No Brand Saurus

私は違うから。




そんな空気を醸し出している事を、本人はある程度自覚していた。
自覚しながらも、そんな事はないわ、と口角を上げていたのだ。
八頭楓の父は、有名企業の創業者である。
彼女はそれを利用した事は無いと思っていた。
今も思っている。
自分で就職活動を行い、自分で就職した…と思っている。
ただ隠さなかっただけだ。
珍しい名字だから、気付く人は気付く。
気付く人は「出世をする人だ」と楓は理解していた。
何をしたではなく、何を覚えていたかで登れる階段がある事を楓は理解している。だから、面接官にそのタイプを見つけた時、楓は単純に思った。
「この人はそれを出来る人ね」と。

白い指先が目に入った。
うっすらと上品なピンクの爪が、きっちりと整えられている。
そういえば文はどんな指をしていたっけかと思いながら彰彦が顔をあげると、そこには見慣れない女の微笑みがあった。
彰彦のオフィスは、7割が男だ。
「八頭君です」
佐古がチラリと視線を飛ばしたのは、人事部長。
自分のデスクにしがみつきっぱなしで、滅多に会う事が無い男。
「…高刀だ」
「八頭楓と申します」
きっちりとラインの引かれた唇が濡れたように光っている。
指先同様、メイクも髪も服装にも隙は無かった。
「実は今度、彼女に広報に関するデザイン関係を任せようかと思いまして」
「…ああ」
元々見ていた書類に目を落としながら、彰彦は頷いてコーヒーカップに手を伸ばした。
その指に、陶器とは違う冷たい感触が当たる。
視線だけ飛ばすと、女の手が空になったカップを押さえていた。
「お煎れしてきますわ」
するりとした皮膚が、彰彦の表皮を撫でるように過ぎていった。
持ち上げなかった視界に、遠ざかる膝下が見えた。
バックにラインの入ったストッキングは、足首がキュッとしまった肉を包んでいる。
白線の上を歩くような、見られている事を意識した足運び。
同じ足を、人事部長は長い舌をジュルリと鳴らすような視線で見送った。
彰彦の小さな小さなため息に、佐古だけが気付いていた。

やっぱり良い男だわ、と楓は内心で笑った。
隣を歩く頭の煤けた小男とは違う、張りのある活きた男だ。
父の紹介で突発の仕事を受けた際、打ち合わせの席で偶然見かけた男。それだけの接点をきっかけに、楓はこの会社まで辿りついた。
正直、勤める必要性は感じていないのだが、「会社員」という肩書も面白い。
父に話すと、あの男は止めた方が良いと言われた。
何故かは知らないが、逆にその言葉が楓に火をつけたのかもしれない。
楓の名前を聞いても眉一つ動かなかったのは、知らなかったからか、知っていて尚か。
知っていて尚が望ましいのだが。
「あの人は実力主義だからね」
「私、自分の力で生きている人が好きですわ」
自信満々に顎を上げた楓に、傍らから流れる視線は届いていなかった。

「何だ、ありゃ」
2人の珍客が立ち去った後で、彰彦の第一声はそれだった。
想像通りの声に佐古が口元を小さく綻ばせる。2人を相手にしている最中から、彰彦の視線がずっとそう言っていたのだ。
「おい、店の採用じゃないだろうな」
あれ、と言外に尋ねたのは、先程人事部長が紹介しにきた女の事だ。
その名前に彰彦は気付いていないらしい。
「店じゃなくて、社の採用ですよ」
「だよな。あんな面白くね〜女なんざ使ってらんねぇぜ」
いや、ある意味面白いかも?と顎をひねっている彰彦を見たら、八頭はさぞや悔しがるのではないかと佐古は思った。
何せ、部長からの紹介を受けた短い間に、これでもかと彰彦へのアプローチをしている様子が見え見えだったからである。
あの女の家庭環境を考えれば、仕事の欲望の為ではないのだろう。
それが逆に、彰彦や佐古の目に際立って映ってしまうのだ。
…色気の無さが。
「育ちですかねぇ」
「育ちぃ?何だあのトロさがか?」
「せめて上品っぽいと言ってあげましょうよ」
「…そっちの方が残酷だろうが」
まるで小説の中に出てくる様な、女の演じ方。
触れる、上目に見つめる、目の前で足を組みかえる、唇をすぼめる…
正直見ていて恥ずかしくなってしまった。
生々しい世界を知らないのだろう。そのテキストにのっとった様な仕草のオンパレードに彰彦が半ば呆れていたのには気付いただろうか。
「多分また会えると思いますから、言ってあげたらどうですか」
「何で会うんだよ」
「会いに来ますよ」
「だから何で」
きっと、さっきも「何で紹介しに来たんだ」と思っていたのだろう。
本当に興味の無い事には一切関心が向かない人だ。
「さてね」
「おい」
佐古は腕時計に目を落とすと、眉間に皺の寄った彰彦に言った。
「さぁ、会議の時間です」

制服姿の女子社員を横目にしながら、楓はビルから出ようとした。
何かにどこかに縛られる事が好きではない。彼女は自分には自分らしく過ごす権利があると思っているからだ。不満があるなら打ち破れば良いのに。
ふんと顎を上げて上にも下にも反射するようなロビーを見ると、2人連れの女性とすれ違った。後からサングラスをかけた男が追いかけて来る。
「だからぁ、アキに見せてあげよって」
「ちょっ、まずいですって!」
「何でよぉ」
肉感的な女がむっと唇を突き出す。
…下品。
頭が悪いんだわ、とわざとヒールの音を大きくしながら立ち去ろうとした楓は、次の瞬間にその足を止めた。
「アキさんも佐古さんも、多分今会議中ですよ!」

「もしかして、彰彦さんの事かしら」
声をかけると、3人の視線が一気に集まった。
注目されることには慣れているし、それが当然の反応だとも思っている。
自分は尊敬されるべき父の娘として、やはり尊敬される事が多いから、と楓は柔らかく髪を払った。
「誰あんた」
「遊莉さん!」
派手な化粧の女が訝しそうに睨む横では、大きな目をした女が不思議そうな顔で楓を見ていた。彼女たちが高刀とどんな関係かは知らないが、直観として楓は思った。
自分の方が、上だ。
大抵そうなのだが。
「彰彦さんなら、今会議に入られてます」
「…ほら」
サングラスの男が吐息混じりに呟くと、派手な女がギロリと彼を睨んだ。
その視線がそのまま楓に飛んでくる。
「だから、あんた誰よ」
「失礼ですが…」
どうせ名乗ったところで、あなた達には私が誰だか判らないんでしょうけど。
それにしても派手ね…と、少し目の離せなくなっていた自分に気づいて、楓は傍らに控えている男を見やった。
すると、こちらは視線を飛ばしただけで一歩後ずさる。
何なのだ、一体。
「アキさんに見せるなら夜で良いじゃないですか」
「…………それで良い?」
「私は…」
サングラスから派手女、派手女から大きな目の女へ。
夜会うってどうゆう事かしら。
「なんでしたら、私から彰彦さんに言伝致しますけど?急ぎでも私からなら…」
彰彦さん、にアクセントを置いてみた。言外にメッセージも込めて。
大きな目の女がキョトンとする。
派手女が「だからぁ!」と息を荒げるのに、サングラス男が慌てたが、もっと慌てたのはもう1人だったらしい。
「…何で…」
突然そう呟いて、彼女はビルを飛び出して行ってしまったのだ。
「ちょっ、文ぁ!?」
「文さん!!」
まるで嵐だ。
楓の事になんてお構いなしに…いや、派手女は一度確認するように振り返ったが、すぐに飛び出した女を追って出て行ってしまった。
本当は外に出ようとしていた楓は、今からだと彼女たちを追う気分になるな…と踵を中へと翻した。
「夜ね…」

通りへと飛び出した文は、道路を渡る前に背後から追いついた須和に抱きとめられた。
女嫌いの彼の精一杯の努力は一瞬で終わり、体をすぐさま離すと腕だけをしっかりと掴み止めた。
「何事ですか」
「どうしたのぉ?あの女?あの女がムカついた?ね、そうじゃない!?」
「それはあなたでしょう」
「やかましい!」
ボソッと小声で呟いた須和の頬を、遊莉の指が弾いた。
女に触られた、という衝撃以上の鈍い痛みが走る。
「勘弁して下さいよ、その爪…」
「可愛いでしょう〜」
キラキラとラインストーンやら何やらがついた指を遊莉が見せびらかす。毎度の事ながらサングラス越しでも眩しいことこの上ない。
「何よね〜せっかく文の手もサロンで可愛くしてあげたから、アキにも早く見せたかったのに…あの女っ!」
「会議だって言ってたじゃないですか」
「だからって何でアキを下の名前で呼ぶのよ」
「自分も呼んでんじゃないすか」
ぽんぽんと飛び交う会話にも、文は言葉も挟まずにただ通りの向こうを凝視していた。
その様子に、2人が心配そうな顔をする。
「ね、文、本当に大丈夫?何だったら私が今からあの女殴ってこようか?」
「ダメですよ!」
「じゃあ須和っち殴ってきてよ」
「俺は女には触りません!!」
「その手は」
「〜〜〜〜っっ!!」
文の腕を掴む手を指差され、須和が唇を噛み締めた。
ああ、何で自分がこの2人のお守りをしなくちゃいけないのだろうか。たまたま代休取っただけなのに、ちょっと彰彦の元へ挨拶に寄っただけなのに、今日くらいはゆっくり寝てようと思ったのに…!
ぎゃいぎゃいと喧しい2人を他所に、文は暫く車の行き交う道の向こう側、ショップの並ぶ通りを見つめていたが、暫くしてふぅと肩の力を抜いた。
「見間違いかな」
そんな独り言を零して。










初出…2008.12.15☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。