No Brand Saurus

焦ったのは文だった。






「ちょっと待ってよ、何してるの!?」
「オヤジを殺して俺が上に立つ」
「あなたがやっちゃ駄目じゃないの!?」
「むしろ俺がやらなくちゃ駄目だろう」
文と彰彦、2人して荒神に銃を向けながら言い合いになった。
対する荒神はそんな2人をのんびりと眺める構えだ。
「お前の手を汚させるわけにはいかねぇしな」
俺の為なんだろ、とニヤリと笑う彰彦に、文が途端にムッとした顔になった。
「別にあなたがどうなろうと知ったこっちゃないわよ!!」
「だが、お前がオヤジを撃とうとする事は、結果的に俺の為になるんだぜ?」
「違うわよ、自分の為よ!止めてよ!!」
「お前こそ銃を下げろよ」
文が撃つと言うのなら、一歩先に自分が撃つ。
そう言って退かない彰彦に、文は半ば苛立ちながら荒神を見た。もう目の前で人が倒れるところなんて、目にしたくはないのだ。だから…
「あなたが引退すれば…っ」
「お嬢さんが銃を降ろせば、それで良いよ」
「え…っ」
薄い頭を撫で上げながら荒神は笑う。
まるで孫にお小遣いをねだられて「困ったねぇ」と言いながらも懐を探る好々爺だ。自分を殺そうとする口が二つもある事は、大した問題でも無いように思えてしまう。
「高刀に殺しをさせたくないなら、お嬢さんが手を引っ込めれば良いのさ」
それがボスの座を譲る交換条件だと笑う荒神。
あまりにあっけない物言いに、文は困ったように彰彦を見た。対する彰彦もまた、ちょっと拍子抜けした表情で荒神を見つめていたのだが。
「…どうする」
「どうするって…」
決断は文に委ねられ。
文は暫し呆けた様に言葉を無くしていたが、ふっと手から力が抜けていた。

ガコン…と、まるで自動販売機に落ちる缶ジュースの様な音を立てて、文の握っていた銃が落ちた。
案外と物事は簡単に収まるものなんだな、と思うと同時に、足の力も抜けた。
その場にへたへたと尻餅を着いた文に、銃を拾い上げながら彰彦が自分のそれも元の鞘に収める。
「…良いんですね」
「ああ、遅かったくらいだ」
「……待たせましたか」
「そうだねぇ、随分と」
ぼんやりしている文をニコニコと眺めながら、荒神は意地悪く彰彦に「待たされた」と肩を竦めた。
「もうずっと、彼女と2人で南の島を旅したいねぇって言っては、出来ずにいたからね」
心底、という体で呟いた荒神こそが、もしかしたら本当に文の登場を待ちかねていたのかもしれない。
彼女…お婆の予言した女を。
「申し訳ありませんでした」
「ふふ…良いさ、結果がそうなれば。でも、ダイヤは返して欲しいね」
あれはお婆の為に用意したものだから。
「ダイヤでティアラやらなんやら…身を飾らせてやりたくて手配したものだ」
「お婆に…」
うっとりと語る荒神には悪いが、彰彦の脳裏を過るのは不気味な老婆の姿ばかりだ。眉をしかめた彰彦の考えに気付いてか、荒神が少し目を細めた。
「若い頃はお嬢さんに負けない美人だったよ。今だって可愛いもんさ」
「はぁ」
「だから、ダイヤを受け取ってから引退させて貰うよ」
「………判りました」
これは譲れない、とチロリと彰彦を睨む荒神。
その姿は本当に普通のお爺ちゃんにしか見えなくて、文はぼんやりとそのやり取りを聞いていたのだが。途中でふっと思う。
「ダイヤ…」
まずは胸元の一包みを返しながら、文は一応言ってみた。
「もしかして」

根津のビルから逃げる時に見た、あの大量に捨てられていたナプキンの袋。
男ばかりのあのビルに、そこまでナプキンの需要があるとは思えなかったのだが、もしかしたら…
「店か」
ハッとした彰彦が携帯を取り出す横で、荒神が文に微笑みかける。
根津の所有する飲食店等の女子トイレにばらまかれたダイヤを想像すると、いかにも徒花的な隠微な光を感じるのだが、それを統括する荒神自体からは長閑な午後の匂いがした。
「ありがとうよ」
「………いえ」
礼を言われても複雑な気分だ。
先程まで自分が銃口を向けていた相手なのだから。
「……ごめんなさい」
「いいや、構わないよ」
「でも」
「殺気の無い銃口なんざ怖くないからねぇ。暴発の可能性にはひやりとしたが」
それはきっと彰彦も同じだろう、と顎をしゃくる。
電話に夢中でこちらの視線に気付いてない彼の背中を見つめ、文は肩を竦めた。
これでお別れだ。
長かったようで短かったようで。
「お役ご免です」
「………そうかい?」
ホゥ…と吐息をつきながら文は頷いた。
この荒神と御婆とやらが彰彦に吹き込んだ「自分が彰彦をてっぺんに導く」という役は、これで無事こなした筈だ。もう用は無いだろう。
自分はアイテムなのかと思うと心がざわめき立ったが、済んでしまえばあっけない話だ。
その為に出た犠牲は決して少ないものではないが、もう既にどこか遠い出来事になっている。
「それで終わりで良いのかい?」
「…良いです」
「本当に?」
「住む世界が違い過ぎるし、彼が私を手元に置く理由も無くなりました」
ニッと笑った文は、少し震えている体を誤魔化すように立ち上がろうとした。だが、流石に体へのダメージが溜まっていて、上手く立ち上がる事が出来ずにテーブルに手を付いて体重を支える。
そんな彼女に、荒神が言った。
「あんたは見届けなきゃ駄目だよ」
「…は?」
「あいつが放り投げずに組織をまとめあげられるかどうか、見届けなきゃ」
「…いえ、それは…」
「せめて、あいつに思ってる事を言わなきゃ駄目だ」
「って…」
思ってる事って。
荒神の言葉に戸惑っていた文は、いきなり腕を掴まれて体を引っ張り上げられた。

はっと傍らを見ると、電話を終えた彰彦が文を支えていた。
その顔が思いがけず近くにあって、文は思わず顔を逸らしてしまう。
住む世界が違い過ぎると実感して、自分の役目が終わったと確信して、そして胸に抱いた感情が。
離れるとなると寂しいかも。
「…んなわけないし!」
「何喚いてやがる」
ぶんぶんと顔を振る文を不審そうに見ながら、彰彦は荒神に頭を下げた。
改めてまた挨拶に来なくてはならない。
「ダイヤ、持っておいでよ」
「間違いなく」
まるで何も無かったかのように、荒神が穏やかに笑った。
いきなり銃を持った2人がやって来た事も、自分が引退を決意した事も、何も無かったように。
失礼しますと去ろうとする彰彦に引きずられながら、文も慌てて頭を下げた。
もう二度と会う事も無いだろう人に。
「さようなら」
「またね」
荒神は手を振ってくれた。
本当に近所の御爺ちゃん的にしか見えない、そんな笑顔。その彼の背後の襖がスッと開いた気がしたが、文にはそれを確認する事は出来なかった。
彰彦は止まる事なくさっさと玄関へと向かったからだ。


来た時同様、あっさりとした見送りだった。
今まさに自分の主が引退を決意したとしても、ここの空気は変わらないのかもしれない。
文はこんな世界に関わるはもう無いのだからと、しみじみとその建物や風景を眺めてしまった。サラシに法被でも着た男衆が見送ってくれたら、それっぽいのにななんて思いながら。
「ほら、早く乗れ」
「…私は良いよ」
ドアを開けて待っている佐古の隣で、彰彦が眉をしかめた。
「忙しいんだから、早く乗れって」
「だから、私が乗る必要は無いでしょう」
「……お前なぁ」
はーと大仰な吐息と共に彰彦が文に手を伸ばした。
無理矢理に車に乗せようとするその動きに、文が思わず後ずさるのだが、佐古も一緒になって文を捕まえるから逆らえない。
「ちょっと!」
「五月蝿ぇ!とりあえず病院行かなきゃならんだろうが!」
「忠信も早く診せてやりたいので」
押し込まれた後部座席で文が「あ」と声を上げた。
言われると途端に体中が痛み始めるから、体は素直だと思う。
自分も体くらい正直に物が言えれば良いのだけれど。
「自分がいつも通りと思うなよ」
頭から流血してるんだからな、とぼやく彰彦の言葉に、文は返す言葉も無く黙り込んだ。
優しい言葉をかけられていると思うのだが。
自分の事を心配してくれているとは思うのだが。




ふっと閉じた瞼の裏に過る、倒れた根津とそれを見下ろす彰彦の姿。
やはりそれは、受け入れ難い事実として文の胸を重くするのだ。











初出…2008.5.14☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。