No Brand Saurus

ふいに頭を過ったのは、先日の彰彦の声。
『誰とくだらない話をしてやがる』だった。
思わず「くだらなくないわよ!」と叫んでしまってから、文は慌てて通話ボタンを押していた。






携帯電話を睨んだまま固まってしまった彰彦の背中に、視線が集中した。
ベージュ基調の会議室の空気が凍る。それは彰彦の気配が凍っているからだ。
ただ1人凍らないまま、淡々とコーヒーを飲んでいた佐古が、チラリと彰彦を振り返った。
確かに会議の重要な部分は終わっていたが、一応まだ解散にはなっていない。雑談に突入し始めた時間を狙ったかのように振動した彰彦の携帯電話。「何だ」と取ったまでは問題なかったと思う。
少なくとも、荒巻の跡目を取るに至った経緯やら何やら、文の事もさり気なく申し伝えた直後だ。
ホッと、何となしに彰彦の空気が緩んだ瞬間だったのに。
「………何だと…?」
眉根を寄せて呟いた声は、地獄の底から響くような低音だった。
ビリビリと空気が揺れる様な錯覚を覚える面々を前に、佐古が「では」と席を立った。
「以上を持って散会とする。引き続き本家での会合に出られる方々は、時間までにお越し頂きたい」
まるで、彰彦の波動を遮断するかのような、佐古の声。
その冷静さに引き戻されて、会議に出席していた人々が部屋を後にする。
相変わらず背を向け続けたままの彰彦に頭を下げる面々を見送りながら、佐古が彰彦を伺い見ると。
「何がだ!?」
彰彦が小さく唸っていた。


プープープー
手の中の小さな機械を見下ろして、文が固まっていた。
そんな文を見つめて固まっている須和。
遊莉は3秒後には噴き出して、腹を抱えて笑い出した。
「ちょっ!何、今の!いきなり何のクレームなのぉ!?何、アキと2人だけの暗号!?」
「い、いや、今のはちょっと…不味いんじゃないですか…」
テーブルをバンバンと叩く遊莉の傍らでは、須和が慌ててサングラスを押し上げる。
「だって!」
文は困り果てた顔で2人を見るのだが、遊莉は爆笑中、須和は困惑中。
事の発端は遊莉の提案だ。
善は急げと言うのだから、待ってる彰彦に待望の電話を掛けてやれ、と言われたのである。
時間的には会議中か終わった所じゃないか…という須和のサポートもあり、文は彰彦に電話をする事になってしまった。
のだが。
「何を話すの?」
コール音が響いてから、困ってしまった。
「寂しいから会いに来てぇ〜とか」
「いえいえいえ」
「あかまきがみあおまきがみきまきがみ…とか」
「無理無理無理」
そうこうしている間に、プッと通話が始る音がして…「何だ」と彰彦の声が耳を撫でた瞬間。
思わず口から突いて出た言葉が。
「くだらなくないわよ!」だったのである。

会議中なら出られなかった。
幸い、肝心な話は終わった後だったから、そのタイミングに内心ホッとしながら電話を取ったというのに。
「あいつ…っ」
突然耳を叩いてくれた文の怒声に、彰彦の怒りがメラメラと沸き起こる。
須和がいない代わりに彰彦の車の運転手を務めている男が、冷や汗をダラダラと流していた。助手席で見ている佐古が、気の毒に感じる程に。
「アキさん…」
「何だ」
「こっちが何がですよ」
「何だってんだ」
佐古が溜め息をついた。
運転する男の肩をポンポンと叩いてやりながら、佐古は呆れた様に彰彦を振り返った。
「じゃあ掛け直せば良いじゃないですか」


彰彦から怒りの電話があるかと思ったら、5分経っても10分経っても、携帯電話は沈黙したまま。
ピザのデリバリを取り、すっかり寛ぎモードの遊莉は、けらけらと笑い飛ばす。
「まーまー、また掛けてみようよ」
「次は何か判る事を言った方が良いですよ」
いつの間にやらキッチンに撤退した須和はそう言うが。
「だから何を」
「さっきはゴメンね、声が聞きたくて気持ちが昂ぶっちゃったの、うふ」
小首を傾げてわざとらしい口調の遊莉に、須和が即座に顔を背けた。
ちなみに先程帰ろうとしたこの男は、遊莉の低音で引き留められた経緯がある。
「須和っち帰っちゃったら、私はどーやって帰るのよ」
「…よ、呼び出して頂ければ、迎えに…」
「帰りたい時が帰りたい瞬間なのよ、迎えに来る頃には帰りたくなくなっちゃうわよ」
「じゃ、じゃあ泊まっていけば…」
「アキが夜中にやってきたら、私が邪魔者じゃないの!」
そんなの駄目!と怒る遊莉に、須和と一緒に文も「それは無いんじゃ」と手を振って見せたのだが、彼女の言い分は変わらずに、須和はそのまま居残りが決定したのだ。
缶から直接ビールを飲みながら、遊莉はとろんとした目を文に向けた。
「アキがいないと安心して眠れな〜い、とかは?」
「別に…眠れるもん」
「でーもー!寝不足顔じゃん!ね、ね、須和っちもそう思うよね!?」
「きゃーっ」
文の顔を両手で挟み、無理矢理に須和の方へと捻る。
遊莉のその予測不可能な動きと力に文が叫ぶが、彼女はお構いなしだ。視線を逸らしている須和にもお構いなし。元々彼に対して気遣いを見せている様子は無いが。


自宅に戻った彰彦は、続々と到着する客人と言う名の部下達の気配に、やれやれと肩を回す。
面倒くさいから余り集まりをしたくないのだが、時には必要で仕方ない事もある。
特に、文が現れた結果として、荒神の引退し自分がその後釜に座る事になった今、その事情を説明しておくべきなのは判る。
実を言えば「説明しろ」と喧しくなったのだが。
忙しさにかまけて放置していたら、部下達の方が我慢ならなくなったらしい。
自分に比べて忍耐力のある連中だ…と変な所で感心してしまうが、おかげで急きょ文を家から遠ざけざるを得なくなってしまった。
「体が治ってて良かったぜ…」
ったく、と吐息をついたところで、携帯が振動した。
見れば、再び文からの着信である。
『くだらなくないわよ!』という、先程の声が甦る。
ついでに怒りも一緒に甦る。
さぁ、何て言い訳をしてくれるつもりだ?と思いながら、彼は再び「何だ?」とそれを耳に当てた。
すると、今度は。
『だって立科さんは、私の…っ』
「ああ!?」
ここに来てその名前か!?と反射的に怒鳴った彰彦を無視して、通話はまたもや一方的に切れた。
再び手に残された物言わぬ機械を睨む彼を、怒声にビックリした男達の視線が取り囲んでいた。


シーン、と部屋の空気が凍る。
「…いや、本当に不味いですよ、それは」
「だ、だって、さっきの説明をしようと思ったんだけど、でも、あの人なんでか、その、立科さんの事になると怒り出すから…っ」
キッチンで顔を振る須和に、文はどうしたものかと訴えてみる。
そんな2人を他所に、遊莉は床に転がってラグを引っかき回して見悶えていた。腹が痛いわけではない。
「ちょっも、やーだ〜〜〜っ!文ってば意味判んない!!でも最悪で、最高〜〜〜っ!!」
「最悪!?」
「だって、それ、他の男の名前なんでしょ!?」
「そ、そうだけど」
「ダ〜メ〜よ〜〜っ!そんなん、アキがヤキモチ炸裂させるだけじゃーんっ!!」
ひーひーとお腹を抱えて転げ回る遊莉。ミニスカートから伸びる足が自由奔放に跳ね回ると、自然と腰元が乱れてあらわになっていく。
須和は勿論その姿を欠片も見て堪るかと、潔く背中を向けてしまっている。
「ヤキモチ!?」
「そうよ〜アキは最高にヤキモチ焼きで、自分を見てて欲しい甘えん坊なんだからぁ」
げらげらと笑い続けている遊莉を押さえようとしながら、文は困惑のピークを迎えていた。
救いを求めて須和を見るが、彼は背中で響き渡る遊莉の嬌声に念仏を唱え始めていた。


今すぐにでもマンションへ行って、何事かと問いただしてやりたいのを、必死に堪えていた。
とにかく今はこの会合をさっさと終わらせる事である。
何だったら一晩おいたって良い。
元々文の事は、片づけ等も全部済んでから迎えに行く予定だった。
だがしかし、気持ちは今すぐにでも彼女に『立科が何だ!?』と問いただしたくて仕方なかった。
それが体からオーラとして発散でもされているのだろうか。
会合出席者が、全員極度の緊張状態を感じていた。
佐古が内心で溜め息をつくが、彰彦は気付かない。
そもそも可愛らしい人々の集いではないのだから、多少空気が緊迫していようが関係ない、むしろそんなのばかりなのだが。
「めでたい話の筈なのに、何であんなに不機嫌なんだよ」
「あれか、俺達が急かしたからか」
「いや、3ヶ月以上待っていたんだ、急かした内には入らないんじゃないか…」
ヒソヒソと交わされる言葉に、彰彦の睨みが飛ぶ。
会話も弾け飛ぶ。
全員の胸に「何でだ!?」という単語を植え付けながら、彰彦の苛々はピークに達しつつあった。
「…とにかく、話を済ませよう」
佐古がそんな彰彦にお構いなしで、会合を進めてくれる。
彼は今、全員の希望の星になっていた。
彰彦と言う巨大ブラックホールに飲み込まれそうな男達の、救いの星。
「本音を言えば、噂の女に会ってみたかったけどな」
「無理だろ」
「無理だ」
「殺されるぞ」
そんな目と目の会話が飛び交う中で、淡々と進む会合。
とにかく早く終わってくれ!
スーツの内側を伝う冷や汗に、男達がぶるっと震えると、どこかでブルルル…と何かが揺れる音がした。
彰彦の全身から放たれる殺気が、更に膨れ上がった。
「殺される!!」
何故か全員がそう思った。
きっと不届き者がいて携帯の電源を落としていなかったのだ。別に落とせなんて言われていないが、きっと落としておかねばならなかったのだ。マナー違反への怒り、そうだ彰彦の怒りはきっとそれだ…!
と、ガタガタ震えながら考えた男達は、目の前で彰彦が懐から取り出した物を見て、口を開けた。
「…何だ」
鳴っていたのは、彰彦の携帯だった。


…あんたか!!
声にならない叫びが上がる部屋の中で、彰彦の殺気は薄れない。
そんな声で出られた相手は、永久凍土の真ん中に突き落とされた気分じゃなかろうか、と。
自分たちなら切腹している、と。
誰もが彰彦の様子が気になって仕方ない。
佐古もまた、上座で微動だにせず携帯を耳に当てた彰彦の動きに注意を払っていると…
突然、彰彦が立ち上がった。
「アキさ…」
「佐古、話は終わったな」
「…ええ、肝心な部分は」
「判った。全員、ご苦労」
立ち上がるなりそう言って、彰彦が部屋を後にしてしまった。
慌てて彼を追い掛けた佐古に、男達もどうしたものかと部屋から顔を覗かせる。
彼らにというわけでなく、佐古にというわけでもなく、彰彦は携帯を耳に当てたまま恐らくは通話相手に向かって怒鳴った。
「3度目まで聞いてそれか!今からそっち行くから、待ってろ!!」
「アキさん!」
乱暴に携帯を折り畳む彰彦を追おうとして、佐古は男達を素早く振り返った。
そして、手短に。
「解散」
それだけ言って、彼は彰彦を追って出ていってしまうのだった。


残された男達に保がお茶を出す中。
彼らの感想は意外にも一つにまとまっていた。
「…3度まで我慢したなんて、変わったな…」
「ああ、変わったな…」
「でも、変わってねぇ」
「ああ、変わってねぇ」
ニコニコと微笑む保にお茶のお変わりをしながら、男達は呟いた。


「怖ぇ…」










初出…2008.9.15☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。