No Brand Saurus

柿本の声ではなかった。
知らない男の声が、同じ番号を覚えろとばかりに3度繰り返し、そして一方的に通話は切れた。
何事か意味が分からないながらも、文はその繰り返された番号を無意識に唇に乗せていた。
「090…」
「何だ?」
訝しげに首を傾げる彰彦を見上げて、文は呆然とその番号を繰り返した
「助けてやるから、かけろって…」
通話の切れた携帯電話を示す文に、彰彦がそっと手を伸ばして、隙間からその携帯を取り上げた。
画面に残っているのは「柿本」からの着信アリの履歴。
「…かけないのか」
「え?」
「助けるって言われたんだろ。逃げたかったんじゃないのか」
彰彦の問い掛けに、文は思わず「あ」と口を覆ってしまった。
確かに、その直前までの電話で立科とそんな話をしていたのに。
「で、でも、柿本って…っ」
「かけなくて良いんだな?」
念を押す彰彦に、文はゆっくりとだが頷いて答えた。
例え崖に落ちかけているところでも、伸ばされた手が柿本の手ならば取らないだろう。それくらいに、あの男が嫌いだった。
「わかった。これはこっちで調べてみよう」
そう言って背中を向けようとする彰彦に、文はもう一度「え?」と声を上げていた。
「まだ何かあるのか」
「……で、出て来いとかって…」
「無理強いはしねぇよ。得心がいくまで閉じこもってりゃいいさ。ただ、そこにいても結果は何一つ変わらねぇけどな」
くしゃくしゃっと面倒くさそうに頭を掻きながら、彰彦は言った。
「誰に何を連絡したかは知らないが、お前を守れるのも助けられるのも俺だけだ。お前は俺と一緒にいるんだ」
聞いていて、赤面しそうな内容だと思う。
思うのに、でも赤面しないでいられるのは、ひたすらにこの異常な状態での感覚の麻痺だ。それでも、柿本という名前を聞けば嫌悪感を感じるし、怖気も走る。感情はきちんと機能しているのだ。機能しているのに、赤面しない代わりに、恐怖も畏怖も嫌悪も感じなかった。
ただ、感じたとすれば。
「私を、どうしたいの」
疑問だけだった。


非常に不本意だが、彰彦の脳裏に遊莉の声が蘇った。
「文には心」
これまで彰彦が多く接してきた女は、大抵が夜の女かどこかの筋の女だった。かなり早い段階で御婆に「運命の女」の話をされていた事もあり、本気で口説こうと思った事は無く遊びばかりだったが。
「心…」
「何?」
「俺はお前と一緒にいたいだけだ。それじゃ駄目か?」
そっと佐古が部屋の周りから人払いをしている気配がした。遊莉や竜や弥彦が興味津々顔だったので、正直助かったと彰彦は胸を撫で下ろす。
「だ、だから、どうして通り掛かりの私を…っ」
ドアの隙間で漸くじわじわと赤面してきた文の顔が見え隠れしている。
きっと彼女にはブランド品のバックをプレゼントしても、時計を買ってやっても、「何で?」と疑惑の視線で見られるのだろう。そんな気がした。
「…運命を感じたんだよ」
ぼそりと呟いた声は、我ながら子供かと思うほどにぶっきらぼうだった。


小さな子供が視線を逸らしながら、意地悪をしてしまった好きな子に謝っている。
そんな感じだろうか。
「…運…命…」
彰彦が呟いた言葉を飲み込んで、反芻して、そして文は思った。
「運命〜〜っ!?」
「何だその反応は!」
「だって、何が、ヤクザが運命って、ちょっと!」
「ヤクザでも運命くらい感じるさ!悪いか!」
「悪いっていうか…え〜っ!!」
思ったままを素直に言うと、彰彦が顔を赤らめているのに気付いた。自分で「運命」だなんて言っておいて照れているらしい。何だか可愛いじゃないか。文はその表情を見た瞬間に、こみ上げてきた感情を抑える事が出来なくなっていた。
「ぷっ!」
「あぁ!?」
ぷははははは!と吹き出して笑い出してしまった文に、彰彦が顔を赤く染めたまま小さく震えていた。


何だか悔しいし腹が立つ。
プルプルと震えるのは「恥ずかしい」せいかもしれない。でも、目の前でケタケタと笑っている文を見るのは、決して悪い気分ではなかった。そんな風に笑う彼女を初めて見たが、可愛いじゃないかと思う。
「…満足するまで笑ってろっ」
小さな負け惜しみを残して、彰彦は部屋の前から去ろうとした。笑っている彼女を見ていたい気はしたが、文の笑い声に何事かと注目しているギャラリーがいるのだ。
「佐古!」
「…はい」
ちょっと可笑しそうな気配の部下に、彰彦はわざとしかめ面で文の携帯を渡した。先程の番号を調べさせなくては。文が口にした番号を伝える彰彦の背後に、佐古がふっと視線を飛ばす。
何だ?と振り返った彰彦も、少しだけ息を飲んだ。
「…それ、気になるし」
あなたが面白過ぎるから。
そう言いながら、文が部屋から出てきていた。


保がキッチンで洗い物をしながら微笑んだ。
「大した事なくて良かったです」
「…あれが、良かった状況なんすか?」
手伝っている竜が、背後をチラリと伺いながら保に尋ねた。彼が保の意見に賛同できないのも無理は無かった。先程からリビングで、出てきた文と彰彦の言い合いが続いているのだ。
「だから、私はあっちの部屋を使わせて貰うからね!」
「黙って俺の部屋で寝てろ!」
「黙っていられるもんですか!私は熱があるの!だるいの!1人で寝てたいの!!」
「それのどこが熱があってだるくて辛い態度だ!早く薬飲んで寝ろ、俺の部屋で!!」
「だから、何であなたの部屋よ!?何、あなたこれから仕事なの?留守するの?じゃああなたがいない間だけベッドをお借りするって事!?」
「お前のおかげで仕事はすっぽかしてきてやったよ!今日はさっきの番号について報告を待つだけだ!!」
「じゃあ、あなたこそ自分の部屋で仮眠でもとったら?邪魔しないから!!」
ああ言えばこう言う。
流石の遊莉も物珍しそうに、頭上を飛び交う2人の言い合いを眺めていたのだが、途中で飽きたらしい。佐古に自分は帰ると告げて玄関に向かった。
「送らせよう」
「大丈夫よ〜買物の続きもし直したいし」
見送りに出た佐古に、それよりもと遊莉は笑った。
「私はちょっと感動したわ」
「…何に?」
「アキがあんな粘り強く頑張ってる姿を見られる日が来るなんてっ!そーんなに文の事が心配なら、ぐるぐる巻きにでもして、部屋に放り込んじゃえば良いのにね」
彰彦が自分の部屋を使わせたい理由は、2人には何となく分かっていた。
彼の部屋がこの屋敷の中で一番日当たりもよく窓からの眺めもよく、快適に過ごせるのだ。熱のぶり返した文をより良い環境に…と、そう思っての事なのだろう。
「あの2人の「続き」が楽しみになってきた」
「そうだな」
クスッと笑った佐古の頬に遊莉がキスをしてから、ドアを開けた。
「帰って来れるなら電話してね、ご飯作って待ってるから」
ウィンクをして背中を向けた遊莉に、佐古が「ああ」と頷いた、その時。
彰彦と文がまだ言い合いをしていた、その時。
保と竜がキッチンで洗い物をしていた、その時。

突然、どこかでドォン…という低い地鳴りを伴った爆発音が響いた。










初出…2008.2.27☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。