県立春日山高等学校の近所に、リンガフランカというカフェがある

ハレルヤ!

渋谷は背中に自家製コーヒーの入ったタンクを背負ったまま、自分を拝んでいる同級生を見つめた。
「俺はお地蔵様じゃないぞ、本間」
「そんなの判ってる!」
一都は顔を上げると、パーマのかかった渋谷の頭をうがっと睨んだ。
リンガフランカ特製のコーヒーは美味しいと評判である。
看板娘の典子さん(21歳)は美しいと、もっと評判である。
「出来のいい姉を持って、俺は幸せだなぁ」
「頼むって」
「つーか、何で俺だよ。他にも卒業生の姉貴がいる奴なんているだろ」
「…烈人先輩からの命令なんだよ…っ」
必死に拝み倒しながら、うっすらと涙を湛える一都に、渋谷は「あー」と吐息を付いた。
烈人とくれば千尋とくる。
あの2人か、と渋谷は頷いた。
「非常に理解した」
「なっ!頼むから…」
「わーったよ、姉貴に制服借りてきてやるよ」
「やった!!」
わっと諸手を上げた一都と、タンクを背負った渋谷の組み合わせに、通りかかる生徒が怪訝な顔を隠さない。更に言えば渋谷の足下はインラインスケートである。タンクを背負って軽快に走り、そしてコーヒーを売るのだ。
「この女装魔め」
「違うっ!!」
にへへっと笑った渋谷の細い目に、一都が唸った。


烈人からのお達しはこうである。
「女子の制服を調達しておいで。ふられっこ一都は典子さんのをゲットしといで」
ヒラヒラと団扇を振りながら、足を組んで机に座る行儀の悪さ。
傍らには我関せずで微笑みながら雑誌を捲る千尋。
「制服借りてどーすんですか」
「着るに決まってんだろ」
「その前に、俺はふられっこじゃないです!」
透の疑問ももっともだが、一都の抗議ももっともだった。
しかし、この場合採用されるのは透の方である。
「体育祭で応援合戦があるだろ。あれに出にゃならんのだ」
「組別対抗のに?」
「別枠で応援団は出るんだよ」
「へ〜…で、何で女子制服ですか」
「今年は花が欲しいねーってな」
な、と烈人が首を傾げると、千尋がニッコリと顔を上げた。
「花におなり」
優雅に、しかし拒否を許さない命令を発しながら。
「俺達が!?」
「先輩たちも着るんですか!?」
「何で俺達が女装せにゃならんのだ」
ぺしっと団扇で叩かれつつ、一都は「でも」と眉間に皴を寄せた。
「何で俺だけ典子さん指定なんですか…」
透は誰か都合のつく子で良いと言う。
一都も典子のことは噂で知っていた。卒業生で、ご近所にあるリンガフランカの看板娘さん。
同級生の渋谷が弟らしい。
「典子さんの制服ってネタが欲しいんだよ」
「だから、何で俺ですか!」
「判らない奴だな〜」
烈人はだらしなく開けたシャツに風を送りながら、同じ団扇で一都と透に並べと指示した。
素直な後輩2人が目の前に立つと、団扇で2人の頭上を測る。
そこで、一都が「うぁ」と声を上げた。
「お前の方がチビなんだよ」
典子さんの身長に近いらしい。


渋谷は姉より身長が20cm近く高い。
確かに言われてみれば、姉を見下ろすのと一都を見下ろすのは同じくらいかと思う。
「あはは、お前って細いしな!」
「言うなよ!」
ちょっと赤面する一都。
とりあえず了解したと頷いて、渋谷は営業に戻ろうと踵を返したのだが。
ふと気になって尋ねてみた。
「下着はいらないよな?」
「人生を下り落ちろ!!!」
ぎゃーっと上がった悲鳴に、渋谷は颯爽と廊下を走って消えた。
ケタケタと楽しげに笑いながら。

まったく…と思いながらも、これで肩の荷はかなり降りた。
一都がそうホッとして振り返ると、目の前に保坂兄の顔があった。
「…………っっっっ!?」
「女装に興味があるの?」
「無いです!」
即答できた自分にご褒美をあげたい。
真剣に一都はそう思った。
どうしてこの人は1年生の階にいるんだ?という事よりも、何でこんなに顔が近いんですか、という疑問の方が強い。ついでに後ずさってみると、保坂兄もずずいと顔を寄せてきた。
斜めになった奇妙な体勢で、一都は目を逸らす事も出来ずに必死に保坂兄を見つめた。
「何ですか!?」
「何だったら、私のメイク教室に参加させてあげても良いのよ〜?」
うふふ、と笑う口元が、もしかしたらグロス付きだ。
「メイク教室〜!?」
「そ!保坂優プレゼンツ!あなたも今日からビューティ♪メイクアップコース!…部よ」
部活なんだ!
部活なのか!
承認受けてるのか!
何だこの学校!
「あなた細いし小さいし肌も綺麗で可愛いじゃなーい、この間から良いなって思ってたの」
グサグサグサと一都の心にダメージを与えながら笑う保坂兄。
「そ、そんな部活ってアリですか!?」
「えー」
ひーっと倒れそうになるのを必死に堪える一都に、保坂兄が唇を尖らせた、その時。


プワン…と良い匂いが一都の鼻をついた。


「…?」
「…?」
保坂兄も一緒に空気を視線で追い掛けると、ドタバタという音と共に…
「逃げろぉおお〜〜〜〜〜っっ!!!」
鉄板を抱えた男子生徒が4人、大声をあげながら廊下を突っ走って行った。
「待てぇえええ!!」
その後を、体育教師の細井やら野球部顧問の馬越やらが追い掛けて行く。
更にはのっぽで有名な科学教師の太田も追い掛けて行くのを見送ると。


「お前ら、校内で焼き肉とはいい根性じゃねぇか!!!」
「違います!これは解剖です!牛の解剖を行ってただけです〜〜〜〜っ!!!」
「そんな事言って、前回は刺身作ってたじゃねぇか!!!」
「あれは鮮魚の解体だったんです〜〜〜〜っ!!」


響いてきた怒声の応酬に、「ああ」と保坂兄が頷いた。
「生物部か」と。
一体何をしている部活動なんですか…!
脱力してしまった一都は、斜めの体勢にこらえ切れなくなってしまった。
「あら、大変♪」
「うっ」
倒れ掛かる一都に、保坂兄がうふっと手を伸ばした。
止めて助けないでっ!
ぎゃ〜〜〜〜っと一都が心で悲鳴を上げると。
「はいはいはい、そこまでだよ」
ガシッと一都の頭上で、烈人の声が答えた。

え?と倒れなかった体に一都が目を丸くすると、頭上に烈人の顔があった。
「大丈夫か、一都っ」
見上げた顔の脇から、ぬっと透が顔を出す。
倒れ掛かった一都の体を、烈人が受け止めてくれたらしい。
ああ、保坂兄と比べたら何て安心感…!
「地獄の最下層で貧乏神に会えた気分っ」
「やっぱり保坂んとこ行くか?」
「こ、混乱してるんすよ、きっと!」
意味不明な事を言う一都の背中を保坂兄へ押しやろうとする烈人の手を、透が必死に止めた。
貧乏神呼ばわりされた烈人は、ぐりぐりと一都の頭をヘッドロックしながら保坂兄を見た。
「うちの可愛い部員に手を出すんじゃねぇよ」
「…愛が溢れてるのね」
「ギブ!ギーブ!!」
助けて〜〜っと暴れる一都は、そんな愛は欲しくないだろう。
「んもー折角久々の子鹿ちゃんだと思ったんだけどな」
「弟の顔で遊べよ」
「あの子の顔で出来たら最高なんだけどね〜私だし?」
同じ顔だから最高の調理材料だし?と小首を傾げる保坂兄は、チラリと烈人を見つめた。
「あんたでも良いけど」
「ノーサンキュー」
「まけておくわよ?」
「千尋に許可を貰ってくれ」
俺の顔を弄りたいんなら、と笑った烈人に、保坂兄が手を振って笑った。
「やだー怖いからやめておくわ〜」と。

一都に投げキッスをして去って行った保坂兄。
その背中が遠ざかると、一都はホッとして座り込んでしまった。
「怖かったよぉ」
「捕まらなくて良かったな。あれでアイツ、剣道2段の柔道初段の合気道も初段だから、お前じゃ勝てねぇぜ」
はぁ!?と一都と透が目を合わせて驚く。
何だその凄まじい肩書きは。
どこにビューティがあるんだ、どこに。
「ちなみに保坂弟も同じく。格闘双子なんだぜ、実は」
「入る部活を間違えてますって」
は〜っと吐息を盛大について、一都は自分の顔を擦った。
「お化粧って、冗談じゃないっての」
「まぁな、あいつの化粧はケバイからな〜」
「グロスとか付けてましたよ、多分赤の」
「お前に赤はねぇよな〜」
「赤も何も無いですよ〜」
「大丈夫、その辺は千尋のセンスを信用しろ!」
ポン!と烈人が一都の頭を叩いた。
目の前でしゃがみ込み視線を合わせる彼の笑顔に、一都の顔が固まる。
「……センス?」
「大切な花だからな、可愛くしてやるぜ」
ふっふっふ、と笑う烈人に、一都が慌てて立ち上がった。
「ま、まさか!?」
同じくギョッとしている透と一都を見上げて、烈人が不敵な笑みを口元から剥がさない。
先程は地獄で貧乏神呼ばわりだったが、今ならもれなく地獄で死神状態だ。
背中に大きな鎌を背負う代わりに、大きな口紅をマシンガンの如く抱えているのが見えた。
幻覚だが。
「女装するんだから、顔もきっちり仕上げてやらないとな」
お化粧宣言に、一都と透の悲鳴が上がった。


断末魔の雄叫びが響く1年生の廊下を、軽やかにやって来る人がいる。
何事かと注目が集まる中へ、何の躊躇も無く踏み込んで。
「いたいた、探したよ」
「おう、千尋」
その人は烈人の声にニッコリ笑うと、抱き合って震えている可愛い後輩2人に雑誌を提示した。
きらびやかな誌面は、女性誌の特徴。
思いっきり女の子の画面を手にしても、まったく違和感を感じさせないその堂々っぷり。
「2人の意見を聞きたいんだけどさ」
「あー?」
千尋が2人に見せる誌面を烈人も覗き込む。
一体何を?と思っていると。


「どんなメイクが希望かな?」


ご希望に沿える様、努力致します。
笑顔で喉元にナイフを突きつける千尋に。
ニヤニヤと退路を塞ぐ烈人に。

一都と透のか細い悲鳴がもう一度廊下に木霊した。










初出…2008.8.28☆来夢
やっぱり実話が入ってるんです…(笑)

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。