No Brand Saurus

「先日は突然置いてくなんて酷いですよ」
綺麗に象られたリップが少しむくれていた。
彰彦が何のことか判らずにいると、楓が今度は本気でむくれそうになる。
「お昼、楽しみにしてたのに」
誘い出したと思ったら、突如現れた車の3人組に奪われた彰彦。
楓は先日の昼の件を持ち出して、彰彦を夕食に誘った。
「何で私がここまで」という思いは胸を過るが、たまにはこうゆうのも良いだろう。
というか、ここまで自分を軽視されるとは信じたくないのだ。
職場のエレベーターホールで声をかけたので、周囲からちらちらと飛んでくる視線を心地よく感じた。慣れ親しんだ優越感。
「夜か…」
彰彦が顎をひねった。
彼が多忙なのは判るが、自分という人間はそれでも優先されるべきだ。
楓はそれは疑わない。
ただ気になるのは、父から繰り返し「深入りするな」と連絡が入ることだ。
彰彦が「危険」人物なのは知っている。多かれ少なかれ、父もそういった人間たちとの付き合いがあったからだ。切っても切れない縁とでも言うのか。なら彰彦と密接になったところで何の問題があるのか。
「やっぱり普通は、妬くもんだよなぁ」
「焼く?」
相変わらず顎をひねっていた彰彦は、しかしものの数秒でそれを取りやめた。
「悪い。行けねぇわ」
「は!?」
「待ってる奴がいるからな」
「えぇ!?」
じゃあな、とエレベーターに乗り込んでしまった彰彦を、楓は一緒に乗り込む事も出来ずに呆然と見送った。そんな彼女をちらちらと見つめる視線。
暫く呆けていた彼女の顔は、一瞬白くなり、それから赤く染まった。

『俺が助ける』
正宗に言われた言葉が、文の耳の中をくすぐっていた。
『大変な事になってるんだな。俺が、助けるよ』
確かに正宗は電話の向こうでそう言った。
なんと警察勤めになっていた彼は、文の事をそこで知ったらしい。そういえば知られる様な騒ぎを起こしたもんね…と車ごと引っくり返った事なんて思い出してみる。
「助ける…」
助けられる必要は、無いと思う。
少なくとも、それを必要とは感じていない。
ただ、正宗に会いたい気持ちは間違いなくあった。それを意識する度に、何故か胸を彰彦の会社で出会った綺麗な女性が過るのだが。
会うくらい良いじゃないか。
指定された場所と時間を思い、文はため息をついた。
夜の深まる時間。駅近くの広場を指定された。そのまま車に乗せると言っていた。
まぁそれに乗らないまでも、会うくらい良いじゃないか、と自分に繰り返す。
問題があるとすれば。
「…外出禁止令って…」
下手に玄関以外から抜け出そうとすると、警報が鳴るらしいです。
文は鍵だけ開けたものの、まるで透明のバリアを貼った様な窓を睨んだ。
じゃあ堂々と玄関から出て行こうか?
…見つからないでね、なんて無理だ…
電気も付けない部屋で考え込んでいると、家の電話が鳴っていた。保が出て、どうやら彰彦が少し遅くなるような会話をしている。
時計の針はそろそろ一般家庭の夕食タイム。
「いっそ泊まってくれば良いのに」
ボスンとベッドに横たわった勢いで呟いてみると、また頭の中にあの綺麗な人。
彰彦に寄り添う姿はそれは様になっていた。
職場の人なんだろうか。今頃一緒なんだろうか。いつも一緒なんだろうか。
「…………」
文の眉間に皺が寄った。
時間は迫っていた。
もうここを出ていかないと、会えないかもしれない。
懐かしい声。
懐かしい呼吸。
嫌いになって別れたんじゃない、という曖昧な結末が、思い出にほのかな色をつける。
じゃあ好きかと言われれば…
「…彰彦の馬ー鹿」
何でそこであんたの顔が浮かぶのよ、と文はわざと声に出して呼び捨てにした彼をけなした。

ふっと空気が動いた気がして、文は眼を開いた。
少し眠ってしまったのかと慌てて携帯を開こうとして、彼女は目を丸くした。
ベッドサイドの窓ガラスが、開いている。
そして、そこから覗く顔が。
「あ」
「え?」
あの綺麗な女性…楓だった。

その警備会社は、楓の父が影響力を発揮できる相手だった。
勿論父から手をまわして貰うなんて事はせず、楓はただ知り合いを伝って職員を一人掴まえ、ちょっと父の名前をちらつかせただけだ。
別に悪さをするつもりではない。
いや、不法侵入は立派な犯罪だが、その後の展開を考えれば可愛い悪戯になるだろう。
「驚かせてあげるんだから」
自分のような清純そうな女性がそこまでするのだ。
その思いの強さを感じるが良い。
意地かもしれない。
センサーを切らせてから、楓はそっと彰彦の屋敷へと侵入を試みた。
冗談ではなく心臓が高鳴る。
こんな事をする自分を他人事の様に見ている自分がいる。
そう、こうゆうエピソードは後に自分の財産にもなる。有名人にはあるじゃないか、一般人には理解しがたいエピソードが。
灯りを避けて暗い窓をそっと窺うと、手に柔らかい感触。
開く。
「ほら、運命も私を後押ししてる」
強運も自分の味方だ。
知らずにほほ笑んだ楓が開いた窓の内側では、目を丸くした文がいた。


2人の女が、思いがけないご対面に言葉を失っている頃。
弥彦はコンピュータに囲まれた部屋から、佐古の携帯に電話をしていた。
「ええ、警備システムが切られました。勿論『犯人』とっ捕まえさせましたよ〜」
『どこの人間だ?』
「普通〜の警備会社の人間だそうで」
『……おえらい事だ。で、家の方に問題は?』
「あるっちゃーあるんですが…これ、どうしようかなぁ」
『何だ』
「いや、女がね…」
弥彦の見詰めるモニターには、屋敷を取り巻く警備カメラの映像がある。その中の一つに、どう考えても素人の女がウロウロしている様が写っているのだ。
『女?』
判る限りの特徴を伝えている間に、女の手が窓にかかった。
どうやら開いたらしい窓辺で女が固まっている。
「あ、やっべぇ…文さんの部屋に…!」
そこは!と携帯を手に駆け出そうとした弥彦を、佐古の声が素早く遮った。
『ちょっと待て』と。

文は夜の街を駈け出していた。
慣れないヒール靴なのは、楓の靴を借りたからだ。
…借りた、で良いのだろうなと考える。
突然窓の外に現れた楓は、少しすると自分を持ち直したらしい。
「あなた、誰?」
「あなたこそ」
窓の外からの闖入者に詰問される覚えは無い。
だが普通の(?)泥棒でも無いだろう。ここはそんな事が許される生易しい家ではない筈だし、何より彼女の顔には見覚えがあった。
「彰彦さんの会社の人…?」
「…あなた、彰彦さんの何?」
だから、彰彦の家にいる自分が、外から覗いている女に詰問される覚えはないのだが。
ここは強気に出るが勝ちと思ったのか、楓が図々しくも部屋の中に入ってきて文を睨んだ。
「私、彼を狙ってるんだけど」
「…はぁ」
「彼、独身よね?」
「…はぁ」
最初上がった「はぁ」は、二度目は下がった。
楓は呆然としている文を上から下まで繰り返し見つめて、勝ち誇ったように言った。
「まぁ時々遊ぶ愛人程度なら許してあげる」
何だそれ。
あべこべな展開に口がぽかんと開いてしまった文に、楓は苛立たしそうに言い放った。
「だから、彼と私はそうゆう関係って事よ!わきまえなさい」
そうゆう関係って…夜、部屋に忍び込んでくるような関係って事か?
何かおかしい事には変わりないのだが、実際に目撃した二人の姿が文の脳裏をよぎり、自分のポジションの曖昧さも手伝って胸の中で思い塊を作ってしまった。
ベッドをチラリと見た楓に、文は小さく頷いていた。
ほらやっぱり、自分が昔の恋人に会うくらいの事は、彼に比べたら可愛いものじゃないか。
「靴貸して」と文が彼女の足もとを指さすと、楓がにやりと笑った。










初出…2009.1.21☆来夢

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実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。