No Brand Saurus

「ダイヤがあったらしい」
彰彦の言葉に、佐古が助手席で目を細めた。
元々細い目なのに、更に細くなって何を考えているのか判らなくなる。それを横目で見ながら須和はバックミラーの中の彰彦に尋ねた。
「比喩ですか?」
「言葉のまんまだ」
「ネズミもそれを?」
「…オヤジは言ってないらしいが、奴があそこを飛ばしたんなら…」
須和と佐古、それぞれの問い掛けに答えて彰彦は頭を掻いた。荒神は彰彦の管轄内で起きた事なのだから、彰彦にそれを「持ってこい」と言うのだ。つまりは、強奪されたのなら奪い返せということ…根津から。
またもや根津だ。
いよいよもって本気で始末をつける必要がある。
「面倒くせぇ」
はーっと息を吐く彰彦に、佐古が「煙草」と声を掛けた。
視界を過ぎる景色に、煙草の販売機が並んでいた。また気分転換がてら銘柄を変えるかと聞いているのだ。
一瞬頷きかけた彰彦は、しかしふっと動きを止めた。
「…いや、いい。さっさと戻ろう」
佐古がチラリとそんな彰彦の様子を窺うと、ハンドルを握りながら須和が唸る。
「俺は帰りますよ」
「ふざけんな、こうゆう時こそ泊まりやがれ!」
「嫌ですよ!俺は女の気配がある家になんて泊まりたくありません!!」
「お前、それ本当に本気なのか!?怖ぇぞ!?」
お互いがお互いの様子に鳥肌を立てる。彰彦にしてみたら家の中に文という存在が増えた今、その動向を見張る為にも人手が欲しい。だが、誰かれ構わずというワケにもいかないので、元々側近であり事情も知る須和が適任なのだ。
彼が「大の」女嫌いでさえなければ、本当に「適任」なのだが。
「忠信は昔、巨乳女に窒息死させられかけた事があるんだよな〜。だから嫌いになっちゃったんだろ?」
トラウマってやつ?と笑う佐古に、彰彦が目を丸くした。
「何だよ、そうだったのか?じゃあ安心しろ。遊莉と違って文には窒息させる様な胸はねぇ」
文が聞いたら激怒しそうな発言だ。
「何ですか!?何の話ですか!?俺にはそんなトラウマありませんよ!」
「遊莉から聞いたんだが」
「でたらめ前提じゃないですか!」
「本当は何で嫌いになったんだよ」
「ちゃんと経験はあるんだよな?」
「放っておいて下さい!!!」
本気で勘弁してくれと、須和が顔を真っ青にして叫んだ。

放っておいて欲しいのは、文もまた同じくだった。
朝を告げる雀の囀りにうっすらと差し込む光、そんな刺激に目を数回瞬きさせると、見慣れない天井がそこにあった。いつの間に眠ってしまったんだろう、という思いを遮る様に、鼻孔をくすぐるやはり嗅ぎ慣れない匂い。見慣れない天井以上に衝撃を与えたのは、その匂いだった。
ぎゃーっと上がった悲鳴に、ダイニングで新聞を読んでいた彰彦が顔を上げた。
「あいつはニワトリか」
朝になると叫ぶ習性でもあったらどうしようかと呟く彼に、一緒に朝食を摂っていた須和が眉をしかめた。
結局彼は上司命令で留まっている。
ドタバタと慌ただしい物音が近づいてきて、想像した通りの顔がそこに現れた。
「…どうゆうこと!?」
「朝はおはようという教育は受けなかったのか?」
「お、おはようございます」
寝起きの混乱をそのまま引きずってやってきた文に、彰彦はしれっと答え、須和は視線も向けず、キッチン作業をしていた保が「おはようございます」と笑った。
「よく眠れただろ。体の調子はどうだ?」
隣の椅子を引き、そこに座るように仕草で勧めながら彰彦が尋ねた。冷静な顔で新聞に視線を落としながらも、口元がどこか笑っている事に保は気付いていた。
「あ、だって、あそこ、その、え、何で私、ええっ」
パクパクと金魚のように口を開ける文。
向かいに座った彼女を避ける様に、須和が無表情に席を立った。それをチラリと見送りつつ、文は彰彦の顔を見る。
「あの、昨日って、あの部屋…」
「俺がどこで寝たか知りたいのか?」
横顔の彰彦の返答に、文の顔がパーッと紅を掃くように赤く染まった。
何を言って良いのか判らずに唇を噛み黙り込んでしまった文に、彰彦が堪らずに吹き出したのは次の瞬間だった。


恥ずかしさと尋ねきれない躊躇いから、文はすごすごとダイニングを後にした。
洗面所へと向かうと須和とすれ違う。ここでも彼は文を視界には入れないものとしているらしいが、逆に露骨過ぎる避け方をしてくれた。どうやら女嫌いという事だから仕方ないが、それでも落ち着いてみると気になる態度だ。
は〜と深い溜息をついて歯を磨いていると、洗濯を干しに行くらしい竜が顔を出した。
「あ、洗濯物なら私が…」
「俺達の分の方が多いですよ?」
男物だらけですよという竜の言葉に、一瞬文の動きが止まる。それを見越していたのか、ニッコリと笑って洗濯籠を手に走り去る竜の背中に、文は思わずしゃがみ込んでしまった。


どうしたものか、判らない。
立科の言葉を信じるならば、彼が何かしらのアクションを起こしてくれるのをここで大人しく待つのが得策なのだろう。だが、ここから解放されたところで、柿本に解雇を宣告されているのである。職探しやその間の生活を考えると、頭が痛い。それに、立科は危ないというが、実際こうしていると命の危険は感じていなかった。むしろ厚遇されていると思うべきだろう。
文はむぅ…と眉間に皴を寄せて壁に身を寄せた。
「面白いなぁ…廊下で考え込んでますよ」
「何も面白くない」
そんな彼女の様子をそっとドアの隙間から覗きながら弥彦は笑うが、須和は笑えない。
白い壁に向かっていた文は、あっと顔を上げた。
そうだ、携帯にあった柿本の番号からの怪しい電話、あれの調査はどうなっているのだろう。その結果いかんによっては、多少事態に動きが出るのではないか。そう思った文は、きょろきょろと辺りを見回した。
「…何か探してる?」
「知るか」
「わ、こっちに来る?」
「何?」
「あの〜」
「うわっ」
思いがけず自分たちの方にやって来た文に、弥彦と須和が思わず驚いてしまう。弥彦は純粋に目を丸くしただけだが、須和はすかさず眼鏡をサングラスに掛け替えていた。
勿論その彼の行動に文は気付いているのだが。
「あの、昨日の携帯…」
とりあえず須和は気にしない事にして弥彦に問いかけようとした文を、キッチンの方から保が呼ぶ声がする。あーと戸惑って躊躇して、文は仕方なしにキッチンへ走った。遠ざかる彼女の背中を弥彦が見送り、遠ざかった彼女の気配に須和がホッと吐息をついた。

プリンアラモードを作るという保に、文はポカンとした。
この巨躯のどこに、そんな可愛い単語の入った抽斗があるのだろう。しかし、先に食べた彼のケーキの美味しさを思い出すと、彼の笑顔が可愛らしく見えてきてしまう。
「手伝って頂けますか」
「えーはい、何を…」
自慢ではないが、菓子作りなんてした事が無い。そもそも一人暮らしの部屋には温め程度の機能のレンジしかなく、冷蔵庫もほぼ空っぽ状態。そんなキッチンに専門器具があるはずもなかった。
「プリンは私が作りますから、フルーツを用意して下さい」
保も見抜いているのだろう。
「キウイやバナナ…ああ、メロンもあるので好きに切って下さい。桃は缶詰めから出してね。はい缶切り。林檎は何故か買い置きが1つしか無くなってるんですけど、これを適当に」
もしかしたら、手伝わせる事が目的ではなくて、見張っている為の事なのかも知れない。そう思いつつも、文は目の前にどんと置かれたフルーツとフルーツの缶詰めに笑顔をひきつらせた。
本気で、炊事なんて出来ないのだ。なのに。
「判りました」
ニッコリと返事をしてしまう自分が、恨めしい。
作業場に早変わりしたテーブルの前で、文は渡された缶切りを手にして固まってしまった。
これは、どう使うのだ?
「………」
チラリと保を伺うと、彼はカラメルソース作りをしているらしい。声を掛ける事が憚られ、文は缶を前に眉を寄せてしまう。どうにかすれば切れるだろう、理屈は分かっているのだから。
…と頑張ったのだが、何かが違うらしい。缶は文の前で口を開こうとはしてくれない。
「貸してみろ」
「あ…」
突然声がしたかと思うと、ひょいっと缶切りを取り上げられた。
あっと思っている間に目の前でスルスルと綺麗に缶が開くのに感動していると、完全に開いた缶を置いたのは彰彦だった。
どさっと椅子に腰掛けた彰彦は、振り返った保にお茶を要望した。
「あ、ありがとう」
「どう致しまして。何作ってんだよ」
お茶を出す保が「プリンアラモード」だと言うと、彼は文の前にでんと構えたフルーツに視線を向けた。
「面倒くさいことをするんだな」
プリンならプリン単体で、フルーツならフルーツ単体で食べれば良いのに、と思うのだろう。すっと赤い林檎に手を伸ばした彼は、おもむろにそれに歯を立てた。残り1個だった林檎に。
「あ!」
「あぁ、だから」
「あん?」
モリモリと林檎を食べる彼に、文と保が目を合わせた。
買い置きはこうして減少していたらしい。

不器用ながらも必死にフルーツを切り分けた文に、プリンを作っていた保がお茶を出してくれた。後はプリンが焼き上がるのを待ち、それを冷やしたらフルーツをトッピングして出来上がりである。午後のお茶のお供にしましょう、と巨体が優雅に笑った。
「ね、私の携帯の件はどうなってるの?」
「調査中」
シャリ…と林檎を齧り続けながら、彰彦はチラリと向かいに座った文を見た。彼女は昨日の爆発が関係しているとは気付いていないらしい。
「セクハラ野郎が気になるか?」
「まさか!…ただ、何であいつの番号から、知らない人がって」
「借金でもして携帯取り上げられたとか?」
例えばーと笑う彰彦には悪いが、そうゆう事をするのがあなた達じゃないのかと文は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。借金かどうかはともかく、柿本の事だからろくでもない事に手を出してはいそうである。立科に電話を掛ける前だったら、柿本に怪しい素振りは無いか調べて貰えただろうか。
立科は、どう動くのだろう。
考え込んだ文を、彰彦もまた黙って見つめていた。











初出…2008.3.12☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。