No Brand Saurus

日頃、文を引っ張り回すのは遊莉だ。
最初は苦々しく思っていた彰彦も、最近では「それが普通」になっている。彰彦宅の男連中も、遊莉に家の中でぎゃんぎゃんと騒がれるよりかはと「好意的」にそれを受け止めている。引っ張り回されている当の文はといえば、「人間慣れとは恐ろしい」という状態だったのだが。
この数日、文が遊莉を誘うという逆転現象が起きていた。
「何だよ、今日もこっち出てきてんのか?」
「どうやらそのようで」
オフィスで彰彦が呆れたように窓の下の街並みを眺めた。
勿論、お目付け役は(警備も兼ねて)ついている筈だが、どうした宗旨替えだろう。
「おいおい、まさかあいつも遊莉みたいにならねぇだろうな…」
「勘弁して下さい」
「お前が言うな」
傍らで佐古が僅かに途方に暮れた顔になった。
が、彼のそんな表情は長く続かない。
「…遊莉にしつこく訊かれたんですがね」
彰彦の部屋には2人だけ。
盗聴の類は厳しくチェックしているから、耳は合計4つしかない。
だが、佐古は小声になった。
「アキさんが浮気してるんじゃないかと」
彰彦の目が止まった。
部屋に奇妙な沈黙が流れる。
何事かと神経を集中した結果、反動が大きかった。
「はぁ!?」
「疑惑だそうですよ」
「なんだそりゃ!?」
「文さんの様子がおかしいのも、それが理由じゃないかと」
「俺が誰といつ!」
荒神の後継問題で、引き継ぎ事項は山積している。正直そんな事をしている暇があったら頭を下げてでも手に入れて、電波の届かない場所でひたすら眠りたいくらいだ。勿論文を連れて。遊莉は絶対除外で。
「…何だよ、じゃあ文の奴、それを気にして…?」
「と、遊莉は言うんですがね」
「ちょっと待てよ。って事はだ、ちったぁ嫉妬して…」
もしかして?と顎をひねる彰彦に、佐古はあくまで冷静だった。
「少し気になる事があるんですが」
「あ?」
「須和が…」
佐古の声を、ノック音が遮った。
ドアまでには多少の距離がある。秘書室に通じるドアから響いた音に、彰彦は手元の電話機を操作した。秘書室の電話と内線を開く。
「何だ」
『八頭です』
チラリ、と佐古が彰彦を見る。
「何かな」
『ご相談したい事があるんですが、お食事でもと思いまして』
今度は彰彦がチラリと時計を見た。そろそろ昼食時を迎えようとしている。
佐古の視線は「疑惑があるんですからね」と告げていたが、彰彦は逆に面白がった。
「仕事、だよな?」
『…はい』
頷く声に立ち上がった彰彦に対して、佐古が眉根を顰めた。
「文さんは、そうゆうの好きじゃないと思いますよ」
「遊莉なら?」
「怒鳴って飛び込んできます」
「だろうな」
ニヤリと笑って、彰彦は上着を手に立ち上がった。


文が遊莉を誘うのには、勿論理由があった。
遊莉の様な買い物行脚やエステ行脚など、金のかかる事には縁遠かった事もあり、文は今でもそういった事に進んで足が出ないでいる。無理に出す必要もないのだろうが、やはり働いていないと不安になる性分なのだ。
だから、遊莉に連れ回されながらも、自分に出来る事やしたい事を探すのが専らの目的になっていたのだが。
「………やっぱり見間違いかなぁ…」
須和の運転する車の後部座席で、小さく唸る。
隣に座った遊莉は、相変わらず体に対する専有面積の少ない服を着て、何やら今はメールに夢中だ。デコレートされた携帯は彼女の爪と同じ位に煌びやか。
「どうしますか、連絡入れてみますか」
運転席からブルーがかったサングラス越しの須和が言う。
「いえ、それは…」
「アポなし突撃で!」
いいよ、と断ろうとした文の言葉を、遊莉が元気よく遮った。
運転席に身を乗り出して、豊満な胸を強調しながら拳を突き出す。
「お昼一緒しに来たわよ!って突撃!!」
「後ろに下がって下さい!」
「須和さん、前見て前!!」
ぎゃーっと叫ぶ須和に、彼と車ごと引っくり返った経験のある文も叫ぶ。
蛇行する車に叫び声、何事かと注目が集まる車の中から、文が外を見た。
警察でも来たらどうするんだ…
そう思った、その視界に。
「………!」
咄嗟に文がドアを開けようとした。
それこそ動いている(しかも揺れている)車内から飛び出しそうな文に、今度は遊莉が焦る。
「ぎゃーっ!文が自殺する!!」
「止めて下さい!俺が殺されます!!」
わーわーぎゃーぎゃーと大騒ぎ続行中の車が、辛うじて路肩に停まる。
文の足が宙に出るのと同じタイミングで、キィ!と停まったタイヤに吐息を付きながら、遊莉と須和が文を見ると。
彼女の視線の向こうで、呆気にとられた様な彰彦の顔と…
彼に寄り添う様に立つ、先日の女がいた。

それは勿論、文の目にもしっかりと飛び込んできていた。
ああ、この間出会った綺麗な女の人だ、と単純に感想が胸を過る。
実はあれ以来遊莉が「浮気じゃないのか」と散々喚いていたのだけど、文はとくに気にしないようにしていた。そもそも「浮気」というが、文と彰彦の関係が果たして何なのか。自分でもそれがよく判っていないのだ。
それに、文には気になる事があって。
「ば…かやろう!」
一瞬呆けた様になった彰彦が、我に返って大股に駆け寄ってきた。
「彰彦さん!」
「……ちょっとぉ」
彰彦のスーツを掴むようにして追い掛けてくる女…楓に、遊莉が眉間に深い皴を寄せた。
だが、車からするりと降り立った文は、近寄ってくる彰彦に向かって歩き出したのかと思うと。
「あ、文ぁ?」
「おい!」
彰彦の脇をすり抜けて走り出したのである。
これには彰彦も驚いた様に見送ってしまう。
すれ違った瞬間、楓の目が文を、文の目が楓を捉えたが、2人の間に会話は無かった。
ただ文は、「ああ、やっぱり綺麗な人」と思っただけ。
そして走り出した彼女は、騒めく通り沿いを歩く人混みの中から、たった一つの背中を見つけた。
バタバタと背後から近寄る気配に負けずに、声を上げた。
「正宗!」
誰が聞いても、男の名前を口にして。


意味が判らないわ、と楓は唇に手を当てた。
物憂げそうに首を傾げると、大学では男連中が「どうかした」と顔を覗き込んできたものだが。
そこで彼女の視界いっぱいに現れたのは、先日の派手女。
「…何ですか」
じっと睨んでくるそのバサバサとした睫毛に、眉をひそめる。
何を思ったのか、派手女-遊莉は、楓に向かって厚めの唇を歪めた。
思ったよりも赤い舌が覗きそうになった、濡れたような唇の動きにドキッとすると、擦れた様な声が楓の耳を襲った。
「太ももに色気が無ーい」
「え?」
大きな目を魅惑的に細めて、遊莉はさっさと背を向けた。
楓は思わず言われた言葉に反応して、自分のスカートから僅かに覗く太ももを見下ろした。だが、色気と太ももの関連性が分からない。
何かと遊莉の背中を追えば、彼女の向かった先では彰彦が「文」と呼んだ女の腕を掴んで何か言っている。
一緒にいるサングラス男は先日も見た男だ。
何だこの3人は。
何で私が放置されなくちゃいけないの。
まず私に説明があって然りじゃないの。
私が優先されない理由って、何。
楓はきっちりとラインを引いたピンクの唇を噛み締めた。










初出…2008.12.25☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。