No Brand Saurus

地震とは少し違う振動を感じた気がしたが、それは気のせいだろう。
ちらりと天井から吊り下がった照明を見て、彰彦はそう思った。微動だにしていない。
「何だ今のは」
「あ、煙上がってますよ」
ひょこっとキッチンから顔を出した竜が窓を指さすと、確かに茶色くて細い線が上空に向かって立ち上っていた。
「どっかで爆発でもあったのかな」
近くに工場でもあるのかと呟いた文に、「馬鹿な」と呟いたのは彰彦だ。
彼の家は閑静な住宅街の一画にあり、その形容の通り周囲に騒音の元となる建物は存在しない。むしろ2人の怒鳴り合いの方が余程近所迷惑になりそうなものだ。外に漏れ響く事は無いが。
「竜、見てこい」
「え?」
声の主は弥彦だった。傍らには佐古がいるが、竜はその弥彦の視線を受けてすぐに動き出す。
「車はいらないな」
「足だけで充分っすよ〜行ってきます!」
んじゃ!と手を上げて颯爽と部屋を出ていった彼に、文が目を丸くした。どことも知れない爆発現場を、足だけで探すのか?
「あいつは元陸上部だからな、下手な運転させるより余程早い」
「運転は下手ですからね、あの子」
「アキさん、ちょっと」
彰彦と佐古が若者と「私は帰る〜」と手を振る遊莉を見送っていると、弥彦の背後からどこへ消えていたのか須和が顔を覗かせた。
その眼鏡がまた変わっている。
「…サングラス…」
「何か?」
かなり色の濃いサングラスを持ち出した彼の意図は、分かりやすいにも程があった。…女をできる限り視界に映さない努力なのだろう。
そこまでするかと呆れる彰彦を呼び、男達はリビングから消えた。


ふぅっと吐息を付くと、目の前にほんのりと甘い香りを漂わせるケーキと紅茶のセットが登場した。
「さっき、渡し損ねました」
大きな体で優しい笑みを浮かべる保。
いきなり静かになったリビングで文は素直に、何の躊躇も無くケーキを口に運んだ。
「…美味しい」
「良かった」
保のいかつい体や太い指から、こんなに優しい甘さのケーキが作り出される不思議。ヤクザといえば何となく和食をイメージしてしまう文は、つくづく首を傾げた。
コトン、とそんな目の前にコップと錠剤が置かれると、尋ねるより先に保が言った。
「お薬じゃなくてサプリメントです。気休めですが、今は体を休めるのが一番なんですよ」
「…確かに、だるいし…眠いけど…」
「アキさんの部屋なら、ゆっくり休めると思います」
「でも」
チラリと、彰彦の消えた方を見ながら文はモゴモゴと呟いた。
「男の人の部屋だわ」
事故(と呼ぶが)に遭ってからのこの異常状態に流石に慣れてもきたものの、やはりそこは受け入れ難い。何で見ず知らずの男のベッドで寝なくてはいけないのか。
女なら身の危険を感じて当然だろう。
「アキさんはそんな無理強いはしませんよ」
「それでも、気になるじゃない」
「内側から鍵がかかりますけど」
「……本当?」
錠剤を飲み込みながらふっと目を丸くした文に、保がおかしそうに肩を竦めた。
「外から開ける鍵もありますけどね、勿論」
「駄目じゃなーい」
文は本気で眩暈を感じながらクテっとソファに崩れ落ちてしまった。
保は笑みを隠しもせずにキッチンへ消え、文はリビングに1人残される。だが、じゃあ家から出ていこうという気力も湧いてこない。
ぼんやりと天井を見上げて、漏れてくるのは溜息ばかり。
体もだるかったが、気分も疲れていた。
あの柿本の番号からの電話は、どうゆう意味だったのだろう。柿本に助けられる事なんて、地球が二つに割れたってありはしないのに。そして途中で通話を切ってしまった立科は、何かアクションを起こすのだろうか。
考える事が沢山ありすぎて、どこから手を付けていいのか判らない。
そして、手が付けられない事ばかりで、どうにもならない歯がゆさ。
ドタバタとどこかで慌ただしい足音を聞きながら、文は目を閉じていた。
体が急速に眠りの世界に引き込まれていくのに、意識がついていけずに突然幕を落とされた感じだった。

静かなリビングの気配に保が顔を出すと、ソファでは文が静かな寝息を立てていた。
サプリメントと偽った睡眠薬を飲んでくれたらしい。
「ちょっと出掛けてくる。文は?」
「休まれてます」
急いだ様子でリビングに戻ってきた彰彦は、ソファで眠っている文に頷いた。佐古達も何やら足音を立てているから、長閑な外出ではないらしい。
彰彦が文を自分の寝室に運んだ。
「すぐには起きないんだな?」
「ぐっすりです」
「なるべく早く戻る。後を頼んだぞ」
「はい。お気を付けて」
頷く保の視線を背後にしながら、彰彦は眠る文の額を撫でてみた。触られても起きる様子は全く無い。
思いがけず笑った顔を思い出すと、起こしてみたくもなる。
目覚めた瞬間に自分の居場所を理解したら、どんな反応を見せるだろうか。
「俺が戻ってくるまで寝てろや」
そんな彼の言葉に返事は無かった。


爆発したのは、荒神の持つ会社名義の倉庫だった。
毛細血管のように枝分かれした会社の中の1つであり、それが即荒神の名前に辿り着くはずもないが、彰彦達にはそれと判らない筈が無い。
「文さんに告げられた番号にコールしてみたら、一瞬通話状態になった直後、爆発音があり、通話が切断された」
「爆発したのは荒神の倉庫」
繋げるのは乱暴な話ではないだろう。
勿論コールをした弥彦は、素直に文の携帯から発信はしていない。発信元は判らないようにしてあるが…
「爆発現場に相手の携帯があったとしたら、間違いなく発信履歴に文さんの番号があるでしょう」
あの、柿本とかいうセクハラ野郎の携帯に。
荒神の屋敷を訪ねながら、彰彦は後をついてくる佐古に小声で尋ねた。
「現場の情報は」
「鑑識から上がり次第こちらにも流れてきます」
「死体はまだなんだな」
「瓦礫を退けてからでしょうね」
恐らくは「ある」だろうという返事に、彰彦も頷いた。
仮定だが、着信が起爆スイッチになっていたとしたら、危うく文にそれをさせるところだったのだ。
あの着信を受けた文の様子を見れば、柿本という男がどれほど嫌悪すべき輩だったのかが知れる。そこに柿本の死体が転がっていたとして、もし文が「自分の押したスイッチで」と思ったとしたらどうだろうか。
喜ぶどころか、一生柿本という男の呪いにかかるようなものだ。
自分たちの様な人間はともかく、文は普通の女なのだから。
「倉庫の荷物は」
「あそこは「問題の無い」荷物しか置いてなかったと思います」
佐古から返事を聞いたところで、彰彦はそっと右手を挙げた。
荒神の屋敷の中には、誰でもが気軽に立ち入れない部分が幾つかある。それは勿論、荒神個人の生活スペースだったり、一部幹部のみが出入りを許される謁見の為の部屋だったりだ。
ここまでと心得ている佐古を残して、彰彦は静かな廊下を進んだ。
先日、お婆に声を掛けられた場所だ。
思わず背後を振り向きたい衝動に駆られたが、振り向いても佐古の姿が小さく見えるだけだ。
そう堪えた彰彦の目に飛び込んできたのは、荒神の部屋から出てきた根津の猫背だった。


「お前も爆発の件か?」
「…ええ」
「驚いたな。オヤジの持ち物に煙を立てるなんざ、大それた事をする奴もいたもんだ」
口元から黒ずんだ歯茎と歯が覗いた。
「俺も調べるとオヤジに言ってきたところさ」
「うちのシマですが」
「困った時はお互い様さ…ひひ」
「困ってはいませんよ。…腹は立つが」
ジッと目を覗き込むと、根津の澱んだ白目が小さくなった様な気がした。猫背な彼が背筋を伸ばしたところで、彰彦より幾分身長は低いだろう。見下ろす気が無くてもそうしてしまうが、実際心の中ではとことん見下していた。
お前の為になど困ってやるものか。
「何か判ったら報せるよ」
「お待ちしてます」
足を擦るようにして立ち去る根津に、彰彦は振り向きはしなかった。
根津からの報せに「吉報」などありはしないのだから。


ビルの壁面を流れるニュースの文字に、帰宅途中の立科の目が止まった。
流れ作業のように駅に吸い込まれる人の波の中で、それは風景の一部として見逃してしまいそうなものだったが、たまたま見上げたのは呼ばれたからだろうか。
『爆発』という文字の後に、『事件と事故の両面から捜査中』という言葉が続く。
どこかで何かが起こったなんて事は、毎日溢れている事なのだが。
「…そこは」
現場となった地名が、立科の胸を僅かに動揺させた。
どれは、文と柿本が揃って行方不明になった土地だったのである。
倉庫が爆発したとの事で、まだ瓦礫の撤去作業が続き、被害者がいるかどうかは判っていないらしい。
まさか、文が。
いや、彼女の話では『家』に閉じこめられているのだから、これは無関係だろう。
しかし、あの電話の直後に状況が一変いていたら?
あの電話が理由で、もし相手の態度が一変していたら?
事実、切られてから何度掛け直しても通話は繋がる事が無かったのだ。電話が取れない状況になった事は、間違いない。
まさか、という単語が胸を渦巻き、立科は思わず駆け出していた。
「警察に…っ!」
どう説明しようかなんて考えていられない。
とにかく彼女の無事を確認しなくては、と。










初出…2008.3.5☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。