県立春日山高等学校にも、冬到来

ハレルヤ!

暖房の空調なんて勿論無い校舎内は、ストーブに群がる若者達が虫のよう。
コートを脱がず、手袋を外さず。
寒いならスカートを長くすれば良いのにと言われながらも短スカの女生徒達は、マフラーのまちこ巻きにジャージを穿いて寒さをしのぐ。
そんな校内で、ホカホカの空気の中でホットコーヒーを楽しむ集団が。
職員室では…勿論、無い。


「このクッキーうめぇ」
「駅前のコクテール堂さんのだよ」
「うちの商売敵っすよ」
「あーあそこのコーヒーも美味いもんな」
コーヒーを啜り、クッキーを楽しみ、世間話に花が咲く。
まるで喫茶店の様な光景に、一都がおずおずと手を上げた。
「で、このクッキーはどなたが持ってきたんですか?」
彼の声に、お馴染烈人に千尋、営業途中だった渋谷に透がクルリと振り返った。
どう考えても、この面子がただで大人しくお菓子を持参してくるなんて思えないのだが。
「お前さ、ここの真向かいの教室が何だか知ってる?」
部室の広さには充分過ぎるサイズのストーブに手をかざし、烈人が顎を廊下に向けた。
ここ、応援団と生徒会室にあるのは、確か。
「生徒指導室ですか?」
「おう」
「…おうって…」
「指導されたついでに」
「ついでにって…まさか、これ」
もしかして!とテーブルの上のクッキーを一都が指差した、その時。

「お前ら〜〜〜〜っっ!!」
バン!と扉を開けたのは、生徒会長の伊庭だった。

ぴゅーっと廊下から寒い空気が吹き込んでくる。
学校の廊下ってどうしてこんなに寒いのかと、一都は文部科学省に問いただしたくなった。
「それはね、我が校の下駄箱の扉が全開で解放中だからだよ」
「俺の心の疑問に答えないで下さい!」
「流石は千尋ちゃん!俺の心の声も聞こえる?」
「ドアは開けたら閉じましょう」
きゃいきゃいと手を叩く烈人のリクエストに答えて、千尋がビシッと伊庭に指摘した。
「俺の話を聞け!」
「まずはドアを閉じてからだ」
ガンとして引かない千尋の眼力に、伊庭が眼鏡の奥で唸り、大人しくドアを閉じた。
「後あれだぞ、ドアを開けたら閉じて、そしたら自己紹介だぞ、2話以来の登場なんだから」
「やかましい黙れ岩田!相変わらず生徒会室の備品を使いやがって」
「あ、ポットにリンガフランカ特製コーヒーを補充しておいたんで飲んで下さい」
どうもーと手を上げる渋谷に、伊庭がまたウッと言葉をつまらせる。
「勿論有料ですが」
お代はしっかり払って下さいねーと笑う渋谷に、透と一都は「凄いなアイツ」と心の中で称賛を送るのだった。

それにしても、と一都は思う。
この応援団室、生徒会室とは棚で区切っただけで同じ部屋を共有している。しかも今ではその区切りが何者かによって…というか、好き勝手な2人によって取り払われてすっかり通じているのだが。
「わざわざ廊下から登場かよ」
「俺は今、職員室から来たんだ!」
ガウガウと吠える伊庭に対して、一都の疑問を代弁した烈人はコーヒー片手に優雅なものだ。
何をそんなに目くじらを立てているのかと伊庭に問いただすと、思い掛けない単語が飛び出してきた。
「まさか、クッキーの弁償を先生たちが求めてきたとか!?」
「ロードレース大会が中止になるかもしれないんだ!」
ん?と叫んだ一都と伊庭の視線が絡む。
言われて初めて伊庭はクッキーの存在に気付いたらしい。
そして、ガクッと肩を落とした。
「また指導室の来客用のクッキー食いやがって…!」
あ、毎度の事なんですね、と一都は理由にならない理由で安堵の吐息を零した。

「しつもーん、ロードレース大会って何すか?」
透が手を上げると、烈人が「ああ、お前ら初めてだもんな」と頷いて伊庭に視線を向けた。
「はい、会長説明」
「…くっ。ロードレース大会というのは、我が校で年に1度行われるマラソン大会の事だ。男子は15km女子は10km、学校前をスタートして湖をグルリとめぐるコースで走る。これがある為、授業でのマラソンは大会前の練習2,3時間程度しかないのが我が校の習わしになっている」
くいっと眼鏡を中指で押し上げる伊庭の説明に、へーと1年生3人が声を上げた。
「じゃあ大会さぼっちゃえば、マラソンの授業はほぼナシで終わるって事か」
「大会を休んだ場合、放課後に学校周辺を同じ距離だけ周回させられる」
「………ぐるぐると?」
頷く伊庭に、やっぱり楽は出来ないものだと、ぬか喜びした渋谷がうな垂れた。
日頃インラインスケートを使って校内を練り歩いている彼は、走るのが好きではないのだ。
「ちなみにね、走り終わると何故かPTAのお母様達が豚汁作って待っていてくれるんだよ。寒い中でご馳走とも思えるけど、正直15km走った直後は食べたくない」
「柔道2時間練習した後で焼き肉に誘われる気分だな」
千尋と烈人の説明に、透と一都は思わず胸を擦った。
今から胸焼けを起こしそうな気分だ。
で、その大会が中止になるという。

「何でまた」
「お前らの胸に聞いてみろ!」
吠えられて、烈人は千尋の胸にぺたりと手を当てた。
「…お前、サイズアップしたんじゃないか!?」
「生理で張ってるんだよ」
いやいやいやいや、と2人のやり取りに手を振る透と一都。渋谷は面白そうにカカカッと笑うだけだが、伊庭はこめかみに青筋を浮かべていた。
「苦情が来たんだよ!」
「どこから」
「業者から!」
「何の」
「………ホ、ホテル業だ」
烈人がニヤリと笑った。
「ほぅ?どこのホテルかな?」
「こ、コースに隣接するホテルだ!」
「こんな学校と山と湖しかない辺鄙な場所にホテル…ああ、あれか?」
何故か言い辛そうに顔を背ける伊庭に、烈人が嬉しそうに千尋を見た。
視線を受けた千尋も思い至ったらしく、にんまりと微笑む。
ああ、悪魔の微笑みだ…と透と一都は思った。
心の底から思ったが、決して伊庭に手助けはしない。
出来るものか。

「もしかして、ご休憩メインのあそこですか、会長」
「まさか会長があそこをご存知だなんて思えませんが、ねぇ会長」
「僕の想像が間違ってるかもしれないなぁ、名前を教えて下さい会長」
「そうですね、僕の想像も間違ってるかもしれないから、特徴を教えて下さい会長」
ね、会長。
ニマニマニマと笑う2人を前に、伊庭の顔がどんどん赤く染まっていき…

「あそこのラブホからよー、前回の苦情が今頃来たらしいぜ」
突然に回答を寄越したのは、これまた突然に顔を出した保坂(弟)だった。

邪魔するなよーと不満そうな2人に対して、突然現れた金髪男に伊庭がホッと吐息をついた。
やはり早くドアを閉じろと催促されて、保坂(弟)はずかずかと中に入ってくるとクッキーを口に放り込む。
「ほれ、去年俺らで交通整理したじゃねぇの」
「ら、ラブホのですか!?」
何それ!と驚く1年生3人に今気付いたのか、保坂(弟)は椅子を1つ掴んで音を立てて座った。
「おう、ロードレース大会のコース途中にラブホがあんだよ。湖だからなーロケーション良いんじゃね?で、俺様と烈人と千尋で、マラソン中の生徒が間違って入らない様に、出入りする車を…」
「わざと間違って入ろうとしたのは君だったっけ?」
「あん時エスコートしてた女どうした?」
くっくっく…と笑う保坂(弟)に、烈人も千尋も「あったあった、そんな事」と思い出話程度に笑う。
「それって先生の役目じゃないんですか?」
烈人より堂々…というよりふてぶてしい保坂(弟)に、透が恐る恐る尋ねた。
確か最初の紹介が「ヤンキー」だった気がする。
「見張りの先生が様子見に来た従業員に「あ、いつもどうも」って挨拶されてたからさ」
「何だか照れていらっしゃったからな」
「代わって差し上げたんだよ」
こいつら鬼だ、と一都は口の中で呟いた。

前回大迷惑を被った業者(と一部教師)から、今年もあんな事になるなら大会を中止してくれという話が来たらしい。
ならば直接この3人を呼んで指導すればと思うのだが。
3人は指導室のクッキーをほうばりながら歓談中。
そのまったり空気に冷風を流し込んだのは、実際にドアを開けた伊庭だった。

「お前らが反省しないと、大会が中止になるんだ!」
「ドアを閉めろよ寒いんだから!!」
確かに寒い。
どんだけ部屋の中が暖かいのかとも思うが、とにかく寒い。
そして大会はこんな寒い中で行われるのだ。
1日で15km走ってしまうか、ちまちま授業でマラソンをするか。
「どっちも嫌だ!」
「1回で済んだ方が良いだろう!」
マラソン自体が嫌じゃ!と叫ぶ渋谷に、伊庭は合理的(?)な道を示すのだが。
問題は前年の実績がある3人なのだ。
そこで、透と一都と渋谷の1年生トリオも混ざって3人を睨んでみると。

「仕方ねぇなぁ」
烈人が面倒くさそうにポリポリと頭をかいた。
「そこまで言うなら、コース変えりゃ良いじゃねぇの」
「あ、それ良いな、俺賛成」
保坂(弟)の賛同を得て、烈人は千尋を見た。
勿論と千尋も頷いて、相変わらずドアを開けっぱなしにしてプチ嫌がらせをしてくれる伊庭に向かって。

「あのホテルの前を通過する代わりに、湖を白鳥さんを漕いで渡るってのはどうだろう?」
先生に提案してみて?
と、全く反省心は見られない笑顔で言うのだった。

「白鳥って、湖にあるあのレンタルの?」
「足漕ぎアヒルじゃなかったっけ?」
「白鳥の方が優雅だろ」
「それより台数が足りませんよ、それ」
「じゃあ泳いで渡るっていうのは?」
「寒っっ!」
「トライアスロンになっちゃうぜ?」
「自転車コース作りましょう!」
「お前はインラインスケート使いたいだけだろ」
「豚汁止めてくれないかなぁ」
「あら、コラーゲンたっぷりで良くない?」
「うぉっ兄貴てめぇいつの間に!」
「あ、コーヒーどうぞ」
「俺もお代わり」

ぎゃいぎゃいと何だか面子を増やしながら言い合う彼らに、伊庭はフルフルと震えた。
そして叫んだ。

「いいから全員反省しろ〜〜〜〜〜〜っっ!!!」


指導室のクッキーはこの日、反省心で腹ぺこの若者たちに完食されてしまったらしい。










初出…2008.12.5☆来夢
実話シリーズと化してきた(笑)

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。