No Brand Saurus

カチャという無機質な音がした。
片側から何かが近づいてきたのが判るが、そちらを見ると視界が赤く染まっていた。その真ん中で、自分に銃口を向ける佐古の姿がある。
あらゆる感覚が麻痺してきたのかもしれない。
佐古の細い目からは何の感情も読み取れなかった。
彰彦を狙う自分と、自分を狙う佐古、誰の一撃がもっとも有効かは文にもよく分かっていた。
それでも、この銃口は下ろせない。
2人の様子を見つめ、彰彦がそっと手を上げた。
「佐古、下ろせ」
ちらりと佐古と彰彦が視線を交わし、文を狙う銃口だけが顔を伏せた。
彰彦の佐古を遮った手が、そのまま文のこめかみに伸びた。
ビクッと震えながらも歯を食いしばると、彰彦の手が何かを拭っていく。それが何かは、離れた手を見て理解した。
「行こう」
向けられた銃口を怖がる風も無く怒る風も無く、ただ静かに呟いた彰彦の手が文の血で汚れていた。


沢山のパトカーと通り過ぎても、車内は平然としていた。
ハンドルを握る佐古、助手席の須和、そして後部座席の彰彦と文は一言も喋らない。ただ文は銃を握る手の震えを必死に押さえている。じっとりと汗をかいている気もした。
指先に力を込めた瞬間の絶望は、もう味わいたくない。
ちらりと傍らの彰彦を伺うが、彼の表情は淡々としていて特に何の感情も読み取れない。
それがまた文を怖くさせる。
この引き金を引いた後で、そんな表情が出来るなんて。
でも、だから。
上の人間が言った「予言」に従って、突然現れた女に親切にする事も出来るのだろう。
感情の出所が違う。
この人は、自分の理解を越えたところで物を見ている。
文にはそれが、怖くて、そして寂しく思えた。

「着いたぞ」
彰彦の声にハッとする。
文はゆっくりと足を下ろしたその場所を、呆然と見上げた。
白砂のひかれた広い前庭は、覆いかぶさるような勢いの木々で外界からの視界を閉ざしている。
「こっちだ」と言って彰彦達が足を向けたのは、大きな和風建築の玄関。寺か何かかと思いたくなるような重厚感は、しかしそこが彼等の総本山と思うと不気味さが増すばかりだ。
須和は車から動かなかった。動けないのかも知れない。
「高刀だ」
中に入ると佐古も足を止めた。
案内の人間は法被に雪駄の男でも出てくるかと思いきや、普通にスーツ姿の男がチラリと文を認めただけで視線を落とす。銃を持った人間なんて、珍しくないのだろうか。
それとも。
「親父に会ってどうする」
「………」
文は、彰彦の声に僅かに顔を振った。
どうするかなんて考えてない。
ただ、この自分にとって理不尽としか言い様のない状況の原因に会いたかった。
私がこの人を「てっぺん」に導くと言うのなら。
それが親父とやらの跡目を継ぐ事ならば。
「ここだ」
彰彦が足を止めたのは、案内の人間もいなくなった通路の果てだった。


車に戻ってきた佐古に、須和が勢い込んで状況を尋ねようとした。
「…っつぅ」
「怪我してるんだから、暴れるな」
借りてきたのか救急キットを広げる佐古に、須和は痛む顔を押さえながら屋敷の方を伺った。異様な状態で彰彦と文が入っていったにも関わらず、荒神の屋敷は静寂の海にいる。
「アキさんが根津を…」
「カッとしたんだろう」
消毒液の匂いが漂う車内で、佐古がふっと細い目を更に細めた。
須和の動きはGPSで弥彦がフォローしていたから、あのコールですぐさま駆けつける事が出来たのだが、着いた途端の光景がいけなかった。
彰彦は躊躇いもなく引き金を引いていた。
「…文さんを殺したかった?」
「馬鹿」
わざと傷口を叩くようにガーゼを押し当ててやると、須和が咽の奥が焦げた様な声を出した。
「でも、本気だったでしょう」
佐古は答えなかった。
そんなのは当たり前過ぎて、答える必要も無かった。
彰彦を傷つける者を許さない、それが自分の役目だ。例えそれが、彰彦の道を照らす女神だろうとも。
「俺、あの人にナルシストって言われちゃいましたよ…」
「…気付いてなかったのか?」
「皆そう思ってたんですか?」
無言で見つめ返す佐古に、須和が天を仰いだ。
こんな時に視界を遮ってくれるサングラスが欲しかったが、生憎と先程の衝撃でどこかに飛んでしまっていた。
「参ったな」
「今更だ」
「…俺、あの人に助けられちまった」
「損な性分なんだろう」
この間も自分を連れ出した遊莉の事を気にかけていたなと、佐古が思いだす。
自分がギリギリの場面で人を気遣うなんて、何の得があるのか。
「どうするつもりでしょうね、親父に会って…」
彰彦もまたどうゆうつもりなのか。
佐古や須和でさえそうそう顔を拝めない荒神の元へ、あんな状態の文を連れていくなんて。
「銃声がしない事を祈るばかりだ」
小さく呟いた佐古の声に、須和も同じくと頷いた。


「いらっしゃい」
部屋の中からかけられた声に、文の目が丸くなった。
広い和室の奥に置かれたテーブルに、ちょこんと腰掛けている老人の姿。そこまで近づかなくても、文の脳裏に記憶に新しい人の顔が過る。
「質屋さん」
「あ?」
彰彦は不審そうな顔をしたが、老人はニヤリと口元を歪めた。
「オヤジ」
「ああ、随分ボロボロだが…こちらが例のお嬢さんだね?」
「文、オヤジだ」
「荒神宗助だ…よろしくね」
これが、という思いが文の胸を過った。
彰彦や根津達の上に立つ人間だから、どんな悪徳な顔をしているのかと思ったら…これは、偶然立ち寄ったあの質屋の店主じゃないか。
「質屋さんじゃないの?」
「ダイヤは…警察に届けたのかい?」
問われて、文は思わず自分の胸元を見た。あの包みは下着に引っ掛かって、そこにまだ鎮座している。
「これ…」
「返しに来たんだろう?」
手の平を見せる荒神に、彰彦が文を見つめた。
そうだ、このダイヤはオヤジの物と根津が言っていた。
本来の持ち主が荒神ならば、それを返すのは問題ない。だが、今の文がしたい事はそれではなかった。
「その前に、お話があります」
手の平を出したままの荒神が文の顔を黙って見つめる。静かな笑みを称えているのに、その瞳の奥が読めない気がするのは気のせいだろうか。
文は手に握ったままだった銃を持ち上げると、彰彦に向いていた銃口を、荒神の方へと向けた。

荒神の笑顔は変わらない。
ニコニコと笑みを作った口元のままで文を見つめ、そして彰彦に問い掛ける。
「これは?」
「………面目ない」
数瞬、文の横顔を見つめた彰彦は、小さな溜息と共に懐から自分の銃を取り出した。先程根津を撃ったものだろうか。文の手にした物より小さく見えるそれは、彰彦の手が大きいだけで、全く同じ物だ。
その火花を吹く口が、文の横顔に向けられた。
「下ろせ、文」
「…嫌よ」
先程の佐古と同じ、文を狙う銃口。彰彦はきっと躊躇いも無くそれを撃てるのだろうと、文は思った。佐古と同様に、銃を持つ手に違和感が無い。
睨み合う2人に、荒神が言葉を繋いだ。
「お嬢さんは私に話があるんだろう?」
それを聞こうじゃないかと、自分に向けられた凶器に何の動揺も見せない。
奇妙な連鎖の中で、文はゴクリと一度唾を飲み込んだ。
そして。
「この人にその座を譲って下さい」
文が口にしたのは、そんなお願いだった。

今度は彰彦の口がポカンと開く。
荒神に銃を向けるなんて暴挙をしたら、人間の形をしたままでは死ねない。それが常識だった。
そもそもが、ここにこうして入れる事も異例中の異例なのだ。
だが、荒神にはお婆がいる。
どんな珍事でもお婆の一声があれば、荒神はそれを許容してきた。今回も、だからだろうと彰彦は思っていたのだが。
「文…?」
これも、お婆の予想の範囲内なのだろうか。
文を見て、それから荒神を見る。
2人はジッとお互いを見つめ合い固まっていた。いかにも不器用に慣れない手つきで銃を持つ文と、いつ暴発するともしれない銃口を前にして揺らがない荒神。
この状態も、お婆が予想していた事なのか。
「………っ」
もしここで文が引き金を引くような事があれば、自分は躊躇わずに文を殺すだろう。
だが、今の文は自分を引き上げる事を言っている。
お婆は文が自分をてっぺんに導くと言った。
テンションを下げるんじゃないと…
彰彦はそこで、自分の銃が既に一発の弾を失っている事を思い出した。
「オヤジ」
「何だい」
「根津を始末した」
「そうかい」
荒神は緩やかに二三度頷いただけだった。
何でかとは一切問わない姿に、彰彦は確信した。
「後戻りは出来ねぇ」
どこかスッキリした気分を味わいながら、彰彦は銃口を文から外し、それを荒神へ向け直した。
傍らで驚いている文に、彰彦は笑いながら言った。
「てっぺんを狙うって事は、こうゆう事だ」










初出…2008.4.30☆来夢

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実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。