No Brand Saurus

彰彦が須和の車で帰宅したのは、予定より早い時間だった。
心配そうに出てきた竜は、きょろきょろと屋敷内を見渡しながら彰彦の背後をうかがう。が、そこに彼の期待した佐古の顔は無い。
「何だよ」
「え、あ、え?」
玄関に出迎えに来たかと思った竜の不審な動きに、彰彦の疲れた顔に皺が寄る。
その様子に、竜は彼が何も知らないのだと気付いた。
佐古は、一体どうゆうつもりだろうか。
佐古は、文をどうするつもりだろうか。
弥彦の見守っていたモニターには、不法侵入の女と入れ替わりに出て行ってしまった文がしっかりと映し出されていたのだ。佐古の命令で弥彦がそれを追って出て行き、竜は家の中に入ったと思われる女を警戒するように言われていた。
だが、その女が部屋から出てきた気配はない。
「ったりぃ…おい、文は?」
「え?えええ?」
「何だよお前は」
しどろもどろな竜に彰彦が不気味そうな視線を飛ばすと、保が奥から顔を出した。
「文さんなら夕飯後ずっとお部屋ですよ」
「あん?何だあいつ、寝てんのか?」
不貞寝か?とネクタイを解きながら部屋に向かう彰彦に、竜が何とも言えないうめき声をあげた。須和も保も、彰彦同様に目を丸くする。
「お前、具合でも悪いんじゃねぇのか?」
「どうした?」
心配してくれる須和には悪いが、竜の眼は彰彦に釘つけだ。
手が、文のいる筈の部屋のドアにかかる。
静かな音を立てて、ドアが開く。
その向こうには。
竜が「うわぁ」と顔を両手で覆った。

まだ日が変わるには多少の間があった。
深夜というには早く、夜の始まりはとうに過ぎている時間帯。
街の中は相変わらず騒然と活動を続けている。
慣れないヒールで踵を痛めた文は、足を半分引きずりながら広場をそっと覗きこんだ。
オレンジ色の外套がサテライトを怪しく照らす。
待ち合わせの時間は少し過ぎていた。
正宗が遅刻したことはほとんどない。…いや、無い。
だからいる筈だと注意深くあたりを見渡した文は、まるで学生のように佇む、昔と変わらない記憶の中のままの正宗の姿を見つけた。
ああ、本当にいるんだ。
思わず感心してしまった。
「……さて」
会うだけ。
会って、挨拶して、近況報告でもして、誤解を解いて、さよならするだけ。
そう、それだけ。
とりあえず「助けだされる」緊急性は無いよ、と言うだけでも会う理由になるんじゃないか。
彰彦だって、ああして夜ばいまで仕掛けてくる相手がいるんだから。
私が元彼に会うぐらいの事は…
『俺はお前の何だろうな?』
そんなの、こっちが聞きたい。
私に答えを預けないで。
高圧的で命令的で勝手な癖に、肝心な部分で回答を委ねないで。
ギシギシと安定しない足下の痛みを、一歩が踏み出せない理由にしたかった。
「ふぅ」
深呼吸1つして、意を決した文が一歩を踏み出そうとした瞬間。
ポンと誰かが肩を叩いた。

驚いて振り返ると、佐古の姿がそこにあった。
「佐古さ…」
「止めはしませんが」
まさか彰彦が一緒かと思ったら、彼は1人でそこにいた。
スーツ姿の彼は、まるで残業で遅くなった帰宅途中のサラリーマンそのものだ。実際そうなのかもしれないが、そうじゃない事もよく知っている。
思わず「警察の正宗と会っちゃまずいのでは」なんて心配をしてしまった文に、彼は冷静な声で言った。
「行けば、容赦しません」
そして彼が見つめたのは文ではなく、遠くで彼女を待つ正宗だった。
「…え?」
「覚悟があればどうぞ」
「どうぞって…容赦って…それ」
正宗に何かするって事?
驚いて思わず佐古の方に一歩を踏み出そうとした文を、鈍い痛みが襲った。そうだ、靴擦れが酷いんだ。
「大丈夫ですか?」
そっと手を貸してくれる佐古は優しい。
優しいのに、恐ろしい事を言う。
細い目を見上げて見つめると、佐古も逸らさずに視線を文に落とした。
黙って見つめ合う2人は、傍からみたらどんな風に思われるだろう。
「帰るなら送ります。アキさんが心配する…」
「私は、あの人の何ですか」
「アキさんに聞いて下さい」
それはそうだ。
でも、聞いてみたかった。
不意に手にしていた携帯電話が振動した。
画面を確認しなくても、視線を投げれば携帯電話を耳に当てている正宗の姿が映る。きっと、まだ来ない文を心配してくれているのだろう。
嫌いになって別れたわけじゃない。
だけど、今でも好きなわけでもない。
「私に言えるのは、彼の為にも戻るべきだという事だけです」
彰彦の元へ。
振動を続ける携帯を見つめ、文は佐古の声を聞いた。
そう、元々一緒に行くつもりはなかったのだ。
ただ、確認したかっただけ。
「………ごめんね」
文は携帯を耳に当てて、そう呟くと、後は何も聞かずにそれを閉じた。
暫くそんな文の様子を見守っていた佐古が、「帰りましょう」と促すと、ロータリーに弥彦が運転席に座る車がある事に気付いた。
慣れない靴と靴擦れを引摺りながら、文はゆっくりとそちらに向かった。

待っていたのは、鬼の形相の男。
その側には顔を真っ赤に染めて、シーツを体に巻き付けた女…楓の姿が。
自分の状況は棚上げして、文はその彼女の姿に血の気が引く気がした。
まさか、まさか、まさか何かしたのか!?
「どこへ行ってた」
「あの人に何をしたの!?」
「俺の質問に答えろ、どこへ行ってやがった!?」
「女の人になんて格好させてんのよ!?」
玄関の言い争いには慣れっこの面々も、流石に今回は息を飲む。
確かにその場を見れば、ただ事ではない状況なのだが。
「俺がお前だと思ってベッド覗き込んだら、素っ裸の女がいたんだぞ!?」
「………は」
どうやら楓は自ら服を脱ぎ、彰彦がやって来るのを待ち構えていたらしい。
その素晴らし過ぎる作戦に、文はポカンと彼女を見つめてしまった。
何と言うか、そうゆう事をする人が本当にいるんだーと…。
「だから、私は…っ」
震える唇を必死に押し止めながら口を挟もうとした楓だったが、彰彦は一切無視していた。
「俺の女はお前だろう!お前以外が俺のベッドにいるなんざ不快以外のなんでもねぇだろうが!!」
そう怒鳴りながら文の肩を掴む彰彦の手に、文はしかし反応する事が遅れた。
物凄い事を言われた気がするのだが、何せ顔が怖い。迫力が凄い。何より無視された楓の事が。
「八頭君、送るよ」
「……っ」
佐古がそっと彼女を連れ出していた。
顔面蒼白になった楓が文を睨みつけるが、かける言葉は見つからなかった。
ただ、文は思い出して靴を脱いだ。
それは、彼女に借りた、文には馴染まないヒール靴だった。
奪い取るようにそれを足に突っかけた彼女と佐古を、彼女の衣服を抱えた竜が追う。
まさかそんな姿のままの女性を、夜の街に放りだせる筈も無い。
引き続いて弥彦が運転する車に乗り込ませると、佐古はいつもと変らない調子で彼女に言った。
「今夜の事は忘れなさい」
「…私は…っ」
「君が買収した警備会社職員も判っているし、君が不法侵入した証拠もある。悪い事は言わないから、忘れなさい」
全部、と付け足す佐古に、楓は何も言えなかった。










初出…2009.2.1☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

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