ハレルヤ!

夏はまだ先とはいえ、校内の空気がムワッと熱されている。
うららかと言うには少々度が過ぎる太陽光線が窓から降り注ぎ、教室内はいい具合のサウナ状態。
「…何か臭くない?」
「男子の体臭じゃないの」
「え〜もっと虫的なさ…」
ヒソヒソと話す女子の背後、教室の後方には、初夏を前にして既に上半身裸の男達が。
今からそれでは夏になったら素っ裸か。
「あ、黒板が割れてる!」
「うそ!?」
「うわっ割れ目にカメムシの死骸が…っ!」
ぎゃ〜〜〜〜っと上がる悲鳴に、臭いが更に強烈になった錯覚。
「…あ?」
その騒ぎで、一都は漸く目を覚ました。


「お前…よくこのサウナの中で眠れるな」
目の前の席から透が振り返った。
彼も胸元を大きくはだけて、下敷きでパタパタと風を送っている。
「しかもカメムシのお葬式まで始っちまったってのに…」
「カメムシの葬式〜?」
なんじゃそら、と一都が目を擦っていると、バタン!と強烈な音を立ててドアが開いた。
漸く今からの授業担当の教師がやってきたのだ。


「お前らの貧相な肉体なんざ観たくないんだよ!何か着な!」
開口一番これである。
授業のスタートも何もあったもんじゃない。
「鈴藤ちゃんったら、美人なのに強烈なんだから」
「ありがとうね、でも人妻だから」
「若い肉体に圧倒されちゃってる?」
「何なら今からスモークしてやろうか?」
教室の前方と後方から飛び交う会話に、間にいた生徒達がポカンと頭上を見上げた。
家庭科担当の鈴藤は、ヨーロッパ系を思わせる顔立ちの美人である。
スタイルも良く、いつも颯爽と白衣を翻しながら校内を闊歩する姿はモデルのようだった。
…が、口を開くと少し強烈だが。


「あん?この程度でぎゃーぎゃー言ってたら、この学校じゃ生き残れないよ!」
合計6体も見つかったカメムシのご遺体を前にして、鈴藤が言い放ってくれた。
何だその恐怖のサバイバル校宣言は。
「何たってカメムシシーズンになったら、学校中がカメムシに占拠されるんだからね!」
あっはっはっは!と高笑いする彼女には悪いが、それは笑えない。
「占拠!?」
「そうよ〜ちょっとでも窓を開けようものなら、奴らは入ってくるんだよ…」
ほーら、こうしてここにもその残骸が…と指差すのは黒板の割れ目。
大体にして黒板が割れている事も問題だろうが。
どうやったら割れるのだ、黒板は。
去年の1年生-つまり2年生達なら答えを知っているのだろうか。
ふと、烈人や千尋に聞いてみたくもなったが、一都はすぐに首を横に振った。
何だか悪い方向にしか転がらない気がする。
頭の中で2人の高笑いが響き渡った。
が、現実は鈴藤の声が響く。
「だから真夏なのに窓開けられず!!」
「何ですと!」
「扇風機もエアコンも無い教室は、まさに灼熱地獄!むわむわと若者達の体臭で湧き上がる変な臭いに、窓を開けたら忍び寄るカメムシショック!奴らの季節は秋に全盛期を迎えるから、それもまだ序盤戦だけどねぇ!」
「え〜〜〜〜っ!?」
ぎゃ〜〜〜っと湧き上がる悲鳴が、むしろ楽しそうな鈴藤。
もしかしたら毎年こうして新入生の反応を楽しんでいるのだろうか。
「窓を閉めているのに、教卓で背中を向けた教師の背中に、カメムシが3匹!」
「ぎゃ〜〜〜〜っっ」
「机の中から教科書を取ろうとしたら、何故か間に挟まったカメムシ!」
「嫌〜〜〜〜〜っっ!」
全部、先輩達の経験談だと言う。
わーぎゃーと上がり続ける女子の悲鳴に、一都と透も流石に「まじで?」と顔を見合わせた。
すると。


「ぎゃ〜〜〜〜〜〜っっ!!!」
窓の外を見た女子生徒の悲鳴だった。
まさか既にカメムシが潜入を試みているのか!?
と、一都も透も目を向けたそこに映ったものは…

上の階からぶら下がった、男の後頭部だった。


ぎぃやああ〜〜〜〜〜〜っ!!
教室中が立ち上がっての大騒ぎになる。
流石の鈴藤も窓に近づいて、その後頭部の主を確認しようとした。
「…あ、お前…保坂兄!」
誰それ、と目を丸くすると、後頭部の持ち主がくるりを顔をこちらに向けた。
器用に体を捻ったのだが、恐ろし過ぎる。
「あら〜鈴藤ちゃん、今日も綺麗ね♪もうちょっとしっかりメイクしたら、もっと綺麗なのに」
「余計なお世話だ。何してんだ、お前」
「あんまり良いお天気だから空を観てたらね、体がふわ〜って飛んじゃった」
うふ、とウィンクする顔を見て、透が「うぇ」と呟いた。
無理も無い。
鈴藤が「兄」と言った通り、鈴藤よりむしろ女らしい言葉遣いをするその人物は、男だからだ。


「保坂兄って言ったよな」
「…じゃあ、弟が1年にいるのかな」
ヒソヒソと交わされる会話を知ってか知らずか、鈴藤がぶら下がった保坂兄を無視してその上を見上げた。
「こらー!保坂弟、早く引っぱり上げなさい!」
彼女の声に、上空から声が跳ね返ってくる。
「無茶言うな!この馬鹿は案外重いんだぞ!?」
「ちょっと蓮!重いって何、重いって!お兄ちゃんの体重は…」
「あー五月蝿ぇ〜〜〜っ!落として良いか!?」
「それは駄目!」
ぎゃーぎゃー言い合う声に、一都と透がそっと他の窓から上を見上げると。
そこには保坂兄の足を必死でホールドする、金髪男がいた。
ぶら下がっている男は黒髪だったが、顔つきはよくよく見ると似ている気がする。
という事は。

「こいつらは双子の保坂兄弟だ」
「おかまとヤンキーの兄弟ね」
え?と思った一都の目に、保坂弟の両脇から顔を出した烈人と千尋が笑った。
保坂弟を手助けしようともせず、団扇を手に笑っている2人。
「誰がヤンキーだ!」
「誰がおかまよ!」
保坂兄弟からの抗議を聞いても、お構いなし。
後輩の背後からわらわらと顔を覗かせた女子生徒に、素敵笑顔と手振りのサービスをする2人。
そんな彼らに思わず一都は唸った。
「全員同じクラスなんですか!?」
嫌だな、そのクラス!
嫌悪感を隠そうともしない一都の顔に、ぺしっと消しゴムを投げつけて烈人が答えた。
「阿呆!俺と千尋と保坂弟が同じクラス!兄は隣だ!」
「じゃあ何で、この人ここでぶら下がってるんですか!?」
「空を見ながらベランダを行脚してたの〜」
楽しそうに答えてくれた保坂兄に、透が「あの」と手を上げる。
「そろそろ頭に血が…やばくないすか?」
「ほらぁ!お前らも手伝って引っぱり上げろ!」
鈴藤が烈人と千尋を睨みあげる。
彼女の命令には2人も逆らえないらしい。
というか、普通に人命救助の観点から早く引っぱり上げろ、と言いたいところだが。
「落とすから、お前ら拾え」
「あーそれ楽かも〜」
「そうだな」
身を乗り出した烈人の提案に、千尋と保坂弟が頷いた。
そして実際に僅かに力を抜いた弟のせいで、兄の体が数cm下にずれると。
兄とギャラリー達から同時に悲鳴が上がった。


結局、3人によって無事引っぱり上げられた保坂兄。
ドキドキハラハラした一都達は、いらぬ汗をかいてしまって不快指数がうなぎ登りだ。


「あープール入りてぇ」
「もうじきだよな」
パタパタと相変わらず下敷きで風を送る透に、一都も同意した。
その声を聞きつけたのは、HRにやってきた担任の細井だった。
「入らせてやろうか?」
「マジで!?」
名は体を表わさない担任の一声に、教室中の男子が立ち上がった。
その反応に、細井がニヤリと笑った。

小一時間もしない内に、一都達はプールにいた。
念願叶ったプールの中に。

そんな彼らに、プールサイドから細井が言う。


「あー我が校には水泳部は無い!よって、プール開始前の掃除は、担当クラスを持つ教諭によるジャンケンで決められるのだが…」


夏を前にして、日差しは既に夏のそれ。
ゆらゆらと立ち上がる熱気は間違いなく夏のそれ。
こんな時は汗を水で流したいと思う若者の気持ちも、夏のそれ。
なのに。

彼らがいるプールに水は無かった。

「今年は俺が負けちゃったから、お前ら掃除ヨロシク!!」

「ふざけんなぁああ〜〜〜〜〜っっ!!!」

やはっと笑った細井に、男子生徒達から一斉にブーイングと、手にしていた掃除道具が投げつけられる。
それに対する細井の反撃は。
「ほれ、水だ!」
ホースによる放水だった。

もうじき夏本番。










初出…2008.5.12☆来夢
実話が入ってたりします(笑)

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。