれると良いんだが」
「それもさもありなんっすねぇ」
そういえば、また煙草の銘柄が変わっていた気がすると、弥彦は思い出した。
元々それほど煙草を吸う方じゃない彰彦だから、適当な気分転換に銘柄を変えているだけかもしれないが。それにしても、あまり一つの事に深くのめり込む事を嫌う傾向がある男だ。この家業にしても、何だか成り行きでここまでやってきた感も抱いているのではないか。本気になりきれてない彰彦の様子が判るからこそ、根津は彼に負けている事が悔しくて堪らないのだろう。
「俺なら3秒で飽きる」
「須和さんのは飽きるじゃなくて、嫌いでしょ」
「あ〜に〜き!」
呑気な声が部屋に飛び込んでくる。
振り返らずとも竜と判っているから、弥彦は背中で何だと返した。手は相変わらずパチパチとキーボードを叩き続けていた。
「遊莉さんから『遊び行っても良いか〜』って電話入ってるんすけど」
子機を手に「どうしますか〜?」と尋ねる竜に、弥彦と須和がハッと顔を見合わせた。
「佐古さんは!?」
「アキさんと怖い顔して話してるから…」
眉を寄せる竜に、弥彦と須和は目と目で会話した。
遊莉の事だから、それは「良い?」ではなくて「何か食べる物とかある?」という事だろう。完全にこの家をお寛ぎスペースと勘違いしている節がある女なのだ。
いつもなら彰彦も放っておくが、今日はまずい。
というよりも、これからは、マズイ…のではないか。
「一応断れ」
「えっ!?」
須和の声に竜が目を丸くした。
それなら代わって言ってくれ…と思うが、女嫌いの須和は電話で女の声を耳にする事も嫌がる。時報の声でさえムカツクと言い切った男だ。
「アニキ…」
「込み入ってるから無理って言え、切れ!」
「でも…」
「後で佐古さんから連絡してもらうから!」
切れ切れと繰り返す2人に、竜は致し方なく覚悟を決めて待たせている相手を呼んだ。
すぐに平謝りし始める竜の声を聞きながら、須和は「アキさんに確認してくる」と立ち上がった。
「竜の電話が切れたら速攻で佐古さんに噛みつきますよぉ」
「判ってる!」
うひゃ〜と唸る弥彦に、須和は苦々しい顔をして怒鳴った。
これだから女は嫌いなんだ!と。


しかし、竜が電話を切り、須和が彰彦達のいるリビングに向かった、その瞬間。
ピンポーンと滅多に使われる事の無い呼び鈴が、高刀家に響き渡った。










初出…2008.1.14☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。