No Brand Saurus

目茶苦茶に体が揺れた。
とにかく何かに捕まらなくてはと思って、無我夢中で手に触れる物にしがみついた。
ぐるんぐるんと回転する感覚に、何か固い物に体を打ち付けられる感覚がすると、耳の中が砂嵐の様な状態になった。耳鳴りなのか、実際の音を聞いているのか判らない。
体の位置が落ち着いて、その音が暫くして止んでから、文は初めて目を開いた。
「よぉ」
逆様になった視界に、ねずみ顔の男…根津がニヤリと笑っていた。


体半分がひっくり返った車の中にあった。
状況はよく分からないが、自分たちの乗っていた車が転がった事だけは間違いない。
「材料自ら工事現場にようこそ」
根津が笑うと、周りからも下卑た笑い声が飛び交う。
どうやらどこかの工事現場に誘導された挙げ句に事故らされたのだろう。文は須和の無事を知りたかった。
「おい、そっちは」
「生きてます。悪運強い連中だな」
文を助けようともせずに、根津が車の腹越しに声を飛ばした。呻き声が聞こえたのは須和のものだろう。
彼が無事なのは良かった。
「どうせこれから死ぬんだから、どっちだって良いがな」
くくくくっと肩を揺らす根津を逆さにみていると、何だか不気味なネズミが悪巧みをしている様にしか見えない。
「おい、今度は逃がすなよ」
「大丈夫ですよ」
「おあつらえ向きに駆け落ち相手まで連れて来てくれたんだからな」
「…駆け落ち…?」
口の中に入った埃や砂、もしかしたらガラス辺がジャリジャリするのを感じながら、文は何とか声を出した。また勝手に喋るなと殴られるかと思ったが、根津は文を面白そうに見下ろした。
「親父のダイヤを不倫相手と盗んだ挙げ句、そいつを殺して他の男と駆け落ち。その最中に不審な事故死…でき過ぎだろ?笑っちまうけど、良い2時間ドラマになるぜ!」
「…不倫…ダイヤ…って!誰が誰と不倫!?」
根津の語る物語の配役を想像して、文がおぞましい感覚に叫んだ。
事故で負った全身の痛みよりも、そのキャストが頂けない。
それは、柿本と自分が、という事か。
「撤回しなさいよ!」
「おーおー元気だな、そのまんま車に火ぃ点けて焼き殺してやろうか?」
「文さんっ」
吠えた文を笑う根津は、どうやら意識を取り戻したらしい須和を見つめた。根津の部下達に囲まれて、額から血を流しているが、良い男には違いない。それが何となく気にくわないのだろう、ちっとネズミに似た口元が舌打ちを漏らした。
「自分の女が荒神の親父のダイヤを盗んだとあれば、アイツも大変だろうなぁ。残りのダイヤもどこにあるのか探さにゃならん。必死になるアイツを想像すると愉快だぜ?」
「そう上手くいくか」
「行くさぁ!材料はここに揃ってるんだからよ!」
ガッと根津の足が足下の砂を蹴った。
文の顔すれすれの所を削った動きに、文も須和もハッと息を飲む。だが、根津の蹴りはそこから何度も何度も、執拗に続いた。その度に文の髪に顔に、砂が飛びかかる。
「ったく勘弁して欲しいぜ、お前も思わないか?お婆の予言通りにアイツに運命の女が現れた?これが運命の女!なにか、お婆二世か?あん?まるでそれを待っていたかのように、親父の周辺が慌ただしくなってやがる。この女が現れる事が、アイツが跡目を継ぐ条件だったとでも言うのかよ?そんな馬鹿な話があるか!」
文は異物が飛び込み痛む目で、必死に須和の方を見た。
かすかに見える彼は、根津の言葉を否定も肯定も出来ない顔で見つめている。
「荒神の親父にゃ悪いがこいつには死んで貰う。そうすりゃ婆ご推薦の跡目の話も煙さ。婆の予言が外れた事をお祝いして、親父にも隠遁してもらうのが一番だなぁ」
ぎゃはははと笑い、根津は文に顔を近づけた。
「今度は余興無しに逝ってもらうぜ」
ニヤリ、と黒ずんだ歯を目の前に見ながら、文は。
「お断り」
その顔面に向かって、黒光りする銃口を向けた。

転がる車の中で、必死に掴んだのがダッシュボードだったのか何なのか。気付いた時にはぐちゃぐちゃになった車内に取り残された手が、その物騒な凶器を掴んでいたのだ。
根津の顔がポカンと固まった。
それが何か理解できていない顔だ。
「…文さん…」
「私の関係ないところで、勝手に私の運命決めないでくれる?」
痛む口で必死にそう告げると、根津の顔がどす黒く変色した。
一瞬、まるで歯の色が肌に広がったのかと思える程の変貌ぶりである。
「…貴様…っ」
「その人を離して!でないと…撃つわよ…っ」
逆様になったまま銃を構えている文は、自分の手が震えているのに気付いた。怪我をして震えているのか、この恐ろしい物体を手にしている事に震えているのか。多分両方だ。
「俺を撃てば、ダイヤの残りがどこにあるか…判らなくなるぜ?」
「そんなの…私には関係ない…っ」
ぎょろりとした根津の濁った目を、文の澄んだ大きな瞳が睨む。
ダイヤがどうなって、それが彰彦の立場をどうしても、知った事かと思う。本当に思う。
だって、自分がこんな目に遭っている遠因は、彰彦とその荒神の親父とお婆とやらにあるんじゃないのか?
「文さん…それはっ」
「早く逃げてよ!」
あの男と助ける義理なんて、自分を犠牲にしてまでそうする必要なんて、無い気はする。だが、自分本位になりきれないのが、文自身も悔しいところだ。
もっと自分本位になりたいのに、ギリギリの所で格好付ける自分がいる。
そして、最終的にはそんな自分で良かったと思うだろう、きっと。
「撃てよ」
「……っ」
「撃てるもんなら撃ってみろよ、お城ちゃん」
根津が面白そうに顔をドンドン近づけてくる。
怒りで強く染まった顔は、恐ろしい気配で文を追い詰めていく。
「てめぇに撃てるもんなら近所のガキだって人を刺せるぜ!おい、そこの馬鹿を捕まえとけよ!どうせ撃てないコイツと一緒に、この車で丸焼きにしてやるんだからな!!」
唾が飛んできて、文が思わず怯んだところを、根津は見逃さなかった。
地を這うような動作で文の手を殴り飛ばそうとしたのだ。
「文さん!!」
須和の声が聞こえた。
何で逃げないのよ、馬鹿!
文は目を瞑って、銃を撃とうとした。
もう知らない。
ここまできたら、どうとでもなれ。
大丈夫、いざとなればどうとでもなる。
私なら大丈夫だから。
文の指が、冷たくて固い引き金に掛かった。
次の瞬間。


ドン。


耳元で火薬が弾ける様な音がして、そしてドサッと人が倒れた。
頭上を横たわるのが根津の体だとはすぐに気付いたが、視界の隅に広がっていく赤黒い液体が何かはすぐには理解できなかった。
「……あ、ああ…っ!」
文の手が震えた。
自分は、とうとうー
ガクガクと全身に伝わり出した震えは、文の耳を混乱させたのかもしれない。
わーわーという人の怒声に続いて、パンパンと布団を叩くような音、そして静寂。
シン…となった世界で、誰かが文の体を車から引っ張り出した。
視線が高くなれば必然的に目に入るであろう、そこに横たわる根津の体。だが、文の体はそのまだ暖かい物体から背けられる様に、視界から遠ざけるようにと抱き上げられた。
手にはまだ鉄の物体がある。
これが、命を絶った。
そう思うと投げ出したい気持ちになったが、指が硬直して動いてくれない。
動く体とは反対に、どんどん硬直していく思考。
それを揺さぶったのは、頭上から掛かった声。
「文」
見上げると、そこにいたのは彰彦だった。

何だか色々と言いたい事がある。
しかし、今はそれよりも自分がしてしまった事の重みで潰されてしまいそうだ。
引き金を引いた感触は無かったが、多分そんなものなのだろう。
案外と簡単に事は終わる。
引き金を引く事も。
命を奪う事も。
「…あぁ…っ」
銃を握ったままカタカタと震える手を、彰彦の手が上から押さえた。
そっと落ち着くように促そうとするその動きに、文が呻いた。
「私…人を…っ」
だが、彰彦が静かに首を横に振る。
「俺だ」
「え」
「俺が撃ったんだ。お前は引き金を引いちゃいねぇ…それに、それじゃ撃てねぇ」
彰彦が文の持つ拳銃の安全弁を示したが、文には一瞬何を言っているのか理解できなかった。視界にただポツンと入る拳銃の形。それがじんわりと指先から痺れと共に脳に到達して、そして目を丸くする。
「あなたが?」
「見るな!」
思わず彰彦の腕越しに覗き込んだのは、横向きに倒れた根津の姿。頭を中心にして黒い血溜まりが広がっている向こうに、静かにこちらを見つめる須和と佐古の姿がある。
文はぞっとした。
2人の静かな視線に、彰彦の冷静な態度。
そんな彼らの周囲を見渡してみれば、根津以外にも倒れている男達の体がある。慌ただしくそれらを片づける男達の姿もある。
何があったかは一目瞭然なのに、この男達の冷静な姿がそこにある。
「どうして…」
「何だ?」
文は首を振った。

無理だ。

照れた様子が可愛いなんて、キスもしてこない案外平和な男だなんて、挨拶もせずに悪かったなんて、何を思っていたのだろう。
住む世界が違うというのは、こうゆう事じゃないのか。

「ダイヤの件、どうします」
「探すしかねぇだろ。残りの連中を…前に吐かせろ」
黙っている文の頭上で、彰彦と佐古が静かに会話をする。
こんなところで、冷静な会話が出来る。
恐らくは文を気遣った会話をしたのだろうが、文には彼が何を濁したかはハッキリと判った。自分が手にした物が、その想像をリアルに形作ってくれる。

無理だ。

「…野郎…随分と手荒に扱ってくれたじゃねぇか」
不意に文の顔を、くいっと彰彦が指先で持ち上げた。
傷ついた部分に触れまいとする気遣いが、今は文の心を余計に冷たく凍えさせていく。
根津に引き金を引いた指が、今は優しい動きをするのか。
「彰彦…」
「………何だ」
少し彰彦が息を飲んだ。
初めて文から名前を呼ばれたからだ。
しかし、その口はもう一度息を飲む事になる。
「私を、荒神の親父とやらのところに、連れていって」
「文」
彰彦が目を丸くした。
まさか文の口から荒神という単語が出てくるとは思わなかった事と。




先程は根津に向けられていた銃口が、今は彰彦を狙っていたからである。










初出…2008.4.18☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。