「で、どうなったの?」
興味津々と話を聞いていた遊莉が、ぱきっとポテトチップスを噛みながら文を見つめた。
その大きな瞳がキラキラと輝いているのは、アイメイクのせいばかりじゃない。
佐古からは殆ど何も聞いていないらしい彼女は、楓の一件を弥彦と竜から聞き出して歓声を上げていた。
「で、あのムカ女が消えた後はどーなったのよ〜っ!!」
きゃ〜〜〜っとソファの上で跳ねる遊莉の振動を受けながら、文はそっと顔を赤らめた。
あの日の事を思い出すと、どうしても顔が赤くなるのだ。
「それは、その…」
「何、何何何!?」
「実は…その…一晩中…」
「きゃーだ〜〜〜っ!アキったら一晩中文を離さなかったの!?」
「…喧嘩してたの」
わーっと頂点まで跳ね上がった遊莉が、ストンと戻ってきた。
保がベッドメイキングをしてくれている間、何とも気まずい沈黙が落ちていた。
一応、片や部下との浮気疑惑があって。
一応、片や元彼との浮気疑惑があって。
関係ないつもりでいながら、文はしっかりそれが気になっていた事に今更気付く。
チラチラと脳裏を過っていた楓の姿が消えていた。
頭の中に響くのは、先程の彰彦の発言。
ハッキリと楓を拒絶した言葉に、文は嬉しかったのだと思う。
きっと嬉しかったと、自分でも他人事の様に思ってしまう。
それを丸ごと自分で受け止めるには、ちょっと恥ずかしさが強過ぎて。
「…それがどうして喧嘩に発展するの」
「だからね」
文の心の揺れを聞きながら、遊莉の眉間には皴。
「あの人、帰しちゃって良かったの?」
「残してどうするってんだよ」
沈黙に耐えきれなくなった文の言葉にも、彰彦は素っ気無い。
「仲良かったんじゃ」
「良くねぇよ、部下だ」
ただの、と付け足した彰彦が、チラリと文を見下ろす。
「お前こそ、良いのか」
「何が?」
「気になる相手がいるんだろうが」
「…正宗の事?」
そういえば佐古は説明も何もしないまま、楓を送って行ってしまった。
だから彰彦は、文が正宗の誘いを断った事を知らないのだろう。
「あれは」と説明しようとした文は、見上げた彰彦のこめかみを凝視して、固まった。
「…血管浮かべて怒る事無いじゃない」
やだやだ、とうんざりと吐息を吐いた文に、遊莉が手を振った。
「いやいやいや、そうじゃないでしょ、文ちゃーん」
「そっからもうずっと怒ってるの!もー何言っても駄目!」
「だって、そりゃアキだって」
言っても判らないものかなぁ、と遊莉は首を傾げた。
どうもこの子はしっかりしているようで、抜けている。
見ていて疲れる、と遊莉に語ったのは佐古だ。
「仕方ないでしょう、正宗と付き合ってたって過去は消えないんだから!」
「正宗正宗正宗って五月蝿ぇんだよ!」
「他になんて言えっていうのよ、正宗様!?元彼?元ボーイフレンド!?元恋人!?正宗は正宗なんだから良いじゃない!」
どうしろって言うのよね、と思い出して怒っている文に、遊莉は暫し悩んだ。
だが、あまり深く考え込むのは自分の得意ではない。
だから遊莉はあっさりと文に言った。
「アキはさ、文に『彰彦』って呼んで欲しいんじゃん?」
「は?」
ポカン、と文の目が丸くなって固まった。
そんなに意外な事を言っただろうか?と遊莉も少し不安になったが、いや自分は間違っていない。こと恋愛に関してはこの2人より自分の方が達人である!と拳を握った。
「文はさ、アキをなんて呼んでるんだっけ?」
「彰彦さん」
「元彼は?」
「正宗」
にんまりと笑った遊莉に、文が「えーっ」と頬を赤く染めた。
そんな程度の事に拘って怒ったりするのか?
「うそーっ」
「そりゃさーアキだってさ一緒に寝てる女から「さん」付けで呼ばれたらよそよそしく感じて…」
「一緒には寝てないよーっ」
「………へ?」
やだやだーと困ったように顔を赤らめていた文の否定に、遊莉がギョッとした。
「寝てないの!?」
「うん」
「だって、文ってアキの部屋で…」
「あの人、別のベッドで寝てるから…」
遊莉が衝撃の余りからか、ソファに崩れ落ちて…気を失っていた。
そうなのだ。
実は彰彦とはそういった事実は無いのだ。
怪我やら何やらとあったからという理由もあって、彼は別のベッドで寝ているのだ。
自分のだ、と言いながらも無理矢理に手を出そうとはしてこない彼に、文は8割安心して2割不満…というよりも不安を感じていた。
「別に…何して欲しいってわけじゃないけど」
真剣に気絶してしまった遊莉を介抱していると、珍しく夕方の内に彰彦と佐古が須和を伴って帰宅した。
ひっくり返っている遊莉に、佐古は細い目を少し丸くして、事情を聞いて納得したように頷いた。
もしかして初めてじゃないのか?
「連れて帰るんですか?」
「寝かせておけば大丈夫」
「車、回しますよ」
須和が一緒に玄関にUターンするのを見送りながら、ふと文は思った。
もしかして…いや、もしかしなくても、佐古と遊莉は一緒のベッドなんだろうな、と。そしてその色は…
遊莉の部屋で見たピンクの洪水が瞼に押し寄せてきて、文は眩暈を覚えた。
凄いよ佐古さん…!
「何話してたんだ?」
遊莉が気絶する様な内容が気になったらしい、彰彦の問い掛けに文は少し間を置いて答えた。
「彰彦も気になる?」
「そりゃな、あいつが気絶する………おい」
「教えない」
「そうじゃなくて、おい」
パタパタとキッチンに飛び込もうとする。
あそこに行けば保さんがいるから、素敵な障壁になってくれる。
だが、腕を彰彦に捕まれて体が止まる。
「ちょっ」
「何て言った?」
「何よ、まだ怒ってるの?」
「そうじゃねぇだろ」
「彰彦のおこりんぼっ」
遊莉の口調を真似てみた。…が、恥ずかしくて彰彦の顔は見られないまま、俯いたまま言ったので、何をしているのやらである。
駄目だ、顔が赤くなるのが自分でも判る。
「おい」
「ぎゃっ」
折角俯いて誤魔化していた顔を、彰彦が無理矢理に顎を掴んで上向かせた。
バッチリと視線が噛み合った先にある彰彦の顔を、ぐしゃぐしゃにかき回してやりたい気分。
いや、自分の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜたい気分。
どっちでも良いから、見つめないで-
口を開こうとしたが、何故だか震えてしまった文が唇を噛むと。
何を思ったのか、彰彦がニヤリと嬉しそうに笑った。
「今夜から一緒に寝るか?」
バキ!
ドスン!
凄まじい衝撃音が続いて、驚いた保がキッチンから顔を出す。
何事かと弥彦と竜も足音を立てて現れると。
そこでは、文が仁王立ちしている足下で彰彦が崩れ落ちていた。
サーッと弥彦・竜の2人から血の気が引く。
これは何事!?
「てめぇ、不意打ちだろうが!」
「ばばばばバカ!」
「何がだ!怪我もとっくに治ってんだし、あそこは俺のベッドだろうが!」
「じゃあ私が他の部屋に移れば良いんじゃない!」
「アホ言え!俺がいないと寂しがるくせしやがって-」
「誰がよ〜〜〜〜っ!」
「お前がだよ、文!」
「彰彦の、バカ!」
もう一発、派手な音を立てて彰彦を殴り倒した文が、ズンズンとリビングを立ち去って行く。
その恐ろしい光景に身動きとれない2人とは違い、保は苦笑しながら彰彦に手を貸した。
何があったかは知らないが、大した問題じゃないのだろう。
「夕飯までに仲直り出来ますかね」
「当たり前だろ」
そうだろうと保は思う。
何故なら、彰彦は殴られているのに満足げに笑い、文は怒っていながらも違う赤色で頬を染めていた。
楓は悔しくて仕方なかったが、だから逆に仕事を辞めなかった。
自分を虚仮にした男を何としてでも…!
そう執念を燃やし始めた楓を、しかし外から無理に辞めさせた人がいた。
彼女の父だ。
「どうしてですか!」
「あの男は無理だ」
「だから、どうして…」
ムキになる娘を、父親は哀れで可愛そうで可愛らしいと思いを込めて見つめた。
世間知らずなのは自分の責任だが、今回は本当に相手が悪い。
何故ならば。
「彼は女神を手に入れたと、専らの評判だからだよ」
ある程度の人間には知れていた、荒神のお婆の事。
どうやら彰彦も自分の女神を手に入れたらしい。
荒神の実績を考えれば、彰彦の今後も伺い知れると言うものだ。
「女神?」
目を丸くする娘に、父親は言った。
「お前も、自分を女神と思ってくれる相手を探しなさい」
世の中には、未だ仕える神も崇める神も愛すべき神も手に出来ない輩がいっぱいいるのだから。
「自分の力でね」
不祥事を揉み消すのは今回キリとハッキリと言われ、楓は肩を落とすのだった。
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