No Brand Saurus

何事も無く1日が過ぎていく。
何も無いどころか、何も出来ずに一日が過ぎていくのだ。
文は窓から見下ろす街の様子を見ながら、手にした携帯を睨んでみた。
「……外に出ちゃ駄目なの?」
「アキさんの命令ですので」
「何で」
「アキさんの命令です」
「理由は」
「アキさんの…」
同じ返答を繰り返す須和の腹筋を殴ってみた。
ポンという程度だったが、濃い色のサングラスの向こうで文を見ないように視線を逸らしていた彼には、思いのほか強烈な一撃になったようだった。
「なっ」
「それじゃ判らないって言ってるのよ!」
須和に対しては、文は結構フランクに対応出来る。一緒に車ごと吹き飛んだ仲だからかもしれない。
もしくは、彼の女嫌いの理由を自分だけが知っているという、そんな親しみからか。時々、文がその話を誰にもしていない事を、彼が不思議そうに言う事がある。言われる度に、逆に文はそれを思い出す事になるのだが。
「だったら直接アキさんに電話すりゃ良いじゃないですか!」
「……っ」
それを言われると、グッと言葉に詰まる。
確かに手には連絡用にと手渡された携帯があるのだが…それを使う気にはなれないのだ。
何故か。




ちらっと顔を見せただけで須和は出て行ったが、文は部屋を出なかった。
所持金ゼロなので、出るに出られないのが実情なのだが。
窓の外の風景を見ながら、使い込まれていないベッドの上で溜め息をつく。
昨晩寝てはみたものの、何と無しに寝心地の悪さがあった。寝不足気味の頭で、ぼんやりと考える。
殺風景な部屋、殺風景な空気、殺風景な時間。
どれも彰彦と出会う前の自分が持っていたものだ。一人暮らしの部屋には寝に帰るだけで、余計な物を買う時間も予算も無かった。ただひたすら、柿本のセクハラに耐えながら働いて働いて。とにかく得られた足場から振り落とされない様に、必死にバランスを取りながら働いていた日々。
ふっと目を閉じると、パタパタと家の中を動き回る竜や保、早く寝ろとか口五月蝿い彰彦、それに苦笑する佐古や弥彦の気配を感じた。
でも、目を開ければ四角形な部屋があるだけ。
文は吐息を吐いた。

一体、これは何事なんだろうか。
訊けば簡単に答えてくれるのだろうか。
尋ねてみるのが早いのは判っているのだが、何となくそれが出来ないでいる。
「…もし」
もしも、彰彦が自分を遠ざけようとしているのだとしたら?
いや、もっと直接的に…
捨てようとしているのだとしたら?

あり得ない話じゃない。
そもそも、今一緒にいる事の方があり得ない話なのだから。
彰彦が文を手元に置いた理由は、お婆の予言だろう。
実際の内容を聞いたわけではないから判らないが、別に死が2人を別つまで…なんて事ではないのだと思う。
見届けろなんて事を言っていたが、それこそ見届ける段階に来たのだろうか。
ドクン。
急に胸に震える石を放り込まれた気分になる。
ドクンドクン。
不安定に形を揺らしながら、石がぐにゃぐにゃと胸の内を駆け巡る。
何とか落ち着かせたいけど、頭を過る想像が進めば進むほどに、それは熱を帯びて加速していくばかり。
もし、今放り出されたら。
自分に何が出来るだろう。
まだ次の仕事も見つけていないし、蓄えだってそうあるわけじゃない。
そもそもが生活を一から築き直さなければいけないのだ。
何もかも中途半端な今の状態では、どこにも手が出せない。それがもどかしくて、胸の土台が崩れていく。
あくまでも想像に過ぎない。
ダストシュートを落ちて行く代わりに、気持ちの根底が崩れて落下していく錯覚を覚えた。
ツーと汗が一滴だけ、頬を滴った。
例えようの無い息苦しさ。
相手の見えないもどかしさ。
それ以上に、もっと奥底にある、必死に蓋をした感情。
現実的な問題や心配で隠して覆って誤魔化して、自分自身に「そんなバカな」と言いたい感情。
もしも、離れる事になったなら…


寂しい、だなんて。

パタパタと保が慌ただしく動き回り、竜もその手伝いに追われていた。
朝から家の中の空気が活動しているというのに、彰彦は冴えない顔のまま口数も少ない。
「奥の部屋を使いますよ」
「…ああ」
「その前に一度会社で集合です。こっちに来ない連中はそっちで話を済ませましょう」
「…ああ」
佐古の声にも上の空で、ただ気怠い煙草を吸う。
そんな彰彦に佐古が細い目を更に細めた。
「文さんが気掛かりですか」
「…ああ?」
「1人の夜が寂しかったですか」
「ああ?」
「慰めてあげませんよ」
「ああ!?」
段々と気色ばんでいく彰彦の様子に1つ頷いて、佐古が小さく笑った。
「ちゃんと監視がついてますよ」
「別に心配なんざしてねぇよ」
「電話はあったんですか?」
睨んでくる彰彦にもお構いなしで尋ねる佐古に、彰彦は苦々しげな吐息を吐いた。一晩中ポケットに入っていた電話は、うんともすんとも言わなかった。その電波の先は文に繋がっているはずなのに。
「…なぁ」
「はい?」
「あいつ…俺の事を信頼してねぇよな…」
佐古の細い目が精一杯目が丸くなった。
通りかかった竜がギョッとするような異変である。佐古の顔にちゃんと目玉はあったんだと思ってしまうような顔だったのに、間近にいる彰彦は気付いていない。
佐古は思わず呻いてしまった。
「信頼されてると思っていたんですか!?」
頭を抱えたくなったのを必死に堪えたのは彰彦だ。
自分で思うのもなんだが、と前置きの上で、彰彦は我慢強くなったと思う。明らかに文の登場以降だ。
彼女の登場がもたらした変化はそれだけじゃないのだが、彰彦は気付かないまま、元に戻ってしまった佐古の細目を見た。
「正直、どう扱っていいのかと思う時はあるがな、まさかあの立科って野郎にも劣るってのか…?」
「言われたんですか?」
「言われないから言ってんだよ」
考え込む彰彦に、佐古は苦笑混じりの吐息を1つ吐いてから、腕時計を見た。
「さぁ、出掛けましょう」


無為に過ぎていく一日をまた過ごすのか、と思っていた文だったが、想像は予想外というか斜め上の方向に裏切られた。
須和が戻ってきたのだ。
…何と、遊莉を連れて。
「脅されたんです!」
いや、遊莉に連れられて、らしい。
殺風景な部屋を興味深そうに歩き回り、窓の外からの眺めを充分に満喫してから、遊莉が文を振り返った。
「やだ〜こんなマンション持ってたなんて、初耳!」
「そりゃあなたには言わないでしょうよ」
「うふふ〜何、須和っちはお茶でも入れちゃう?」
ボソッと呟いた須和の腕に自分の胸を押し付ける様にして、遊莉が微笑んだ。
すぐさまギョッとした彼がキッチンに消えるのを、文が哀れな者を見てしまった気分で見送る。
飾り気の無いテーブルを挟んで、遊莉が文の顔を覗き込んだ。
「やだ〜寝不足?顔色悪くない?」
「それより、どうしたの?」
「ん?仕事終わってアキんとこ寄ったら、何だか会合あるとかでバッタバタしてるじゃな〜い?じゃあ文連れ出してお買い物…って思ったら、文がいないんだもん」
また買物か!と思いながら、文は疑問を優先した。
「会合?」
「うん」
何の?と尋ねようとして、すぐに思い至った。
家業の、か。
チラリとこちらを伺いながら本当にお茶の用意をしている須和に、文はわざと気付かないフリをした。
彰彦がせっかく何も言わなかったのだ。
こちらも何も尋ねないままでいよう。
そうする、そうしてと決めた事だ。
だが、素直な感想は口を突いて出ていた。
「…何だ、じゃあ、忙しいから私を…」
遠ざけたのか、と。
思ったところで、目の前に遊莉の大きな瞳が迫っていた。
バサバサと音のなりそうな睫毛の向こう側で、文を映した大きな茶色がかった瞳が光る。ふわりと香る匂いは、柑橘系の爽やかな匂い。甘ったるい匂いを想像していた文には、ちょっと意外だった。
「寂しかった?」
んふ、と厚めの唇が光る。
胸をテーブルに乗せる様な勢いの体勢に、逆に文がのけ反る。そこへ恐る恐る手を伸ばして、須和がお茶を置いた。カタカタとティーカップが揺れていたのは気のせいじゃないだろう。
「ま、さか」
須和の視線が気になる。
図星に近い指摘を受けて、文の声も震えたかもしれない。
「そぉ〜?きっとアキは寂しがってると思うけどぉ?」
「まさ、か」
紅茶に口を付ける遊莉に、もう一度同じ回答を。
彰彦が寂しがってる?
「まさか」
今度は強く言えた。
だが、遊莉はまったく聞いてないような顔で、遠ざかろうとする須和の腕を掴んで脇に座らせた。
文と遊莉の中間地点。
まるで、テーブルを囲んで友人同士が相談事でもしているような配置に。
「須和っちも思わない?アキってあれで結構、受け身だから」
「おおお俺に触らないで下さ」
「ね、思わない?」
ゴクリと須和の咽が鳴り、サングラスが諦めたように傾いた。
彼は文の方を伺いながら、仕方なしという体で口を開いた。
「確かに、待ってると思いますけど」
「何を」
尋ねたのは文だ。
受け身も何も、あの男は自分の都合で文を留め置いているというのに。
目を丸くした文の目の前で、2人は顔を見合わせて、そして意外に息の合っているところを見せてくれた。
2人は同時に、文の持つ携帯電話を指差したのである。
「電話を」
「待ってると」
思う、と。










初出…2008.9.5☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。