No Brand Saurus

それはまるでネズミのような男だった。
安っぽいグレーのスーツが猫背で歪み、神経質そうな線の顔にはちょこんと黒ずんだ出っ歯。
陰鬱な目元が文を上から下まで舐める様に見つめ、そしてニヤリと笑った。
「これが高刀の『運命の女』か、笑えるじゃねぇか」
「………え?」
運命の女?
何だそれはと眉をひそめる文を小馬鹿にしたように見下ろしながら、ネズミに似た男は言った。
「さぁ、どうしてやろうか」
ひっひっひ…と咽の奥に物が詰まったような笑い声を響かせる男の周りで、いかつい男達がニヤリと口元をあげた。

警察署から車に詰め込まれた文は、気付いたら雑居ビルの一室に押し込められていた。
かなり年季の入った建物で、壁や天井には一瞬飾りかと見間違うばかりのひびがある。少し大きな地震でもきたら、あっという間に崩れるかもしれない。そんな廃虚とも思える建物だが、実際に虚ろなのは部屋の中の空気かもしれない。
明らかに荒んだ気配の男達が揃う室内には、これ見よがしな飾り物が所狭しと並べられている。それは日本刀だったり虎の掛け軸だったり、金色で象られた見た事のないシンボルマークだったり…
やたらとごつい装飾の付いた革張りのソファの上で、文はみじろぐ。
「運命の女って…何の事?」
高刀の運命の女、と確かに言われた。
彰彦の運命の女?
「ここは一体…あなた達はあの人とどうゆう…」
矢継ぎ早に口を開いた文だったが、ネズミ顔がニッと笑ったかと思った瞬間、顔面に火花が散った。
何の前触れも容赦も無く、突然平手打ちされたのだ。
ぱらぱらと散る前髪の中で、文の目が丸くなる。
「勝手に喋るなよぉ」
ひっひっひ。
「どうせあいつにチヤホヤされて良い思いしたんだろ?世の中ギブアンドテイク、プラマイゼロさぁ…上がれば落ちるもんだ」
「………!?」
何を言われているのかは判らないが、ひっひっひ…という笑い声が段々不気味になっていく。
ここはどこだ、こいつは誰だ。
出口を塞ぐような、そしてソファを取り囲むような男達の気配に、文は顔に手を当てながら声を飲み込んだ。思わず肩を狭め、膝の力を強める。立科の心配が、脳裏を過った。
「御婆もなぁ、俺の運命の女って言ってくれりゃ、死なずに済んだのに」
可哀想になぁ、ひっひっひ…
不気味な笑いが他の男達にも伝染していくようだ。それぞれの顔にいびつな笑みが浮かんでいる。
「なぁ、高刀は優しかったか?うん?」
「………」
「答えろや!」
パン!と再び頬を張られる。
喋れば殴り、喋らなくても殴る。きっと理由はともかく文を殴りたいだけなのだろう。男が無造作に女を殴る場面を見ても、他の男達は何の感情も瞳に宿さなかった。
「で、お前は何をしてやったんだ?奴を上に持ち上げる為に、何をしてやったか言ってみろ」
「………意味が、わからない」
本当に何を言っているのか判らず、文は仕方なしに小さな声をやっと絞り出して答えた。悔しいが咽が震えている。どうして、こんな。
そんな文の返答が終わるのを待たず、ネズミ顔が文の髪を掴んでソファから床に叩き落とした。
「馬鹿にしてるのか?あぁ!?ババアが予言しやがっただろうが、お前がいれば高刀のガキがてっぺん取るってよ!何だそりゃ!オヤジの嘘か真か知れねぇ伝説を裏付けでもしようってのか?そんな事1つで跡取り持ってかれちゃ「真面目」にやってるこっちは敵わねぇよ!」
パンパンといっそ潔い程に音が鳴る。
その都度に頬や鎖骨、頭に走る痛みに文は唇を噛み締めた。この男が何に怒って、何の為に自分をこんな風に扱うのかが判らない。判らないが、確実に体は恐怖を湛え始めていた。
怖い。
ゼェゼェと肩で息を吐きながら床に倒れる文に、ネズミ顔もまた荒い息を吐いた。
「ったく、やってられねぇなぁ。…おい、あれ」
差し出されたネズミ顔の手の平に、傍らにいた男が小さな巾着袋を乗せた。
「ほらよ」
ネズミ顔はそれを、今度は文の胸元へと無理矢理に押し込める。何か小さな固い物が詰まった感触がした。
何だろうと胸元をそっと覗き込むと、ズキリと口元や顎が痛む。出血しているかもしれない。そう思うと、口の中に鉄分の味が広がった。
「あの世への餞別だ」
「………っ」
顎を取られて、真正面からネズミ顔と向き合った。
顔中が熱くて痛いのはこいつに殴られたからだが、今は逆らう事は出来ない。
「…ふん、可愛くねぇな。色気もねぇ。あれが上手そうな顔にも見えねぇ。…でもま、後は任せるぞ」
つまらなそうに文の顎を放し、ネズミ顔はもう興味を無くした体で男達に声を掛けた。
「煮るなり焼くなりまわすなり好きにしろや。最後は分かってるな?」
文の顔から血の気が引いた。
殴られて痛くて熱くて仕方ないのに、耳元で砂嵐が起きたように血液が引いていく音がする。指先があっという間に冷えて、そして震えが走った。
今、何て言った?
「じゃあな、柿本とやらにヨロシク言っといてくれや」
「……っっ!!」
文の顔が反射的にネズミ顔を追った。
柿本?
何でこいつが柿本の名前を知っているのだ?
「……もしかして…っ」
こいつらが柿本を?あの電話を?
青ざめていく唇で何を語ったら良いか判らない文を一瞥して、ネズミ顔が姿を消した。
そして残された文を取り囲む男達が、面白そうに口を開く。
「部屋を変えるか」


雑居ビルの幾つかのフロアを占領しているのか。
窓の無い部屋へと引きずられながら、文は震える体を制御する事が出来なかった。
胸元に挟まれた餞別の感触がやたら無口で恐怖心を倍増させる。
耳には外の世界の車の音が響いたりするのに、自分は一体何をしているのだろう…されるのだろう。
想像に難くない展開に、文は叫び出しそうだった。
灰色の廊下に声が反響して外に響くくらいに、誰か駆けつけてくれるくらいに叫べるだろうか。
「これが運命の女ねぇ…ただの女じゃねぇか」
「やったら俺達が何か変身するかもしれねぇぜ?」
「それなら高刀は今頃口から火ぃ吹いて街を破壊してんだろうが」
「変身てそっちかよ」
ぎゃはははと頭の上で会話が乱れ飛ぶ。
「おう、この部屋でいいだろ」
ギィ…と開いた壁と同じ色のドアは、地獄の蓋だ。
あの向こうに行ったら、もう戻ってこれない。
閻魔の裁きも無いままに、突然に地獄に落とされるのか。
「おら」行けよ、と薄笑いを浮かべる男達に突き飛ばされた文は、地獄の入り口の手前えを見た。
地獄に堕ちる、直前の最後の審判。
やはり壁と同じ色で同化しきっていた扉を開け、文は躊躇わずに身を踊らせた。
あっという気配を感じたが、すぐに漆黒の闇へと落ちて行く。
文が飛び込んだのは、ダストシュートだった。

彰彦の所有する組事務所の前で大騒ぎをしていた男は、立科と名乗った。
「ええ、とにかく『春日君を返せ』だの『人でなし』だのとえらい剣幕で、まー言いたい放題言ってくれてますよ」
下から上がってきた「立科と名乗る男が騒いでいる」という報告に、佐古はすぐに事態を理解した。
「立科?」
「文さんの同僚に名前があります」
おかしな輩なら適当に処理しておけーと思った彰彦は、わざわざ佐古がその話に食いついた理由を理解した。
「文を返せってのは、こっちの台詞だ」
会社から事務所に駆けつけると、茶髪の優男が必死に睨んでくる顔があった。
なけなしの勇気でも総動員したのか、心なしか目が潤んでいる。
「警察と手を組んで彼女を攫うなんて、卑怯者!」
「攫われたんだな?」
「通報したら殺すだなんて、いかにもお前らの考えそうな事じゃないか!!」
「…攫われたんだな?」
ぎゃーぎゃーと暴れる体を2人の男に押さえられつつも、立科は顔を寄せる彰彦に必死で噛みついた。
自分でもどうしてこんな事をと、不思議に思う心がある。
爆発や柿本の死、目の前で攫われた文に警察官の裏切り…非日常に足を踏み入れた現実感の無さの成せる技なのかもしれない。
「お前らが…っ」
「答えろ、文は誰に攫われた」
彰彦の声は静かな低音だった。
怒鳴り続けようとした咽がヒクッと止まったのは、意思より体の命令が先だ。本能がストップをかけた。
「状況を説明しろ」
続けられる声に、立科はスーッと意識が冷めていくのを感じた。
自分はもしかしたら、とんでもない事をしているのかもしれない。
一歩引いた場所から自分を見る気分で、立科は文が攫われた場面を説明した。攫った張本人と思っている相手に向かって。










初出…2008.4.2☆来夢

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実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。