No Brand Saurus

須和は平身低頭状態だ。
女に触る、という事に一歩躊躇した事で、文は警察に連れていかれて(ついて行って)しまったのだ。
「最初から文さんがここにいるという見込みだったんでしょう」
「警察には根津の息がかかった奴もいるからな…」
「こちらも手は回しますが…」
佐古の言葉に頷きながら、彰彦は須和に「気にするな」と声を掛けた。
「元はといえば、俺がうだうだと根津を野放しにしておいたからだ」
簡単な話なのだ。
根津を始末すれば良い。
理由なんて何とでもなる…のだが。
「面倒臭ぇと思ってたツケが回ってきたかもな」
頭を掻きながら、彰彦は考えた。
根津は蓋なのだ。あの男がどれだけ愚かで間抜けでも、それを傘代わりにして虎視眈々と上を狙う輩があそこには沢山いる。だから、根津という蓋を外した後の事を考えると…。
「てっぺん」を狙うなら通らねばならない道だが、そこまでして…と思ってきた事も事実であり、結果としてそれが今の状況を招いたのだろう。
「文さんを取り返します」
「ああ」
自ら女に関わろうという須和の決意に、彰彦もまた前を見据えた。

漸く彰彦の元を「脱出」出来た文を待っていたのは、事情聴取だった。
先日の爆発で柿本が亡くなっていた事、起爆スイッチが携帯電話への着信だった事、爆発直前の発進履歴が文の番号だった事…
「あの電話…」
文は素直に怪しい着信の事を話したが、信じてもらえたかは疑問だった。
何故なら、文には柿本を「殺害したい」理由…動機があるのだ。ちょっと調べればすぐに判る、柿本からのセクハラの嵐。そして、一緒にやって来た出張の地で、文が行方不明になり…結果として高刀家にいた事。
文が、彰彦に頼んで柿本を爆死させたのではないかと、そう言うのだ。
冗談じゃない…と、文は真剣に頭を抱えた。どうしてあんな馬鹿男の為に、わざわざ危険を冒す真似をするだろう。しかも、彰彦に頼むも何も、自分は彼らに拉致された人間であって、お願いが出来る立場じゃななかったというのに。そう言い張っても、のほほんと顔を出した文の様子は「拉致」とはにわかに信じ難いものだったらしい。
ただ、もしかして、と思う。
もしかして、起爆スイッチになった着信というのは…彰彦達が調べる為にとかけたものなのだろうか。
3度繰り返された番号が、爆弾用の携帯電話の番号だったのは間違いない。
調査の経過で爆発のスイッチを入れたのだとしたら。
「私のせいだ…」
誰が何の為に、自分にそんな物騒な番号を告げたのかは知らないが、結果としてそのボールを彰彦達にパスしたのは自分なのだ。
悔いても仕方ない事なのは判っているが、それでも良い気分にはなれない。
一体誰が、どうして。
「………そういえば、助けてやるって言ってたけど…」
あの怪しい着信の相手は、問題の番号を告げる直前に確かに言った。『助けてやる』から、と。
助けるとは、何からだ?
柿本のセクハラから?彰彦達の拉致から?
結果的に、文はもう柿本からセクハラされる事も無くなり、こうして彰彦の元からも「脱出」が叶ったわけだが…。
眉をしかめる文は、拘置される事はなかった。
ただ、連絡のつく所にいて欲しいという要請に、携帯も財布も持っていない文がどうしたものかと思っていると、迎えが来ているという声がした。
「迎え?」
もしかして、彰彦が…?
まさか、警察に堂々と!?と更に難しい顔になった文が目にした人は。
「春日さん!」
「…立科さん…っ!」
「良かった、無事で!!」
わっと駆け寄ってきたのは、懐かしくすら感じる同僚の立科だった。
電話で話していた通り、本当に色々と動いてくれたらしい彼に、文の心はホッと落ち着きを取り戻した。
…が、同時に一抹の寂しさが胸を過った事には、文は気付かないふりをした。
そんな、馬鹿なこと。


何年も会わなかったわけでもないのに、違和感を感じるほどに懐かしい再会だった。
「被害届は出さなかったの?」
警察署のロビーで2人は長椅子を陣取っていた。
車の免許の更新程度にしか訪れないから知らなかったが、案外と人の出入りが激しい。活気溢れるとまではいかないが、役所のロビーにいるような錯覚を覚える。制服かスーツの違いだ。
「ええ、何だかその…出しにくい雰囲気で」
「そうか…そうだよな、相手はやくざだもんなぁ。でも無事で何よりだったよ、本当に」
うんうんと頷く立科に、文は何だか申し訳ない気分になった。被害届は出さなかったというより、出せなかった。文自身が柿本の死に関わっているかのような雰囲気で、被害者扱いとは違った気がしたからだ。
曖昧に言葉を濁した文に、立科もの少し後の言葉に詰まる。
柿本の事について躊躇っているのだろうかと思ったら、そうではなかった。
「…あの…さ、見た感じは…元気そうで安心したよ」
「は?あ、ええ、そうですね」
あはははと文は笑いながら、そりゃそうだろうと思う。東京で暮らしていた頃よりも、遙かに恵まれた住環境に食生活だったのでお肌はツヤツヤだ。
こんな元気で健康的な被害者がいるか、と刑事の目が語っていたのは気のせいじゃないだろう。
「俺が言うと…変ていうか、でも、あのさ、病院行かなくて大丈夫…かな?」
少し太ったかもしれない…と頬を擦っていた文は、立科と目を合わせた。
「病院?」
「怪我の事もあるし!」
「あ、ああ、でもこれはもう治っ…」
「女性だしね!」
脇腹の傷ならもう大丈夫と言おうとして、文は固まってしまった。
もう一度立科と目を合わせると、彼が真剣なのが判る。そう、彼は真剣に文の身を案じてくれているのだ。
女性が、拉致されたのだから、と。
「…あぁ!」
今気付きました、と目を丸くした文に、婦人警官がチラリと視線を向けて通り過ぎていく。
文の様子に刑事達が被害者?と疑問を抱いたのも無理は無い。だって見てからに元気で…
文は顔を真っ赤に染めると、慌てて手を振った。
「大丈夫です!」
それは、真実からの否定。
無理をしているのではと心配そうな立科に、文は本当にと声を強く断言した。
「何もされてません」
本当に。
自分のものだなんて言っておきながら、キス1つしてこなかった男。どこか迷惑を背負い込んだ顔をして、仕方なしに言い張っていた様にも見えた。結局、同じベッドですら眠っていないのだから。
「そうか…それなら本当に…あー良かったぁ!もうああゆう連中のする事だから、春日さんがどんだけ怖い思いしてるだろうって思って心配だったんだよぉ」
「いやもーそうゆう事なら柿本のジジイの方がよっぽど…っ」
ふわーと長椅子に背中を預けて嘆息する立科に、文もつい否定を重ねようとしたのだが。
柿本、という単語にハッと息を飲む。
そうだ、死んだのだ、柿本は。

ふいに襲い来る現実は、あまり実感を伴わなかった。
「本当に…死んだんだよな、あいつ…」
別に死体を見たわけじゃない。そんなものは頼まれても見たくない。死者に鞭打つ趣味は無いが、心の底から悔める感情が無いのだ。本音を言えば、清々している。人の死を自分がそう捉えている事への戸惑いや嫌悪の方が、強い気持ちだった。
「会社は…まぁ、どーにかなるか。どうにかすれば良いんだから。…戻ろうか」
「え…」
立ち上がった立科が不思議そうな顔をした。
柔らかい髪の毛の下の柔らかい顔が、どうしたと尋ねている。
「…その、私は…」
「連絡が付けば良いんだよね?とりあえずご実家まで送ろうか?仕事は落ち着いてから…戻ってきてくれるのなら、春日さん次第で」
ニッコリ微笑む立科に、文は自分が柿本から解雇宣告をされた事を告げたが、彼は少し驚いただけだった。
「そんな報告こっちには入ってなかったし、何より言った本人が逝っちゃったんだから」
あっちへ、と指を天井に向けておどけたように笑う立科に、文もクスリと笑みをこぼす。
本当に不謹慎ながら、明るい道が目の前に開けた気がしたのだ。
恐れていた職探しの心配が無くなった事、戻れる職場に悩みの種だったセクハラ男がもういない事。色々と問題は残っているものの、とりあえず自分は元の生活に戻れるという安心感。目には見えないところにのし掛かっていた荷物が、ふっと消えた感じだった。
「あの人に唯一感謝するとするなら、死んでも掛かる迷惑が少ない事かな〜」
正面出口に背を向けて裏口へ向かう立科に、今度は文が不思議そうな顔をする番だった。
聞けば刑事に「文は高刀組に狙われている可能性があるから、人目を憚れ」と言われたというのである。でも、ここは警察署だから大丈夫じゃないかと思いつつ、文は頷いておいた。明るい光の差し込む出口が、急速に遠のいていく。
今頃あの家では、男達が遊莉の相手に四苦八苦しているのだろうか。
「挨拶もしなかったのは悪かったかな…」
被害届は、言われても出さなかったかもしれない。
「何?」
裏口の殺風景な戸を開けて関係車両が数台止まっている駐車場に出たところで、立科が文を振り向いた。
タクシーを呼ぼうかと携帯を取り出した彼に、文があっと声を上げた。
「私の携帯…」
彰彦達に預けたままだが…まぁ良いか、と言おうとして、文は目を丸くした。
背後から口に布を当てられたからだ。


立科は大慌てで警察署に取って返そうとした。
目の前で文が見知らぬ車に詰め込まれて攫われてしまったのだ。本当にあっという間の出来事で、立科は一瞬何が起きたのか理解できなかった。ドラマなら、ここで自分も殴られたり捨て台詞を吐かれたりするんじゃないか?
だが実際は、文の丸く開いた目しか記憶に残らないくらいの出来事だった。
高刀組がー!?
数歩遅れてそう思った立科の前に、裏口から見知った刑事の顔が出てきた。ここから出ていきなさいと助言をくれた刑事だ。
「あの、彼女が!」
「彼女の命が惜しかったら、黙って帰る事だな」
そう、ドラマならそんな事を言われるだろうと思った。…文を連れ去った連中から。
「何を…?」
「警察に通報したら、彼女はどこかの海に浮かぶだろうな」
のほほんと詰まらなそうに呟き、チラリと立科を見ただけで、刑事は背を向けた。
それを言う為だけに出てきたのだと、無造作に閉じられた扉を見て思う。
…ぐるだったのか、高刀と。
あの刑事は最初から高刀組とぐるだったに違いない!そう思うと立科は悔しさに唇を噛み締めた。
本当にえげつない連中だ。
ろくでもない連中だ。
「………くそっ」
自分は結局、彼女を助けるどころか、逆の手助けをしてしまったのではないか。
立科の中で、後悔よりも強い衝動が沸き起こった。
「こうなりゃ自棄だ!」










初出…2008.3.26☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

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