No Brand Saurus

ハッと目を覚ますと、目に飛び込んできたのは白い天井だった。
…病院?
ふーっと吸い込んだ息を吐こうとすると、視界の片隅をごつい男の姿が過る。
のしのしと歩くタトゥーの入った体に軽い既視感を覚えて、文は体を起こそうとしたのだが。
「…っ」
声にならない呻き声に気付いて、保が顔を覗き込んできた。

「どっちも全治2ヶ月…くらいだろうってよ」
枕元の彰彦を見上げて、文は自分の現状を理解した。
「車がひっくり返ったってのに、2人とも丈夫だよな」
ズズズ…と保の煎れてくれた紅茶を啜りながら感心する声に、しかし文は同意しかねた。これくらいの傷で済んだのは奇跡的なのだろうが、痛いものは痛い。それに、気になる事もある。
「…何でここなの」
確か病院に運ばれて治療を受けたところまでの記憶はある。ストレッチャーに乗せられた記憶もある。恐らく治療の最中に気を失ってしまったのだろうが。
どうして病院ではなく、彰彦の家にいるのか。
「この部屋じゃ嫌か」
「何で病院じゃないの」
声が低くなる文に対して、彰彦はどこかとぼけた風だ。
色々な場所を打撲しているので、体が上手く動かす事が出来ない。仕方なく見上げるだけの文を見下ろして、彰彦が尋ね返す。
「ここじゃ嫌か」


もう彰彦に、文を手元に置いておく理由は無いだろうと思う。
そう彼に告げると、彰彦は緩やかに顔を横に振った。
「ここじゃ嫌かって聞いてるんだ」
「だから」
「お前の気持ちを聞いてるんだ」
重ねて質問してくる彰彦の真面目な視線に、文は少し言葉をつまらせた。
彰彦がそう思うだろうと言う事ではなく、文自身がどう思うのか。
目を閉じると、倒れた根津の姿と、それを静かに見下ろす彰彦の姿が甦る。
「…だって…怖いんだもの…」
唇を噛み締めながら文は呟く。
嫌なのかどうかではなく、口から滑り出たのは気持ち。
「怖いんだもの…いつ自分もああやって…まるで何も無かったように…って思うと」
必要の無くなった自分を傷つけられるのが怖い、仕事を離れて戻れなくなるのも怖い、せっかく柿本がいなくなったのに…とあいつの死を喜ぶ自分も怖い。
文の目が熱くなった。
顔が熱いのはきっと、殴られたり事故に遭ったりしたせいだろうが、この目が熱いのは。
「私はアイテムじゃないのに…それに、何で殴られなくちゃいけないのよ…っ」
「………」
「知らない事で殴られたり怒鳴られたり、嫌だもの。簡単に人が死んだりって…」
「……」
「そうゆう事が出来るあなた達と一緒にいるのが、怖い」
私には耐えられない。
そう言って文の目から溢れた涙は、耐えられない恐怖への涙ではなく。
拒絶する言葉を吐く事への辛さだった。

文の泣き顔を見ながら、彰彦は暫く無言だった。
その表情の下で何を考えているのかは、文には判らない。それは根津を撃った時の様子にも似ているかもしれない…と思った瞬間、彰彦が笑った。
ぷっと噴き出して、文の顔を優しく撫でる。
「…っ!?」
「お前…あんな暴走しておいて、今更怖いって言うか」
どうやら笑いたいのを堪えていたらしい。
くくくく…と肩を揺らし始めた彰彦の姿に、泣くほどに怖さを訴えていた文が思わず顔を赤くした。
「だ、だってあれは!ああしないと…っ」
「ああ、全部俺が理由だな。俺のせいだ」
「…え」
「俺のせいなんだから、堂々とそう思えよ。もっと図々しくなれ」
殴られたのも、怒鳴られたのも、柿本が死んだのも、仕事に戻れない事も、何もかも全部彰彦のせい。
半分はそうかもしれないが。
半分は違うと思う。
でも、彰彦は自分の事を指差して「俺が原因」と笑う。
「実際お前は何も悪くないんだ」
「…でも」
「俺が怖いか?」
「………」
文は小さくだが頷いた。
怖い事は間違いないのに、それを言うのが辛い。
「もう怖がらせない」
「…え?」
「もう怖がらせねぇし、お前が怖いと思う事から俺が守ってやる」
だからお前は、全部を俺のせいにして「ここにいてやる」くらいの気持ちでいれば良い。
俺が言うから「ここにいてやるんだ」くらいの気持ちでいれば良い。
そう笑う彰彦に、文は目を丸くした。

拒絶を受け入れるつもりなんだろうか。
住む世界が違うと、そう告げたつもりだったのに、通じなかったのだろうか。
「私には無理って…っ!」
「ああ、お前にはもう一切見せないし、関わらせない」
何を、なんて説明すらしない。
「お前の不安も丸ごと俺が引き受けるから、ここにいろや」
優しく微笑む彰彦に、文が先程とは違う理由で顔を赤く染めた。

彼らの住む世界には馴染めないと、怖いと思っているのに。
彰彦の言葉に嬉しい自分も確かにいる。
「……あなたが怖いのに、そのあなたに守ってもらうの?」
ボソッと呟いてみた。
文の口元にも笑みが浮かび始める。
何だか自分で自分が可笑しいのだが、言われた彰彦は自分が笑われていると思ったらしい。さっきは自分が文を笑っていたくせに、だ。
「大体だな、お前が俺に踏ん切りつけさせたんだからな!そこは理解しておけよ!」
全部自分を理由にして良いが、その理由の「きっかけ」は文にあるという。
「そんな!」
「それにだ!お前、オヤジが引退しました〜じゃあ2,3引き継ぎして終わり〜ってなると思うか?そんな簡単にはいかねぇんだから、お前にもきっちり見届けて貰うからな!」
導火線へ火をつけたなら、せめて最後まで見届けろという事らしい。
では、その導火線はどれ程あるというのか。
「…いつまでかかるの?」
「さぁな。…そう、10年か20年か」
「それにずっと付き合うの!?」
「ああ」
いつか「完了した」と彰彦が胸を張って言いに来るまで、それを待って過ごせと言うのか。
10年20年かかるかもしれない事を。
でも、それでは。
「判ったか!」
念押しする彰彦に、文は赤い顔のまま困ってしまった。
だって、それでは。
「判ったのか!?」
判ったような…
文の戸惑いに眉をしかめていた彰彦は、自分の発言を反芻したらしい。
そして、文の困った視線を受け止めて、気付いたようだ。


「あーとりあえず寝ろ!治せ!全部それからだ!!」
照れ臭そうに咳払いをしながら、彰彦は慌てて立ち上がった。
しかし、そんな放り投げられかたをすると文も困ってしまう。そんな…と言おうとして、文の脳裏を1人の男が過った。
「あーっ」
「何だよ!」
「立科さん…どうしたんだろう」
こんな時に自分を心配してくれていた人を思い出すなんて、ずるいだろうか。もしかしたら彰彦よりあくどい放り投げをしたかもしれない。心の中で舌を出した文に、彰彦が眉をしかめた。
「お前…この流れで他の男の名前を出すか?」
「だって…」
「あいつなら、丁重にお引き取り願った」
しっしっと想像した姿を打ち消すように手を払う彰彦に、今度は文が眉をしかめた。
彰彦は立科と会ったのか?
「まさか、立科さんに乱暴な事を」
していないでしょうね、という疑いの眼差しを、彰彦が心外と言う顔で受け止める。
お引き取り願ったのは事実だった。ぎゃあぎゃあ五月蝿かったので、多少脅しはしたが。
「………ちょっと」
「何もしてねぇ」
「………」
「何だったら電話でも何でもすりゃ良いだろう!」
「あ、それは」
良い考えと、思わずパッと顔を明るくした文に、彰彦が鼻に皴を寄せた。
「やっぱり駄目だ」
「え!」
「治るまで駄目だ!」
「な、何でっ」
「何でもだ!」
この議論はこれで終わりとドアの方へ向かう彰彦は、ふっと足を止めた。
その背中を見上げながら、文もふっと呼吸を変えた。
「お婆の予言は当たるんだ」
そう言ってから彰彦が振り返る。
穏やかで静かな表情で文を見つめ、少し眩しそうに目を細めた。

ずっと予言として言われ続けた「運命の女」…それが文なのは、もう疑いようもなかった。
今まで何となく、のらりくらりと誤魔化し続けた決意の扉を叩いた今、文の存在は彰彦にとってその決意そのものになっている。
まだお互いに知らない部分だらけだが。
「…俺に惚れろよ」
「……あなたは?」
割りとすんなりと返答が口を突いた。
何だか飛んでもない事を言われ続けている気がするのだが、文も眩しそうに彰彦を見上げる。
予言された者同士だなんて、照れ臭いだけかもしれない。
「………だな」
「……でしょ」
ぷっと噴き出し、くくくっと笑いあう。
まずはそこから、と判っていたから。


「ゆっくり休め」
彰彦が静かにドアを閉じた後で、文はふーっと深い吐息を吐いた。
少し前にこうして天井を見上げた事があったが、あの時よりも呼吸が楽だと思った。体は痛いが、胸をせり上がる焦りの様な感覚が無い。
そっと目を閉じると、先程の少し照れたような彰彦の顔が浮かんだ。
怖いと素直に伝えた結果が、あの顔か。
ちょっと可笑しい。
そんな彼を好きになるには、色々な意味での傷害がとても多い気がする。
だが、それはお互い様だろう。
とりあえずは体を治すことから。
だって、全部彰彦のせいなんだから、と納得出来る自分の狡さにチラリと笑って、文は呟いた。




「まずはここから」












初出…2008.5.30☆来夢
5話位で〜と思っていた話が、思いがけず4倍になっちゃった(汗)

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。