No Brand Saurus

世界がピンクだった。
TVが気合いと根性でピンクに塗られた形跡がある。
足下のラグも薄いピンクに濃いピンクのハート柄なら、カーテンもピンクのチェック。
テーブルクロスもピンクの2色使いで、ソファも薄いピンク地の皮仕様だ。
勿論スリッパだってピンク。
出されたカップの色もピンクとくれば、夜は頭上でピンクのミラーボールが回ったって驚きはしない。
ソファの置かれたピンクの星柄クッションを抱き締めながら、この部屋の主である「でさ!」と遊莉が目を輝かせた。





頭がクラクラする。
文は視界から入る情報の偉大さを思い知った気分だった。
洒落た外観のマンションの高層階では、窓の向こうは青空しか映るものが無い。
青とピンク。
まるで修復不可能にまでこじれた夫婦の関係のごとく、溶け合おうという気配すらない。
「せっかくアキがOKしたんだから、後で買物行こうよ」
ねっと小首を傾げる遊莉の唇は濡れたようなピンク。
提案には頷きつつ、文は須和のサングラスを借りてくれば良かったなんて思っていた。
「つかぬ事をお聞きしますが…佐古さんと暮らしてるんだよね?」
「何で敬語?」
お茶を入れに立ち上がった遊莉は、際どいミニスカートから惜しげも無く整った足を晒しつつ、「一緒だよ、ほら」と隣室へと続く扉を手で押した。静かに道を開く扉の向こうは、佐古の書斎だというのだが。
「……っ!」
思わず息を飲む。
チラッと見えた限りは、モノトーンだった。
扉と言う国境を越えると、そこは別世界でした。
凄い、凄いよ佐古さん!
文は心の中で佐古の細目を思い出しながら称賛を送った。いくら書斎という聖域を持つとは言え、このピンクの部屋で彼が飲食する姿は想像出来ない。
「…だからあっちに」
入り浸っているのだろうか。
ふと、彰彦の家でもっぱら生活している彼を思って、文はちょっと涙した。
驚き感心後悔疑問称賛同情。
感情のタイムサービス中だ。
自分の揺れ幅に疲れた文が吐息を付いていると、頭上から意外な声が響いた。
「具合でも悪いですか?」
「あれぇ、何でもう帰ってきてるのぉ?」
文がぎょっと見上げると、意外性NO1の光景が目の前に登場した。
ピンクの部屋に、佐古、である。

凄い、やっぱり凄いよ佐古さん!
拝んでしまいそうな文を他所に、夏日でもきっちりスーツ姿の佐古は淡々と行動する。部屋の雰囲気にそぐわな過ぎて、逆にしっくりきてしまう。豪雨の日の傘が日傘でした。タイムズスクエアを歩く和服美人はアメリカ人。案外なんとでもなるものだ。
「文さんを連れてまた戻る」
「やだぁ、これから買物行くのに!」
「明日じゃ駄目なのか?」
「明日は駄目よぉ」
ほら、と遊莉が顎で壁に掛かったカレンダーを示した。
ホワイトボードだから白!と思わせておいて、ピンクの図柄付き。
「ああ、仕事か」
書き込まれた予定に佐古が頷いて、暫し考えた様だ。
買物に行かせないと遊莉がやかましく彰彦に抗議しかねないと、そう思っているのだろう。
それを阻止するのも佐古の役目と言えば役目だから。
しかし、文が気になったのはそこではない。
「仕方ないな、行って来い」
「仕事?」
頭文字だけ合わせて、佐古と文の声がかぶった。
そして遊莉が笑った。
「そうよ〜明日は声優のお仕事だから、今日買物行っちゃおうね、文♪」

元々は女優志望で、劇団にも所属していたという。
「今は詔司といる方が楽しいし〜」
だから退団したものの、当時から声優の仕事は続けているらしい。
確かによく通る声はしていると思うが。
生活臭と言うか就業意欲と言うか、そうゆうものが遊莉から感じられなかっただけに、仕事を持っているという事実は強烈なボディブローだった。じわじわと文の内側で膨れ上がる。
遊莉からプレゼントとされた包みを手に、文は眉間に皴を寄せていたらしい。
「嫌なもんでも貰ったのか?」
ドスン、とソファが右に傾いた。
「…え?」
「眉間」
ネクタイを緩めながら傍らに腰かけた彰彦が顎で示す。
文はきょとんとしてから、手にした包みを思い出した。
「何だろう、これ」
「知らないのかよ」
「帰り際にくれたから」
横顔で視線だけ飛ばしてくる彰彦の指摘を受けて、文は包みを開いてみた。
買物が終わった2人を拾い、文を家に送り届けた佐古は、遊莉と一緒に帰宅していた。
あのピンクの部屋に。
窓の外は夕暮れのオレンジに染まっているが、それでもやはりあの部屋とは相性が悪かろうと思う。
むしろ夕焼けでピンクが威力を増しているのではないか。
「うへぇ」と想像に呟いた文は、次には「…うわぁ」と呻いた。
文の代わりに、彰彦の眉間に皴が寄る。
どうしたものかとプレゼントを手に固まる文が彰彦を見れば、彼もまたどうしたものだと文を見る。
そんな2人に保の作ったクッキーを運んできた竜が、素直な声をあげた。
「すっごいピンク色っすね!」
その顔が「眩しい」と言っている。
文も思った。
遊莉がくれたのは、ショッキングピンクのバスローブだったのである。


それを来たら「全てが萎える」と彰彦が言うので、今度着てみようかと文は思う。
蚊取り線香のつもりじゃないが、彰彦を撃退したい時には有効かもしれない。
それにしても、凄まじいピンクである。タオル地もここまでピンクだと、何か別の素材に見えてくる。もしかして遊莉も同じ物を着ているのだろうか。
あのピンクの部屋で、このピンクのバスローブを…
「やっぱり佐古さんって凄い…」
「私が何ですか?」
突然響いた声に、ぎゃっと文がソファから滑り落ちた。
揺れる文の手からマグカップを回収して、佐古が「大丈夫ですか」と淡々と言う。
「あ、れ、もうお帰りですか?」
「いや、ちょっと弥彦に用があって、私だけ戻りました」
遊莉は「仕事」に行っているのだろう。
表情の読めない彼にコーヒーを差し出すのは保。彰彦には紅茶を、佐古にはコーヒーを、竜にはミルクたっぷりの紅茶かコーヒーを、弥彦は時々緑茶を。文の最近のお気に入りはほうじ茶だ。
「佐古さんはコーヒー党ですか」
「紅茶も好きですよ」
細い目のままコーヒーを飲む。
どこかで弥彦の「ちょっと待ってて下さい」という声がする。
「待つのは嫌いじゃないんですね」
「好きでもないですよ」
細い目のまま、表情の変化が判らない。
遊莉なんて3秒と同じ表情をしていない気がするのに。
「彰彦さんと似た者同士?」
「似てませんね」
一問一答じみている。
「彰彦さんと付き合い長いんですか」
「そうですね」
「私の事、嫌いでしょう」
「嫌いじゃありませんよ」
「うそ」
「何故そう思うんですか?」
「だって私、彼の事を殺そうとしたから」
何となく出た言葉だった。
特に佐古から嫌われていると思った事はないが、彼から銃口を向けられた事は忘れられない。
彰彦の為なら、躊躇いも無く引き金を引くのだろう。
相変わらず変わらない表情のままだった佐古の目が、ふっと僅かに細まった。…更に。

ちょっと意外な気がして、文の目が逆に丸くなる。
「それは理由になりません」
「そうですか?」
どうしたことか、佐古が楽しそうだった。
初めてそんな表情を目にした文は、気になって前のめりになる。
「どうして」
そんなに楽しそうなのか。
「私も、あの人を殺そうとした事がありますから」
佐古の答えは「何故理由にならないか」に対するものだった。

パタパタと弥彦がやってきても、文は呆然としたまま。
今何て言ったのか。
この男が、あの男を。
「うそ」
もう一度言った。
弥彦の登場に席を立とうとする彼に、文はすがるように目を向けた。
そんな気になる事を言って、放置するつもりだろうか。
…きっとそうなのだろうけど。
文の様子に首を傾げる弥彦の前で、佐古がふっと笑った。
「もう諦めましたから」
えー!?
声にならない驚きが咽をついたが、視界の隅では弥彦の口もあんぐりと開いていた。
笑う佐古なんて、滅多に見られない。
何があったのかと佐古と文を交互に見る弥彦の顔が揺れたが、佐古がさっさと動き出してしまったので、それは彼の背を追うしかなかった。
そして残された文はといえば。
「……またこれ〜!?」
先日の「竜の差し歯の原因は保」も何事か不明のままなのに、また一つ謎が増えてしまった。










初出…2008.8.18☆来夢
今回、バカ話が炸裂です。

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。